家康の「兵糧入れ」を再現して桶狭間から大高城跡へ歩く参加者ら=名古屋市緑区で
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一五六〇年の桶狭間の戦いの前日、徳川家康(当時は松平元康)が今川義元の命を受けて行った「大高城兵糧入れ」を再現するイベントが二十五日、名古屋市緑区であった。
若き日の家康も加わった合戦の一側面を掘り起こそうと、桶狭間古戦場保存会が計画。歴史好きの市民ら二百人が参加し、桶狭間公民館から大高城跡までの四・五キロを歩いた。
家康は当時、今川軍の勢力下にあった大高城を織田軍から守るため、大高道を通って兵糧を運び入れたとされる。この日は米俵を載せた馬や、甲冑(かっちゅう)姿の会員らが兵糧入れの隊列を再現。ボランティアガイドに取り組む「大高歴史の会」も加わり地元の歴史を解説した。
ボール紙製の甲冑を身に着けた大高小五年の村瀬岳君(11)は「細い道がたくさんあった。甲冑は動きにくくて大変だったと思う」と家康の行軍に思いをはせた。保存会の梶野泉会長(63)は「今後は桶狭間だけでなく、大高の人とも一緒に盛り上げていけたら」と話した。
(木下大資)
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