長く歩き続け、どこまで行くかわからない幸助は時折不安にかられたが、そのつど不安を察したホルンが気遣うように顔を向けてくるので、一人ではないと不安をはらすことができていた。情けないところを見せたくはないという見栄もあった。不安は見抜かれていたので、あまり意味のない見栄だったが。
歩いていれば当然お腹がすく。そんなときはホルンが森の中の果物などを見つけ出し、ホルンが先に食べて見せることで大丈夫だと示した。獣に食べられないので森の中には食べ物が腐るほどある。
喉が渇き、みつけだした小川では水の透明度に幸助が驚くといった場面もあった。なぜ驚くのかホルンには分からない様子だった。
疲れると休憩し、困ったことがあればホルンが解決し進むというパターンで二人は先に進む。
そして歩き始めて七時間後、山を下りた二人は小さな村を発見した。
頼めば一晩くらいは泊めてくれるのではと、安堵の表情を浮かべそちらへ進もうとする幸助をホルンが止める。
どうしてと振り返った幸助は初めて、ホルンの困った顔を見た。不安そうな感情もみつけることができた。
ぐいぐいと村からそれるように歩くホルンに、幸助は素直についていく。なんとなくだが村に行きたくないのだとわかったのだ。
さらに二人は歩く。ずっと歩き通しだったおかげで、振り返り見える山は小さくなっていた。
やがて日が暮れた。
今日は月が夜空を照らしている。平野を歩いていれば多少歩きづらいだけですんだが、今歩いている場所は林の中だ。
暗い中を歩くのはホルンも不安があり、明かりの術で周囲を照らしている。小さな光の粒が二人の周囲を舞っている。
これを見たときの幸助の反応を思い出し、ホルンは小さく笑みを漏らした。はしゃぎようがすごかったのだ。珍しくもないこんな術で今日初めての表情を見せてくれた。今も粒をつつこうとしている幸助を見て、ホルンは肩から力が抜けていった。
少し歩き小さな泉をみつけたホルンはここを野宿地点と決めた。手にはここまでに拾った枯れ枝がある。それを地面に置くと、幸助も枝を置く。その様が親の真似をする子のようで、再び笑みを漏らした。
枝からとった枯葉に小さな火を飛ばし燃え広がったところで、枯れ枝を追加し焚き火とする。
実はホルンは野宿は初めてだった。なにをすればいいのかわからないが、火はあったほうがいいと判断し焚き火を作ったのだ。火があれば獣が近づきづらいということも知らない、夜がふけて冷え込んだときのために燃やしておいたほうがいいとも知らない。ただ安心するからという理由で焚き火を作ったのだった。
夕食は山からもってきていた果物だ。味は薄いが空腹は満たせるので、二人は分け合い食べる。
食事を終えるとすることがなくなった。言葉が通じれば会話を楽しむことができた。互いに聞きたいことはたくさんある。会話可能ならば、それこそ夜通し話していただろう。
だがそれはもしもの話しだ。現状は静かにならざるをえない。
ホルンは焚き火の音や鳥と虫のざわめきを聞くうちに、瞼が重くなっていった。もともと睡眠不足ということもあるが、ここまでくるのに魔法で疲労を回復して精神的にも体力的にも疲れていた。魔法でも使わないとホルンの体力ではここまで歩き続けることは不可能だったのだ。黙々と歩き続けるホルンを見て、幸助は体力あるなと勘違いしていた。
座ったまま寝入ってしまったホルンを見て、幸助はそのままでは寝づらそうだと思い、ホルンの頭を太ももに持ってくる。
「これで少しは寝やすくなるかな。
体力あるって思ってたけど無理していたんだなぁ。
ここまで頼った分がこれくらいで返せるとは思わないけど、少しは返せたはず」
起こさないように小声で呟いた。
幸助はゆっくりと寝転がる。頭上には木々の隙間から星が見えた。ここまで綺麗な夜空は生まれて初めて見たのだが、今の幸助にはそれを楽しむ余裕はない。
「それにしてもここどこなんだろ。可能性としては異世界なんてことも考えられるけどまさかね?
ここは地球で一般人には知られない世界があって、たまたまそういったことに巻き込まれただけ、であってほしい。
それはそれで嫌なんだけど、異世界なんてものに放り出されるよりましだし」
重い重い溜息が吐き出される。
「この人もなにかわけありなんだろうな。でないと村に行ってたはずだし。
村に行けない人が目指してる場所ってどこだ? やばげな場所な気がしてきた。
でも頼れる人がこの人しかいないんだよなぁ。悪い人じゃなさげだし、ついていくことには不満ないんだけど」
再度重い溜息が吐き出された。
「わからないのはまだある。
体力がおかしい。俺ってここまで体力ないはず。歩き続けることはできるだろうけど、疲れがないってどうよ?
ほんとどうなってんだか。誰でもいいから教えてくれんかなぁ」
答えが返ってくることを期待していない呟きに、当然の如く返答はなかった。
そのままぼんやりとしていた幸助はいつのまにか寝息を立て始めた。
火が消えて寒くなり、ホルンが目が覚めるまで二時間ばかり時間を必要とする。
隙だらけの二人は獣や魔物にとって格好の餌だ。しかしそれらが近寄ってくることはなかった。むしろ近寄らず息を潜めている。
火が怖いのではない。原因は持ってきた竜の鱗だ。竜の匂いを放つ存在に近寄る気はないのだ。匂いで危険がわからないのは人間くらいだが、荒くれ者や盗賊はここらにはいない。お土産がお守りとなり二人を守っていた。
山を出て四日目の昼過ぎ、ようやく二人はエリスの家にたどり着いた。
幸助は薄汚れてはいるがさほど疲れをみせていない。一方でホルンは疲労困憊一歩手前というところまできている。整備された道を歩かず、人目を避けるため林などを通ってきたためだ。
幸助は何度かジェスチャーで背負うことを提案したが、通じてないのか遠慮なのかホルンが頷くことはなかった。
ホルンが扉を軽く叩く。返事はない。そこで諦めずにホルンは何度も叩いた。いることを確信してるかのように。
やがて扉の向こうからいらだたしげな足音が聞こえてきた。
「しつこい! いったい誰じゃ!?」
勢いよく開けられた扉から二十後半ほどと思われる女がでてきた。艶やかな黒髪は整えられておらず、衣服もいい加減に選んだといった感じだ。整った容姿を持っているので、髪に櫛を通し、衣服に気を使うだけで見違えるだろう。
足音が聞こえていた時点でホルンは扉から離れておりぶつかることはなかった。
「十五日ぶりくらいねエリス」
にこやかに告げるホルンの顔をエリスはポカンとした顔で見ている。顔からスコーンと険しさが抜け落ちた。
「……ホルン? ど、どうしてここに?」
「くるところがここくらいしか思いつかなくて」
「逃げてきたのか?」
「助かっちゃった」
「た、助かった? とにかく無事でよかった!
よく見ると顔色悪いじゃないか、早く家に入りな!」
「ありがとう。エリスならそう言ってくれると思ってた。
コースケ」
二人の会話を不思議そうに見ていた幸助に振り返り、ついてくるように手招きする。
その仕草でようやくエリスは幸助の存在に気づいた。
「誰じゃ?」
「命の恩人」
ホルンのその一言で幸助がなしたことを知り、まじまじと見る。
観察するかのような視線に幸助は居心地悪そうな表情を浮かべた。
「あんたも中に入るといい。詳しい話は中で聞くとしよう」
「コースケは私たちの言葉わからないから」
「……そうなのかい? じゃあどうやってここまで」
「身振り手振りで」
「よくそれでここまで無事にたどり着いたものじゃ」
「悪い子じゃないしね」
「子って、まあ十四くらいだろうから、十九のお前さんから見れば子供の範疇か」
幸助は十七才なのだが、エリスたちからは幼く見えるだろう。
いつまでも玄関で話していても仕方ないと家に入る。
「散らかってますね」
ホルンの言うとおり、家の中は空き巣にあったかのように散らかっていた。物で溢れているのではなく、なぎ倒され床に散らかりっぱなしなのだ。
十五日前ホルンが訪れたときはある程度片付いていたので、エリスは整理整頓できないわけではない。これはホルンを助けることができず荒れて、そのままにしてあったのだ。
「……ちょっとね」
「あとで片付けましょうか」
「ボルドスが帰ってきたらやらせるからこのままでいいさ」
「しばらくお世話になるかもしれませんから、やりますよ」
「そうかい? できる範囲で頼むわ」
散らかっているものを避けて三人はリビングに入る。
出された茶菓子とお茶を飲み、ホルンと幸助はほっと息を吐く。刃物も鍋もなかったので温かいものを飲み食いしてなかったのだ。じんわりと温かさが体中に広がっていく。
「そろそろなにがあったか聞きたいのだが」
「その前に通訳の魔法を使ってあげてほしいの。たしか使えたはずよね?」
「ああ、そのほうがいいね」
エリスは椅子から立ち上がり、幸助のそばによる。
人差し指を幸助の額に当て、魔法を使う。
なにをされるのかと不安そうな表情になる幸助の手をとって、大丈夫だとホルンは笑みを浮かべた。
何度も助けられたホルンの笑みに幸助の不安は晴れる。じっとしていると熱が頭部を貫通した。
「これでいいはずじゃ。私たちの言葉がわかるかい?」
「……わかる……言葉がわかる!」
わかると連呼し跳ねて喜ぶ幸助をホルンは微笑ましそうに見ている。
そんな幸助をエリスはうるさいと頭をはたいて止めた。
「なにすんだ!?」
「埃が舞うだろう。お茶に入るかもしれんじゃろうが」
「ごめんなさい!」
眼光鋭いエリスの迫力に負け、即座に謝る。
「この程度の威圧で……本当に竜殺しなのか?」
「たしかに竜は死んでいて、そばにコースケがいましたよ。竜は怪我をしていて、コースケも致命傷を負ってたわ。
証拠は私が生きていて、いまだ国が無事なこと。それとこの鱗です」
持ってきた鱗をテーブルに置いた。
「……あのバケモノの鱗かい?」
「はい」
「触っても?」
「どうぞ。もともと差し上げるつもりでしたから」
エリスは鱗を一枚とり、間近で眺めていく。縦十センチ横六センチ厚さ三ミリの楕円形の黒鱗。
以前見た竜と同じ色で鱗の形も同じだと確認、軽く叩いて頑丈さを確かめる。指先に炎を出現させ、それであぶり反応を見る。
「たしかにあの忌々しいバケモノの鱗のようだの。
死んでないとこんなにたくさん手に入れられないか。
コースケといったか、竜を殺したときの話を聞かせておくれ」
「状況っていっても、俺もなにがなんだかさっぱりで。
そばにいた黒い奴って竜だったの?」
この言葉にホルンとエリスは顔を見合わせる。
この国に居座っていた竜は世界的にも有名だ。直接見たことのないものでも風聞で姿くらいは知っている。なにせ黒鱗の竜はいまのところ、あれただ一匹だった。それを知らないとはどういうことなのか。
「結論を急ぎすぎたのかもしれんの。順序をおっていこうか。
お前さんの名前はコースケでいいんじゃな?」
幸助は頷く。
「私の名前はエリシール。親しいものはエリスと呼ぶ。お前さんは、まあ好きに呼ぶといい」
「じゃあエリスさんで」
許そうとエリスは頷く。
「私はホルン。ホルン・コルベス・ストラーチ。
ようやく正式に自己紹介ができました」
「俺は渡瀬幸助。渡瀬が家名で、幸助が名前。
ここにくるまでいろいろとありがとう」
そう言って頭を下げる。
「助かったのはこちらなのだから、お礼なんていいわ。
それにしても家名が前ということはホネシング大陸の出身? あそこの大陸の国のいつくかは家名が前にくるようになっていたはず」
「……出身地は日本ってとこ」
大陸名を聞いて、もしかしなくとも異世界にきたのかと幸助は気持ちが沈む。
ホルンとエリスはその名前の国に聞き覚えはない。
「どんな国なのだ? 特徴を教えてもらえればわかるかもしれん」
幸助的には結論が出ているのだが、自分のように来た者が過去にいたかもしれないと思い、特徴を述べていく。
幸助の言葉を聞いても二人には、該当する国を思い浮かべることはできなかった。
「島国で、縦長で、四季があって、大陸そば、治安がよく、世界でも名の知れた国。
島国と聞いて思いつくのはベレレ諸島じゃが、名の知れた国は別名じゃしのう」
「ニホンというのはコースケたち自国民特有の呼び名でしょうか?」
「そうだとしてもほかの条件に見合う国はないんじゃ。
これはもしかすると」
エリスは脳内から一つの言葉をみつけだす。
これであっているのか確定づけるため、さらなる質問をする。
「セブシック、カルホード、エゼンビア、ホネシング、ベレレ。
これらに聞き覚えは?」
「ない」
「アレイル、プラーネ、テリストン。
これらに聞き覚えは?」
「ない」
ここでホルンが驚いた顔になる。
エリスが上げた三つは世界を支える神なのだ。子供でも寝物語で一度はそれらの話を聞かされる。知らないなんてことはありえない。
エリスはこの返答で確信した。
「コースケは流離い人じゃな」
聞き覚えのないホルンが首を傾げている。
そんなホルンと幸助に、エリスは以前読んだ書物を思い出しつつ説明する。
「流離い人とはこの世界の外から来た者を指す。過去に三度、そういった者が存在したといわれておる。彼らはこちらはない知識や技術を用いて、世界に栄華と混沌を与えたという。
言葉が通じなくて当然じゃ。使っていた言葉はここには存在せんからの。大陸や神の名を知らなくて当然じゃ。これらはこちらにしか存在せんからの」
「その過去にきた人たちって元いた世界に戻れた?」
恐る恐ると発した幸助の質問に、エリスは首を横に振る。
「皆、この世界にて生を終えたようじゃ」
「……帰る方法がない?」
「私は知らぬ」
「魔法とか存在するんだから、召喚の反対の魔法とかっ」
「私は魔法についてはひとかどのものと自負しておるが、心当たりはない」
「エリスは大陸中に名の知られた魔法使いなの。そのエリスが知らないというのだから魔法関連で帰還の方法はないのかもしれません」
「えっと……ほかになにか」
すがるような表情の幸助に二人は頭を下げた。
「すまぬ、帰還に関しては私たちでは力になれそうにない」
「すみません」
望みを絶たれた幸助はがくりとうなだれる。
実はエリスには一つだけ思いついた方法がないわけでもなかった。しかしそれは実現させる可能性が低く、無駄な徒労に終わりかねなかった。
思いついた方法とは神に聞くというものだ。地球とは違い、こちらには神が実在している。その神に会い、帰還できるか聞くというのがエリスの思いついた方法なのだが、どこにいけば会えるのかわからないし、会えたとして帰還方法を知っているとはかぎらない。
ここでその方法を言って期待を膨らませ、苦労の果てに面会を成し遂げ、知らないと答えられたときの心境を思うと、黙ったままのほうがいいと考えたのだ。
「慣れぬ野宿で疲れておるだろう、とりあえず休んではどうじゃ?
続きは起きてからとしよう」
これ以上は話を続けにくいと思ったエリスの提案に、それがいいとホルンも頷いた。
「コースケを客室に案内してくれ。その間に風呂を沸かしておく。
汚れを落としたいだろう?」
「助かります」
礼を言ってホルンは幸助を客室の一つに連れて行く。
ベッドに寝転がった幸助はこれからのことを考える間もなく、数日振りのベッドの寝心地のよさにストンと意識を沈めた。
風呂上りに様子を見にきたホルンが戸を静かに開けると、幸助はくーすーと寝息を立て熟睡していた。
ホルンはエリスに一声かけて、遊びに来たときに使う部屋に向かう。ホルンも連日の疲れで、ベッドに入って一分もたたずに寝息を立て始めた。
エリスは二人の眠りの邪魔にならないように静かに過ごす。ホルンが生きていることの喜びを噛み締めながら。
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