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福島・双葉町の高線量 1年半後に発表のナゾ

(2012年10月3日) 【北陸中日新聞】【朝刊】【その他】 この記事を印刷する

「余裕なく」県は釈明 京大・小出助教「国の圧力 否定しきれない」   

画像集団避難し、さいたまスーパーアリーナに入る福島県双葉町の住民ら=昨年3月19日、さいたま市中央区で

 毎時1.59ミリシーベルト−。昨年3月12日、東京電力福島第1原発1号機建屋の水素爆発直前、福島県双葉町で年間の許容被ばく線量をわずか1時間で突破する放射線量が観測されていた。この数値を同県が発表したのは、民主党代表選のあった先月21日。なぜ、発表までに1年半もかかったのか。 (林啓太)

毎時1.59ミリシーベルト 事故翌日観測

 「こんなに高い数値が出るとは思わなかった。本当かと思った」。福島県原子力センターの安江高秀所長が振り返る。

画像福島県飯舘村長泥地区にある放射線量のモニタリングポスト=今年2月

 昨年3月12日の午後2時から1時間に毎時1.59ミリシーベルトを観測したのは、双葉町上羽鳥に設置されていたモニタリングポスト。東日本大震災で通信回線が途絶したが、線量を記録したメモリーカードは昨年5月、原子力センターの職員が回収していた。

 ところが、メモリーカードは1年以上「放置」された。同センターでコンピューターを使った解析作業が本格的に始まったのは、今年7月。解析された数値が、データの公表などを担当する県災害対策本部に送られてきたのは「8月中旬−下旬ごろ」(災害対策本部担当者)だったという。

「現在進行形の情報把握優先」

 安江所長は作業が遅れた理由について「現在進行形の線量の情報を把握することを優先した」と説明する。福島原発周辺には23台のポストがあったが、いずれも震災で故障し、その復旧に労力を集中したという。

 メモリーカードを情報解析できる専門知識を持った職員は4人いるが、安江所長は「他の業務でも核になって働く人材たちで、事故前のデータの解析に回す余裕はなかった」と釈明する。

 法で定められた一般の人の被ばく線量限度は年間1ミリシーベルトで、毎時1.59ミリシーベルトの数値はこれをわずか1時間で突破する。1号機の爆発は午後3時36分で、直前には放射性物質が漏れ出していた証左とみられる。

 古川路明・名古屋大名誉教授(放射化学)は「当然、ただごとではない数値。付近にいた人は慎重に健康面の経過を観察していく必要がある。現場が忙しかったとはいえ、問題意識を持ってすぐに解析に取り掛かるべきだった」と話す。

 災害対策本部の遠藤光義主幹は「結果として公表が遅れて申し訳ない」と謝罪する。それにしても、1年半も解析の作業が遅れた理由は「現場の忙しさ」だけなのか。

 安江所長は「業務の優先順位は、災害対策本部と相談しながら決める」と語る。その災害対策本部の担当者は「データを公表する前に、(国が所管する)現地のオフサイトセンターに報告した。しかし、公表するか否かについて、国が指図することはない」と言う。

 しかし、古川名誉教授は「国には、あまり線量のことを大げさにしたくない雰囲気があった。今回の数値は人前に出すと大騒ぎになる数値。発表を遅らせる、という最悪の判断が働いたのではないか」といぶかる。

 京都大原子炉実験所の小出裕章助教も「放射線量の観測は人命を守るためにやっている。過去の観測結果はすぐに公開するのが筋で、福島県はあまりに無能だ。国が都合の悪い情報を隠そうと県に圧力をかけた可能性も否定しきれない」と語りつつ、そう疑う根拠をこう端的に言い切った。

 「福島原発事故後の東電や行政の対応を振り返れば、情報統制のオンパレードだった。本当にひどい国だと思う」

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