'12/11/25
サンフレV 地域の財産 悲願の勝利
この日、この瞬間をどれだけ待ちわびていたことか。J1サンフレッチェ広島がきのう、ついにリーグ初優勝に輝いた。
セレッソ大阪との地元最終戦で、見事に決めてくれた。高萩洋次郎選手を先頭に前半だけで3得点。ほぼ同時刻に試合に臨んだ2位ベガルタ仙台の敗戦の報とともに、紫で染まった広島ビッグアーチは地鳴りのような歓声がこだました。
選手にとって重圧は並々ならぬものがあったはず。堂々の勝利をたたえたい。
試合後のインタビューで、森保一監督は声を張り上げ「皆さんの応援のおかげで日本一になれた」と喜びを爆発させた。サポーター、地元経済界や行政が一丸、いや三本の矢となって選手とチームを支え続けてくれたという実感だろう。
常に上位をキープしてきたとはいえ、今季は近年まれに見る大混戦だった。森保体制1年目での栄冠はまさに快挙である。
前任のペトロビッチ監督から受け継いだプレースタイルを深化させたことが大きかったのではないか。得点王を独走している佐藤寿人選手を軸とした、どこからでも自在な攻撃力はリーグ随一。これに組織的な守備を加えた。
新たな戦術が機能したのも、どんな試合展開でも動じない精神力があってこそ。我慢の守備を貫き、終盤のゴールにつなげての勝利も目立った。何度もサポーターをしびれさせた。
これまでの道のりは、決して平たんではなかった。
地元の48の自治体・企業から出資を受け、前身のマツダがプロのクラブとして出発したのは1992年。地域密着を掲げ、翌年に開幕したJリーグに加わった。94年には第1ステージ優勝を果たした。
だが、Jリーグブームが一段落し、バブルもはじけると環境は一変する。97年オフに経営危機が表面化。高額年俸の主力選手の一斉放出を余儀なくされた。2002年と07年の2度、J2降格の屈辱も味わった。
その間、曲折を経ながらも地域に支えられてきた。サンフレの練習拠点がある安芸高田市吉田町、ビッグアーチ「城下町」の広島市安佐南区沼田地区と試合観戦のシャトルバスが発着する西区横川地区―。地元住民の手による温かい支援も根付く。
一方で、企業としてのサンフレには課題が山積している。ことし、20億円を超える累積損失を圧縮する必要から、資本金21億円を99%取り崩す減資に踏み切った。これ以上の赤字は許されない。黒字体質への転換は、待ったなしであろう。
サポーターなどの間では、広島市内へのサッカー専用スタジアム建設を求める声が相次いでいる。ビッグアーチが市中心部から遠いだけでなく、構造上どうしても臨場感に欠けることが理由だ。
広島市のまちづくりと一体で考えるべき課題である。費用面の実現性なども考え合わせ、さらに議論が必要だろう。
サンフレが首位争いを演じた今季、観客動員もJリーグ発足当時に迫る勢いである。これを来季につなげることが求められていよう。サンフレを地域共通の財産と考え、応援の輪を広げること。選手の奮闘との「好循環」を築きたい。もっと会場に足を運ぼう。