2012年11月22日
テーマ:国内政治
日本維新の会と同和問題を検証する
日本社会において長年タブーとされ、今でもメディア等が正面切って扱わない同和、見出しには同和問題としたが、問題と掲げる事にもう時代があっていないと思う。そして歴史上、かつての日本の繁栄が主として西日本にあったことから、現代社会の人達も同和についての感覚は東日本と西日本では大きく異なってくる。一般的には西日本の人は何か特別という事ではないが敏感に反応し、東日本の人達はどちらかというとまだ差別とか何とか言ってるのか位の感覚であり特別に意識することは無い。ごく一般的に言ってしまえば、昔差別されていた人であり、よくわからないがなんか卑しい人なのかな、それなら関わらない方がいいのかな、この程度の感覚ではなかろうか。
一般社会生活において町を歩いていたり交通機関を利用しているとき、すれ違ったりとなり合わせになったり、絶対確実にそうであっても特に意識することは無かろう。そして絶対に区別が付くこともないであろう。
同和出身と言っても、どことは言わないが幾つもの今や名門企業とも言われ日本社会に貢献している人達もかなりいるのも間違いない所である。一度でもヨーロッパにツアー以外で行ったことがあれば実感できるであろうが、ジプシーに対する感覚とは比較にならない。私も頻繁に行くわけではないが何となく把握できるまでには、10年近くかかったのではと思う。
私は同和、確かに日本の歴史の恥部であるとは思うが少なくとも戦後の社会においての認識では間違いなく日本人である。確かに差別もあったであろう、しかし今の時代日本人の意識の中に人を差別する感覚は無い。更に行政も法律が数回の延期の後、期限切れにより差別は解消と判断しており、同和問題は無くなったと言えるのである。ということはそれをいまだに言いつづけることは、在日が入りこんでのエセ同和としか言えないのではないだろうか。
私の感覚では現代社会における同和は、本来の同和から外れ、それは同和地域が行政の判断により差別解消に取り組んだことから、その恩恵が目的で差別されているとの主張の元に在日が入りこんできた事にあり、同和ということを利用するため、左翼並びに過激派の中核・革マル等が入りこみ、本来違う反体制への活動に利用されてしまっている、さらにそこにヤクザが入りこみ暴力団であることの隠れ蓑にしている現状がある。これでは、昭和天皇が日本国憲法公布の時のお言葉で「和合同胞皆一つ」と発言された重みから大きく外れ、本来の同和から外れた問題になってしまったと思う。昔は差別され、今はむしろ食い物にされている、これが同和地域出身者の思いではなかろうか。
*同和はもともと「同胞融和」から来ていますが、私は昭和天皇のこのお言葉が同和を含む国民全員に向かって語られたという事から、このお言葉の理解として同和と使っています。
エセ同和という言葉、それなら本物の同和が一応同和地域(部落という言葉は不適切)出身者と定義されるのであろう。しかし同和地域出身者が名の通った同和団体を日本のあり方という事から攻めるとエセ同和と同和から言われる。そして単に同和と言ってもどうしても政治と関係し、同和が左翼系、エセ同和が保守系と言ってしまう場合もある。
さらに世間では同和を標榜し、同和の名の元で利権に絡むことをエセ同和とも言われる。しかし日本政府が差別は解消されたと判断した以上、私はもう同和は存在せず、同和並びに関連する言動や組織は全てエセであると言わざるを得ません。
ごく簡単ですが、同和とはある地域に居住する、そしてその職業的等の様々な環境から行政のサービスに差があった地域、として呼称されていました。主だった団体としては・・・
自由同和会
元は全日本同和会であり、自民党系で組織的には最大の会員数。
全国地域人種運動総連合
共産党系で部落解放同盟から追放される形で設立。部落問題は解決されたとの立場をとり、二番目の会員数。人権擁護法案についてはエセ同和を助長するとして反対。
部落解放同盟
特に民主党系議員と関係深く送り込む国会議員も最多、一部自民・公明・社民もみられ、労組の「連合」と連携。唯一「糾弾」という戦略を取る。人権擁護法案の旗頭。他に部落解放同盟の大阪から分離した中核派の部落解放同盟全国連合会がより「糾弾」という手段を取りますが、そのために一応分離したと言えます。反原発主張。
それではいつ頃から本来の差別撤廃から、同和を利用するようになったのだろうか。政府の政策も進み、国民生活も向上し、国民もほとんどが差別を意識しなくなり、一連の学園闘争も収束し行き場を失った左翼・共産社会主義グループが新空港の成田を目標にした頃と言えます。
予断なりますが、成田のあの地を選んだ一つに同和問題があります。幾つかのそのような地域があり、その解消と開港後の雇用確保から、あれだけ広い所はなかなか無く、房総大地で霧もよく発生するところで、都心からも遠く紆余曲折がありました。
新東京国際空港は、世界でも類を見ない反対運動が展開されることになりました。日本中の左翼組織が、農民や同和地区と組み、闘争に明け暮れることになりました。土地の買収も絡む事であり、ヤクザも同和も左翼も政治家も、様々な利権が入り組み、その争奪合戦の中、戦場とも言えるほどの対警察との攻防が繰り広げられました。その裏では、一言で言えば札束が撒かれ放題に近く、群がる利権は恐らく想像を絶すると思います。
特に悪質というか狡猾なのが約30近くあった同和地区です。ゲバ棒ふるいは他の地域に任せ、あくまで差別理由に本心はお金だけなのに、土地の権利者は全くと言って姿を現さず、組織の人間が出てきていました。これをエセ同和と言わずして何と呼んだらいいのか理解出来ると思います。成田と言うの地、現地だけで抗議活動というのか、行動するわけではありません。関係する中央官庁にもきます、そのやり方は尾籠(ビロウと読み、とても下品な事を言います)な話ですが、急におなか痛くなりがまん出来ないと言い所かまわず…という事です。このような手口はデパート等のサービス業で多くやります。ホテルロビー、デパート食品売り場と様々です。
話はどんどんそれてしまうので戻しますが、本来の同和の差別撤廃の旗印は、先ほど述べたようにほとんど見られなくなっていた状況です。同和を標榜すれば膨大なお金になる、ここに目をつけたのが暴力団であり、在日であり、労働組合であり左翼過激派という事なのです。説明されればおそらくほとんどの方が理解出来ると思います。反体制運動と言う事で当然中共等のいわゆる工作員も紛れ込んできます。
ここでやはり少し横道にそれますが、こうした同和のやり方はおかしいと言い、対抗がてら利権に結び付こうとする組織もありました。この団体はエセ同和としてかなり有名でしたが、トップは間違いなく四国同和出身の人です。ここで一言お断りしますが、決してこの人物をほめたり支持しているという事ではありません。私は相対する立場ですし、情報を取るということでは、極めて重要であり、単なるそうした関係にすぎません。それが、日本同和清光会の尾崎清光です。一般的には、政治活動家・ヤクザ・実業家・エセ同和の黒幕と言われた裏のドンとも言われた人物です。この団体は、自民系の自由同和会から分離した団体です。ここで注目してもらいたいのは自民系という事です。
永田町の新築なったパレロワイヤルの上部2偕を使用していました。同和団体として普通は永田町に事務所は構えません。そして2階分の部屋の構造とその目的等も書きたいのですが割愛させていただきます。その所有者はともかく、そしてこの流れの方が今でも所有している部屋に、事務所としているのが東国原なのです。
尾崎清光のオークラで開いたパーティ、政治家・官僚・財界人・右翼・ヤクザ・同和関係等で約2000人が集まりました。何だか忘れましたが当日の結構重要なパーティには同類の人が数人だっと言われています。ここでのポイントは、エセ同和・自民系・永田町です。この人物48歳の若さで、東京女子医大入院中に射殺され、犯人は未検挙です。犯人像の諸説ありますが、流れている話は全く的を得ていませんね。
この続きはまた後日・・・
一般社会生活において町を歩いていたり交通機関を利用しているとき、すれ違ったりとなり合わせになったり、絶対確実にそうであっても特に意識することは無かろう。そして絶対に区別が付くこともないであろう。
同和出身と言っても、どことは言わないが幾つもの今や名門企業とも言われ日本社会に貢献している人達もかなりいるのも間違いない所である。一度でもヨーロッパにツアー以外で行ったことがあれば実感できるであろうが、ジプシーに対する感覚とは比較にならない。私も頻繁に行くわけではないが何となく把握できるまでには、10年近くかかったのではと思う。
私は同和、確かに日本の歴史の恥部であるとは思うが少なくとも戦後の社会においての認識では間違いなく日本人である。確かに差別もあったであろう、しかし今の時代日本人の意識の中に人を差別する感覚は無い。更に行政も法律が数回の延期の後、期限切れにより差別は解消と判断しており、同和問題は無くなったと言えるのである。ということはそれをいまだに言いつづけることは、在日が入りこんでのエセ同和としか言えないのではないだろうか。
私の感覚では現代社会における同和は、本来の同和から外れ、それは同和地域が行政の判断により差別解消に取り組んだことから、その恩恵が目的で差別されているとの主張の元に在日が入りこんできた事にあり、同和ということを利用するため、左翼並びに過激派の中核・革マル等が入りこみ、本来違う反体制への活動に利用されてしまっている、さらにそこにヤクザが入りこみ暴力団であることの隠れ蓑にしている現状がある。これでは、昭和天皇が日本国憲法公布の時のお言葉で「和合同胞皆一つ」と発言された重みから大きく外れ、本来の同和から外れた問題になってしまったと思う。昔は差別され、今はむしろ食い物にされている、これが同和地域出身者の思いではなかろうか。
*同和はもともと「同胞融和」から来ていますが、私は昭和天皇のこのお言葉が同和を含む国民全員に向かって語られたという事から、このお言葉の理解として同和と使っています。
エセ同和という言葉、それなら本物の同和が一応同和地域(部落という言葉は不適切)出身者と定義されるのであろう。しかし同和地域出身者が名の通った同和団体を日本のあり方という事から攻めるとエセ同和と同和から言われる。そして単に同和と言ってもどうしても政治と関係し、同和が左翼系、エセ同和が保守系と言ってしまう場合もある。
さらに世間では同和を標榜し、同和の名の元で利権に絡むことをエセ同和とも言われる。しかし日本政府が差別は解消されたと判断した以上、私はもう同和は存在せず、同和並びに関連する言動や組織は全てエセであると言わざるを得ません。
ごく簡単ですが、同和とはある地域に居住する、そしてその職業的等の様々な環境から行政のサービスに差があった地域、として呼称されていました。主だった団体としては・・・
自由同和会
元は全日本同和会であり、自民党系で組織的には最大の会員数。
全国地域人種運動総連合
共産党系で部落解放同盟から追放される形で設立。部落問題は解決されたとの立場をとり、二番目の会員数。人権擁護法案についてはエセ同和を助長するとして反対。
部落解放同盟
特に民主党系議員と関係深く送り込む国会議員も最多、一部自民・公明・社民もみられ、労組の「連合」と連携。唯一「糾弾」という戦略を取る。人権擁護法案の旗頭。他に部落解放同盟の大阪から分離した中核派の部落解放同盟全国連合会がより「糾弾」という手段を取りますが、そのために一応分離したと言えます。反原発主張。
それではいつ頃から本来の差別撤廃から、同和を利用するようになったのだろうか。政府の政策も進み、国民生活も向上し、国民もほとんどが差別を意識しなくなり、一連の学園闘争も収束し行き場を失った左翼・共産社会主義グループが新空港の成田を目標にした頃と言えます。
予断なりますが、成田のあの地を選んだ一つに同和問題があります。幾つかのそのような地域があり、その解消と開港後の雇用確保から、あれだけ広い所はなかなか無く、房総大地で霧もよく発生するところで、都心からも遠く紆余曲折がありました。
新東京国際空港は、世界でも類を見ない反対運動が展開されることになりました。日本中の左翼組織が、農民や同和地区と組み、闘争に明け暮れることになりました。土地の買収も絡む事であり、ヤクザも同和も左翼も政治家も、様々な利権が入り組み、その争奪合戦の中、戦場とも言えるほどの対警察との攻防が繰り広げられました。その裏では、一言で言えば札束が撒かれ放題に近く、群がる利権は恐らく想像を絶すると思います。
特に悪質というか狡猾なのが約30近くあった同和地区です。ゲバ棒ふるいは他の地域に任せ、あくまで差別理由に本心はお金だけなのに、土地の権利者は全くと言って姿を現さず、組織の人間が出てきていました。これをエセ同和と言わずして何と呼んだらいいのか理解出来ると思います。成田と言うの地、現地だけで抗議活動というのか、行動するわけではありません。関係する中央官庁にもきます、そのやり方は尾籠(ビロウと読み、とても下品な事を言います)な話ですが、急におなか痛くなりがまん出来ないと言い所かまわず…という事です。このような手口はデパート等のサービス業で多くやります。ホテルロビー、デパート食品売り場と様々です。
話はどんどんそれてしまうので戻しますが、本来の同和の差別撤廃の旗印は、先ほど述べたようにほとんど見られなくなっていた状況です。同和を標榜すれば膨大なお金になる、ここに目をつけたのが暴力団であり、在日であり、労働組合であり左翼過激派という事なのです。説明されればおそらくほとんどの方が理解出来ると思います。反体制運動と言う事で当然中共等のいわゆる工作員も紛れ込んできます。
ここでやはり少し横道にそれますが、こうした同和のやり方はおかしいと言い、対抗がてら利権に結び付こうとする組織もありました。この団体はエセ同和としてかなり有名でしたが、トップは間違いなく四国同和出身の人です。ここで一言お断りしますが、決してこの人物をほめたり支持しているという事ではありません。私は相対する立場ですし、情報を取るということでは、極めて重要であり、単なるそうした関係にすぎません。それが、日本同和清光会の尾崎清光です。一般的には、政治活動家・ヤクザ・実業家・エセ同和の黒幕と言われた裏のドンとも言われた人物です。この団体は、自民系の自由同和会から分離した団体です。ここで注目してもらいたいのは自民系という事です。
永田町の新築なったパレロワイヤルの上部2偕を使用していました。同和団体として普通は永田町に事務所は構えません。そして2階分の部屋の構造とその目的等も書きたいのですが割愛させていただきます。その所有者はともかく、そしてこの流れの方が今でも所有している部屋に、事務所としているのが東国原なのです。
尾崎清光のオークラで開いたパーティ、政治家・官僚・財界人・右翼・ヤクザ・同和関係等で約2000人が集まりました。何だか忘れましたが当日の結構重要なパーティには同類の人が数人だっと言われています。ここでのポイントは、エセ同和・自民系・永田町です。この人物48歳の若さで、東京女子医大入院中に射殺され、犯人は未検挙です。犯人像の諸説ありますが、流れている話は全く的を得ていませんね。
この続きはまた後日・・・