Self_Another story

禁じられた想い


 

 

「来週から、お兄ちゃんも一緒に暮らせるわよ」

 

朝も早い日曜日、朝食の用意をしていたお母さんが、お茶碗にご飯をよそる手を休めて、そんなことを言った。

「お兄ちゃん..?」

あまりに唐突に告げられるため、あまりピンとこない。

私は、お母さんからお茶碗を受け取る体勢のまま、しばらく固まってしまった。

 

...お兄ちゃんと一緒に暮らす....。

それってつまり...。

「じゃあ、お兄ちゃん退院するんだね!?」

ようやく思い至った答えに半ば興奮して、お母さんに聞き返す。

 

 

この前お兄ちゃんは、大きな手術をした。

その手術が成功したんだ。

よかったぁ...。

 

お母さんはその言葉を肯定するように、微笑みながらご飯の盛りつけを再開した。

 

「そっかぁ、お兄ちゃん元気になったのね」

手渡されたご飯に目を落としながら、私は無意識に呟いた。

 

 

 

小さい頃から胸に大きな病気を持ってるため、大きな病院に入院していたお兄ちゃん。

兄妹なのに会えるのは、日曜日のお見舞いの時だけだった。

しかも最近は、お医者さんに会うことさえも禁止されたこともあった。

 

あまり会うことができなかったから、お兄ちゃんという意識があまりない。

私はお兄ちゃんのことを、『お兄ちゃん』として見たことは殆どない。

だから、私の初恋はお兄ちゃんなのだ。

お兄ちゃんも同じなのか、私のことを『広子ちゃん』って呼んでくれる。

そのことが、ますます私の心に『お兄ちゃん』と言う概念を薄れさせていった。

 

そして今も、その恋は続いてる。

 

 

−−−一週間後−−−

 

「じゃあ、いってきま〜す!」

買い物のためにお留守番するお母さんに手を振って、私とお父さんは病院へと向かった。

今週も日曜日も晴れていて、太陽の光がとっても気持ちよかった。

 

お父さんの車に乗って、病院に向かう。

その道のり、私は笑顔が絶えなかった。

お父さんに冷やかされても、私は上機嫌のままでいた。

 

大きな病院だけあって、駐車場も広い。

建物から離れたところしか空いてなくて、仕方なくそこへ停める。

車を降りてから私とお父さんは、病院の中へと続く道を歩いた。

 

 

コンコン

 

お父さんがお兄ちゃんの病室のドアをノックする。

「はぁ〜い」

すぐにお兄ちゃんの声がドア越しに聞こえる。

 

なんか今日のお兄ちゃん、とっても機嫌が良さそうだな。

とっても明るい声でお返事してたから。

やっぱり退院することが嬉しいのかな?

お兄ちゃんの機嫌がいいと、私まで気分が良くなってくるから不思議だ。

 

「入るぞ」

短くそう言って、ドアを開けて入っていくお父さん。

私もその後ろに続く。

病室は、白一色で彩られ、清潔感にあふれていた。

壁にシミとかはなく、殺風景だけど何だか好感の持てる部屋。

取り分け、お兄ちゃんの部屋は今日退院するからか、ベッドのシーツまでがしわの一つもなく、窓から入ってくる光に照らされていた。

 

「あっ、お父さん。それに広子ちゃんも」

綺麗に片づけられた部屋で、お兄ちゃんが椅子に座っていた。

私達の姿を見た途端、椅子から立ち上がってこっちにやってくる。

 

「あ..こんにちわ」

私もお兄ちゃんの方へ駆け寄ろうとしたとき、死角の方から不意に声が聞こえてきた。

お父さんの影になって見えなかったが、もう一人お兄ちゃん以外のお客さんがいたようだった。

 

鈴を転がしたような可愛い声。

この声に、私は聞き覚えがあった。

 

「小鳥さん...?」

「あ、こんにちわ、広子ちゃん」

彼女の方も私が死角に入っていたのか、初めて気づいたように挨拶をしてくれる。

私も彼女に挨拶を返す。

お兄ちゃんの退院祝いか何かだろう。

彼女は、お兄ちゃんと向かい合わせに置いてある椅子に腰掛けながら、こちらを見ていた。

 

私は、今までの上機嫌がどこかへ飛んでいってしまうのを感じていた。

小鳥さんとは、何度か面識がある。

お兄ちゃんのお見舞いにくると、大抵そこには小鳥さんの姿があったから。

 

 

でも、私はそのことに好感を持ったことはなかった。

小鳥さんの瞳が気になってしょうがないからだ。

小鳥さんの瞳は、まるで私のように輝いている。

私がお兄ちゃんと一緒にいるときにするような。

 

恋する女の子の目をしているから...。

 

私は小鳥さんに、嫉妬を覚えるようなったのだ。

 

 

そんな私の思いに気づくことなく、お兄ちゃんは私に椅子を勧めてくれる。

お兄ちゃんと小鳥さんと私で、ベッドの前で、ちょうど三角形を作るように私たちは座った。

 

お父さんは、お兄ちゃんの退院手続きをしに、どこかへ行ってしまった。

今この病室にいるのは、私達三人だけになった。

 

 

 

私は小鳥さんが気になって、そこでの会話は覚えていなかった。

小鳥さんの瞳を眺めながら、今もその輝きがお兄ちゃんを求めていることに気づいたから。

 

ただ、楽しそうに話す小鳥さんと、それに相づちを打つ私がいた事は薄く覚えていた。

お兄ちゃんの笑顔も何となく覚えている。

だけどその笑顔は、会話に参加している私にではなく、相づちを打ってくれる小鳥さんに対してだった。

 

 

「誠、荷物を車に積んだら家に帰るぞ」

楽しい談話の中、お父さんの声が不意に私達を現実に引き戻す。

ノックもなしにお父さんが病室に入ってきた。

 

「もう..お別れだね」

小鳥さんが少し悲しそうに、お兄ちゃんに言う。

「うん、でもお見舞いとかにくるから」

お兄ちゃんも別れるのが悲しいのか、少し声が沈んでいる。

「はは、今までお見舞いされたことしかなかったから、一度してみたかったんだ」

暗い場を濁すように、おどけてみせるお兄ちゃん。

小鳥さんもその意志を汲んだのか、くすくすと笑っている。

「果物とかいっぱい持ってきてよ」

「う..お小遣いが許す範囲なら...」

今度は、本当に苦笑いを浮かべてる。

小鳥さんの方は意地悪そうな笑いが浮かんでる。

 

 

本当に仲がいいんだなって、ちょっと嫉妬した。

だけど、今日は特別な日だからその中に割って入ろうとはしなかった。

いよいよ退院するんだなって思ったら、また私の機嫌は直ってきてしまった。

ほんと、現金な子だな私って。

 

「広子ちゃん」

「は、はい..?」

いきなり、小鳥さんが私を呼んだので、言葉に詰まってしまった。

小鳥さんは意地悪そう笑顔のまま、お兄ちゃんを指さしていた。

「これからは、誠君の事お願いね。誠君って結構ずぼらな性格してるから」

「はい」

少しはにかんで返事をする。

これからは、起きるときも寝るときもお兄ちゃんと同じ家の中で過ごせるんだ。

ご飯だって一緒に食べられる。

「まかせてください」

胸を張って自信ありげに返事をする。

そんな様子がおかしかったのか、小鳥さんはニコニコと笑っていた。

隣でお兄ちゃんが「チェッ」って舌打ちするのが見えて、私も笑顔になる。

 

「じゃあね、誠君」

「じゃあ。...今度の日曜日に来るから」

「うん、待ってる」

 

お父さんが最後の荷物を担いで、部屋を出る。

私とお兄ちゃんも、その後に続くように部屋を出る。

 

 

 

部屋を出てからすぐに、背中から小鳥さんの声が聞こえてきた。

「誠君っ!言い忘れてたけど、退院おめでとっ!」

病院の廊下で、大声で叫ぶ小鳥さん。

廊下全体に響きわたる大きな声なので、廊下を歩く人みんなが小鳥さんの方を向く。

お兄ちゃんも、その声に負けないくらい大きな声を出す。

「小鳥ちゃんも、元気でねっ!!」

 

遠くから、怒った顔の婦長さんらしき看護婦さんが出てきたので、慌てて小鳥ちゃんは私達とは逆の方向へと走り去ってしまった。

 

 

駐車場に着いてから、お父さんは申し訳なさそうに私たちに謝った。

車の中はお兄ちゃんの荷物でいっぱいで、私達が座る場所はなかったのだ。

だから、私とお兄ちゃんは、バスに乗って帰ることになった。

 

お兄ちゃんと久しぶりの二人きりになれる。

私は願ったり叶ったりだった。

お兄ちゃんの方も、私と一緒に帰りたいって言ってくれた。

 

お父さんは一足先に車で病院をでて、家へと向かった。

私たちも病院前のバス停で、肩を並べながらバスを待った。

 

 

「そう言えばお母さんは?」

バスを待つ最中、唐突にお兄ちゃんがそんなことを訊いてきた。

「お母さんは、お買い物するから今日は来ないって」

「ふぅん」

なんか不自然な会話だなって感じながらも、私はいつも通りに答えた。

お兄ちゃんは別の気にする風でもなく、その会話を切り上げた。

顔を見上げると、何か話題を探しているのか、難しい顔でうなってるお兄ちゃんの顔が目に入った。

 

ひょっとしてお兄ちゃん、私と一緒に帰るのが照れくさいのかな?

だから一生懸命私に話しかけようとしてくれてるのかな?

そう思うと、私は例えようのない喜びを感じた。

 

 

 

バスから降りて、家までの道のりをゆっくりと歩く。

空は飴色の夕焼けが広がっていた。

もうすぐお夕飯の時間になる。

家まではまだ少し距離がある道のりに、私たちの長い影が伸びていた。

 

 

「誠お兄ちゃん...」

「ん...?」

会話がとぎれたところで、隣を歩くお兄ちゃんに声をかける。

「あのね...」

私は躊躇しながら、手をモジモジさせる。

恥ずかしくてその先の言葉がつなげない。

顔を真っ赤にして手を動かし、それなのに黙ってお兄ちゃんお顔を見つめる私を想像してしまい、何となくバカバカしくなってしまった。

「...やっぱり...」

 

「いいや」と言おうとして、手を引っ込めたとき、不意に暖かい感触が私の手のひらに広がった。

 

「こうしたかったんでしょ?」

こちらを振り返り、ニッコリと微笑んでくれるお兄ちゃん。

「うん、ありがとうお兄ちゃん」

私もお兄ちゃんの手をぎゅっと握りしめる。

お兄ちゃんの暖かい体温が、手のひらを通して私の中に染みわたっていった。

 

照れくさそうに私から視線を外すお兄ちゃんの横顔を見つめながら、私達は家路についた。

 

 

 

「さ、もうすぐ家に着くよ」

「うん!今日はお兄ちゃんのために、お母さんがごちそうを作ってくれるって」

「ほんとか?..そっかぁ、そう言えば母さんの料理なんて久しぶりだなぁ」

今から夕食のことを考えているのか、ニコニコしながら歩くお兄ちゃん。

 

 

今日は色んな事があった一日だけど、このお兄ちゃんの笑顔一つでどうにでもなっちゃう。

そんな不思議な魅力にあふれたお兄ちゃんの笑顔を見ていると、私も自然と顔が綻んでくる。

 

 

繋いだ手が解けてしまわないようにしっかりと繋ぎ、私達はお兄ちゃんの退院を祝うために待つ

両親の元へと歩いていった。

 

 

 

 

FIN