今日は節分(4) 




「どうしたっ、姫香!?」
 跡部は慌てて、椅子から転げ落ちた娘を抱き上げた。が、姫香は跡部の腕の中で、みるみる血の気を失い、顔色が紙のように白くなって痙攣を起こした。
「痛い・・・・ポンポン・・・痛いよ・・・おぉ」
「姫香、姫香!」
 跡部は振り向いた。真っ青な顔で、
「誰か! 医者を呼んでくれ! 早く!」
 店内が騒然とする。金髪の青年が小さな女の子を腕に抱いて、真っ青に顔色を変えている様子に、周囲の客達は「どうした、どうした?」と視線を集めた。
「お客様、娘さんをこちらへ!」
 ウェイターがレストランの入り口へ、母子を誘導しようとした。跡部はぐったりした姫香を抱きかかえると、急いでその誘導に従った。テーブルに取り残された朋也を見返る暇もない。朋也は怖いのと驚いたのとで涙にくれていたが、誰も朋也をかまってくれなかった。
「早く! 救急車を・・・・」
 跡部がレストランを出たところで叫んだ時、先刻の青年が白衣を着た人物を連れて小走りに向かってくるのが、エスカレーターの上り口に見えた。
「医者か!?」
 跡部が気づくのと同時に、青年と白衣の人物は傍へ駆け寄ってきた。その後ろから、担架を持った看護士もやってきた。跡部は心配の最中(さなか)にも、医者の姿を見てホッと息をした。
「日テレビルの医務室付きのお医者さんです」
 青年が跡部に説明している間に、医者は姫香の小さな身体に手をあてて診断した。と、すぐに看護士を振り返って、
「すぐこの子を担架に乗せて。医務室へ」
「大丈夫なのか!? 原因はなんだ!?」
 近々と顔を寄せ、夢中になって跡部が尋ねるのを、しかし医者はほとんど見向きもせず、姫香を乗せた担架と一緒に小走りに去っていこうとする。跡部はびっくりして、青い目を大きく瞠ると、
「お・・・おい! 待て!」
と、叫びながら必死に後を追った。
 医者を呼んできた青年は、呆然とその後ろ姿を見送っていたが、ふと気づいて自分の足元を見た。何か、非常にか細い力が、自分のズボンの裾を引っ張っている気配がしたのである。
「?」
 落とした視線の先には、しくしく涙を溜めて泣いている幼い男の子が、独りぼっちで青年の脚につかまっていた。青年は驚いて跪いた。
「やあ。どうしたの?」
 そう尋ねてから、青年は自分の質問のバカらしさに赤くなった。この子は、さっき、あの倒れた少女や金髪の男と一緒にテーブルに着いていた子供だ。あの騒ぎで、家族に一人おいていかれてしまったのだ。
「泣かないで。今、お姉ちゃん達は医務室に行ったから、俺がそこへ連れていってあげるね」
「・・・・・」
 泣いていた朋也は、顔を上げて青年を見た。小さな小さな顔に、先刻の金髪の男性とよく似た青い瞳が、悲しみをいっぱいに表しているのを見て、青年は胸を痛めた。
「姫チャン・・・痛い痛い、なの・・・?」
「うん? そう、痛い痛いだったね。でも、大丈夫だよ」
「かあさま、どこ?」
(かあさま?)
 青年は首を傾げた。
(どこかに母親がいるのかな? 見かけなかったけど)
 まさか、あの金髪の堂々たる長身を誇る跡部が母親だとは思えず、青年は何と答えようか途方に暮れた。その時──。
「かずき・・・遅くなった、ごめん。あれ? どうしたの、その子?」
「あ、タクミさん」
 エスカレーターから、斎藤タクミがやってきた。皮肉になりそうでならない、独特の微笑をいつものように浮かべながら、仕事仲間である加藤かずきの方へやってくる。と、そこで、見覚えのある朋也を見て、タクミの顔が面白そうに綻んだ。
「へえ。奇遇だな」
「この子、知ってるんですか?」
「うん、さっき会ったよ。アンパンマンテラスで。ね?」
 タクミに話しかけられて、朋也はちょっと頷いたが、またしくしく泣きだし、ますますかずきの脚にしがみついた。タクミは、少し驚いて、
「なんだよ。随分懐かれてんじゃん?」
「えっと・・・・」
 かずきは困惑した色を、その秀麗な眉宇に浮かべて、朋也を抱き上げた。すると、朋也はしっかりかずきの首にかじりつき、そのうなじに顔を埋めてしまった。
「困ったなあ。タクミさん、この子の母親、知りません?」
「どうしたんだよ、いったい」
 そこで、かずきは一部始終を話してきかせた。タクミの脳裏に、アンパンマンテラスで子供を抱いてじりじりしつつ、青く澄んだ双眼で真っ向から自分を見つめてきた跡部の面差しが甦った。その忘れがたい強烈な面差しが、今、目の前の自分の仕事仲間の顔立ちと、一瞬だぶる。
(・・・・・?)
 が、その驚きはほんの束の間で、タクミはすぐに平静を取り戻し、簡単に答えた。
「おまえ・・・。まあ、信じられないかもしれないが、その子の母親ってのは、たぶん、あの金髪のニイチャンだな」
「ええ!? だって男でしたよ!?」
 かずきが目を丸くする。
「男が母親って、何ですか、それ!? あれ? もしかして、女性だったのかな? ・・・いや、でもあれは、どう見ても男だった・・・うーん!」
「ンな他人事で悩むなよ。論より証拠、その子に聞いてみれば?」
 タクミの促しに、かずきは自分に抱かれて泣いている朋也に声をかけた。
「ねえ? さっき一緒にいた金髪の、あの、オトナの人、君のおかあさん?」
 朋也は、かずきのうなじに涙をこすりつけながら、うんうんと頷いた。かずきはショックを受けて呆然とした。
「すげー・・・・」
「何が?」
 タクミは涼しい顔できびすを返した。ハッと我に返ったかずきは慌てて、
「ど、どこ行くんですか、タクミさん?」
「どこって・・・医務室に決まってる。その子、あの母親に届けなきゃ」
「ああ、そっか・・・・」
 かずきは泣きじゃくる朋也を無意識に揺り上げると、悠然と歩き出したタクミに追いつき、肩を並べてエスカレーターを降りていった。
 しかし、階下へ降りる最中も、かずきはタクミに向かって、しきりに「凄い凄い。男が母親って、凄い」と繰り返し続け、そんなかずきをタクミはフンフンと受け流しながら、自分と並ぶ相手の横顔をさりげなく流し目に見やって、心の中で跡部と比較していた。・・・・


 日テレビル内に設置された診療医務室に、一足早く運び込まれた姫香を追って駆けつけた跡部は、胸をせわしく波立たせながら、医師の診断を傍で見守っていた。医師は、先刻レストランにやってきた医者とは交替して、眼鏡を光らせた小太りの穏和そうな若い男だった。
 医師は、担架から姫香をベッドに移すと、鎮静剤を打った。そして、その腹部に手を当て、
「ちょっと簡易レントゲンを、念のために」
と言うと、すぐその用意をした。跡部は額に汗をかいた。
(レ・・・レントゲン? なんか、内臓に問題があんのか!?)
 暗室に姫香は連れ去られ、跡部はなす術もなく、診療室の椅子に固くなって座って待った。すぐに撮影は終わって、姫香はベッドに戻された。跡部は立ち上がると、冷たくなってしまった娘の手をしっかり握ってやった。
「姫香・・・・・」
 呟くように娘の名前を呼ぶと、瞼をパッチリと閉じた青白い小さな顔を、指先で幾度もなぞった。忍跡家の子供達は芯が丈夫で、あまり病気をしない。それがために、跡部は子供の突然の病気に、しごく弱かった。今日のように心構えが出来ていない時に、いきなり子供が倒れると、正直、自分までもが貧血を起こしそうになった。
 しかし──跡部は、さすがにグッと耐えた。薄い唇を強気に噛みしめる跡部の顔は、不安を宿しながらも凛とした表情に満ちた。
(俺様がパニックになったところで、どうなるものでもないからな・・・)
 とはいえ、頭にはしきりに忍足の顔が浮かぶのは、やむを得なかった。
(た、たぶん、そんなたいしたことじゃねえだろう、きっと・・・。まだ、アイツに知らせるのは早い。ともかく、レントゲンが出てから・・・・)
 そう跡部が考えた時、医師が出来上がったばかりのレントゲン写真を持って現れた。跡部はハッと顔を上げた。医師はパネルに写真をパチンパチンと挟んでいく。姫香の腸内写真が二、三枚、並んだ。医師は、じっとそれを見て、それから跡部を振り向いた。
「わかります?」
「・・・・いや、全然」
 跡部は目を凝らして、まばたきもせずに写真を見据えた。インサイトを使おうかと思ったが、この場に適しているのかわからなかったので、やめた。とまどったような色を浮かべる跡部を見て、医師は少し笑った。跡部はムッとした。
「なんだ、きさま!? 俺様の娘が生きるか死ぬかって時に!!」
「いやいや、あなた。生きるも死ぬも、そんな大変なことではありませんよ、落ち着いて」
「え、それじゃ!?」
 跡部はホッとしたのと、病名を早く知りたいのとで、噛み付くように医師に食ってかかった。
「なんなんだっ、コイツの倒れた原因は!?」
「まあまあ。ほら、これですよ」
 医師は、写真に写った姫香の腸内の箇所を、指で指し示した。
「ね? 白くなってるでしょ?」
「あ、ああ」
「これ、腸内いっぱいに白くなってるでしょう?」
「・・・・ああ」
 不吉な予感に、跡部は眉根を寄せて険しい形相になった。昨夜、異常に少なかった豆の幻影が突如思い起こされる。それから、あのドーナツの壺の中身はどうなっているのだろうか──。医師は笑いながら、強ばる跡部の肩を叩いた。
「いやあ、たいへん良く詰まっちゃってますねー。可哀相に。これは痛いわ、こんなに詰まっちゃってたらねー。すぐ浣腸しましょうねー♪」
「浣腸?」
 声がして、診療室のドアから、タクミとかずきがひょっこり顔を覗かせた。振り向いた跡部と、バッタリ視線が合う。その、張り裂けんばかりに吊り上がった眦の気迫に、タクミとかずきは驚いて首を引っ込めた。
 ドアが二人の手で閉められた──とたんに、診療室内に跡部の怒号が響き渡った。
「姫香っ!! てめーーーーー!!」
 廊下でその雄叫びを耳にしたタクミとかずきは、思わず首を縮めて顔を見合わせた。
「あ、この子、返すの忘れちゃった」
 かずきが、しまったという顔で言うと、タクミはニヤニヤ笑って遮った。
「まあ、もうちょっと待てよ、かずき。今入っていったら、俺達も巻き添え食いそうだ。あの金髪の〈ママ〉、かなりプライド高そうだからなあ。俺達に思いがけないところを見られて、逆上したに違いない」
 タクミは声を殺して笑っていた。かずきは何がそんなにおかしいのかわからないので、この年上の友人はそのままにして、朋也の顔を覗き込んだ。
「ごめん。もうちょっと待ってから、おかあさんのところへ行こうね?」
 しかし朋也は、母の声を間近で聞いて、今はもう安心していた。涙は乾いて、あどけなくかずきを見上げ、こくこくと頷く。それで三人は、廊下に設置してあるソファに座って、跡部の怒りが一通り過ぎ去るのを待つことにした。


 忍足が跡部からの連絡を受けて、びっくりして日テレビルの医療室にやってきやのは、夕刻5時だった。
「姫ちゃん、大丈夫?」
 ドアを開けて入ってきた忍足は、難しい顔をしてベッドに腰掛けている跡部を見やった。
「ふん!」
 跡部は鼻で返事をすると、ベッドから立ち上がった。忍足は、急いで枕元に近寄った。
「姫チャン・・・?」
「とうさま!」
 パッと毛布がはね除けられ、今まで跡部にさんざん説教されていた姫香が、泣きはらした顔をして父を見上げた。父だ! やっと自分の味方が来てくれた!
「ああ、とうさま! とうさま! あたしっ、ヒドイ目にあったの! あああん!」
「姫チャン! よしよし、可哀相やったなあ!」
 抱擁を交わす父娘の背後で、跡部は仁王立ちになって言い募った。
「なあにが可哀相だよ! ァア!? 食い過ぎで○○○詰まらせて、あげく年の初めから、俺様の娘が、完ちょ・・・・・」
「はいはいはい」
 忍足は苦笑しながら、跡部を遮った。わあわあ泣き叫ぶ娘をしっかり抱きしめて、背中を優しくさする。
「まあまあ。ともかく大事無くて、ほんま良かったわ。なあ? 厄落としと考えれば、ええねん」
 優しい父の言葉に、プライドを傷つけられまくった姫香は癒された。しかし、跡部はなおもコトバゼメで娘に迫った。
「とんだ厄落としだぜ、ったく! おい、姫香。てめえがこの先、何か俺様に向かって生意気な口聞いた時には、いつだって今日のことを思い出させてやるからな! おまえが嫁に行く時のスピーチでも言ってやるからな!」
「やーーーーん! ヒドイよーーー! とうさま!」
 姫香は再びおんおん泣きだし、忍足は軽く跡部を睨んだ。
「よしよし。あーもー、景ちゃんも、なしてそんな姫チャンを苛めるねん? 堪忍したってぇな。な?」
「食い意地張った罰だ。当然だろ」
「せやけど、もうええやん? な? 姫チャンかて、痛い思いしたんやし」
「ふん」
 跡部はしぶしぶ肩を竦めた。跡部とて、内心はひどく安心していたのである。夫の顔も見れて、隠しきれない安堵の表情を自分では気づかずに浮かべている跡部を、忍足は愛しく見やった。
 やがて忍足は姫香をあやしながら、跡部の後ろで朋也を抱いている二人の青年に、ふと目を留めた。さっきまでは姫香が心配で、この見知らぬ二人に視線が止まらなかったのである。
「あれ? そちらさんは、誰やねん?」
 夫の問いかけに、跡部も我に返った。
「ん? ああ、こいつら・・・じゃなかった、この人達は・・・」
 跡部はちょっと肩越しに振り向いて、夫に説明した。
「医者連れてきてくれたり、朋也の相手してくれたりしたんだよ」
「へえ、さよか。それは、ありがとう、おおきに」
 忍足は、愛想良く挨拶をした。二人の青年は、どちらも礼を返した。
「いえ、どうも」
「たいしたことなくて、良かったですね」
「たいしたことなんだよ!」
 地雷を踏んだかずきの言葉に、タクミがハッとかずきの口を押さえる間もなく、跡部がすかさず噛み付いた。かずきは慌てて口を噤む。タクミが苦い顔をした。忍足が急いで、とりなす。
「いやいや、うちの奥さん、気が強いからに、ごめんな。娘が倒れて、仰天してまってるだけやねん。ほんまは可愛い人なんやで?vv」
「可愛い・・・人?」
 忍足のノロケに、かずきは素直に驚いて、そっと跡部を横目でうかがった。跡部は今にも爆発しそうな顔つきで、かずきを睨み返した。タクミの口元が、笑いをかみ殺すために震えた。忍足は、そんなタクミを興味深そうに見つめた。
「そっちのニイチャン、何を持っとるの?」
「ああ、コレですか? その、姫チャンですか、お嬢さんにあげようかなと思って」
 タクミは、活火山のようになっている跡部にもかまわず、飄々とした物腰でベッドの傍へ行き、緑色をしたぬいぐるみを姫香に渡した。
「これ、あげるね。早く良くなるように」
「これ・・・・?」
 姫香は嬉しげに受け取った。
「ああ、これ、知ってる! 〈なんだろう〉のぬいぐるみよ!」
 跡部はチラッとぬいぐるみを見やった。蛍光グリーンの彩色一色で、途方もなく大きい目玉がついている、その何とも言えないシロモノである。跡部は顔をしかめてじろじろ見た。
「なんだ、その無気味なぬいぐるみは?」
「〈なんだろう〉」
 タクミが簡潔に答えた。跡部は、じっとタクミを見据えた。目の前の飄然とした男の真意は、どうも測りかねる。
(どうもこいつは、うさんくせえな。・・・なまじ、侑士にどっかが似てるだけに、いっそううさんくせえ)
 そんな非道いことを内心で考えながら、跡部は傲然と問い返した。
「なんだろうって、なんだ?」
「〈なんだろう〉って言うんですよ」
「・・・・てめえ、俺様をおちょくってんのか?」
「まさか、アハハハハ」
 タクミは軽く笑い飛ばした。そして、跡部のきらめく凝視にもひるまず、流し目で応酬すると、
「じゃ、かずき。俺達はこのへんで失礼しようか」
「ああ、はい」
 かずきは抱いていた朋也を跡部に返した。跡部は無言で我が子を抱き取った・・・が、その拍子に、ふと気が付いた顔をして、まじまじとかずきを見つめた。
「おい・・・・」
「はい?」
「コイツ・・・朋のヤツ、おまえにずっと抱かれてたんだよなあ?」
「はい」
「ふーん」
 跡部に真っ正面から、露骨に視線を浴びせられて、かずきはさすがに不審に思った。
「あの、何か?」
「別に。・・・ただ、コイツは人見知りが激しくて、そうそう知らない他人に懐かないはずなんだがな」
「そうですか? でも、朋クンの方が最初、俺にしがみついてきたんですけど・・・」
 その時、跡部に抱かれた朋也が、短い腕を伸ばしてかずきの頬に触った。
「・・・バイ、バイ」
 跡部も忍足も、びっくりして朋也を眺めた。かずきはニッコリ微笑んだ。朋也もニコニコ笑った。忍足は、花が一瞬にしてほころんだようなかずきの美しい笑顔が、どこか跡部の面差しと似通っているのを見出して、瞳を細めた。
(なんや、このニイチャン。どこがどうと言えへんけど、景吾によう似とるわ)
「かずき」
 タクミが入り口で呼ぶ。かずきは振り返って頷いた。かずきが自分の傍らに来ると、タクミは跡部に声をかけた。
「そうだ。俺、毎週月曜から木曜まで、ラジカルって番組に生出演してるんだけど、今度見に来てくださいよ。ココのゼロスタってとこで撮影してるから」
「ふーん。まあ、考えとく。・・・今日は、いろいろ世話になったしな」
 跡部は気が無さそうに応えた。
 かずきが礼儀正しく頭を下げた。つられて、跡部も忍足も一礼する。姫香がベッドの中から声を張り上げた。
「また会いたいの、オニイチャン達!」
「そうだね」
「じゃあ、またvv」
 タクミとかずきは、そっとドアを閉め、廊下を歩き、ビルの外へ出た。2月の夜空は美しく澄んでいたが、それだけに寒い。
「冷えるなあ。そういや、俺達、昼メシ食いっぱぐれてるんじゃないの?」
「ほんとだ。じゃ、早く食べに・・・・」
 そこまでかずきが言いかけた時、携帯が鳴った。着信を見たかずきは、タクミを振り返った。
「TAKUYA達が、ついこの近所でやっぱり集まってるって」
「じゃ、合流するか」
 二人は、長身の肩を並べるようにして、新橋の方向へ歩き始めた。かずきが、ふと呟く。
「あの子、何ともなくて、ほんと良かった」
「うん」
 タクミは頷いた。それから、何ということもなく夜空を見上げた。北天の空に、シリウスが、先刻の跡部の瞳の煌めきのように輝いていた。
 
 
 楽しかるべき汐留でのディナーは、姫香の容態を考えて延期となってしまった。姫香は悲しくて涙ぐんだが、帰りのタクシーの中で忍足にずっと抱かれ、
「せやけど、またいつでも、ディナーはできるやん♪ 今日はダメでも、明日や明後日があるねんから、ええ子で堪忍しよな?」
と言われると、こくんと頷いた。跡部はすかさず口を挟んだ。
「てめえは当分、おかゆだぜ。ァア?」
 姫香は再びわあわあ泣き始めた。忍足は慌ててあやした。跡部はニヤッと笑うと、朋也の脇の下に手を入れてくすぐった。朋也は、きゃっきゃっと喜んだ。

 その夜。

 ベッドに入った姫香は、子供部屋のドアが開くのを見守った。てっきり父がおやすみのキスをしに来てくれたのだと思った姫香は、跡部が近づいてきたのを見て、ちょっと驚いた。
「かあさま・・・?」
「・・・・・・」
 跡部は何も言わず、かがんで、姫香の顔を真上からじっと見つめた。その顔は、夜目にも白く、美しく浮き上がって見えた。が、それだけではなかった。姫香は、母の細い眉宇がかすかに震えているのを、たしかに見てとった。言葉にならぬ先に、母の想いが伝わってくる。
 姫香は思わず両腕を突き出して、母を求めた。跡部は毛布ごと娘をしっかり抱きしめた。母と娘は、頬と頬を擦り寄せた。
「・・・・もう、俺様にあんな思いをさせるんじゃねーぞ?」
「うん」
「おまえが真っ青になって、痙攣起こしたのを見た時、俺がどんなにびっくりしたか、わかるか? アーン?」
「うん・・・・」
 姫香は、自分の頬に瞼に、いささか乱暴ではあるが、力強い愛情のキスが押し当てられるのを感じた。たくましい腕でしっかり抱かれ、跡部の愛にくるまれて、姫香は満足し、幸せでいっぱいだった。
「かあさま。あたし、早く大きくなりたかったの。それでいっぱい食べちゃったの」
 姫香は母に訴えた。跡部は肩を竦めた。
「バーカ。てめえらは・・・黙っていたって、イヤでも大きくなっちまうんだよ」
「すぐ? もうすぐ?」
「ああ、すぐだ」
 そう答える跡部の声は、ほんのわずか乱れた。そして、娘を抱きしめる腕が、ほんの少し強まった。だが、無邪気な姫香は気づかなかった。跡部の返答に満足した姫香は、元気に話題を変えた。
「またシオドメ、行こうね? あのオニイチャン達に、会いに行こ?vv」
 姫香は跡部にねだった。跡部は姫香を毛布に戻すと、その可愛らしい鼻先を、指先でパチンとはじいた。
「バカなこと言ってねえで、寝ろ!」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
 跡部が子供部屋のドアを閉めた。電気は消されたが、姫香は星明かりをカーテン越しに浴びて、すこやかに目を瞑ると、楽しく眠りに落ちた。
 枕元の〈なんだろう〉のぬいぐるみが、姫香の愛らしい寝顔をずっと見守っていた。・・・・




年の初めになんとやらですが(笑)、
ともかく何ともなくて良かった、姫チャン♪
エキストラもだいぶ出張りましたが。(^^;)
それにしても、子供の急な病気にはドッキリしちゃいますよね〜。

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