安倍晋三自民党総裁が唱える金融緩和について、「現実的でない」「奇策」などの批判があるが、実際のところはどうだろうか。
安倍氏の経歴をみると、金融緩和への姿勢は実体験に基づくものであることがわかる。安倍氏は2000年7月に森内閣で官房副長官に就任、小泉政権でも引き継ぎ、03年9月に自民党幹事長に就任するまで官房副長官を務めた。その間の00年8月、日銀は物価の下落を「良いデフレ」としてゼロ金利解除を強行した。良いデフレがあるはずなく、日銀の完全な失敗であった。
安倍氏は当時の状況をよく記憶していて、その時から日銀の金融政策には疑問を持っていたようだ。小泉政権で2004年初めごろから大規模な金融緩和が行われた時、安倍氏は自民党幹事長だった。当然、政府の行う大きな政策は承知していた。
実は、この金融緩和はやや手が込んでいた。まず、財務省が為券(ためけん)と呼ばれる政府短期証券を発行して為替介入を行う。当時は量的緩和によるゼロ金利政策が行われていたが、日銀が適当に為券を買い入れないとゼロ金利を維持できないので、日銀が買い取っていた。これによってベースマネー(中央銀行が供給する通貨)が増え、量的緩和になるという具合だ。為替介入との合わせ技であるが、本質部分は量的緩和である。
その結果、日米のベースマネー比に大きな変化が起きて、為替は円安に振れた。ポイントは決して為替介入の効果ではなかったことだ。安倍氏はこの様子を見ていた。
量的緩和は06年3月、与謝野馨氏の意向でデフレにもかかわらず解除されたが、効果は1年半くらい持続した。安倍氏にとってこの量的緩和解除も痛恨であっただろう。その当時、解除の1年後ぐらいから景気は悪くなると筆者は予測し、安倍氏に伝えたところ、驚いていた。それは残念ながら的中した。こうした経験を持つ安倍氏にとって、デフレがまだ継続しているので金融緩和は当然の政策である。
一方、白川方明日銀総裁の実績はどうだろうか。新日銀法施行の1998年以来、日銀は金融政策で成功はないが、大きな失敗を3回もしている。2000年8月のゼロ金利解除、06年3月の量的緩和解除、08年9月のリーマン・ショック以降、海外の中央銀行が大規模にバランスシート(B/S)を拡大したにもかかわらず日銀が行わなかったことだ。
白川氏はこれらすべての失敗に関与している。ゼロ金利解除は審議役として、量的緩和解除は理事として、B/S不拡大は総裁としてそれぞれ責任者であった。3回とも失敗する方がなかなかありえないのだが、こうした3つの失敗の結果、デフレから脱却できず、新日銀法施行以降の0〜2%のインフレ率の達成率はなんと1割7分。白川総裁の期間だけをみても2割2分だ。
ちなみに、米国で1〜3%のインフレ率の達成率は同じ期間で7割4分。先進国では8割程度の達成率は当たり前なのに、日銀だけが劣っている。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)