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Gold Mine Inc.


金、銀、銅、鉄、水銀を始めとする各種の金属資源は、人類の大切な生活資材として、また装飾品や通貨として太古より採掘されてきました。また近年は金、銀等も工業用原料としての重要度を増しつつあります。

わが国の記録に残る最古の鉱山は、九州の対馬(長崎県下県郡厳原町樫根)で天武天皇の白鳳3年(674)に銀が産出されて、朝廷に献上されたのが最初とされています。
その後、戦国時代(1500年代)より国内各地で金、銀、銅、鉛等を主とする各種の鉱床が開発され、生野、佐渡、山ヶ野等の大鉱山も発展を逐げました。
近代的な機械による採鉱は明治末期(1910~)に始まり、わが国の金属鉱業の最盛期は昭和の始めから約30年間で、そのうち金山については昭和初期(1927~)から約15年間であり、鴻の舞、串木野、鯛生等の大鉱床も開発され、その間の産金の最高は年間約25トンに達しており、かつてマルコポーロによって黄金の国と西欧に伝えられたわが国の真価を示しまいた。しかし、これらの金山も昭和18年(1943) の産金整備令以後その多くは廃止となっています。


わが国の金山は、第二次大戦の政府産金奨励策により、昭和16~18年(1941~43)には稼行鉱山400あまりに達し、最盛期を迎えましたが、昭和18年(1943) の金山整備令により、1~2の珪酸鉱鉱山を残して一挙に全滅し、それらの生産記録や調査内容についても一切極秘扱いとして闇から閣に葬られていました。
戦後いち早く鴻の舞、串木野、鱗生等次々と再開され、探査技術や採鉱技術の進歩に伴い一時盛況をみせました。
しかしその後、稼行品位の低下と、金属市況の長期低迷によってわが国の代表的な金山まで相次いでその姿を消すに至りました
最近ではわずかに鹿児島県菱刈鉱山の高品位の富鉱部への着脈の朗報があるのみで、その他はいずれも風前の灯のような状況であり、ことに、昨今の鉱山業界の未曽有の大不況と、第一次産業が背負う苛酷な宿命がそれに拍車をかけ、休廃山が続出し、今や全滅の危機に瀕しています。 一方、わが国の金銀鉱床がこれまでに果たした金属鉱床学上の意義は極めて高く、ことに新期の火成活動に由来する浅熱水鉱沫の新知見は、再探鉱の余地を拡げ、中熱水鉱床等も新しい鉱床学的見地から再検討を求められるに至っています。