特集
● - 多芸多才 繊維の素顔
国立大学唯一の「繊維学部」 信州大学はなぜ守り続けているのか
信州大学繊維学部は「繊維」の名を冠する国立大学唯一の学部である。昭和40年代以降、全国の大学の学部、学科名から「繊維」が消えていくなかで、守り続けてきた。いまや、先端的な繊維研究の拠点で、繊維に関する論文数は世界の繊維系大学で第1位である。
1910(明治43)年に設立された官立の上田蚕糸専門学校を前身とする信州大学繊維学部は、伝統のある繊維研究拠点である。来年100周年を迎える。現在、国立大学で「繊維」の名を冠する唯一の学部である。昭和の時代の終わりまでに全国の大学の学部、学科名から「繊維」が消えたが、なぜ本学の繊維学部は生き残ったのか。いや、この20 年余り、われわれはなぜ、繊維学部を守り続けてきたのか。 明治以来隆盛を極めていた日本の繊維業界が試練の時代に入ったのは、東京オリンピック後の国民総生産が世界第2位になった1969 年の翌年1970 年からである。1971 ~79 年には、対米繊維輸出規制、石油ショックなど悪条件が重なり繊維業界は大打撃を受けた。特に紡績業界は、紡織不況カルテルを結成したものの、大きく衰退した。このとき当時の日本繊維産業連盟の会長であった故宮崎輝氏は「いくら繊維産業が低落しても人が衣服を着なくなることはない。化繊業界が結束して生産の徹底的合理化、繊維技術とあらゆる先端技術を融合した新領域の開拓、研究開発に力を注ぎ、世界一の技術力を築く」ことを指示し、その後、化繊業界は新合繊をはじめ多くの新技術・新商品を生み出し、世界トップの技術開発力を実現した。 このときの繊維業界の不況は「繊維は斜陽」のイメージを日本全国に植え付け、大学卒業生の就職にも大きな影響を与えた。昭和30 年代には3つの大学に繊維学部、10 大学に19 の繊維系学科があったが、昭和41 ~61 年ごろにかけて信州大学繊維学部繊維システム工学科を除きすべて高分子、物質などの材料系、機械系、応用生物系学科などへ改組・転換されていった。 繊維は材料や物質の一部、紡績は機械工学科の一部で間に合う、従って繊維工学の教育研究はこれらの領域でカバーできるという考えが支配的になった。次第に繊維全体を知る教員や繊維業界から大学に入る教員は激減し、ついにカリキュラムからも繊維の名称はなくなっていった。 当然、繊維の名称を冠した学部、学科は人気がなくなり、信州大学繊維学部への志願者は全国国立大学中ワーストスリーに数年間ランキングされた。工学部へ吸収かとうわさされたり、内部では「繊維学部」という名称の存続派と転換派が激しく対立したが、最終的に本学は「人類が存続する限り繊維は必要なもの、受験生の人気に左右され国立大学の学部名称やミッションを変えるものではない。繊維は衣・食・住の要、日本でただ1 つになっても繊維技術者の育成と繊維科学の研究は必要」とし「繊維」と心中する考えで進むことになった。当時、文部省も時代の流れで繊維系講座・学科、専攻の設置は一切認めず、むしろ廃止や転換を進めていた。 平成2 年、信州大学繊維学部は創立80 周年を迎え東京の経団連会館で繊維業界、官界、地域のトップが集まり記念式典を開いた。この席で産業界などは「大学から繊維の学問の火を消すな」と繊維学部の考えを支持し、応援してくれることになった。 このような状況下でまず繊維学会が行動を開始した。全国の繊維系学科がことごとく消え、繊維業界へは一般の工学部の卒業生が入社するケースが増えた結果、繊維に全く興味を示さない新入社員に一から繊維技術教育をしなければならなくなり、企業も繊維教育の衰退を問題視しだした。日本化学繊維協会と繊維学会は同年、繊維学会長を団長とし産学官で構成する繊維欧米調査団を結成し約2 週間にわたって欧州、米国の主要な繊維工学、衣服工学の学部や学科を持つ大学を訪問調査した。欧米では繊維は食と同じ重要な分野、どこの国でも「なぜ日本では繊維学が大学から消えていくのか理解できない」と一様に聞かれた。 米国のノースカロライナ州立大学繊維学部、ドイツのシュツットガルト大学のデンケンドルフ繊維研究所、英国のマンチェスター大学など繊維に関する海外の大学、研究機関は伝統と誇りを持っており、世界中に人材を輩出していた。「学問がなくなれば産業は消える」ことを痛感した。調査団は産・学による新繊維工学教育のフィロソフィーの確立、人材育成の方策・方向の検討、先端的研究・基礎研究の振興等を提言した。平成3 年、日本学術会議も「繊維工学教育の必要性」を提言した。 そのころ、信州大学では工学部と繊維学部を基盤に大学院博士後期課程の設置準備をしていたが、繊維科学専攻の設置を文部省は認めようとしなかった。しかし、当時の大学院係長は大講座ならば上を説得するといってくれ、信州大学大学院工学系研究科の中に天然繊維、人工繊維、産業繊維を教育研究する繊維3 大講座(後に繊維感性工学講座を増設)を持つわが国唯一の繊維系大学院博士課程ができた。一方、信州大学繊維学部では、受験生の獲得、繊維の将来性などを考慮して繊維学部の名称を存続させるか否かの議論が行われていた。しかし、数年間申請し続けていた科学研究費COE 形成基礎研究費「先進繊維技術科学研究教育拠点」が平成10 年に採択され、繊維学部の多くの教員がこれに参画することにより、繊維が有する「匠(たくみ)」の技術と最先端の科学技術を融合させた新たな「ファイバー工学」分野を開拓する視点で学部がまとまり、1 つの方向性を持って戦略的に繊維学部の未来を切り開いてきた。この科学研究費COE は最終評価で「A+」を受けることができ、引き続き21 世紀COEプログラム「先進ファイバー工学研究教育拠点」を推進することとなった。さらに21 世紀COEプログラムの成果が認められ、信州大学大学院総合工学系研究科の「生命機能・ファイバー工学専攻」(グローバルCOE)に発展した(図1)。
「繊維」はJIS(日本工業規格)でも「糸・織物」と定義され「古く・狭い」イメージが強い。伝統的繊維工学は、高分子→紡糸→紡績・編組→染色・加工→縫製などのように、衣料品を作る長い工程に沿った「高分子工学」「紡糸工学」「染色・加工学」などの学問体系だった。当時から繊維が先端分野に広がる中で、この工学体系では通用しなくなっていた。繊維学部は昭和60 年代から「繊維システム工学科」を核とし「バイオテクノロジー」「新素材化学」「機能高分子学」「メカトロニクス」などの先端工学分野の学科に改組することで新しい繊維学部への転換を図った。伝統繊維の「匠技術」とこれらの先端工学を融合し「新繊維総合科学」を築いてきたのである。 その過程で、原子・分子からなる細くて長い一次元材料「ファイバー」をよったり、織ったり、編んだりして二次元、三次元組織体とし、その階層構造からさまざまな性能や機能を発現させる。神経線維や筋肉繊維など生体の繊維組織の機能は極めて優れた特徴を有している。このようなファイバー特有の性能や機能を衣料、インテリア、光を運ぶ光ファイバーなど通信、建設、自動車、航空・宇宙、医療・健康・福祉などあらゆる分野に応用し産業化する「ファイバー工学」を提案した。 ファイバーはまた「暖かい」「心地よい」などヒトの感性にも訴え、ほかの材料にはない特性や機能を持つ。「細さ」1 つをとっても、現在1グラムのポリエステル樹脂から地球を1 周するほどの超極細繊維を作ることができるが、そのレベルを未踏のナノレベルまで拡張することができるようにファイバー工学は無限の可能性を秘めている。 この概念は平成10 年から始めた20 世紀COE および21 世紀COE(平成14 ~17 年)の研究に展開され、その体系が原子から感性まで紡ぐ「ファイバー工学」(白井汪芳;山浦和男編.丸善,2005.)としてまとめられ世界で初めて出版された。また、経済産業省の技術戦略マップもこの概念の「ファイバー」に改められた。
「繊維」を冠した日本の大学の学部は信州大学繊維学部だけになった。1998 年から先端繊維上田会議が2 年に1 度開かれ世界から繊維科学・技術者が集まり、同時にノースカロライナ州立大学(NCSU)(米)、マンチェスター大学(UMIST)(欧)と信州大学(日)の世界3 大地域代表会議も開かれている。 科学研究費の20 世紀COE から約10 年、繊維に関する論文数は世界の繊維系大学で第1 位、ナノファイバーでは第5位にまでなった。一方、日本の繊維系大学の動きを見て中国、韓国でも繊維系学部・学科の廃止が続いている。「繊維を学ぶものは上田へ」となってほしい。繊維学会の欧米調査団のメンバーが、欧米の世界有数の繊維系大学で「優秀な受験生が集まりますか」の質問に「集まりません。あらゆる手段を使って繊維の重要性を説き世界から集める」と答えていたのが印象的だった。われわれも繊維研究の重要性を説き続けるつもりである。 JR の調査によると現在日本の若者の関心事の第3位がファッションであり、衣への関心は高い。繊維の教育研究をする大学は世界でも多くはない。しかし、人類が存続する限り衣食住の「衣」に関する科学技術は必要であり、研究の灯を消してはならない。 |