日露戦争は日本の「祖国防衛戦争」であった、か?

 村山今市


 はじめまして、村山今市ともうします。突然ではありますが、この話題につきまして、加美礼次郎氏に声をかけてもらいましたので、乱入させて頂きます。しばらくおつきあいください。

 「汚辱の近現代史」五十三頁〜、また、実際私が聞きに行きました藤岡氏の講演内容によりますと、たびたび、藤岡氏は「日露戦争は日本の祖国防衛戦争であった。日露戦争を帝国主義戦争だとするのは偏見である」ということをいっています。

 しかし、この主張は妥当ではありません。結論から言いますと、日露戦争は祖国防衛戦争でもあり、帝国主義戦争でもあり、複数の面をあわせもった戦争でした。
 ですので、「祖国防衛戦争であって帝国主義戦争ではない」、「帝国主義戦争であって祖国防衛戦争ではない」とすることはできませんし、こう言うこと自体が誤りです。整理すると、日露戦争=祖国防衛戦争ではありませんし、日露戦争=帝国主義戦争でもありません。ですから、藤岡氏の論はまちがいです。ここからそれについて述べたいと思います。


 まず、なにをもって「祖国防衛戦争」というかということですが、藤岡氏は次のようにいっています。

 十九世紀末、ロシアは極東に着々と勢力を伸ばした。おくれてきた帝国主義としてその政策は露骨であった。一九○○年の義和団の乱のあと、ロシアが満州に居座ったことが日露戦争の直接の起因となった。満州にロシアの勢力が根を下ろせば、いずれ朝鮮半島も手中におさめる。そうなれば、島国日本は自国を有効に防衛する手段がないのである。(中略)だから日露戦争は日本にとって自衛の戦いであった。(「汚辱の近現代史」五十七頁)

 この説明は間違ってはいませんが、片手落ちです。この見方では「日本側の軍事的・戦略的観点から一方的に日露戦争を眺めた」だけです。ロシアが満州に居座ったのは事実ですが、極東に勢力を伸ばそうとしていたのはロシアだけでなく、日本も同様なのです。藤岡氏の論は「日本も帝国主義政策をとっていた」という事実が、まったく抜け落ちてしまっており、つまりこれも偏った見方であるといわざるをえません。


 この「帝国主義」というのはどういう意味かといいますと、この語を、いわゆるレーニンの帝国主義論でもってくくってしまい、「資本主義が最大に発展した状態」と定義してしまうとおかしくなってしまいます。レーニンの見方は、いうまでもなくマルクス史観という偏ったものですから、彼の定義にあてはめてしまうと、これも偏った見方になってしまうので正確とはいえません。帝国主義とは、

 資本の集中・自由競争の排除などにより蓄積した資本は必然的利潤を求めて未開発地域に投資(資本輸出)され、他方政治的発言力を強化した資本は、植民地支配を政策の中心にすえるようになり、資本主義諸国は植民地支配の拡大に狂奔、その相互の衝突による戦争の危機が常に存在し、帝国主義時代と呼ばれるようになった。したがって帝国主義は政治的には植民地の民族運動を抑圧する体制をとり、帝国主義国と従属国=植民地という国際関係の系列化を生じ、世界分割・再分割の進行は世界大戦を必然的なものとした。(角川「日本史辞典」)

ということをさします。

 簡単にいってしまうと、世界規模で自国の勢力拡大を意図する列強国(こういうことを意図するにはその国が経済力をもっていることが条件になりますので、レーニンの定義もある程度はあっているわけです)と先住民の武力衝突、またはその列強国同士の武力衝突を「帝国主義戦争」といいます。

 当時、ロシアは極東に勢力を伸ばそうとしており、日本も朝鮮、満州に勢力を伸ばそうとしていました。この利害が対立し、妥協するための交渉も折り合わなかったため戦争になったわけです。この意味で、日露戦争は立派な帝国主義戦争でした。
 では、その日露間の交渉がどういったものであったかという史料を次に掲げます。


  栗野公使提示の我日露交渉基礎案及露公使対案
                                  明治36年8月12日
第一条 清韓両帝国の独立及領土保全を尊重すること并に該両国に於ける各国の商 業の為機会均等の主義を保持すへきことを相互に約すること
第二条 露国は韓国に於ける日本の優勢なる利益を承認し日本は満州に於ける鉄道経営に就き露国の特殊なる利益を承認し併せて本協約第一条規定の下に右劃定せられたる両国各自の利益を保護するか為めに必要なる措置を日本は韓国に於て露国は満州に於て執るの権利を相互に承認すること
第三条 日露両国は本協約第一条の条項と背馳せさる限り韓国に於ける日本及満州に於ける露国の商業的及工業的活動の発達を阻礙せさるへきことを相互に約すること
又今後韓国鉄道を満州南部に延長し以て東清鉄道及山海関牛荘線に接続せしめんとすることあるも之を阻礙せさるへきことを露国に於て約すること
第四条 本協約は第二条に掲けたる利益を保護するの目的又は国際紛争を起すへき叛乱若くは騒擾を鎮定するの目的を以て日本より韓国に或は露国より満州に軍隊派遣の必要を見るに於ては其派遣の軍隊は如何なる場合に於ても実際必要なる員数を超ゆ可からさること且右軍隊は其任務を果し次第直に召還すへきことを相互に約すること
第五条 韓国に於ける改革及善政の為助言及援助(但し必要なる兵力上の援助をも包括すること)を与ふるは日本の専権に属することを露国に於て承認すること
第六条 本協約は満州韓国に関して日露両国間に結はれたる総ての協定に替はるへきこと



 十月三日ローゼン露国公使提出の対案

第一条 韓帝国の独立并に領土保全を尊重することを相互に約すること
第二条 露国は韓国に於ける日本の優越なる利益を承認し並に第一条の規定に背反ることなくして韓帝国の民政を改良すへき助言及援助を同国に与ふるは日本の権利たることを承認すること
第三条 韓国に於ける日本の商業的及工業的企業を阻礙せさるへきこと及第一条の規定に背反せさる限り右企業を保護するか為に執られたる総ての措置に反対せさるへきことを露国に於て約すること
第四条 露国に知照の上右同一の目的を以て韓国に軍隊を派遣するは日本の権利たることを露国に於て承認すること但右軍隊の員数は実際必要なるものを超過せさるへきこと且右軍隊は其任務を果し次第直に召還すへきことを日本に於て約すること
第五条 韓国領土の一部たりとも軍略上の目的に使用せさること及朝鮮海峡の自由航行を迫害し得へき兵要工事を韓国沿岸に設けさるへきことを相互に約すること
第六条 韓国領土にして北緯三十九度以北に在る部分は中立地帯と見做し両締約国孰れも之に軍隊を引入れさるへきことを相互に約すること
第七条 満州及其沿岸は全然日本の利益範囲外なることを日本に於て承認すること
第八条 本協約は従前韓国に関して日露両国の間に結はれたる総ての協定に替はるへきこと


 この史料をみるかぎり、両国とも、極東の勢力拡大と利益の獲得をねらっていたことは明らかですし、第二条以下、韓国をほとんど半植民地のようにみていたことがわかります。
 繰り返しますが、この交渉が決裂して日露戦争になったわけですから、日露戦争を帝国主義戦争というのは偏見、とする藤岡氏の見解は明らかに間違いです。藤岡氏はこういった史料をおそらく調べていないのでしょうが(調べていればこんな見解が出てくるはずがない)、偏った意見をあたかも真実であるかのように主張することは、従軍慰安婦の強制連行はあったと主張している人々と同じようなものです。

 藤岡氏はなにかというと司馬遼太郎さんが書かれた小説「坂の上の雲」をもちだして、祖国防衛戦争であった、と強調しますが、「坂の上の雲」はあくまで小説であり、ましてや主人公が秋山好古・真之兄弟という陸海軍の中枢軍人であることから、日本の自国防衛戦争だったという面を強く出さざるをえないのです。従って、「坂の上の雲」の祖国防衛戦争という描き方をもって日露戦争の定義、とすることは誤りです。
 「坂の上の雲」の描き方は、日露戦争がもつ性格の一面を見事に表してはいますが、日露戦争のすべての性格を表しているわけではありません。



 話は戻りますが、前掲の史料からでは、とても日露戦争が「祖国防衛戦争」といえるしろものではないという解釈になります。が、司馬遼太郎さんもかかれているように、日露戦争は日本の自国防衛戦争、という側面ももっています(くどいようですが、日露戦争=祖国防衛戦争、ではないことに注意されたい)。
 「露国に対する宣戦の詔勅(明治三十七年二月十日)」という史料があります。これは、こういった理由で戦争をはじめますという明治天皇の意思を示した文書ですが、読んでいくと、開戦の理由が2つあるといえます。抜粋します。

・東洋の治安を永遠に維持し各国利益を損傷せすして永く帝国の安全を将来に保障すへき事態を確立する
 ・帝国の国利は将に侵迫せられむとす事既にここ(漢字が出ない)に至る帝国か平和の交渉に依り求めむとしたる将来の保障は今日之を旗鼓の間に求むるの外なし
(外務省「日本外交年表並主要文書」原書房)
*旧字体は新字体に、カタカナはひらがなに改めた。かっこ内は引用者による。

 簡単にいい直すと、宣戦布告をしたのは、文字通り、帝国の安全を保障すべき事態を確立するため、と、ロシアが日本の利益をおかしせまるのに交渉を重ねたが解決しなかったから、となります。
 もう少し踏み込んで解釈すると、前者が安全保障の面から、後者が経済的な面から
(この場合の帝国の国利とは、朝鮮半島における日本の利益であることに注意されたい)の理由ということになりますが、後者が、前述しました日露交渉を意味しているものだとはすぐわかります。
 前者については、戦争にあたってはどこの国も自国の正当性を主張する、たとえ侵略戦争であろうと必ず「自国の安全や防衛のため、平和を保つため」というようなことをいうから、本当に日本の安全や防衛のためなのか疑わしい、という意見もあるかと思いますので、もうひとつ史料を揚げます。

 朝鮮国は我利益線の範囲内に在るを以て如何なる困難も之を排斥して我帝国の利益を維持拡充せさる可らす(中略)第一露国か韓国の馬山浦巨済島若くは其他に於て戦艦停泊所若くは堡城に給する地域を占領し又は借用せんと企図して朝鮮政府を脅迫するか又は其目的を実行せんとする手段に出て我が自衛上打棄て置くこと能はさる(後略。変なところできってしまってすみませんが、この後まだ長く続くので・・)
                   (大山梓編「山県有朋意見書」原書房)
        *旧字体は新字体に改めた。かっこ内は引用者による。

 これは山縣有朋の意見書ですが、前半が朝鮮における日本の利益の主張になっており、後半でロシアの脅威に対しての日本の防衛について述べているのが読みとれます。
 また、当時の日露開戦についての新聞記事の内容を見てみますと、ロシアと戦争をする理由として、山縣が述べたような経済的理由と軍事的理由の二点がやはり、あげられています。

 つまり、これらの史料から言えることは、日露戦争には少なくとも二つの意味があったということです。極東におけるロシアと日本の利害の対立による戦争(帝国主義戦争)、ロシアが極東に脅威を及ぼしていることに対する純軍事的理由による戦争(祖国防衛戦争)、です。
 複数の史料が、日露戦争について二つの意味を示している以上、どちらか一方だけを考えることは片手落ちになります。藤岡氏の意見は一方側からしかみていないのです。従って、偏った意見であり正確ではありません。

 ただ、学校の歴史の授業では「日露戦争は帝国主義戦争だ」としか教えないので(私が教わったのはそうでした)、これも問題がありますが、しかし、藤岡氏が「日露戦争が帝国主義戦争だというのは偏見である」と主張しているのは、以上のことからまったくの間違いです。
 史料は、日露戦争が帝国主義戦争の性格をもっていたことをはっきりと示しています。日露戦争は帝国主義戦争でもあり日本の自国防衛戦争でもあり、そういった複数の面をもった戦争でした。



 以上、藤岡氏のいっていることは正しくない、と結論しましてこのあたりで終わらせていただきます。全体的に藤岡氏の主張には、この日露戦争の記述のように、史料をしらべずして、ただ自分の考えを勝手に書いているのではないか、と思われるところが目立ちます。

 史料が意味しているのとは違うことを、事実であるかのように主張することは、かえって真実をねじ曲げます。それは到底歴史とはいえません。自由主義史観というのは、史料に基づかないことを勝手に事実だとしてしまう史観をいうのでしょうか。藤岡氏の本を読むと、残念ながらそのようにしか思えません。

それでは、長々とおつきあいいただきましてありがとうございました。この項につきまして、なにかご意見がございましたらご連絡ください。

    *ウェブサイトに掲載するにあたり、一部修正しました。
      (原本:S.D.B.F「太平洋戦争の基礎知識2 教科書が教えない間違った歴史」)



ブラウザーの「戻る」機能を使って戻ってください。