橘玲の日々刻々
2012年11月27日 橘玲

作家・橘玲×増原義剛対談
改正貸金業法は失敗だった!
ポピュリズムに毒された政治の敗北

ポピュリズムに乗った
選挙に弱い議員とマスコミ

 そういう認識を議員間ではどの程度共有できていたのでしょうか。

増原 あまり共有できていませんでした。どうしても政治家は選挙を意識して、世論に左右されるところがあります。よほど選挙に強い方は別として、特に小選挙区制度になってからはそういう傾向が強まりました。

 本にも書かれていますが、それはマスコミの問題も大きいということですね。経済学的には今おっしゃったことは常識ですが、この件では極めて非常識な議論がいわゆる「正義」として通ってしまった。感情的な議論の誤りを正していくのが、本来のマスコミあるいは政治家の役割のはずです。それが機能しなかったことにも問題があったように思いますが。

増原 そうですね。あえて申し上げると、マスメディアの中でも、論説や社説では、今、橘さんからご指摘があったようなことは述べられていました。ところが、社会面に載ると全く違った論調になっていた。

 「勧善懲悪」ということですね。

「結局、善意の金利規制が、多くの多重債務者を生む結果を招いてしまった」 撮影/湯浅立志

増原 そう、白か黒か。とくに当時のマスコミの報道には一種異常な空気が漂っていました。よくマスメディアは第四の権力と言われ、自分たちがつくった土俵から一歩でも踏み出す人は、こてんぱんに叩くという習性があります。それを前提に考えるならば、政治家にとってはそこを踏み出すことは大変なリスクを負うことになるのです。

 選挙で落ちたら、何もかも失ってしまいますからね。

増原 ただの人、プラス借金ですから(笑)。きちんと主張できる議員は選挙に強い方です。

 逆に、ポピュリズムに乗って、ヤミ金と消費者金融の区別もせずにひたすら叩いていた人たちというのは、選挙に弱い人と考えていいですか。

増原 一部例外はありますが、ほとんどそうだと思います。当時、たとえば地元に帰って、「先生、貸金業法の改正をどうお考えですか」と聞かれたときに、「いや、あれはおかしいんだよね」と堂々と答えることのできた議員は少なかったといえるでしょう。

長者を生んだ市場の歪み

 90年代になって日本経済が下降線をたどる中、消費者金融だけが圧倒的な収益を上げ、創業者が次々と長者番付に名を連ねていました。それに対する嫉妬から消費者金融叩きが始まったという人もいます。しかしそうなった理由の一つが、先ほどおっしゃったように、政治が上限金利を下げたからだということはほとんど理解されていません。

強制的に金利を下げれば、競争力のないところは淘汰され、安い調達金利で大量に貸せるところだけが生き残って寡占化が進むのは当たり前です。リスクとリターンで金利が決まるという正常な市場であれば、ニッチな業者も出てきて、あれほどまでの寡占状態にはならなかったのではないか。冷静になればそういう議論ができたはずですが、当時はどういう雰囲気だったのでしょうか。

増原 確かに「いかに創業者利益といっても、10年余りも長者番付の10位以内に消費者金融の創業者が名を連ねていられる状況は行き過ぎだ」という声はありました。ただ、金利の引下げで「儲からないので廃業する」ということは理解していましたが、「レバレッジを活かせる大手に有利」という意見はなかったと思います。

 そういう状況が起きるのは市場が歪んでいるからであって、歪んでいる市場を元に戻せば大手消費者金融の独占も減っていくはずだと考えるのが普通の理解だと思いますが、そのようには論じられなかったんですか。

増原 ええ。さらにもう一つの問題が〝無人化”です。そこそこ大きくなった業者が、新しいビジネスモデルとして自動契約機を導入し、さらに大きくなっていった。それはそれでいいことです。しかし、どんどん上限金利が下がっていく状況下では、いわゆる街金融と言われる中小業者にはこのビジネスモデルを真似する余力などない。

 だから中小業者は市場から退場するしかなくなるわけですね。