サグラダ ファミリア


 

 
第六話


 そして、優華さんが学校に出発してからきっかり20分後、歯磨き、洗顔、準備ばっちりになった僕は、靴をはいて、いつものとおり、
「いってきまーす」
 と声を張り上げると、ひょいと台所から顔を見せた唯さんは、珍しく怪訝そうな顔で、
「どこに?」

 と聞き返してくる。

「……えっと……学校に……」

 僕は思わずたじろぎながら答えると、「あれ?今日、祥平君の学校、創立記念日で休みじゃなかった?」と聞き返される。

 すっかり忘れてた。今日、僕、休みだった。

 ははーん、忘れてたな?と言って、まるでいたずらっこのような笑みを浮かべる唯さん。
 ときたま、唯さんはこういう表情を見せる。普段はやさしく、大人びていることがほとんどだけど、そういうときの唯さんは、やっぱり優華さんとすごく似ていて、血のつながった家族なんだな、と思う。
「もう、祥平君はまじめなんだから。こういうときは朝から昼まで、なんなら夜まで、ずばばば、っと睡眠を楽しんでてもいいのよ?」
「……それじゃあ、朝ごはんが食べられなくておなかがすいて眼が覚めちゃいますよ」

「うーん、私が今日お休みだったら、祥平君の行きたいところ、どこにでも遊びに連れてってあげるんだけど……」
 
 私、今日は、瑠美を保育園に連れて行った後、仕事で人と会う約束があるからすぐに出なくちゃいけないし、と、申し訳なさそうに唯さんは言う。

「い、いいですいいです。その、一人で留守番できますから」
「うーん、せっかくの平日のお休みにたった一人で留守番というのもあまり感心しないのよねぇ……、あ。あの子、お弁当忘れてる。もう、本当にこういうの困るんだから」

 そういう唯さんの手には、きれいにナプキンで包まれたお弁当箱。優華さんのだ。たまに優華さんは持っていくのを忘れてしまい、帰ってから唯さんに叱られていたりする。

「時間があれば私が持っていくんだけど……」

 そんな唯さんと僕の眼が合う。

 にこ、と唯さんが僕に微笑みかける。

「祥平君、優華の学校、行ってみる?」
 



■ ■ ■




「……学校って……」

 僕は校門の前に立って、目の前に立つ建物を見上げる。

 でかい。

 校門の高さからして、僕が通っている学校より2倍くらい高いように思える。
 
 

 優華さんの学校は、家から電車で五駅ほど行ったところで、別の電車で乗り換えて三駅行った先、そこから歩いてちょっとかかった場所にある。近くには、ほかに大学、別の学校、大きな公園、図書館とか、大きなスポーツ施設とかがあって、道もきちんとまっすぐ升目みたいになっていて、すごく整備された感じ。なんというか「ブンキョウトシ」というやつなんだと思う。

 僕は校門の前でしばらく立ちすくんでいた。というのも、入ってよいものかどうかわからなかったから。もう登校の時間には遅すぎて、誰も周りにはいない。

 決心して、僕はそろそろと中に入っていくことにした。





 学校の入り口。玄関。
 ずらりと並んだ上履箱。それ自体、僕の背丈をずっと越えた高いところまである。

 僕が思わず見とれてると、廊下から、ざわざわとした気配。人が来る。
 まずい。

 僕はあわてて靴を脱ぐ。目の前に小さな小部屋。だけど暗いからたぶん人はいない、はず。
 僕は、玄関から廊下をまたいですぐの場所にあるその部屋の引戸を開いて、その扉の影に身を隠す。

 引戸の隙間からそっと外を見てると、姿を現したのは、3人の女生徒。そのうち2人は紫色のリボンのブレザー。もう一人は、ピンクのリボンのブレザーで、何かが入ったコンビニのビニール袋を持っている。

「ほら、ヒトミ、はやくやっちゃいなよ」
「……で、でも……」
「なーに?ここまで来て、おじげついてるわけ?だいじょーぶだよ、今なら誰もいないから」
「で、でも、私、はやく教室に戻らないと…………」
「あんた、この時間、自習でしょ?大丈夫だから、はやくしなよ」
 ピンク色のリボンの子に、もう二人の紫色のリボンの女の子が何かけしかけようとしているみたいだ。

 ヒトミ、と呼びかけられているピンク色のリボンの女の子は、いかにも気弱そうにおどおどしている。それと比べて、……ヒトミ、さん、でいいのかな?……そのヒトミさんを取り囲んでいる二人は、ヒトミ、さんより一回り背が高くて、言葉も少し荒っぽい。顔立ちも大人びている。

「へー、ヒトミ、ミサキ先輩の命令、きけないの?」
「そ、そういうわけじゃ……」
「だったらやっちゃいなよ。それとも、あんた、フクブチョーの味方?それなら、そういうふうにこれから取り扱わせてもらうけど……」
「……」
 その言葉に観念したかのように、ヒトミ、と呼ばれた子は、靴箱のひとつの扉を開くと、手に持っていたビニール袋をその中に入れて、なにかもぞもぞとやっている。

 やがて、そのビニール袋を靴箱から取り出して、靴箱の戸を閉める。
 ビニール袋は、さっきと違って中身がなくなっているように見えた。

「よし、上出来。さすがはヒトミ。これでヒトミはこれからも私たちの仲間だからね」
 しかし、ピンク色のリボンの子、ヒトミは、青白い顔をして俯いている。
「大丈夫、誰も見てない、見てない。さ、さっさといこう?」
 そういうと、3人は、小走りに廊下を駆けていった。



 あれ、なんだったんだろう。
 僕はぼんやりと考え込んでいると、そこにチャイムがなった。
 とたん、またざわざわとした人の雰囲気。
 廊下には制服の人、体操服の人、人人人が溢れ、行きかい、外に出る人、中にはいってくる人が玄関に入り乱れる。
 休み時間なのだろう。
 とても外に出られる雰囲気ではない。
 
 僕が息を潜めて待っていると、やがて再びチャイムがなった。
 途端、人の波が引けていく。

 僕が外にでようとしかけたとき、ばたばた、と外から駆け込む音。
「……優華、早くしないと、授業、遅れますよ?」
「ちょ、ちょっと、弥生、待ってよ、本当、あんた、タフよね、なんで、5km走った、あと、で、そんな、ダッシュ、でき、るの……」
「鍛錬が、まだまだ足らないですよ、優華」


 あ。



 僕は思わず声を上げそうになる。
 そこに現れたのは、あの、喫茶店で出会った部長さんこと、弥生さん。
 そして、そこにぜいぜい息を切らして現れたのは、優華さん。
 二人とも、紫色のストライプのジャージをしている。
「早くしましょう。次の授業、もう始まってしまってます」
 そういうと、弥生さんは上履きを下駄箱から取り出して履き替える。

 流れるような、無駄のない動き。長い髪の毛が舞うように揺れて、新体操のリボンのような動きに見える。

 うーん……。
 なんだか、弥生さんは、すごく様になってる。
 前に喫茶店で会ったときも、とても大人びて見えてたし、落ち着いてたし。
 優華さんも、僕から見たらすごく大人の人なんだけど、なんだかそれに加えて、いろいろと「深さ」があるというか……少し唯さんに近い感じがある。

 そこにいくと、わが不肖のお姉さんの優華さんは、いささか心もとない。
 まあ、マラソンの後で息が上がりきってる、というせいもあると思うのだけど、さっきの二人のやり取りからすれば、それはきっと弥生さんも同条件。

 でも、こういう優華さん。なんだか、すごく新鮮だ。
 当たり前だけど、僕の前では、優華さんはいつもお姉さんでいようとしている。
 昨日の夜も、あんなに、いろいろなことがたくさんあって、たくさんありすぎるくらいにたくさんあったけど、ずっと優華さんは、僕に対しては「お姉さん」だった。
 
 今の優華さんは、すごく仲良しの、そして尊敬できる友達の前だからこそ、自分のだらしなさ、弱さも見せられるモードの優華さん。

 優華さんが、ようやく下駄箱の脇のスノコに上陸して、靴を脱いで、下駄箱の扉を開いたときには、すでに弥生さんは廊下にまで来ていた。

「……優華?」

 弥生さんが怪訝な声を上げる。というのも、優華さんが、下駄箱の扉を開けたまま、動きを止めていたからだ。

 やがて、優華さんの平坦な声。

「弥生、ごめん、ちょっと、先に行ってて貰えるかな」

「…………わかった」

 弥生さんは、何か尋ねたそうだったけど、あえてそれを押しとどめるようにして、そのまま廊下の向こうに消えた。

 優華さんは、弥生さんがいなくなったのを見計らうように、深く息をつくと、下駄箱をそのまま閉める。運動靴を脱ぐと、それを自分の下駄箱ではなく、ほかの下駄箱をいくつか開いて、そのうちの一つ、隅っこの一番高いところにある下駄箱に入れる。そうすると、靴下のまま冷たい廊下に踏み出して、ちょうど玄関の脇にある、緑色のお客さん用のスリッパを一足取り出すと、弥生さんの後を追うようにして廊下の向こうに消えた。


 僕は、優華さんが見えなくなってから、たっぷり120数えた後、廊下に出てきた。
 



 なんだったんだろう。あれ。



 僕は、さっき優華さんが開いて閉じたであろう下駄箱の前に向かう。
 下駄箱には、苗字だけ書かれた名札が差し込まれている。「高坂」の名前のある下駄箱を見つけるまではそれほど時間はかからなかった。

 僕は少しだけ考え込む。
 さっき、弥生さんと優華さんが戻ってくる直前。3人の女生徒が何かやってたのも、ちょうどこの下駄箱の前あたりだった。
 たぶん、さっきの女の子たちが、何か、優華さんの下駄箱に入れたんじゃないか?
 
 下駄箱に何かを入れる、といえば、やっぱり定番は「らぶれたー」なんじゃないだろうか。
 ……うーん、でもさっきの子たちは、女の子だったからなあ……でも、こういう年頃の子たちは、同じ性別の子にも憧れを抱きがちだって、学校の先生は熱く語ってたような気もするし……そういうのも、「アリ」なのかもしれないし……。

 僕は、好奇心に駆られて、「高坂」と書かれた下駄箱の金属の扉を開く。





 そこには。




















 きれいに並べられた白い上履きがあって、









 そして、その上に、









 赤黒い血が滲んだ、大きな薄黒いネズミの死体が横たえられていた。





















「こらっ!そこの子!!どこから入ってきた!!!」

 突然玄関の向こうから野太い声で怒鳴られる。見ると紺色の服を着た大きな男の人。ガードマンか警備員さんだろうか。

 金縛りにあったように動けなかった僕だったけど、その声で魔法が解かれたようにその下駄箱から飛びのいて、あわててリュックサックを抱えて反対方向に逃げ出した。













 …。
 ……。
 …………って、逃げること、なかったんじゃないか?別に悪いことしてたわけでなし。逃げたらかえっておかしいことになるような……。


 そう気がついたのは、めっくらぽうに逃げ出して、階段を駆け上がって駆け下りて、もう、ここがどこだかもわからなくなった後。
 息が切れてきたので、僕は近くにあった「音楽室」と書かれた教室のドアをそっと開けてみる。
 「音楽室」なのに音がしない、ということで人がいないと予想したとおり、部屋はがらんとしている。中にはピアノ、楽譜台、黒板、そしてたくさんの椅子。ベートーベンとかモーツァルトのイラストが壁に貼っているあたりまで、ここだけは僕の学校と似ていて――少しだけ椅子のサイズが大きいけど――、少しほっとする。

 リュックサックの中のお弁当、走っているうちに偏っちゃったんじゃないかな、と不安になったけど、開けるわけにもいかない。
 

 そんなとき、ドアの外から足音が聞こえてくる。
 まずい。僕はあわてて隠れようとする。なんとか唯一見つかった隠れられそうな場所は、部屋の片隅にある掃除道具箱だけ。僕はなんとかその中に滑り込む。

「あー、だるいだるい、どうしてこう毎日だるいんだろうね」
「ミサキはいつもそうだよねー」
「あ、あの、先輩、まだ授業中です……けど……」
「うるさいよ、ヒトミ。いいのよ、数学の桜井の授業でしょ?あいつ知ってる?何かにつけて女子の脚ちらちら見て。あんな男の授業、さぼっていいのよ」
「でも……」






 僕は息を呑んだ。
 この子達、さっき、下駄箱の前でたむろしていた3人だ。
 さっきといい、今といい…………この子たち、授業中なのに、さぼってるのかなあ。

 


 
 しばらく、この子たちは、いろいろな話をしていた。
 誰かと誰かの噂話。悪口。どの先生がむかつくとか、どの先生が気持ち悪いとか、宿題がうざいとか。あとは芸能人の話とか、近くに新しくできた「あぱれる」のお店の話とか。
 もちろん細かい中身はまったくわからない。けど、正直、はたから聞いてても全然楽しくならない話に、やたら「うわ、まじ」「さいてー」「すごーい」という合いの手と、ケラケラ笑う声が聞こえてくる。

 電車の隣の席で、6人がけの席を3人くらいで占領しちゃってる、ジョシガクセーグループな感じ。注意するのも角が立ちそうで、あんまり隣に長く座っていたくない雰囲気。
 電車の中なら、降りる駅でもないのに降りる振りでもして席を離れてしまうところだけど、掃除箱の中にいる僕は出ることもできない。

 仕方ないので、きゃんきゃん響くその女の子女の子した声から意識だけでもはずしてしまおうと思って目をつぶったその時、

「でさ、どうなの、最近のフクブチョー様」
「フクブチョー?……ああ、ユーカ?」
 ケラケラと笑っていた女の子、ミサキさんって子が、ハルナさん、って子の言葉に、不愉快そうな声音になる。
「そう、ユーカ様。最近少し調子に乗ってると思うんだけど。ヒトミはどう思う?」
「え……でも、ユーカ先輩は、その、すごくバトンもダンスも上手だし、ヤヨイ部長からも信頼されてるし……」
「ヒトミ、あんた、どっち派なの?ユーカの方につくなら、それでもいいけど」
「ち、違います!そういうつもりじゃ……」
「ふん。まぁ、部長様や『オールドミス』には随分覚え目出度いし、『小動物』には懐かれてるみたいだけど、転入生には転入生の『分』ってものがあると思うんだよね。チア部で、いや、うちのガッコの部活でこれまで、途中入部者が副部長になったことなんかある?ありえないでしょ、そんなの!」
 


 ……ヤヨイ部長……チア部……。
 あれ、それって、弥生さんのこと?
 それじゃ、ユーカって……優華さん?

 ようやく僕は、目の前の3人組が話題にしているのが、優華のことだということに気づく。でも、「転入生」って、どういうことなんだろう。優華さんは、この学校に途中から入っているのかな?


 ミサキさん、という子は、すごく冷たい視線と声を、ヒトミ、さん、という子に向ける。
「ま、どっちでもいいけどね。でも、ヒトミ。あんたがユーカ側につくなら、さっきやったこと、先生に密告(ちく)るからね」
「え、で、でも、さっきのは、先輩が、やれっていうから……」
「はぁ?何いってんの?あんたが自分一人でやったんじゃない。そうでしょ?ハルナ」
「そうそう。ヒトミが自分一人でやったんだよ。私たち、ネズミに触ってもいないし、ユーカの下駄箱に触ってもいないもの。ケーサツが指紋調べても、ヒトミのしか出てこないよ?私とハルナは、ヒトミ一人の単独犯、って証言するし、ね」
「そんな……」
 涙声のヒトミさん。それに対してミサキさんは、
「ダイジョーブ、ダイジョーブ。ヒトミは私たちの仲間だから。そんなことしないから、安心しなよ……ただし、ヒトミが、私たちの仲間でいるなら、だけど、ね?」
 

 ミサキさんが意味ありげに笑う。ヒトミさんは、もう黙って、頷くしかない。
 
「うん、ヒトミはさすがにいい子だ。ほんっと、こういうチツジョのチの字もわからない転入生は、困るよねー。もうコオロギにガビョーにカエル、それでこのネズミで4回目なんだから、いくら鈍感でも、そろそろ態度、変えてもらわないと困るのよねー」
「これで副部長、やめなかったらどうしようか?次はゴキブリにする?」
「あ、いいねえ、それ。ヒトミ、ゴキブリ、今のうちから集めておいてよ?」
「…………」




 青白い顔をしているヒトミさん。ケラケラと楽しげに笑うミサキさんとハルナさん。





 そうこうしているうちに、チャイムが鳴った。
 どうやら次の授業はさぼりに厳しい教師らしく、3人は、音楽室から出て行った。


 ぼくは、掃除用具ロッカーから出てきて、再び静かになった音楽室に足を踏み入れる。
 くしゃん。
 思わずくしゃみをしてしまった。
 音楽室には暖房がうっすら効いているけど、それほど強くない。ましてや、掃除用具ロッカーはその暖気が入ってこない上、金属に触れ続けて、体が冷え切ってしまっていた。





 そして、何より、さっきの凄まじい会話に、精神も疲れきってしまっていた。



 机は片付けられ、椅子だけが一面に並べられている音楽室。その音楽室の椅子のひとつにぐたっと座り込む。


 そんな、神経が切れかかってた僕の耳に、ガラララ、と戸が開く音がする。
 心臓が喉から飛び出そうになる。


 後ろから、足音が近づいてくる。

 そして、人の気配が僕の背中の真後ろに来たときに、その足音が止まる。

 僕は、身を亀のように硬くして、怒鳴られるのを待っていて、

 一秒、二秒、三秒数えたくらいに、後ろから、

「……祥平君?」
 うわ!!!

 僕が思わず後ろを見ると、そこに制服姿の――そして緑色のスリッパの――優華さんが立っていた。







■ ■ ■












「あー、本当にごめん!!せっかくのお休みだったのに!!!」
「い、いえ、そんなに謝られても……」
 深々と90度以上の角度で頭を下げる優華さん。そのせいで僕が謝ろうとすると頭がごっつんこしそうになる。
「もー、唯姉もそれはないよねー。こんな子をこんな魔窟(まくつ)に一人で派遣したら、食べられちゃうわよねえ。ねえ、大丈夫だった?変な人に声かけられたりしてない?」
「いえ、大丈夫です。大丈夫すぎます」

 僕がいくら大丈夫だったと言っても、優華さんはぐるぐる唸ってる。
 どうも優華さんは、僕が「はじめてのお遣い」レベルの危険を潜り抜けてきていると考えている。意外と、優華さんは過保護らしい。優華さんの子供になる人は、きっと大変だろう。


 ともあれ、僕は、リュックサックから取り出したお弁当を優華さんに手渡すことに成功した。

「ごめんね、本当だったら学校の案内くらいしてあげたいんだけど……」

 優華さんは、学校の先生に頼まれて、プリントを音楽室に取りに来たらしい。
 もちろん、今は授業中だから、そんな時間はない。今だって、すぐにもとの教室に戻らなくてはだめなくらいだ。

「いいですよ。それじゃ、帰ります」
 僕はきびすを返す。
「祥平君、一人で大丈夫?寒くない?」
「大丈夫ですよ」
 さすがに子ども扱いも過ぎるだろう、と、ちょっとむくれた僕は、振り返りもせず、音楽室のドアに手を伸ばしかけると、後ろから、声を投げかけられる。


































「――祥平君は、私のお人形さん」


































































 僕は動きを止める。頭が命令をするより前に、体が凍ってしまったような感覚。
 そのまま、時間が過ぎる。



 5秒、
   

  10秒、


   30秒、経ったころだろうか。



 後ろからゆっくりと足音が近寄ってくる。ふわっと、いつもの優華さんの匂いが僕の後ろから漂った、と思った瞬間、優華さんは僕の肩を両腕で抱きかかえる。


「……祥平君、偉いね。記憶はなくても、キーワードは、覚えているんだね……でもだめだよ。祥平君のうそつき。こんなに体……冷えちゃってるよ。このまま帰っちゃったら……風邪、ひくよ?」

 優華さんは、僕の耳元でそう囁くと、僕の耳たぶを唇でついばみ、僕の頬にその柔らかな頬を後ろから摺り寄せる。

「……少し、暖かくしてあげる。だからいい子にしてて、ね?」

 優華さんの声は、少しだけかすれていて、そして、震えていた。










■ ■ ■











 その時。優華さんから「お人形さん」と言われたとき。

 もちろん、僕に意識はあった。






 ただ、その投げかけられた言葉があまりにも非常識で、だけれどもどこかで聞き覚えがあって、僕の体は自然に固まってしまったのだ。

 優華さんが僕に近寄って、触れるまで、僕は一生懸命考えていた。

 なんだっけ、なんだったっけ、これって……。




『……祥平君。私が祥平君に『祥平君は私のお人形さん』というと、祥平君は、私の言うことを何でも聞く、とっても素敵な、頭のいいお人形さんとして眼を覚まします……わかりましたね?』




 冷たい部屋。涙。キス。告白。白い息。ベッドの軋む音。甘い香り。たわむ乳房。生臭い精液の臭い――。


 フラッシュバックのように、昨日の夜の記憶が蘇る。





 そして、その言葉、『祥平君は私のお人形さん』が、僕を催眠に落とすキーワードとして使われていたことも、ようやくそこまできて思い出す。






 いや、いや、大事なことはそんなことじゃない。
 僕は優華さんの昨日の記憶は消したんじゃなかったか。
 僕は改めて、僕が優華さんにかけた催眠の内容を、そして、優華さんの昨晩の最後の言葉を思い出す。











 


『…優華さんは催眠術をかけることができます。それも、すごく上手に。世界の誰よりも上手に――』


『祥平君。これから、私が言うことを、よく聞いてね……。今日起こったこと。今日の夜、私とした、エッチなことを、祥平君は、すべて忘れてしまいます。私とキスしたこと、……私と祥平君が……セックスしたこと。全部、全部忘れてしまいます……』













 優華さんは、僕から昨晩の記憶を全部消したつもりになっている。
 だけど、実際はそうじゃない。僕は全部覚えてる。

 さらに問題は、僕は、最後は結局優華さんが催眠術師になりきった後の記憶はそのままにしっぱなしで、僕は優華さんを天才的な催眠術師と思い込ませた後、その思い込みを取り消してない。

 だから、優華さんからしてみれば、僕を昨日のキーワードで、催眠に落とせると思い込むのは、考えてみれば、当たり前だ。




 もちろん、こんなキーワードは催眠にかかってない僕には関係ない。僕は動くことができる、はずだ。



 でも、もし、ここで僕が動き出したら……そんなキーワードなんか僕には効き目がない、という振る舞いをしてしまえば、優華さんの催眠が絶対的なものではない、ということを実証してしまうことになる。

 そうなれば、僕に昨日の催眠を忘れさせた「催眠」の効き目すら、怪しいということになる。

 もし、昨晩のことを、優華さんが僕が覚えていると知ってしまえば――僕と優華さんがセックスしたことを覚えているとわかれば、優華さんはショックで自殺でもしてしまうんじゃないだろうか?

 そこまで考えが行き着いたときに、体の後ろに柔らかな重みが加わった。
 優華さんが、僕の体を後ろから抱きしめてきたのだ。



「……祥平君、偉いね。記憶はなくても、キーワードは、覚えているんだね……でもだめだよ。祥平君のうそつき。こんなに体……冷えちゃってるよ。このまま帰っちゃったら……風邪、ひくよ?」

 優華さんは、僕の耳元でそう囁くと、僕の耳たぶを唇でついばみ、僕の頬にその柔らかな頬を後ろから摺り寄せる。

「……少し、暖かくしてあげる。だからいい子にしてて、ね?」



 動けるわけがない。
 もう、僕は人形でいるしかない。









■ ■ ■










 優華さんは、音楽室のカーテンをしゃらら、と閉め、そして、音楽室の入り口のレバー式の鍵を閉める。
 そして、優華さんは、僕を音楽室のいすに座らせると、手をゆっくりとさすっていく。
 確かに、さっき、掃除道具箱に隠れてたときに、金属のロッカーに触ってたせいで、だいぶ冷え切ってしまっていたのだ。
 いま、優華さんにそれぞれの手を両手で包まれて、暖められているうちに、そのことに気がつく。
 
「……なかなか暖まらないね」

 それもそのはず。音楽室は節電中なのか、暖房がわずかには入っているけど、外と大して温度が変わらない。
 その寒さがまた、昨日の夜が思い起こされてしまう。

「……昨日の夜と、同じだね」

 どきり。
 優華さんも同じことを感じていた。



「……知ってる?祥平君。人間の体って、指とか、耳たぶとか、先っぽになればなるほど冷たいんだって。だから、体温を測るときは、口とか、脇の下とかに、体温計を入れて測るの」

 そういうと、優華さんは、ブレザー制服の下のブラウスのボタンを、二つ、三つ、と手際よく片手で外す。

「!!!」

 目の前に、薄いピンク色のブラジャーに包まれた優華さんの大きな胸と、その下の白い肌とおへそが現れる。

 内心動揺する僕を意に介する様子もなく、優華さんは僕の両手を引き寄せ、自分の脇と腕との間に挟みこんだ。

 なんというか、暖かくて、それでいてなまなましい肌触り。

 優華さんは、僕を見つめて、

「どう?あったかい?」

と探るような眼をして聞いてくる。

 心臓が鳴る音が優華さんに聞こえてしまうのを心配しながら、僕は、ただ、こくり、と頷く。


「そう、良かった」

 優華さんは、にっこり笑って、僕をそのままぎゅっと抱きしめてきた。
 勢い、僕の顔は優華さんの豊かな胸の間に埋もれる。
 やわらかくて、すべすべして、あたたかい、いい匂いのする膨らみにほっぺが挟み込まれる感覚。
 すごく気持ちいいのだけれど、気持ちよさに加えて顔が押し当てられているものだから、息がほとんどできない。けれど「人形」になってるから、反応もできない。
 ついつい、手が動きそうになっては我慢するを繰り返しているのだが、だんだん気が遠くなってくる……。

 優華さんも震えてきた僕に何かおかしいと気がついたのか、あわてて僕を引き剥がす。
 ぷはーーーーーー。げほ、げほ、げほ……。

 プールの底の潜水から浮き上がってきたかのような大きな息をした途端、咳き込む僕。
「ごめん、ごめんね、祥平君。大丈夫?」

 涙目で頷く僕の口元を、優華さんはハンカチで拭う。

「本当にごめんね、私、細かいところに全然気が回らなくて……」

 ようやく肺の中身に空気が行き渡って、落ち着いた。

 優華さんは僕の髪の毛を撫でながら、心配そうな表情を見せる。





 眼と眼が合う。

    優華さんは、ごくり、と唾を飲む




         一瞬、いや、二瞬。優華さんの瞳に逡巡の色が浮かび、
         やがて、それが滲んでぼやけ、瞳から色がゆっくりと失われていく。





「……祥平君は、私のお人形さん、だよね?」


 僕は頷くことしかできない。


 優華さんは、光を喪った瞳に僕を映しこんで、



「……そうだよね。それじゃあ、祥平君は、お人形さんだから、いい子にしてて、ね?」



 優華さんは、そのまま目を閉じて、僕の唇をふさいだ。





 思わず硬直してしまった僕だったけど、やがて優華さんの香りと、柔らかな感触、そして暖かさに、僕は体から力が自然と抜けていく。その気配を感じ取った優華さんの舌が僕の唇を分け入り、僕の舌を絡めとっていく。

 しばらくなされるがままになっていた僕だったけど、ひやっとした感触がズボンの上に来た瞬間、意識が戻される。


「…………」



 優華さんが、ズボンの上から、僕のアレを触っている。
 いろいろな方向から、形を確かめるようにしていくうちにさらに僕のアレは固さを増していく。


「……………………………………固くなってるよ、祥平君」



 優華さんは、そう小声で言いながら、まだ撫でさすり続けていく。
 僕の固いアレが、僕の心臓と連動して脈打ち、その振動が優華さんの白い指を震わせるたびに、優華さんの瞳の色は、昏さと深さを増していく。


「…………………………わたしなんかで、興奮してくれたの?祥平君」


 はい、そうです、優華さんのおっぱいの柔らかさとキスのせいで……って言えるわけもなく、かといって払いのけるわけにもいかない


「……私のせいなんだよね。これ。このままじゃ、恥ずかしくて、帰れないよね。そうだよね?祥平君」

 頷くしかない。

 優華さんは、僕の肩越しに音楽室のドアの方を見ている。
 それから、壁にかかっている時計を見上げる。
 誰かが来ないか、そして授業の時間が――まだ誰も来ない時間が続くのかどうか――を確認しているようなしぐさ。

 ――そして、僕の顔を少しだけ――光のない瞳で僕を見つめる。

 迷い、おそれ、とまどい、葛藤……。色のない瞳の中に、そしてその沈黙の中に、様々な感情が湧きあがっているのがわかる。
 これらは、全て、昨日の夜、何度も優華さんの瞳の中に、何度も浮かんでは消えていったもの。

 だから、僕は、その瞳の中に浮かぶものが、赤く黒く染まっていくのを、熱病に浮かされたように滲んでいくのを、何か名状しがたいものに埋め尽くされていくのを、……そして、優華さんの心の天秤が片側に傾いて、戻らなくなった瞬間が、わかってしまう。


 優華さんの喉が鳴った。


 優華さんは僕に軽くキスをして、そのまま僕の耳元で囁く。


「じゃあ、祥平君。私が魔法で、小さくしてあげるから、少し、我慢してて、ね?」


 そのまま、優華さんは、器用に僕のズボンのチャックを開き、パンツからガチガチに固くなった僕の肉のかたまりを取り出す。


「……!!!!」

 胸をはだけたままの優華さんは、そのまま冷たい床の上、僕の目の前に跪いて、そのまま僕のアレを唇で咥える。

 ぬるっとした、包み込まれるような暖かさと、ぬるぬるした感触に、僕は思わず低く呻く。

 昨日もたくさんやってもらった。だけど、昨日は薄暗い部屋の中だった。
 今日は、カーテンが閉じられているとはいえ、蛍光灯に照らされた明るい教室。そこに胸をむき出しにして、長い髪の毛をゆらしながら、僕のアレを熱心にしゃぶる優華さん。
 その視覚の強烈さと、昨日の経験を経て僕の感じやすいところを的確に責めてくる優華さんの技術に、僕のものはみるみる固くなり、そして、お尻のあたりがびくびくしてくる。

 上目遣いで、そんな僕の表情をちらっと伺う優華さん。その後、さっきよりさらに深々と喉奥まで飲み込み顔を前後に、音をじゅぷじゅぷさせながら動かしていく。

 ぞく、っとお尻の、昔ニンゲンがサルだったときに尻尾があったあたりが、ぶるる、とする。思わず腰が浮きかかって、両手が優華さんの頭を掴みそうになる。だけど、そんなことをしたら優華さんが苦しくなる。必死で眼を瞑りながらこらえてると、


「祥平君、……苦しいの?」


 優華さんが、僕の肉のかたまりから口を離して――銀色の糸が、僕のアレと優華さんのぬれた唇がつないでいて――、でも、それを握り締めたまま、心配そうに見上げて、その後、にっこりと微笑む。

「いいんだよ、祥平君。私の頭、ぎゅっとして。私は、祥平君のお姉ちゃんだから……祥平君を気持ちよくするためなら、何でもできるから……だから祥平君は、私を好きなように使って、いいんだよ?」

 その言葉に、僕の最後の歯止めも、なくなってしまった。
 僕は優華さんの髪の毛を乱暴に掴むと、そのままぐっと僕のいきり立つ肉塊を優華さんの唇に押し付ける。
 優華さんはその乱暴な振舞いを嫌がりもせず、ぐっと押し込まれてきたソレを器用にほお張り、そのまま喉奥と頬で包みこむ。
 僕が腰を押しつけるたびに、優華さんのやわらかな乳房と、髪の毛が波打ち、そして、くぐもったうめき声ともあえぎ声ともつかない優華さんと僕の声が、唾と僕の体液がまざりあう水音とともに、音楽室に響く。

 じゅる、じゅる、じゅぷ、じゅぷ、じゅぷ……。

 次第に上り詰めていく感覚。そして一層激しくなっていく優華さんの口と舌の動き。
 もう我慢できない。僕は、優華さんの喉奥に、最後に思いっきりねじ込んだ、その瞬間、

 どくッ、どくどく……どく……。

 僕の肉から放たれた大量の精液が、優華さんの喉奥に流し込まれていく。
 優華さんはえづきながらも、その生暖かい白濁を一滴残らず飲み干す。

 


 僕が、呆然として、椅子の背もたれに体を沈めこんだその瞬間、



 がらららら。
 音楽室の引き戸が開かれる。



「ふーん、副部長様、こんなところで小さな子連れ込んでフジュンイセーコーユーとは、これまたずいぶん大胆ですねぇ」


 僕はあわてて振り向きかけ、だけど「人形」である僕はそれをしてはいけないことにギリギリ気がつき、瞳だけをちらっと、真正面の壁にある大きな鏡――おそらく発声練習か何かのためなのか、貼り付けてるもの――を見た。

 そこに映る音楽室の入り口には、さっきの3人が立っていた。





■ ■ ■






 僕は青くなった。

 入口の鍵はしまっていたはず。

 だけど、外に声が漏れていたんだろうか。
 あたかも、中で何が起きていたかをすべて知っているような口ぶり。

 と、そこまできて、僕はようやく今の自分の恰好と優華さんの恰好に気がつく。
 僕は下半身むき出し。そして優華さんは、ブラウスがはだけておっぱいが飛び出している上、口からは僕の精液が滲み出している。

 ……これは、状況証拠だけでアウトだ。
 いや、いや、いや、そもそも、なんで、この子たちは鍵を開けられたんだろう?
 

「……あら、だんまり?そうね、一応、いろいろ聞きたいこともあるだろうから、先に説明しておいてあげる。私、この音楽室の合鍵持ってるの。一応、副部長『代理』だしね。部室は管理しておかないと」

「……合鍵は、禁止のはずだけど」
 抑揚のない優華さんの声に、
「あら、そうなの。それは知らなかった。……でもね、おかげで、こういう『校則違反』が行われてる場を押さえることができたわけだから、悪くはないでしょう?」


 皮肉っぽく笑うのは、そう、さっき、ミサキ、と呼ばれていた子。この3人の中でも明らかにリーダー格っぽい子だ。


 髪の毛は少しウェーブ気味で、背は高い。スタイルも抜群。目が少し釣り目っぽくて気が強そう。いまどきの子っぽく、睫毛や眉に少しメイクをしていて、そして、たぶん美人。
 たぶん、というのは、どんなに綺麗な子でも、こうやって敵意丸出しで口をゆがめていると、……そして、さっきの音楽室や、靴箱のまえでの振る舞いを見ていれば、少なくとも僕から見れば、とてもほめたくはならない、ということ。

 3人は、音楽室の僕と優華さんが向かい合っていた場所のあたりまで移動してきて、僕の視界に入ってくる。ミサキ、さん(あまり、このお姉さんに「さん」をつける気にはならないのだけど、年上の人を呼び捨てにすると、なんだか座りが悪いし僕自身も気分が悪くなるので、とりあえず、しばらく「さん」はつけようと思う)は、僕と優華さんのそれぞれを交互に眺めた後、

「さて、一応わかりきっているけど、フクブチョー様のその口から直々に、この状況を説明してもらいたいんだけど。学校の、それも音楽室で、何をしてたのかを、ね」

 優華さんは、そんな彼女の言葉を聴いていないかのように、僕のズボンに、僕のアレ……このあまりの場面の変化に、あっという間に縮んでしまった粗末なソレを……を丁寧にしまうと、自分の胸のブラジャーとブラウスも調え始める。

「ちょ、ちょっと、あんた、シカトしてるんじゃないよ!」

 これはミサキさん、の後ろに立ってる、ハルナ、さんって子だ。これまでの僕の観察では、ミサキさんの取り巻きってポジションの女の子だ。専門用語で言うなら、コシギンチャクというかんじ。目は一重。ストレートの少しだけ茶味がかった髪の色をポニーテールを少し横に結わえた、バリエーションをつけたようなヘアスタイルにしている。ミサキさんより華はないけど、スタイルはミサキさんよりいいかもしれない。

「……説明したら、秘密にしておいてくれるの?」

 静かな優華さんの言葉に、ミサキさんとハルナさんは顔を見合わせる。そして、あきれたような表情を浮かべたミサキさんは、優華さんに指を突きつけてまくしたてる。

「何言ってるの、貴女。そういうレベルの話じゃないでしょ?もちろん、委細包み隠さず、この件は、オールドミス……じゃなかった、顧問の藤倉先生にも、部長にも、貴女の担任にも報告させてもらいます。当然でしょ?こんな小さな子学校に連れ込んで、その、あの、えっと……ああいうことして、ただで済むと思ってるわけ?」

「……思わない」

 ミサキさんの剣幕とは対照的に、優華さんは、静かに答える。

「そう、わかってるじゃない」

 勝ち誇ったように腕を組むミサキさん。

「ま、申し開きは後でゆっくりと、藤倉顧問と学年主任の担任のセンセにしてもらうから。言い逃れ、しようだなんて、思ってないでしょ?皆さんの模範のフクブチョー様なんですから」


「……わかってる。話す。副部長も……いえ、部活も、辞める」


「一応、いっておくけど、今のやりとり、録音させてもらってるから、言い逃れようっても無駄だからね」

 ああ、ハルナさん、隠し録り、それ、汚い。
 僕が思わず叫びたくなる気持ちをぐっとこらえる。

 優華さんは、しかし、動転する僕とは全く逆に、すごく静かな声。
 それだけに、逆に、何か鬼気迫る雰囲気がある。
 おもわずミサキさんは気押されかけかけてたが、それが、かえって彼女の神経に触ったようだ。

「……そ、それだけじゃないわよ、貴方の親にも、あと、そっちの男の子の学校にも、連絡するからね!!」

 その言葉に、さっきまであくまでポーカーフェースだったら優華さんの顔色が変わる。

「……………………………………それは、困る」

 ミサキさんは口を歪める。ようやく優華さんの弱みを捉えたことの悦びが浮かんでいる。艶のある前髪を演技がかったしぐさでかきあげて、

「そうはいかないでしょ?そっちの子だって、もうそんな子供扱いできる年もないでしょ?……そ、その……そういうのがそ、そこから出てくるくらいの年齢なんだから……。と、ともかく!普通に補導とかされたっておかしくないこと、貴女たちがしてたの、わからない?そっちの子も、親や学校の先生からきちんと釘、刺しておいてもらわないと……」

 ああ、そうか、そもそも僕と優華さんの関係を、僕と優華さんが一緒の家に住んでることなんて、当たり前だけどこのお姉さんたちは知らないんだった。

 優華さんは、ミサキさんの言葉から僕を守るかのように、一歩前に出る。

「私のことは、いい。今、ここで起こってることは、全部私の責任。この子は、関係ない。だから、この子の学校には……」

「そうはいかないでしょ?この子にも正しい道を教えてあげないと……」
 演説を始めかけたミサキさん、だが、
「ねえ、ミサキ、見て、この子の名札、『高坂』って苗字なんだけど!」
「はぁ?」
 僕の名札を見て叫ぶハルナさん。その声で僕に駆け寄るミサキさん。
 ああああ、しまった。名札なんかつけてくるんじゃなかった!!
 というか、ハルナさん、その位置から僕の名札が見えるなんて、ちょっと眼が良すぎる。この人、地味なところでスペックが高いのかもしれない。

 意味ありげに僕を見つめるミサキさん。作り笑いが怖い。
「ねえ、ボク、このお姉さんとは、どういう関係なのかな?」
 しかし、しゃべれない。僕はまだ『催眠』にかかっている設定だ。
「やめて」
 そこに鋭く口を挟む声。優華さんだ。
「ふぅん……それじゃ、フクブチョー様、説明してもらいましょううか?さっきまで、この音楽室で、貴女が、いかがわしい事をしてたこの男の子……」
「弟よ、私の」
 勿体つけた言い回しをしているミサキさんを優華さんは遮る。
 もちろん、そういう答えを予測、あるいは期待していたミサキさんだったろうが、そのままの答えが、あまりにも堂々としていたので、一瞬ひるむも、
「ちょ、ちょっと、貴女、自分が何言ってるか、何したのか、わかってるの?」

 優華さんは、口元を少し指で拭う。まだ精液が残っていたのだろうか。

「もちろん、わかってる。……私は、自分の弟を、慰みものにした。それは彼の責任じゃない。すべて私がやったこと。私の責任で彼のせいじゃない。これは、私と、私の家族の問題。だから後は私に任せてくれればいい。この子の学校に伝える必要も、警察に言う必要もない……それでいいでしょう?」

 優華さんの言葉に、ミサキさんは一瞬言葉を失うも、すぐに


「……ちょ、ちょっと、何が『それでいい』よ?そんなわけにはいかないでしょ?貴女、出るとこ出たら犯罪者よ?こんなの。犯罪者にまかせてらんないでしょ。行こう?ハルナ、ヒトミ。とりあえず職員室に行かないと、ね」

 踵を返すミサキさん。それを慌てて追いかけようとするハルナさん。そして僕と優華さんとミサキさんをかわるがわるに見て、追いかけようとするヒトミさん。

「―――待って」

 優華さんの言葉に、ドアの手前でわざとらしく振り向くミサキさん。
「なに?」
「―――――――――――――――――――――――――――最後に、一度だけ、『チャンス』をあげる」
「は?」
「この子のことを、さっき起こったことを、秘密にしてもらうわけにはいかない?」
 ミサキさんとハルナさんは思わずお互い顔を見合わせ、ミサキさんは、顔を真っ赤にして
「貴女、今まで何聞いてたの。そんなの、無理でしょ?だいたい、何、それ。『一度だけチャンスをあげる』って、何、上から目線なのよ。あなた、たった今部活辞めたんだから、それって副部長辞めたってことでしょ?貴女が私に指図できる余地なんて、もう少しもないでしょ?勘違いもたいがいにしてほしいんだけど!?」
 怒りが収まらないという体のミサキさんに、優華さんは、静かに、
「…………………………………………そう。だったら、仕方がない。……ねえ、ミサキ。私の目を見てくれない?」
「何言ってるの!さっきいったでしょ!貴方が私に指図できることなんてないって!!」
 鏡越しに、ミサキが優華さんの顔を睨み付けていることが見てとれる。
 僕は思わず隣にいる優華さんの顔も見て、優華さんの表情も確認したくなるが、「催眠」にかかってる手前、それもできない。

 それにしても、何、優華さん言ってるんだろ。「私の目を見て。私を信用して」とか、青春ドラマで出てくるあの手の説得をしようというのだろうか。
 しかし、それは無理だろう。こんな悪意を前面にして話をふっかけてきているような子たちに、そんな出来の悪い青春ドラマみたいな話が通じるわけもない。






 
 しかし、優華さんの次のせりふは、そんな発想力貧困な僕のヘボ台本から、1億光年以上かけ離れたものだった。







「そう、ミサキ、もっと私の瞳をじぃっと見て。――じぃっと、じぃっと見ていると、どんどんあなたの心が、私の瞳の中に吸い込まれていく……」








 僕は絶句する。

 優華さんは、ミサキさんを「催眠」にかけようとしている。



 
 滅茶苦茶だ、なんでそんな……。

 僕は、そこまで来て、さっき思い出した、自分が昨日の夜優華さんに刷り込んだ暗示の言葉を、また思い出す。







 
『…優華さんは催眠術をかけることができます。それも、すごく上手に。世界の誰よりも上手に――』








 しまった。
 昨日、僕が優華さんにかけた暗示は、相手が限定されてない。
 優華さんは、自分が世界で一番上手に催眠術をかけられると思い込んでいる。



 だから、催眠術をかけて、ミサキさんの記憶を消すか、考え方を変えようとしているんだ。



 いや、でも、それは無理だ。
 催眠術はそんな簡単にかけられるものじゃない。僕だって優華さんや瑠美ちゃんには、ほんとうにじわじわと、段階のステップを積んでいってようやくキーワードで後催眠をかけられるようになったんだから。

 ましてや、信頼関係も成立してないこの状態で、前もって催眠をかけたことがあるわけでもない相手に、いきなりこんなベタな直球で……。


 とはいえ、既に、僕だけで処理できる範囲を超えている。
 優華さんだけなら、今すぐでも僕は催眠状態に堕とせる。
 だけど、僕だって、この初対面の3人に催眠なんかかけられない。


 僕の頭が沸騰しそうなくらいグルグル回っていて、だけどそれがただの空回りになり続けてるのを自覚できるくらいの回数回った頃、

 ……あれ?

 さっきまで喚きたててたミサキさんの反応がない。

「……ミサキ?」
 ミサキさんの脇にいたハルナさんも、何か、ミサキさんの様子がおかしいことに気づいたらしい。


「そう、いい娘ね、貴女の心はもう私の瞳に吸い込まれてしまった。だから、私の声は貴女の心にすぅっと染み込んで、貴女はそのとおりに動いてしまいます。……さぁ、ミサキ、こっちに来てごらん?」

 低い、よく通る、それでいて、何か作りこまれた台本を演じる女優のようなハリのある優華さんの声。
 その声に塗りこまれた、何か不思議な磁力で引っ張られるかのように、ミサキさんの体がゆっくりと、糸の切れた操り人形のような動きで優華さんと僕のほうに近づいてくる。

 僕から優華さんは見ることができない。
 だけど、ミサキさんの顔は、鏡越しにわかる。




 瞳から光は喪われ。
 表情は欠落し。
 腕からも肩からも、さっきまで溢れ出ていた棘々しいオーラが嘘のように消え去っており。


 だけどそれは、僕にはよく見覚えがあるものばかりで。昨日、優華さんをさんざんその状態にしてきたわけで。




 ミサキさんは、催眠にかかってる。
 



 僕がそのことを確信したときには、既にミサキさんは優華さんの前まで来ていた。
 優華さんは、ミサキさんのすこしウェーブのかかった髪の毛に白い指を軽く絡ませ、そのままその指で頬を撫でる。
 しかし、ミサキさんはまったく反応なく、なされるがままになっている。

 たまらず、ハルナさんがあわてて駆け寄ってくる。
「ちょ、ちょっとミサキ、どうしたのよ。……優華!あなた、ミサキに何をした……」
「ハルナ」
 静かな、だけど強い口調でハルナさんを遮る優華さん。鋭く呼びかけられたハルナさんは、思わず優華さんを見てしまう。

 ちょうど僕の目の前に、人形のように立ち尽くすミサキさん。
 ミサキさんに心配そうに駆け寄ったハルナさん。
 僕の脇に、僕をミサキさんとハルナさんから守るように立つ、優華さん。

 座っている僕から見上げた場所にある優華さんの表情。それは、今まで、僕の記憶のアルバムの中にある、どの優華さんにも当てはまらないものだった。

「そう、ハルナ。貴女は私を見てしまった。だから貴女はもう逃げられない」
「な、何言って……」
 ハルナさんが優華さんにさらに踏み出そうとしかけたときに、
「ハルナの足は、動かない」
 優華さんの言葉に、ハルナさんの体の動きが固まる。
「ちょ、あ、あれ、え?う、うそ……」
 あわてるハルナさん。しかし、いくら脚を動かそうとしても、上半身ばかりが動くだけ。両腕をぐるぐる回しても、上半身をひねっても、腰から下だけはまったく動かない。
「あ、貴女いったい何をしたの!戻してよ、私の体!!」
 優華さんは、しかし、ハルナさんのそんな願いは聞く様子もなく、逆に、
「そう、ハルナの脚はもうコンクリートみたいにかちかち、そう、そしてどんどんそのコンクリートはどんどん体の上に、上にと染み込んでいってしまう。ほら、どんどん、どんどん、上がっていく、上がっていく……もう肩まであがってきてしまっている。だから両肩も、ほら!もう動かない」
「な、何言ってるの、貴女……」
 歯噛みしそうな勢いのハルナさん。だけど、肩を動かそうとしても動かないらしく、二の腕はぴくりとしない。両肘や手首だけが動くだけだ。
「ね、動かないでしょ?そうしているうちに、もう肘までしみこんできた……手首、手のひら……はい!もう両腕もう動かない!」
 優華さんがゆっくりとハルナさんの腕を肩筋から肘、そして指先までなぞると、その部分が動かなくなっていく。やがて、宙にもがくような不自然な形に固まっていく。
「ちょっと、な、何これ、貴女、何したのよ!!」
 明らかに動揺するハルナさん。だけど、優華さんはどこまでも落ち着き払って、
「ハルナ、少し静かにしましょう。いくらこの音楽室が、防音がすごいといっても、ね?さあ、もう首まで固まってきちゃった、どんどんあがってきて、ほら!もうしゃべれない!!口も動かない!!!」
 優華さんの言葉のムチがぴしゃり、とハルナさんにぶつけられた瞬間、ハルナさんの口が叫び声の形のまま固まり、ただ息がひゅうひゅうと鳴る。もう体で動かせる場所は瞼と眉毛くらい。優華さんに向けられた瞳だけが恐怖と抗議を露わにしている。

「どう、怖い、怖いかな?ハルナ。でもね、ハルナ、知ってる?――――――――靴箱を開けたときに、ガビョウやネズミが入ってたりするのってのもね、結構怖いんだよ?この前なんか、夜、暗かったからね……間違って踏んじゃって、痛かったんだぁ……」

 その言葉に、ハルナさんの顔面が青白くなる。大きな瞳が許しを請うているように見え、今にも泣き出しそうだ。

「さあ、もう体の表面はこちこち、だからコンクリートの素がどんどん体の表面から中にしみこんでくる、しみこんでくる、さあ、肺にもしみこんできた。もう息ができない、息が詰まって、どんどん苦しくなってくる……」

 途端、さっきまで息の音だけがしていたハルナさんの口から、音がしなくなった。眼がさらに見開かれ、体が震え始める。

「苦しい?苦しかったら、二回瞬きしてくれるかな?」

 優華さんの言葉に、ハルナさんは、ぱちぱち、と瞬きする。

「そう、苦しいんだ」

 優華は、さらっとそれだけ、言う。

 ハルナさんは、さらに目をパチパチ、パチパチ、と繰り返す。もう涙が溢れて、本当に顔面が蒼白で、苦しそうだ。

 優華さんは、少し小さく笑う。

「このままだと死んじゃうかもね?ねぇ、ハルナ、死にたくない?助かりたい?」

 ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち。

 傍目から見ても可愛そうなくらい瞬きを繰り返すハルナさん。もう限界が近いのだろう。冷たい水泳の後になるみたいに、唇が青くなってきている。
 
「大丈夫。ハルナ。貴女が今苦しいのは、まだ貴女が人間だから。人間のせいで、息をすわなくちゃだめだから。だから、頭の中身まで、体の芯まで、完全にコンクリートになってしまえば、逆に楽になれる。もう息を吸うことから、自由になれる……だけど、そうなっちゃうと、完全にカチコチの、何も考えられない彫刻になっちゃう。それでもいい?ハルナ。……もし、それでもいいなら、3回、瞬きをして?」
 
 ハルナさんは一瞬、おびえた様な目をする。だけど、もう、苦しくてたまらないのか、最後に一度だけ、ぼろっと大粒の涙を流すと、

 ぱち、ぱち、ぱち。

 瞬きを3回、した。

 優華さんは、そんなハルナさんに、すごく優しい表情を浮かべて、

「そう、いい子ね。そうしたら、私が貴女の頭に触ると、あなたの頭の中も完全にコンクリートになってしまって、貴女は何も考えられない、頭の中が真っ白の彫刻になってしまう。だけど、その代わり貴女は自由に息が吸えるようになる、あなたは助かる。だから安心していいのよ、さぁ、思い描いて、彫刻になった自分を、だけど、その代わり、息が自由に吸える自分を……。さぁ、もうすぐ、もうすぐ息が吸えるようになるよ、ほら、いち、にの、さん!!!」
 ハルナさんの頭に、優華さんは両手をぽんと、乗せて、そのまま、すぅっと頬を撫ぜ、ハルナさんの口、のど、そして胸に手を滑らせていく。その途端、さっきまでまったく動かなかったハルナさんの胸が、すぅっと大きく膨らみ、ふぅっと大きく息を吸う、一瞬、ハルナさんの目に生気が戻るが、すぐに、その瞳から光が失われる。やがて、息がすぅっと吐き出された途端、そのままハルナさんの体も、瞼も、まったく動かなくなる。



 ハルナさんは、ただ、息だけを静かにする、生ける彫刻と化した。




「そう、いい子ね。そうしたら、私が手をたたくと、貴女の体からコンクリートが抜けて、あなたはかわいい、柔らかい、素敵なお人形さんになる。だけど頭は真っ白のまま。私の言うことだけをきくかわいいお人形さんになる……さぁ、いち、にの、さん!」



 パチン。



 優華さんが手をたたくと、ハルナさんの体から、一気に力が抜けて、静かに床に崩れ落ちた。
 勢いで、ハルナさんのスカートがまくれ、下着が露になっているが、ハルナさんはまったくそれには気づかないようだ。瞳は虚ろに見開かれたままで、脱力しきったその様子に、僕は不覚にも、下腹に血が昂ぶる感覚に襲われる。



「ぁ……ぁぁ……」

 音楽室の入口から、小さなうめき声が聞こえる。残った一人、ヒトミ、という子だろう。
 鏡越しに見えるその姿は、遠目にも、目の前で繰り広げられる異様な光景に、恐れ、震えているのが見て取れる。

 そんなヒトミさんに、優華さんは、優しく声をかける。

「ヒトミ。そんなに心配しなくても大丈夫。寝ているだけだから。……ねぇ、ヒトミ、そこに立っていないで、こっちに来てくれないかな?ハルナ、保健室に連れていかないと。ここに寝かせてたら風邪ひいちゃうし、ね?」

 優華の声に、我に返ったように、こくこく、と頷くと、こちらに近づいてくる。


「ほら、ヒトミは、ほら、ハルナの脚側、持ってくれる?」
「は、はい!」
 優華さんの声にあわてて、脚を持つ。

「じゃあ、ヒトミ、息を合わせていくよ、私の眼を見て?」
 ヒトミさんは、言われるがままに優華さんと目を合わせる。

「ねぇ、ヒトミ。持ち上げる前に、ひとつ、尋ねていいかな?」
「は、はい!」
「私の靴入れに、ネズミを入れたのは、ヒトミなの?」
「ち、違い……ます!!!」
 思わず視線をそらして、言葉を濁しながらも否定するヒトミさん。
「ヒトミ、私の目を見て?私の目を見てもそう言える?」
 ヒトミさんはおそるおそる顔をあげて、優華さんを見つめる。
「そう、私の目を見て。そう、そのままずぅ……っと見ていると、あなたの口が貴女の心につながっていきます。もう貴女は自分の思いに正直にしかしゃべれない、貴女は嘘がつけなくなるよ?ほら!」

 ぽん、と、ヒトミさんのおでこを人差指でつつく。

「え、え、え?」

 優華さんの言葉と振る舞いに戸惑いを隠せないヒトミさん。畳み込むように優華さんは、
「ヒトミ、もう一度聞くよ?私の靴入れに、ネズミをいれたの、貴女?」
「は、はい!」
 答えた後、思わず口をつぐむヒトミさん。
「そう。ネズミ、入れて、楽しかった?」
「い、いえ、全然。嫌で、嫌で……」
 また、しゃべってしまった後、なんでしゃべってしまったんだろう?という顔をするヒトミさん。
「……………………嫌なのに、何でしたの?」
 優華さんの表情が、いつの間にか、柔らかなものになりつつある。
「そ、そうしないと……私が苛められるから……………………ご、ごめんなさい」
 ひどい、身勝手な理屈。そのことをヒトミさんもよく自覚しているらしく、言ってしまってからすごくバツが悪そうな表情を浮かべる。
「……………………いいよ、ヒトミ。私を苛めるのは。だけど、この子は、苛めないであげて」
「も、もちろん、苛めないです!」

 なんだか、このヒトミさんは、さっきの2人と違う。
 たぶん、この子は、苛められっこで、苛められないために、いじめに加わってるタイプの子。
 大半の子は、このタイプか、見て見ぬ振りかのどっちかだ。

「そう、良かった。……だけどヒトミ。貴女、もし、ミサキとハルナに、この子のこと、やっぱりこの子の学校に言いつけろ、言いつけなかったら、貴女を苛めるって言われたら、どうする?」

「え、あ……それは……」

 優華さんがヒトミさんを見つめる。顔は小さく笑ってるけど、眼はまったく笑ってない。

「そ、そういわれたら…………………………」

 口をぱくぱくさせる、ヒトミさん。

「逆らえる?この二人に」

「さ、逆らえ……ません……」

 正直になってしまったヒトミさんの、申し訳なさそうな小声。
 
「……そうだよね、ヒトミ、いつも、そうだものね。この二人に振り回されて、いつも言いなりになって。……どうしたらいいかな?どうしたら秘密にしてくれるかな?ねぇ、ヒトミ」

 優華さんの声に、ヒトミさんは返事ができないでいる。

 優華さんは、そんなヒトミさんに、

「ねぇ、ヒトミ。もうひとつ聞いていい?私が、この子と……祥平君と、さっきしてたこと、どう思った?正直に、答えて?」

 さ、さっきしてたことって……。

 優華さんの質問に、ヒトミさんもさっきの光景を思い出してか、顔が真っ赤になっていく。

「あ、な、なんというか、その………………お、男の人のおしっこがでるとこ、舐めるなんて、き、汚い……それに、弟と、あんなことするなんて、おかしい……!!」

 世間の人はたぶんそう思うだろうことを、ヒトミさんは有難くも正直に答えてくれて、僕は自分が優華さんとしていることの世間的な評価を改めて思い知らされる。

 優華さんは、だけど、全くそんな返事に恐れることもなく、
「そうね。そう思うのも当然だと思う。……でもね、ヒトミ。私ね、この子のを見てると、もう止まらなくなっちゃうんだ。でね、舐めてくと、口の中で膨らんでいって、硬くなって、脈打ってくのを感じて、私の舌で感じてくれてるってわかるから、すごく嬉しくなって、それでまた頭がぼぅっとなっちゃって、もっと一生懸命になっちゃっうの。でね、だんだんこの子が感じてくるとね、先っぽから出てくる汁の味がどんどん濃くなるの。でも、最後にどくどく、って熱い精液が口の中に飛び出してきて、びくびくいうの。それ、すごく濃くって、ねばねばしていて、変な味だけど……でも、私にとっては何より美味しくて……もう、それを飲むと、体中がびくびくってして、痺れて、もう頭が真っ白になって、何も考えられなくなるの。……わかってくれるかな?ヒトミ。この気持ち」
 優華さんの、あまりに赤裸々な発言に、ヒトミさんは真っ赤に真っ赤を重ねた顔色になって、そして首をフルフルと横に振る。

「ヒトミ、男の人の『あそこ』、舐めたことある?」

 ふるふる。

「キスは?」

 ふるふる。

「……じゃあ、セックスは?」

 ふるふるふる。


「そう。私もね、ちょっと前までは、全部したことがなかった。こんなこと、男の人とするなんて、すごく怖くて、考えられなくて、気持ち悪くもあって、だけど、ちょっと興味もあって……それくらいだったんだけど、この子と全部、そういうことして、こういうことに夢中になっちゃう女の人がいるってこと、わかっちゃったの。……ヒトミも一度でもこういう気持ちになってくれれば、わかってくれると思うんだけどな……」

 さらっとすごいことを言ってるのだと思うのだけど、優華さんは、あまりそんなことを気にしてないようだった。幸い、ヒトミさんは、優華さんの言葉を深読みする余裕はないようだし。
 そのまま優華さんは、少しだけ何か考え込んでいるようだったが、やがて、僕に眼を合わせる。さっきまでの、張り付いた笑みではなく、いつもの優華さんの微笑み。

「……ねぇ、祥平君。この子、どう思う?」

 この子、って、ヒトミさんのことか。
 いきなりどうって言われても……。


「祥平君、この子に触られるの、いや?」


 唐突に聞かれる。思わず、僕はヒトミさんを見る。――さっきの優華さんの言葉に従えば、ヒトミさんの方に顔を向けてもおかしくないだろう。

 色白で、ショートの髪にヘアバンドをしている。背丈は、ぼくよりはずっと高いけど、ミサキさんやハルナさんよりは低い。優華さんより少し小さいくらい。
 顔立ちは整っていて、だけど、気弱そうな感じがするのは、眉毛の形のせいだろうか。 なんだか今日は苛められたり、苛めさせられていたりで、暗い顔をしていることが多かったけど、そうでなくて、普通に笑ったりしていたら、もっといい感じなんだと思う。
 さっきの二人の女の子に巻き込まれているだけで、根は悪い人ではなさそうだし。
 
 
 だから、別に触られるのはいやじゃない。
 僕は顔を横に振った。


 優華さんは、少し考え込んでいるようだった。
 20秒近い時間だっただろうか。
 ほんの短い時間だったけど、優華さんはその間、だいぶ深々と考え込んでたみたいだったけど、




      ……ヒトミなら……許せる、かな。




 そう、ぽつりと言うと、優華さんは、ヒトミさんに向き直り、
「ねぇ、ヒトミ。この子を見て。私が、貴女のおでこをつつくと、貴女は、この子のアソコを舐めたくなる。舐め始めると、さっき私が貴女に話したとおりの感覚が貴女を襲って、どんどんどんどん気持ちよくなってしまい、そして精液を飲むと、あなたはこの子の虜になってしまうよ」

 げ!

「え、あ、あの、私、そんな、い、言いませんから!ここで起こったこと!!」

 僕のとまどいをよそに、そしてヒトミさんの抵抗を無視して、ヒトミさんのおでこをつつく優華さん。

 ヒトミさんは、途端に目がうつろになる。表情からさっきまでの戸惑い、抵抗、そして恐れが抜け落ちていくのが手に取るようにわかる。じっとその虚ろな表情のまま、しばらく僕を呆けたように見つめていたけど、やがて、そのままふらふらと僕の前まで歩み寄り、ぺたんと床にしゃがみこむ。

 そして、僕のズボンの前の留め金をはずそうとする。慣れてないせいか、何度も失敗を繰り返してようやくはずすことに成功すると、僕のお尻を浮かせるようにしてそのまま足首までズボンをずり下げる。
 ひんやりとした椅子の感覚が太ももにダイレクトに伝わって、僕は思わず顔をしかめる。そして思わず鳥肌。
 だけど、そんな僕のことなんて意にも介する様子もなく、ヒトミさんは、ぼくのパンツから、僕の粗末なアレを取り出す。
 まだ膨らんでない、小さくなったままのものを、ヒトミさんはそのまま唇で加える。ぬめり、とした、だけど暖かな感覚に、最初は緊張していた僕の体は少しずつ緩んでいき、ひきかえ咥えられたアレに、血がながれこむような感じになり、じわじわと膨らんでいくのがわかる。

「どう、ヒトミ。ゆっくり、歯をぶつけないように、口全体でほおばるようにして……そうそう、そのままゆっくりと、ほっぺたと舌全体で、やわらかく、包むように舐めていくとね、すごく美味しくなっていくよ……そう、先っぽにでこぼこがあるよね、そこをほじくっていくと、すごくいい気持ちになるよ……」

「!!」
 
 「先輩」な優華さんのレクチャーに、素直に忠実に従っていくヒトミさん。僕はさっきとは段違いの快感に襲われる。
 途端、膨らみが最大限になったアレに、ヒトミさんの頬の裏側が、ぎゅっぎゅ、と当たっていく。舌先が肉の頭と、棒っていうかなんというのかな、その間の溝に、ヒトミさんの舌がぬるぬると入り込んだり、さすったり……。

 僕は薄目を開けながら、股の間にあるヒトミさんの顔を見る。
 さっきまで、すごく怯えていたヒトミさんが、いまや僕のものをほお張る機械になったかのように、ひたすら優華さんのレクチャーどおりに舌を動かし、唇をすぼめ、頬を膨らませたりすぼませたりする。僕のものからちょっとずつ滲み出る液と、自分のよだれを一緒にごくごくと飲んでいるのか、白い喉が少しずつ動く。頬が少し赤らんでいるのは、さっきまでの恥ずかしさのせいではなく、興奮のせいだということが良くわかる。
 やがて、僕の体に、ぞわぞわとした、あの何かが出そうな感覚が強くなっていく。思わずひざをぎゅっと内側に寄せようとすると、逆にヒトミさんのやわらかなほっぺたとさらさらした髪にぶつかって、かえってそれが僕の体の中のドキドキを増やしてしまう。

「祥平君、どう?気持ちいい?……私でなくて、ヒトミにこういうことされても、気持ちよくなっちゃう?」

 優華さんが、この異常なシチュエーションに似つかわしくない、柔らかな、そして「お姉さん」な表情で、僕に問いかけてくる。

 いくら優華さんがやらせていることとはいっても、ここで「気持ちいい」と言っては、そして射精してしまったら、なんだか優華さんを裏切ったことになりはしないか、そう思い、僕は思わず首を横に振る。

 しかし優華さんは、
「いいんだよ、祥平君。祥平君はね、いつか大人になって、私以外の誰かと……素敵なお嫁さんと、結婚して、子供を作るんだから。だから……私以外の女の子と、こういうことをすることに、慣れておかないと、ね?………………………………私がいなくなっても、私でなくても、大丈夫なように

 最後の言葉は、少し小さく消え入るようで、ようやく聞き取れるくらいの声。
 だけど、すぐに、優華さんは、少し重くなった雰囲気を振り払うように、"お姉さん"な声に戻って、

「さぁ、祥平君、もっと、素直になっていいよ。もっともっと敏感になって、すごくすごく気持ちよくなる。祥平君は、ヒトミを苛めたくなる。苛めてむちゃくちゃにしたくなる。ヒトミを苛めれば苛めるほど、祥平君は気持ちよくなっちゃう。私が祥平君のおでこをさわるとそうなるよ、はい、いち、にの、さん!!」

 優華さんが僕のおでこを、ぽん、とつつく。
 僕は催眠にかかってるわけではない。ないけど、ある意味、ミサキさん、ハルナさん、ヒトミさんが正気を失ってる中で、唯一の「他者」だった、優華さんにも「公認」をもらってしまったせいで、歯止めがなくなってしまった。
 僕の足元に跪いて、虚ろな表情のヒトミさん。今日初対面のお姉さんが、僕のものをロボットのようにして頬張るその姿に、僕の中で、強烈な快感と、ぞわぞわする不思議な感覚が芽生えてくる。

 この人を、無茶苦茶にしたい。
 大人の女の人を、モノみたいに、おもちゃみたいに使ってみたい。
 僕のことを、ただ、気持ちよくするための道具みたいにしてみたい。
 
 そんな思いに駆られて、僕が腰を、ぐいっとヒトミさんの喉奥に押し込むと、ヒトミさんは、一瞬目を見開くものの、すぐその眼がトロンとなって、さらにぬめぬめした舌と涎をまぶしていく。僕はそのまま半ば腰が半立ちになるような感じで、ヒトミさんの頭をがしっと両手でつかむと、腰を前後に振っていく。ヒトミさんはそんな無茶にも、少しくぐもったうめき声を上げながらも、全く逃げる様子もなく、僕のすべてを受け止めるかのように、逆に僕の腰を抱きこむかのように両腕を回す。
 
「ヒトミ、気持ちいいでしょ、もうすぐね、今咥えているお肉からね、すごく熱くてとろとろの美味しい美味しい精液が出てくるからね、それを飲むと、すっごく幸せな気持ちになって、頭が真っ白になって、今までのヒトミは完全に溶けてなくなってしまう。その代わり、ヒトミは祥平君の……この子のことを一番に考える、この子のためならなんでもする、身も心もこの子のために捧げつくして、何でもできる、強い強い女の子に生まれ変わるの。ねぇ?ヒトミ、強くなりたいよね?いじめなんかに負けない、強い子に、本当はなりたいよね?」

 口はおしゃぶりを続けながら、こくこく、とヒトミは頷く。

 ……優華さんは、ヒトミさんの心の弱い部分を知っている。
    そして、その弱いところを利用して、ヒトミさんの心の奥底まで、食い破ろうとしている。

 僕は、ただ、か弱い獲物が、嬲られる様子を見ていることしかできない。

 優華さんは、にっこりと微笑んで、すごく優しい声、人を蕩かす人魚のような声で、

「そうだよね、強くなりたいよね。でも、大丈夫。今から、この子の硬いお肉から出てくる熱いとろとろの精液を飲めば、ヒトミは生まれ変われる。ヒトミの細胞にまで精液がしみこんで、ヒトミの根っこから、何もかも書き換わっちゃう。そうなるとね、ヒトミは、この子に嫌なことはもちろんしないし、できない。いくら、ミサキやハルナに苛められても、そうね、――たとえ殺されそうになったとしても、ヒトミは、この子のことだけは絶対に守りぬく、そんな強い女の子に、生まれ変わっちゃうの。
 そしてヒトミはね、この子の命令は何でも言うことをきく、いや、この子に言われなくても、この子の望むことはなんでもする、この子のためになら何だってできる、そういう強くて優しくて素敵で従順な女の子――いや、奴隷っていったほうがいいかな?そういう存在に、生まれ変わるの。ね?…だって、ヒトミは、祥平君の奴隷なんだから、奴隷がご主人様のためを思うのは、当たり前だし、そうなるのはとても素敵なことなの、そしてご主人様の命令に何でも従って、ご主人様の望みを叶えることが、身も心もこの子のために捧げることができるのが、強い女の子の証明なんだから……そうよね?ヒトミ」

 しゃぶりつづけるヒトミの耳元で、優華さんが何事かささやき、ヒトミさんは頷いているように見えるけど、僕はその意味をほとんど把握する余裕がない。


「さぁ、二人とも、私が三つたたくと、いってしまうよ、いってしまうと、ヒトミ。今言ったことはすべてそのとおりになる。さぁ、いくよ、ひとーーーつ……ふたーつ…………」

 優華さんのカウントに、僕とヒトミさんは腰と顔の動きをさらに加速させる。どんどん快楽が競りあがってくるのがわかる。


「……みっつ!!!」

 優華さんの声とパン、と手をたたく音とともに、僕はヒトミさんの喉にガチガチの肉の塊をえぐりこませる。と、同時に、精液が爆発的に飛び出す。

 どく、どく、どく……。

 圧倒的な快楽と開放感で、僕の頭が真っ白になる。ヒトミさんがごくごくと喉を鳴らしながら飲み干していくのが、見なくても、太ももに伝わる感触でわかる。

 やがて、僕は椅子にへたり込むように座る。今日二度目――といっても、あくまで朝からの話で、0:00から数えたら何度目かわからない――射精に、僕は疲れ果ててしまった。

 目を瞑りかけた僕に、優華さんの声が聞こえてくる。

「どう、ヒトミ。気持ちよかった?」
「……はい……」
「すごかったでしょ?」
「……すごい……です……」
「そう、じゃあ私の気持ち、わかってくれたかな?」
「……わかりました……」
「そう、また、こういうことしてみたい?」
「……して、みたい……です……」
「そう、じゃあ、ちょっと立ってみようか、そうそう。大丈夫、力を入れてきちんと立ち上げることができるよ……はい、よくできました。さぁ、ヒトミ、前を見てごらん?小さな男の子がいるね?この子は、貴女にとって、どんな人?」

 僕は目を開く。

 目の前に、虚ろな表情で立っている女の子。ヒトミさん。

 ヒトミさんの目と、僕の眼が合う。

 途端、ヒトミさんの頬が染まり、表情が陶然とした虚ろなものとなる。体が少し震え、口元に手を寄せる。

「さぁ、言ってごらん?この子は、貴女にとって、どんな人?」

 優華に耳元でそう囁かれたヒトミさんは、口をパクパクさせていたが、それは、あまりの感動か何かで口がうまく動かなかったかなにかのようで、やがて、ゆっくりと、

「私の……大事な……ご主人様です……」

「じゃあ、貴女はこの子の、何?」

「…………どれい……です……」

 ヒトミさんは、しばらく適当な言葉を捜していたかのようだったが、ようやく探り当てたのか、しばらく時間をかけたあと、そう呟いた。

 優華さんは、ヒトミさんの答えに満足するかのように頷くと、
「祥平君、ヒトミが、祥平君の奴隷になりたいんだって。どうかな?祥平君。ヒトミを、祥平君の奴隷に、してあげる?それとも……………………いらないって、ゴミ箱に、捨てちゃおうか?」

 優華さんの言葉に、びくっと震えるヒトミさん。
 ぼくよりずっと年上で大人な女の人が、僕の前に立って、子犬のように、少し上目遣いのまま、震えている。

 1秒、2秒、3秒……。

 その沈黙に、耐えられなくなった僕は、

「ど、奴隷に、……して……あげます」

 思わず、そう口走る。
 その言葉に、ヒトミは、僕にとびついて、
「ありがとう……ございます……」
と呟いて、そのまま嗚咽を漏らしはじめる

「ほら、祥平君、いい子いい子してあげないと、可愛そうでしょ?女の子、泣かせちゃ、だめよ」

 優華さんの声に、僕はヒトミさんの頭を撫で撫でする。
 するとヒトミさんは、少し驚いたように僕のほうを見上げた後、その表情を蕩かせて、幸せそうな表情のまま僕の胸に甘えるように顔を沈めた。
 しっぽがあったら、振ってしまうのではないか、と思わんばかりのその振る舞い。そのときになって、ようやく僕は、ヒトミさんがすごくグラマーな体形をしていることに気がつく。
 

 そのとき、



 音楽室のドアが、トントンとノックされると、ガラガラ、と引きあけられる。


「高坂さん、いったいいつまで時間がかかって……」


 そこに現れたのは、黒いスーツとタイトスカートに身を包んだ、女の先生。まだ若い、けど、眼光鋭くてきりっとした感じの、ちょっと厳しそうな感じ。

 しかし、目の前の光景に、絶句する。

 優華さんは、しかし、全く平然と、
「……藤倉先生、わざわざ来られなくてもよかったのに。もう戻りますから」
「も、戻るって……高坂さん!それに、三船さんに、赤池さん、菱形さんに……それに、そこの子はいったい……高坂さん!せ、説明してください!!!」
「ええ、先生、もちろん説明します。でもね、先生」

 優華さんが、入り口の先生のところまで近寄ると、

「……その前に先生、少しだけ、私の目を、見てもらえませんか?」








■ ■ ■



 そして、僕の目の前には、いまや、彫像のように立ち尽くす、3人の女生徒と、1人の女の先生。

 そして、その脇で、なにか人形のチューニングをしているかのような様子の優華さん。
 そして、僕はずっと「お人形さん」状態にさせられている。

 他の3人と同じように、先生――藤倉先生という、優華さんの部活の顧問でもあり、音楽の先生らしい――も、難なく優華さんの催眠に絡めとられてしまった。

 ちなみに、ミサキさんの会話の中で「オールドミス」と言われてたのはこの先生のことらしい。ちょっとオールドミス、というのにはまだまだ若くて、些かかわいそうな感じがあるが、確かにまだ結婚はしてないようだった。

「さて、4人ともよく聞いて。今から私が3つ数えると、4人はすっきりと目を覚まします。だけど、4人は、この部屋に入ってからおきたことを、何も覚えていません。ここであったこと、ここにいた小さな男の子のこと、そしてその小さな男の子と私がしていたこと、あと、その小さな男の子にみんながしたこと……何一つ、覚えていません。4人は、ここに忘れ物を取りに来ました。だけど、みんな、何をとりにきたか、忘れてしまっています。だけど、たいしたこと無いので、別にそのことを気にせず、みんな教室に戻ります。藤倉先生、先生も同じ。先生は私にプリントを取りに来てもらって、それで私が見つけたようなので、一緒に帰る、ただそれだけです。いいですね?」
 4人はうつろな目のまま、こくり、と頷く。

「それでは4人は目を覚まします。ただし、4人はキーワード、『貴女は私の操り人形』と話しかけられると、今と同じ、深いふかぁい催眠状態におちてしまいます。必ずそうなる、だけど、今のキーワードを思い起こすことはできません。この言葉は貴女の心の深い奥底に刻み込まれて、だけど、この言葉を告げられるまでは、決して思い出すことができない秘密の、そして大事な言葉となります。いいですね、それでは、3つ数えますよ、いち、にの……さん!!」


 3つ数えると、全員が、はっと目を覚ます。

「あ、あれ?」
「え……と」
「??」
「あ……あれ……高坂……さん?」

 四人四様の様子で目を覚ます。ただ、全員、頭の周りに「?」が飛び交っているのが見て取れる。

「どうしたんですか?先生」
「い、いやあの……な、なんで授業中なのに、チア部の生徒が音楽室で……」
「少なくとも私と先生は、プリントを取りに来たんですよ。忘れちゃったんですか?先生」
「そ、……そうだった。じゃ、なんで貴方たちがここに居るの?」
 きつい目で残り3人を見る藤倉先生。
 3人はあわてて、
「わ、私は忘れ物をとりに……」
「私も……」
「私も……です……」
 3人が3人とも忘れ物、ということでかえって怪しまれたようだ。藤倉先生の目がきつくなる。
「ちょっと、3人とも、そんな偶然が……」
「先生、ちょっと」
 先生のお説教が長引きそうだと思ったのか、優華さんは機先を制する形で、
「『貴女は私の操り人形』」
 優華さんは先生の耳元でそう囁くと、藤倉先生の目が途端に虚ろになり、だらんと両腕から力が抜ける。

「あ」「え」「……?」
 残りの3人組もあっけに取られた表情を見せる。

 優華さんは、すごく色っぽい表情で微笑んで、

「3人とも、もう一度眠りましょう。はい『貴女は私の操り人形』」

 ぱん。

 優華さんが手をたたくと、3人からも眼から光が消え去り、ミサキさんとヒトミさんは立ったまま、ハルナさんはそのまま崩れ落ちて床にしゃがみこんだまま、催眠状態に落ちた。


「うん、上出来上出来。これでこの子達は心配ないかな。さて、あとは……」

 優華さんが僕のほうに体をむきかけたその瞬間。

 僕は、椅子から立ち上がり、優華さんを抱きしめる。


「え!?」

 大きく目を見開き、驚愕の表情を浮かべる優華さん。

 僕は、大きな、鋭い声で、



「『優華さんは僕のお人形さん』!!!」




 その刹那。
 驚いた表情のまま、優華さんの表情から色が抜け落ちる。

 そして、優華さんの脚から力がふっと抜けて、そのまま冷たい床に崩れ落ちる。


 僕は、優華さんを抱きしめたまま、そして胸元から優華さんを見上げる形のままだったけど、やがて、優華さんの上半身からも力が抜けて、そのまま床に仰向けに倒れたせいで、そのまま優華さんを押し倒す形になる。

 優華さんは、凍った人形のような形で、瞼は開いたまま、だけど眼から光がなくなった状態で、冷たい床に体を横たえている。





 ……効いた。










 僕は、冷や汗びしょびしょになっている感覚を自覚しながら、床にへたり込んだ。







 少し息を落ち着けて、僕は立ち上がって、改めて音楽室の中を見渡す。



 部屋には4人の女の子と、女の先生。

 2人の女生徒と1人の先生が人形のように立ち尽くして虚空に目を彷徨わせ、そして1人の女生徒が床に跪いて天を仰ぎ、そして優華さんが床にこわれたマネキンのように横たわる。



 僕以外に誰も居ない、カーテンのかかったその空間は、とても学校の一室とは思えない、異常な空間だった。






 僕は時計を見る。

 授業時間はもうすぐ終わり。きっと次はお昼休みだ。

 何かをするには、いや、何をやるにしても、時間が無さ過ぎる。

 僕ははやる鼓動を抑えながら、すべての「後始末」――実際は、ほとんど優華さんがさっきやってしまったので、実質的には「優華さん自身の後始末」にとりかかった。



 

■ ■ ■





 がたん、ごとん。


 僕は帰りの電車の中に居た。

 

 さっきの状態の後、3人の女生徒と先生には「何も無かったこと」として、全員をそのままそれぞれの教室に返した。
 そして優華さんにも、音楽室で起こったことは、何も無かったこととした上で、お弁当だけ僕から受け取った、として、教室に帰ってもらった。
 


 幸い、優華さんの「催眠力」のすさまじさのせいで、優華さん以外には、がっちり催眠が効いているのが間違いないようだったので、そこは安心してよかった。
 優華さんへの催眠は、僕の力によるものだったが……まあ、今までの経験からすれば、たぶん大丈夫だろう。







 きっと、何も無かったことに、できたはずだ。









 それにしても……。

 僕は、さっきの音楽室での一連の「現象」に思いを馳せる。

 優華さんがやったことは、いったいなんだったのだろうか?

 もちろん、僕は、昨日の夜、優華さんに「催眠術の達人になる」という催眠をかけた。 そこまでは、いい。
 だけど、今日音楽室での優華さんがやってたことは、そんなレベルをはるかに凌駕していた。
 だって、ほとんど一瞬で、催眠をかけてたもの。



 僕は、この原因を考える。

 ひとつの可能性、それは、もともと優華さんが、この人たちに「催眠」をかけたことがあった可能性。
 催眠は、一度かかると、同じ人からの催眠にかかりやすくなる。
 そういう、一度「らぽーる」が築かれた人同士なら、一瞬で催眠にかかるのも、それほど不思議はない。

 だけど、見てのとおり、先生はまだしも、優華さんとあの3人組、少なくともミサキさんとハルナさんとの間にそんな「らぽーる」めいたものがあるとはとても思えなかった。 

 次の可能性。それは、「瞬間催眠」というもの。
 たとえば、動脈を圧迫するような形で生理的に認識能力を落として、その隙に「催眠」をかける、という方法は、あるらしい。あとは「驚愕法」といって、いきなり驚かして催眠に落とす、という方法も、全くなくはないらしい。
 これも僕はものの本でちらっと読んだことがあるくらいの聞きかじりの知識なのだけど。
 しかし、今回は、優華さんは、触らないで催眠をかけていた。それに、「驚愕」というほどのことをしていたとも思えない。

 いや、仮に、どんな催眠があったとしても、あんなに深い催眠を――少なくとも、いきなり初対面の男の子のアレを舐めさせて全く問題ないくらいの――かけるのは、いくらなんでもありえないだろう。


 うーん。
 僕はあれこれと考えて、なんとか、ありそうな仮説にたどりつく。
 やっぱり、優華さんは、催眠か、あるいは、たとえば、昔僕が優華さんにでっちあげてつかった「メンタルトレーニング」みたいな、何か精神のラポールを築けるようなことを、今日の4人には前にやったことがあるんだろう。
 それに加えて「催眠の達人」と思い込んだ優華さんの自信満々の演技によって、4人は、釣り込まれるように催眠がかかってしまった、とか。
 確かに僕のアレを舐めるまではやりすぎだけど、そこまで深くかかっていたのは、あくまでヒトミさんだけ。ヒトミさんはあの3人いじめ組の中でも、優華さんにそこまで強い反発を持っていなかったし、むしろ回りに流されやすいキャラクターだった。ひょっとしたら、苛めっ子グループに取り込まれる前に、優華さんと深い「らぽーる」が築けるような関係にあったのかもしれない。


 うん、そう考えると、なんとかあり得ない話でもない、かもしれない。





 実は、さっき、「後始末」中にひとつだけ悩んで迷ったことがある。
 それは、優華さんに残っていた「催眠の天才」という暗示。

 今消すべきかどうか悩んだけど、ひとまず消さないことにした。
 まず第一に、優華さんには、昨日ぼくとあれこれした記憶は残っている。
 でも、それは「催眠」で僕の記憶を消している、ということで、なんとか釣り合いが取れている状態だ。
 だから、ここで「僕に催眠を完全にかけることができている」という前提の設定、つまり、世界一の催眠術師、というのが抜けてしまうと、すべての暗示が破綻してしまう恐れがあったこと。

 そしてもうひとつ、優華さんが、さっきみたいな理由で、すでに他の同級生とかに「催眠」っぽいものをかけていた場合、整合性に齟齬が出てしまうかもしれなかったから。
 つまり、催眠にかけられた人がいるのに、催眠をかけた人がそのことを忘れてしまうと、かなりまずいことになる可能性があったからだ。


 ただ、さっきみたいな、レーザー攻撃みたいに、やたらめったら他の人に催眠をかけられてもこまるので、僕は、優華さんに「僕の許可なしに新しく催眠は使わないこと」という暗示をかけた。

 完全にこの暗示を消すかどうかは、昨日起きたこととの釣り合いがとれるかどうかを考えてから、そして優華さんがこれまで催眠にかけた人が他にいないことを確認してからにしようと、そのときは思ったんだ。







 ……一応、理屈めいた答えが見つかって、そしてその理屈に対応した対応はできていることが確認できたので、僕は少し安心して、そこで考えるのをやめた。
 もう今日はたくさんありすぎるくらいイベントがあって疲れてしまっていたし、また変な可能性を思い起こして、不安になるのも嫌だったから、あえて面倒な問題に蓋をしてしまってしまいたい、という気持ちもあった。






 そのまま、僕は、あったかい電車の椅子にまどろむように寝てしまい、結局、電車を4駅も乗り過ごす羽目になったのは、この話とは関係ない、ちょっと恥ずかしい内緒の話だ。


























































 だけど。


 もう少し、僕は、無い頭を絞って考えておくべきだったのかもしれない。

 もちろん、「催眠」がそんなにほいほいかけられるものではない、ということは僕も知識としては知っていた。
 だけど、僕は、なまじ催眠をかじってしまっていたせいもあって、そしてそれ以外の知識は普通の子供程度にしかなくて。




 だから。

 僕は、「優華さんは、すごい催眠術の達人だった」「ある程度、ラポールも構築できてたんじゃないか」という仮説に飛びついて、ほかの可能性を考えることなんてその時はできなかった。






 たとえば、僕がすごく読書家の子供で――昔の人たちがいろいろと書いた御伽噺や、昔話や、――――あるいは小説なんかをたくさん読んでいれば、少しは「真実」に、この段階で気づけただろうか?





 でも、仮に、他の可能性に、この段階で気づけたとしても、きっと僕にはそれを確証に持っていくだけの材料はなくて。

 そして、それを確証に持っていくだけの材料が手元にどっさり集まったときには、何もかもが遅すぎて。

 だから、今思えば、いつの段階で取り返しがつかなくなってたのかなんて、もうわからなくて。






 いずれにせよ、僕が真実に気がつくのは、
  もうほんの少しだけ、先の話になる。

 
 
< 続く >


 

 

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