2008年7月
起きてちょっと仕事。ウツラウツラ。ちょっと仕事。ウツラウツラ。11時半の船で高松へ渡り、後藤さん情報に従い、県庁そばのうどん屋で園子さん念願のさぬきセルフ。行列にならんでいる途中におばあちゃんが天ぷらの注文とりにきて三人とも玉子の天ぷらを注文する。ふた玉をはじめぶっかけ、途中から天かすとネギとだし入れて熱くして食べていたらちょうどよく天ぷらが来て、園子さんはウメーウメー、アタイはじめて本気のはぬひうろん食べてるよー、と涙とうどんにむせぶ。そして香川県庁。ピロティの意味を知れ。猪熊弦一郎の壁画に唖然。下駄箱からテーブルから、どれもオーと立ち止まる出来映えで、昭和三十三年にオープンとは思えないほどの丹下健三の代表作。観光局のかたが案内してくださった。屋上の、昔は開放されていたテラスにもいった。これほどかっこよく美しい建物が五十年前造られた当時のままに見えるのは、当時の知事の呼びかけで「清和会」という戦争未亡人の就労組織ができた。それは庁舎の掃除を徹底的に行う組織で、「掃く、拭く、磨く」がスローガンで、五十年間まったく休みなしに働きつづけた。そういうことだからこの建物は生きつづけているとおもった。この三月に清和会は庁舎の五十年間の掃除から離れたらしいけれど、それ以降芝生や窓ガラスがくすんできたというのももちろんそういうことなのだ。タクシーで庁舎から高松駅にいくとき、運転手さんが「いまから帰られるのー、どちらへ」といって後藤さんは「大阪です」園子さんは「東京」といって、すると運転手さんはホホーという顔になって助手席の後藤さんに「あなたは写真が仕事なのー」「は、いえ、たまに撮りますけど」と後藤さん。「私の娘が東京におってねー、正確には、結婚して千葉のほうに住んで、亭主はねー、東京の事務所に通っとるん」「はー」と園子さん。「写真関係の事務所ですか」「まー、そう。外国ばーっかりいきよるけどねー」「へー、どういう写真ですか」「グラビアゆうんかなー、忙しいみたいじゃねー」「エー」と園子さん。「ひょっとして有名なカメラマンのかたなんれすか」「いやー、どうじゃろなー。まー、その、お父さんのほうは有名みたいじゃけどね」「エー、二代でカメラマンなんだ。なんていう人ですか」「えーっと・・カノーテンメーいう人」。三人ガクリ。後藤さんは高松駅からもと国鉄で海を渡り大阪へ。われわれは東京の羽田空港へエンジンのついた鉄の棒で。ヨーヨー尾久について出前のおいしいうなぎ食べながらウツラウツラ。焼酎飲んでにう。
2008年7月30日(水)モーローでロビー集合。朝食は商店のパン、牛乳、ブロロロと快速線。ぐったり眠り。犬島はえーとこか。えらい暑いところや全国的に。犬島案内人の在本さんお出迎え。精錬所跡のトンネルへはいる。スゲーナー鏡、太陽。そして三島。それにしても炎熱がすごく、寝不足だからそうおもうのか、いろんなものが空間に飛びだしてくるのがみえる。あ、エイが。お寿司食べて小高い神社のぼり島全体を見渡す。立派な家の並ぶこの集落に人口六十人とは驚いた。在本商店はかっこいい建物で自然にそうなっていったという感じがあった。集落を一周し、快速船に飛び乗る。帰りは在本さんの本読みながらウツラウツラし、直島に上陸したらすぐ宮浦の大竹さんの銭湯の場所を地図を頼りにみにいくとすぐわかった。そこは駐車場で、その隣がまたイイ家だった。バスでいったんホテルに戻り、それぞれ仕事、それぞれの猫、そして四時半ごろバスで地中美術館にのぼっていく。券を買ってから建物へのぼっていく坂道の舗道の、花が増えていたけれどそれは季節のせいだけだったろうか。雲が流れときに日がかげる。日がかげったデ・マリアはおもしろく、オレンジの色もおもしろく、そしてモネは水面だった。モネのところでずっと過ごし、それからゴロゴロ石の上で寝ころんでソーカイ。この石の上に寝たり歩いたり逆立ちしたりしていいことはあまり誰も知らない。もういちどデマリアにもどるとまた日がかげりそしてどんどん存在が薄くなっていく。かわりになにか別のみえないものがその場に捻出されていく。モネは真っ暗。冬場はまたすごいですよ、なにもみえないなかに睡蓮が浮かびあがります、と働いている女性。冬にまた来てください、ありがとうございました、と彼女が頭をさげ、閉館時間になった。食事は8時か9時からなので7時半ごろ、ミュージアムからオーバルへのケーブルカーに久々に乗り、あいかわらず世界乗り物マニアみよという乗り物でごとごと登っていき、バーで三人で直島ぽい飲酒をする。後藤さんはつばきというカクテル、園子さん果物カクテル、アタイは大力飲んでたらサー、食堂から電話アッテー、いまもう席空いたからオイデオイデって。ケーブルカーのところで呼びとめられ、ベネッセの女性社員の方の本に名前と絵を描く。物件について情報をいただくが、ソーカー、がんばってみっかー。食堂は白い空気で、自動的なコースの和食、が、トッテモうまい。日本酒のみながら、後藤さんと大阪の話、本の話。園子さんは糸の話などし、話して酒飲んで暑かったせいか部屋で倒れて轟沈。この三日間ろくすっぽ猫働きしてなかったから。
2008年7月29日(火)眠れなかったのは奥歯が痛いせいれす。ギリギリまでホテルで休み、10時過ぎのフェリー。園子さんは今回も朝のセルフうどんをあきらめる羽目になった。起きてるときは痛くないので寝てる間にギリギリ噛みしめるんやないやろか、とおもう。直島へ着いて、とりあえずは墓参りや、ということで花を買いにいこうとおじさんを呼びとめ「本村に花屋ありますか」「ないよ」と、やはり埠頭の左手の花屋しか直島にはないらしい。するとおじさんは村内バスでもないライトバンで、花屋まで送ってくれ、さらに本村の墓地までも送りとどけてくれた。こういうのがとても直島の人の感じ。花屋で買ったろうそくとマッチしけっていた。久しぶりに手を合わせて本村の喫茶店にいき食事。もちろん歯にゆるいもの。園子さんは炊き込みご飯。プレスパス受けとり、南寺へいき、大竹さんの歯医者に入りながら歯のことを祈る。役場にいって空き屋情報さがすと、ここでも有り難い直島の人。役場に届出のある空き屋は二軒ということで、「ちょうどついでがあるから行きましょうか」と、直島町の自動車で案内してくれることになった。一軒目は館。屋根にシーサーついてる。二軒目はポニョ。えらい崖の上に建ってる。やっぱなーポニョは難しいなー。そして石橋邸のそばでイーのみつけたがどうだろう。漁港の辺りを空き屋さがして歩く。五時にホテルへいきチェックインし、園子さんニューヨーク、そしてビールプハー。日記など整理したり木村さんと電話したりしているうち西の旅の後藤さんが無事到着。晩ごはんは八時より、テラスレストランで。えびせんというにはえび姿そのままのがざえび、アスパラとチーズ、ポニョポニョのマナガツオ、タナゴ塩焼きなど皆で取り合う。ビールにスペインワインがはいってよく寝れるかとおもいきやムームーと枕を抱える羽目になり真夜中に小さなウイスキーを二本のむ。
2008年7月28日(月)朝起きて雷。雨は降っていないケードー。創作し、昼のしなのに乗ろうとするとその時点でもう長野のほうで雷雨で遅れている。しなのの途中で卍よむ。パッションあんねんやんか。途中激しい雨。名古屋乗り換えて岡山についたらさらに激しい雷雨。マリンライナーで瀬戸大橋を渡るころ空は明るくなっているが、高松に近づくにつれまた灰色になる。追いかけてくる雷雲。高松駅前のロシアみたいなホテルにはいり、窓あけたらそこは隣の壁だった。駅前の宮脇書店で料理屋を探し、電話番号を暗記して外へ駆けだし園子さんの携帯電話でピポパとかけた。タクシーでいくとそこはたぶん住居表示的に石橋のおじさんの家の近所でふつうの家のガレージの前に洋風の光る目印が掲げてある。靴脱いであがると清潔なカウンターの割烹で、晩ごはんは、かつお、あこうだい、鰆の刺身、ホワグラの醤油ステーキ、土瓶蒸し、鱧のナルト揚げ、タナゴの塩焼き、冷や汁とフグの吸い物。イヤー、心の準備なくえらいもん食べましたねー、と園子さん。うまかった。犬おった。エー! プードルにもパッションあんねんやんか。石橋のおじさんら絶対きてはるわ、いいながら園子さんとホテル帰る。そして夜は不眠。
2008年7月27日(日)目が覚めたら雷雲のなかにいた、というのはいい書き出しだ。でも本当のことだ。ロロロロ、と引きずるような響きのなか園子さんは安曇野方面へ。アタイは創作つづけ。毛が時々逆立つような感じになる。と、午後から豪雨。そして山を鞭打つような雷。落ちるたびに地面ごと大気が震え、神鳴りといったのがよくわかる音のなか、動物園のクマのように家のなかをウロウロと無目的に歩きまわる。夕方園子さん髪の毛モジャモジャで顔真っ黒で煙をあげながら帰ってくる。下の町なかはもう洪水れすよ! 誰もへそを取られたものはいなかった。晩ごはんは、ビーフシチュー、チーズ、アボカドグリーンサラダ、蒸しとうもろこし、切り干し大根の梅肉和え、ワイン。自転車レースは最終日のパレードとゴールスプリント。今年はじっくりと見たせいか例年よりおもしろかった気がする。もう夏も終わりラ。毎朝どんどん暑くなるケードー。
2008年7月26日(土)重苦しい暑さ。でも創作スタート。今度は「港」ということになる。一度も外へ出ずあーだこーだ書く。外では雷と花火が交互に鳴ってる。山の雷はコワイよネー、内股になっちゃうホードーに。ここしばらく雷がちな天気がつづいていて走ろうかなとおもってるとドガシャーンと落ちたり超雷雨になったりしてなかんか走りだせない。それで創作がすすむかといえばそれはそうでもなく、なにしてるはんやろーねー、旦さん、とまぼろしの京女が耳もとでささやく。晩ごはんは、とうもろこし、豚肉と茄子の味噌炒め、モロヘイヤおしたし、タコトマトマリネ、にんじんと春雨のサラダ、納豆と古漬けとオクラの和え物。自転車レースは苦労人の勝利。尾久の地面でトマトや茄子を作る義父をおもいだした。
2008年7月25日(金)スゲー暑いラ。うなぎゲラ。というのは四年前に出てまだ売られている「ポーの話」という小説があり、それが新潮文庫で出る、そのゲラ。うなぎらしく長いので終日。頭が巻かれているラ。それは土用の丑の日だから。晩ごはんは、いかの一夜干し、たこぶつ、春菊のごま和え、アスパラ牛肉炒め、笹身とほうれんそうの和え物。おフランスの自転車レースは何度も飛びだしてはマタカといわれていたシャヴァネルの勝利ざんす。泣いている。あの黒人のあんちゃんは誰。娑婆で寝た男か。
2008年7月24日(木)朝から美ヶ原。というのもほしさんが来たときあまりに美ヶ原がイー、イーといっていて山とそばにもそう書かれてあったのでいつか一度いってみようとおもった。愛知県のガソリン車のなかでかかっていたのは「三バカ大将」という外国のアニメのテーマソング集、大分の日田の言葉でうたうブルース、ドゥルッティ・コラム、西アフリカの1960年代のファンク、オーティス・クレイなど。きのうラルプデュエズの頂上ゴールなのに誰も影響されて登っていない、登りましょう、といって園子さんはアクセルを踏み込んだブロロロ。冗談でなくツール・ド・美ヶ原という競技がビーナスラインじゃないほうの道を使って毎年開かれていて、山頂近くの斜度は20パーセントに達するというから本場なみだ。そこをブロロロロ、で急にマキバのようなところに来た、とおもったらマキバだった。ここですよ、と園子さんはいってバタンとドアを閉めた。牛、牛、牛、むこうに鹿、鹿、鹿。石の段々を上って頂上っぽいところへいくと風が強い。温度差がかなりあり、長袖のTシャツを着ようとしたらどこへ落としたのか見あたらず園子さんはまたですか、といって怒らず悪いなあとおもった。牛の反芻でオゾン層に穴があく。ゲップ、ゲップ、ゲップ。あ、塔だ、鐘を鳴らそう、と若者や老年のカップルが駆けよってハーと肩を落とすのは鐘の紐が高いところでちぎれているから。美ヶ原高原の塔の鐘を管理している担当の人は毎日でも紐がついているかどうか見に行って確かめ、ちぎれていたらその場で鐘につけるべきだ。ナー、そーだろう、ミンナ! シーン。牛の塩やり場で塩をやりたいとおもった。食堂でこんな高原なのに園子さんと尾道ラーメンをたべた。グッズ売り場で叫び、メモ帳を三冊買ったのは、まぼろしの山猫に魅入られたから。家にいったん帰って荷物おいて、シタラ台所で園子さんが、イーカゲンニシテクラサイ、というのでのぞいたら長袖のTシャツがそこにあった。もってってもなかったのカ。夕方、赤い半漁人の映画見に行く。イヤー、K印に爆笑。「フジモト」、半漁人。すごいネー宮崎駿夫。鞆の浦の縁で、連夜の猫祭。あじ・めといか・たこ・ポニョの刺身、カニとポニョのきゅうりサラダ、モロヘイヤおしたし、トマトサラダ、むつとポニョの塩焼きは矢野さんの奥さんがいったとおりの味。ポニョは抜いても可。
2008年7月23日(水)朝からうなぎゲラ。というのは十年前に出て絶版になった「うなぎのダンス」という本があり、それが一部変更して河出文庫でこの秋出るのですが、それのゲラ。十年ぶりくらいに読みかえしたけどイヤーめちゃくちゃやってるわ。帯が「近所のそば屋(吾妻橋「やぶそば」)の奥さんも大絶賛!」とあるやぶそばに行きたい。子どものころ大阪や京都ではうちはそばはほとんど食べなかった。あれは仕出しだった。二回読み、写真が減っているのに気づく。そりゃ全部いれたほうがおもろいでしょう、で、全部いれることになった。まるいちからまるいちボックス届く。あけてみるともう家じゅうは猫になって毛が逆立つ。三崎でも猫祭り。松本でも猫祭り。また農協まで走り、川となって流れ、そのまま風呂に張られる水に。アー西の山が金。晩ごはんは、むつ・あじ・めといか・たこの刺身、しじみ味噌スープ、肉じゃが、カブの葉のおしたし、蒸しとうもろこし、京とうがらしのおかか和え。自転車レースはそうかこの人らはCSCだった、という展開。それだけのチームだったのだ。去年も一昨年も無念だったサストレ選手が黄色い服を着て、ロバの兄弟はまだ先があるじゃないか、とおもったら弟が知らんまに新人賞ジャージを着ているジャーないか。
2008年7月22日(火)朝から部屋整理。四国本のために集めた資料やパンフレットやチラシやガイドやマッチやそういうのが山積みでしかも段ボール箱や紙袋も散乱しここ数ヶ月この部屋だけ家のなかの他の場所とちがう空気になっていた。畳がみるみる現れる。スッカー、畳ってへりあったんだ! 園子さんも最近掃除モードで家のなかを整理しはじめているのは飛びたつ前の鳥の心境か。大阪に電話し八月のこと、足のことなど。夕方上の農協まで走る。非常に暑く途中で蒸発してしまい雲になって家の上から雨になって帰る。晩ごはんは、東京で買ったギョウザ、ささみとカブの葉の和え物、青豆冷や奴。自転車レースはアルプスの二日目。シュレックという映画にはロバが出ていたなー。レースにはシュレック兄弟が出ているなー。兄が黄色い服。ガードレールを越えて落下して、ア!という選手がいた。怖かった。ゴール前は複雑なカーブでア!というゴールだった。男前の兄フランクは一位のままだったけれどこのままではという結果だけど明るい。弟の顔はもっと明るい。
2008年7月21日(月)イヤー暑いね、バヤいね、といいながら事務所撤収を十時まで手伝う。赤い電車で品川、回転しつづける電車で新宿、西口の通路を何年ぶりかで通り、ノックアウトなプラザホテルの中華料理屋にはいっていったら文春の岡さんが優雅に手を振った。アタイはジャージ。「藍」が完成し四国本がとりあえず一周したのでそのお祝いというかお食事。シャンパンと紹興酒。エライ豪華なコース料理より「藍」を岡さんがトコトン気に入ってくださったことに感激した。三時に解散し、園子さんと元呉服屋の百貨店の地下食料品売り場へいき、夜食べるものを買おうとしたけれど腹がいっぱいでイマジンできないのだった。午後五時のあずさで松本へ。明暗よむ。アーすごい。家に帰ってもそこはヨッパ谷でなくまぼろしの猫が待ち受ける延々とつづく座敷だった。ミギャー。自転車レースはちょうど休みだったがせっかく買ってきたしのチーズ、海老のサラダ、マリちゃんのパンを食べ、赤いワインを飲んだ。藍ちゃんとチンと乾杯。
2008年7月20日(日)モーロー状態で起き、庭のトマト、茄子など食べ、瑞々しさに驚く。山手線で品川までいき京急で三崎。お祭。ほぼふた月ぶりしかも梅雨の間しめきっていた家のなかはソーダローナという感じの空気になっていた。ソーダローナ。マスクをする間もなく園子さん掃除機。アタイは雑巾をしぼって板の間など拭き掃除。進めばかならず蜘蛛の糸にからむ。家のなかがヨッパ谷になっている。今日は文化の日だったかな。汗だくのうちに一段落、商店街をいくと若者事務所ができていたので挨拶し、お囃子と露店のなかまるいちへいくと丁度スグルくんが店に戻ってきてオーと抱き合う。獅子番の若者頭。家にあがっていくとのぶさん、美智世さん、娘たち、孫たちが休日らしくしていた。バンユウに蹴られた。ペンで腕に象や模様を描いたり、足の裏に顔を描いて指を曲げ「コンニチワ、コンニチワ」といったら襲いかかってきた。昼抜きなので早めに大場さんところへおりて、明るいうちから晩ごはんにした。祭の日の猫祭り! サワラ刺身、マグロ刺身、アジ南蛮漬け、エボダイ塩焼き、かつおのタマネギのせ、日本で最も多くの蛸を茹でて研究してきた男である大場さんの茹でたての蛸は二杯食べた。矢野さんのお客さんも合流し祭みにいく。こうしてはたから見物するというのは越して七年になるけど二回目でやはりすごい祭だなとあらためて思った。アフリカや南米のそういうのに匹敵するかそれ以上だ。園子さんは今年はどこも怪我しなかった。夜の海南神社に謝意をこめて手を合わせ家に帰った。
2008年7月19日(土)朝あまりに未整理の日記がたまっているのでユッコにまかせる。アタシ整理すんのヘタなんだよネー。あ、バラバラ・・・。昼のあずさ号でパン食べながら新宿、飯田橋、東西線で竹橋。しっかしトーキョーの暑さは海老真丈じゃないねー。竹橋駅から近代美術館へいくまでのあいだに四人、道にトケテタ。青木淳さんに送っていただいた図録のもともとの展覧会「建築が生まれるとき ピーター・メルクリと青木淳」。青木さんの建築を考えるそのプロセスが模型の形で膨らんだり縮んだり、分かれたり集まったり、進んだり退いたり、穴が開いたりふさがったりしていくのが、自分のからだごとそのなかにはいったかのようにわかる。青木さんの書く文章を読んでいるときと同じ感覚。そしてピーター・メルクリという人は不勉強で名前も知らなかったけれど何百枚と螺旋状の模様や四角三角形の連なりからなる摩訶不思議なスケッチが飾られてあり、それがとても愉快で、べてるっぽくもあり、ウーン、どんな建築だろうと帰りしなふと横をみるとモニターにメルクリの設計したビルや家の写真がつぎつぎと映し出され、ああこの人の目には世の中はさっきの絵のように見えているのだと気づき、そしてそう気づいてよくよく考えてそのことの大きさ広さに愕然とした。小さな展示室でやっているけれど無限の広さをもった、三面鏡を閉じたときみたいな感じの展覧会だとおもった。東西線、三田線と乗りついで白金台。星飛雄馬の恋人の名前の服屋さんに園子さんといくとデザイナーの皆川さんがいらっしゃったので挨拶をした。以前書評をしてくださった御礼、常念坊合宿での縁、さらに直島つながり。青木メルクリ展のすばらしさを話すと休みのうちに是非いくと仰っていた。三人のお嬢さんのすばらしい名前を書いていただいた。園子さんガラスのボタンを見て目がガラスに。六時前南北線で麻布十番へいき、駅のそばの外国人が来ていそうなスーパーで泡の出るワインを三本買う。タケニナガワギャラリーで大竹さんの個展のパート2のオープニング。湯浅さん、小関さん、矢野さん、池田さん、住吉さんと戌井さん、孝典など来ている。大竹さんにワイン渡し、展示を見る。画廊内が泡が出ているワインの表面のようにぷつぷつと空気が弾けている感じは初日ということもあるが、なにより大竹さんの作品と大竹さんがここにいるということだ。額にはいっているものはすべて白い額。とても新しい感じがし、大竹さんにそういうと、「こないだ弟さんとサ来てくれたじゃない、あれから全部描いた」とのことで一瞬立ちくらみがしてからだが裏返った。8時に集団で麻布十番の居酒屋へ移動。孝典に徳島と宇和島の旅の写真をみせてもらう。ギャラリーの蜷川さんと大阪や外国の話などする。十一時半頃、タクシーに分乗し新宿の地下の居酒屋へいくと同乗の女性が湯浅さんと前から電話だけで話していた仕事関係の人だった。あまり人が来ないので道が混んでいるのかとおもったら半分くらい先にロックバーbmxへいっているとのことで、小関さんの悲しい修学旅行の話をうかがっていると都築さんがやってきた。健康のはずの身体にいったいどうしてという話。こまどり姉妹のこと。浅川マキ絶対いかなきゃ駄目。歩いてロックバーへ移動。池田さんがカウンターにはいってケンちゃんの手伝いをしていた。安保さんになんかミュージシャンみたいになったとクリクリ天然パーマを笑われる。70年代歌謡曲ドーナツ盤祭。午前三時頃うつらうつらしている湯浅さんと屋根に灯りのついた自動車で家に東京ト東方面へ帰る。今日会った偉大な人たちの顔をひとりずつ思い浮かべて指を折るうちモンタージュになっている。
2008年7月18日(金)朝スルスル書いてて気づいたら藍完成。これで四国をめぐる創作が一周した。小四国というのは素晴らしいイメージだと四国という存在にあらためて感謝。昼過ぎ終わったといったら園子さんはカーンと鍋を鳴らした。湯浅さんと電話でDJ景話。午後はしん園歌謡鳴らしながら自動車で街へ街の本屋へ。多田富雄と石牟礼道子の往復書簡、狩猟と編み籠、マーガレット・アトウッド、武満徹対談集買う。フフフと買って帰ってアトウッドの「またの名をグレイス」下巻だけ買ったのに気づきミギャー騒ぐ。文春の編集部の速さに驚く。だって夕方にはもう岡さんの手に渡っているトハ。いただきもんの日本酒で乾杯し、晩ごはんは、とうもろこし、アサリにんにく炒め、ゆでブロッコリー、モロッコいんげんのソテー、すばらしい豚肉の生姜焼きと千切りキャベツでビールものむ。自転車は金貸しチームもがんばったケードー、平地のスプリントではいままちがいなく世界一なペタッキまちがえたカベンディッシュがウホホホホーと四勝目の二十二歳。
2008年7月17日(木)朝ソーカイ。そーかい。ボーと無意識全開のまま夕方まで創作。このまま一気にオワル直前の気配。みずうみのときもそうだったけれど本の終わりの終わりに来るとリリツシンケーがてんやわんやになってしまう、ということを自覚した。裏返せばからだと小説が反応しあってるってことだシ。夕方ハシリにいく。けっこうダッシュ。園子さんは魚を指さしこれナーンダという。晩ごはなんはアジの塩焼き、冷やしトマト、冷や奴、ズッキーニとツナの味噌炒め。自転車レースまたドーピングで黄色いチームまるごと辞退。しかもユッコと似た名前の選手。ネズミとおもってたらイタチごっこだったのか。若いというのは言い訳になりまへんな。イーワケーもんがな。ウホウホホホーと吼えながらゴールするカベンディッシュ。去年までのマキュアンの自転車ふたつぶん速い若者。
2008年7月16日(水)じめっと重い晴れ。朝はクロワッサン。家の宝物のことを書いた。ドローン。午前十時前NHKラジオつける。千葉望さんがゲストに呼ばれてもし雨でなければ着物でばっちり格好よくしていってはる、その放送を聞こうと園子さんと台所で。十時になった。ケド、千葉さんの声はきこえなかった。長野県のどっかの高校の野球部の部長さんがえんえん喋っていて、つまりいまの時期は田舎はどこも高校野球の予選だったのだ。ガクリ。午後は創作。ほしさんから「山とそば」届く。鉛筆画に驚嘆。池田さんと電話しながら、台所をふとみると園子さん二階の窓にヤンキーの箱乗りしてる! 猫! 晩ごはんは鶏のトマト煮込みチーズ載せ、茄子のペースト、トマトサラダ、タコときゅうりとバジルのマリネ、パン、ピスタチオ、ワイン。自転車レースはチームCSCがヤッパCSCだという試合でノルゲのチャンピオンレーサーが国旗のジャージで勝つ。園子さん豚を枕に。
2008年7月15日(火)晴れで創作。梅雨とはいつのことでっか。夜。というのは最近日中はがんがん晴れて夕方あるいは深夜にまた網戸に穴をあけそうな雨がよく降るので。ぶどうにしてみたら大喜びでんな、ブワッハッハ、あ、オオキニ。夕方石川医院にいって鍼なんかに頼ってちゃ駄目だ運動しろといわれたがわりとしてるとおもうけどな。外でたら清水城跡90メートル先右折って書いてあってユッコ城かーとおもって園子センパイと一緒にいった。スゲー城跡だった。工事現場の石積んであるところみたいのに切り株があって、ホコラがある、だけ。でも城跡オーラびんびん。隣に柔道家のひとの石碑があって、園子さんにユッコ通えば、テいわれたけど夜はバイトだから。ホントは柔道とかバヨリンとか百人一首とかそーゆーの習いたいんだよネー。しん園歌謡きいて自動車で家にカエル。晩ごはんは二日つづきの猫祭、サザエ壺焼き、とこぶしの酒蒸し、たこ刺、甘鯛の塩焼き、ほうれんそうごま和え、油揚げと小松菜の煮浸し。自転車レースは休み。ユッコに休みなし。
2008年7月14日(月)オスカル! 白あんか、こしあんか、粒あんか、というバスティーユの日。アンドレ。重い石を引きずるゴゴゴという感じで創作。ブルーマンデーてのがアタイにもあんのかな。とおもったらスルスル転がった。四国八十八箇所巡りしながらタヌキと笑っていたい。まるいちから発泡スチロールの箱とどき猫らが集まってきて猫祭の開会を宣言する。父に電話すると少し声が大きくなっていた。晩ごはんは、アマダイ、いさぎ、タコの刺身、オクラのスープ、鶏と豆とジャガイモの煮っ転がし、かぶの葉のおしたし。ピレネー山脈のツールマレ峠。前にイタリアのレースで見て園子さんはピエポリという選手が好きになった。丸坊主でおっさん顔。そして変な名前。そのピエポリがフランスで勝つのは初めてということで驚いた。アタイはトカゲの寝起きみたいなデラフエンテって選手が好きなんダーケード。赤水玉のヤモリみたいな。
2008年7月13日(日)晴れている日も雨の日も。ずっと創作。途中母に電話し、祖父の葬式のことなど聞く。四国の仁尾でお祖母ちゃんは頭に三角の布をつけて白装束だった。まだ土葬で座棺だったので娘や親戚は門のところでそのまわりを左回りに三周した。夕方農協の先まで走る。犬を連れた人と何度もすれ違う。何人も、何匹もいるのか? 三十分で戻り風呂にはいる。まるいちに電話。晩ごはんは豆腐チャンプルー、蒸しとうもろこし、モロヘイヤおしたし、しじみみそ汁、カブと塩昆布の漬物。園子さんに祖母と祖父の空襲の話をしたらもらい泣きするのでユッコももらっちゃったよ、オーコーヅーカーイー。自転車レースはユッコに似てっけどそれ名前だけね、顔はゼンーンゼンちがうねずみ顔の選手が坂転げ落ちてんのかおもったら必死こいて走ってたヨ、といった感じのダウンヒルで勝つ。
2008年7月12日(土)四国の小説を書いている最中に四国に行くとおもしろいことが起きるのはそういうわけだったのか。ナーットク!朝からひたすら創作。園子さんはケーケーと向かい合って鳴く鳥の店。孵ってきて荘子、胡蝶の夢、でなくて掃除している。仁尾の小説を書いていることは仁尾にいることとどれぐらい違うのか。まるいちの美智世さんからドーシテンノー、と電話があり恐縮。晩ごはんは枝豆、カツオ刺、かぶの葉のおしたし、かぶと塩昆布の漬物、鶏の手羽先のソテーパクチーソース和え。自転車レースは一昨昨日につづきガウー、ガウーと吼え声をあげそうなカベンディッシュ選手がなんかもうヨユーで勝つ。ユッコ皿割るよ。イヤ、さらわれンよ、コワイよ。
2008年7月11日(金)晴れていて好調。朝からずっと創作。走りにいくと足がヨレヨレになっているなモー。夕方母に電話して田舎の話や戦前、戦中、戦後の話をきく。仁尾の屋敷に象がいた話。高松の空襲の話。お祖父さんのカリエスの話。大阪の父が足がちょっと具合わるい。あとで電話すると病院に行きたくないという感じの声になっている。晩ごはんは枝豆、豚キムチ炒め、海老グリーンサラダ、モロヘイヤのおしたし、きのうのアサリパクチー。自転車レースはまたお山。スキーで滑り降りるような下りの技でサンチェス選手が勝つ。
2008年7月10日(木)晴れていて快調。朝からずっと創作。夕方入山辺の農協まで走る。風呂で伊藤理佐の漫画よむ。晩ごはんはほうれんそうとエノキのおしたし、かぼちゃサラダ、アサリのパクチー炒め、茹でとうもろこし、ゲソチヂミ。フライパンで焼いたチヂミを皿にひっくり返して載せるときやりそこなって少し潰れてしまう。「これはチヂミというよりツブレですね」と園子さんはいった。自転車レースはいよいよ山のぼり。ねずみ少年のような顔のリッコという期待の選手がためらいがちな人のなかををねずみ花火のように飛びだして勝つ。
2008年7月9日(水)たいへん暑い一日。ずっと創作。園子さんは税金のこと。レシートや領収書をスカパーのガイド誌のページにぎっしり貼りこんでいくスクラッパー。松本ラバーほしさんから帰宅の連絡。一昨日も松本へ戻ってきて京都に帰るのがさみしくもう一泊花月に泊まったらしい。夕方どえらい雨が東から降る。どれぐらいどえらいかというと座敷の網戸に雨粒がビンビン当たって穴があきそれがジワーッと広がっていくのを園子さんと並んで立ち呆然と見ているというどえらい雨。ちょっと小ぶりになったからイッチキマスといって園子さんは税務署に出かけた。小ぶりッテいってもさっきと比べての問題なのでじっさいは強烈な雨で自動車のボンネットがビビンビンビンと反りかえっていく。キャリー! 創作はまたぞろ浄瑠璃が出てきて自分で驚いた。ドウスル、ドウスル!雨上がりにマリちゃんがパンもってきてくれるのを夕陽の色の猫が出迎える、マリちゃんニャーと返答。晩ごはんはタイカレー、きゅうり、グリーンサラダ、マリちゃんのパン。自転車レースは最長のコース。ゴールスプリントで巨体のフォワード選手のような風体のカベンディッシュ選手がゴールラインの空気の壁にヘディングの体勢で勝つ。
2008年7月8日(火)朝モーロー。しかし創作はよくすすむ。半分ねぼけてるほうがゼッテーいいんだね。昼からえらく溜まってる日記
を整理し、午後六時石川医院。待合室がライフサイエンス系の図書館みたいになってて驚いた。脈をとってもらい実験台。肝臓の肝に虚と書いて肝虚だ、といわれる。雨降っている。花月で鴎来堂という校正会社の柳下さんと会い園子さんと居酒屋のぼんくらへ。天ぷら、馬刺し、りこぼう、焼き茄子、冷や奴など。出張校正というわけでなく文学賞を創設しそれを僕に下され、トロフィーもってきてくださったのだ。かもめが本読んでいるすごいいいトロフィーで。焼酎一本あく。それから飲みに行きますという肝満の人。頭が自転車の車輪のようにまわっている。タイムトライアルの最後までなんとか見届けてからにう。
七夕サーラサラ。頭の皿が割れるようだ。膝の皿も割れるようだ。テ痛くてゆうべ一睡もしてない。起き抜けに園子さんがしんじさん熱あるんじゃないですかといって計ったら37度6分だった。アタイはふだんサ、平熱が35度くらいダカラー、なーんかモー、ヨレヨレ? て感じなんだよネー。スカ口調でいう元気もなくぐったりし、けどな風邪ひくはずないねんけどうがいしてるし気もつけてるし、喉痛くないしくしゃみ鼻水ないし寒気も、ナイナー、と黙想。愛知県産の排気ガス自動車で園子さんが惣社の内科へ連れて行ってくれる。ものすごくよく通る声のお医者さん。いきなり行ったのでしばらく待ってなかにはいると丁寧な触診。でもヤッパ夏風邪じゃないヨネー。園子さんがスッと出、しんじさんリリツシンケー失調書じゃない、という。なんれすかそれ。リリツシンケー失調書、書、じゃなくて症、だから体温調整ができなかったり寝られなかったりするんじゃないですか、という。ナーホド。ノミの心臓。そういうことってあるヨネー。けれどぐったり横たわったふとんのなかで創作はすすんだ。ノートを頭の上に掲げ、プリーズ、プリーズ、プリーズ! 晩ごはんは鶏とセリのお粥、冷や奴、アボカド納豆トマトサラダ、春菊のごまあえ。丸谷才一、江藤淳などよむ。夕方寝たからかまた晩寝られず。七夕サーラサラ。自転車は目立たない若い選手が逃げ切って長いレースを勝った。
2008年7月6日(日)朝から創作。地味だけれどずっと。カカカと外で誰か笑っているけど、とおもい園子さんにいったら日曜ですよといわれもうずっと何曜日というのがまったくなかった。お茶いかへんとそうなるン。午後も創作。なんかすごいつかれてくる、といって棒をもった幻の女軍団が前に並んでエイ、ヤイ、と突かれてというのでなくタイアード、のほうで。風呂はいり。今頃上高地から温泉かしらと園子さんと話し、晩ごはんはほうれんそうごま和え、ちくわにんじんきのこのきんぴら、京油揚げといんげんの煮浸し、いか納豆、アジ塩焼き。自転車レースはフランス人選手が先行したけれど最後は熱いものをハフハフと食べる感じの名前のノルゲの選手が勝った。
2008年7月5日(土)朝起きたらけっこうバテ気味でしかし雑誌原稿全部おわる。ホテルへおりていき、ほしさんの荷物トランクに積んでから、有名なそば屋野麦へいってみると有名なだけでなくとてもおいしく働いている人もすばらしかった。ちきりや探訪。そしてお練り。というのは松竹の中村座の松本公演があって役者がお城あたりまで山車と人力車で練り歩く。女の人は馬鹿な男が好きナノ、と歌舞伎役者を見てユッコおもう。勘違いしてバスターミナルでいくら待ってても上高地へは行きまへんて、そして駅へ。イッテラッサーイ、と見送る。帰って西日のなかから向こうへ原稿類送る。ウルトラセブンの夕暮れを思いだすなあ。晩ごはんは、豚の冷しゃぶサラダ、おぼろ豆腐奴、茹でとうもろこし、ほうれんそうおしたし、ホタテといんげんのオイスターソース炒め。そして今日の日本時間の夜から有名な自転車レースがはじまっちった。例年のプロローグなくタイムトライアルもなくてオー新鮮とおもっていたらスペインの万年優勝候補のアンちゃんが最後のカーブで鉈で割くみたいに集団をぶっちぎり見ててなんだか乗り物酔いみたいな感じになった。イヤーすごいわミドリにいちゃん。
2008年7月4日(金)締め切りを把握していないというあまり覚えのない事態が判明し、朝からターと書く。午前中にクロワッサン終わる。昨日までの本作り合宿の模様を書いた。昼に自動車で松本民芸館にいるほしさんを迎えにいく。ほしさんはどんどん松本熱があがっているようで、二回目の田舎家はもう慣れているといった雰囲気。しかしそばをすする顔ははじめてのときと同じ。園子さんとほしさんはそのまま自動車で美ヶ原高原へ、僕は家で原稿。転生夢現と原っぱと遊園地2について書いた。夕方ふたり帰ってきてほしさんは高原はもう夢のようでしたとこれまでで最高に輝いた顔を見せた。牛、鐘、ホテル、鹿がいた話。雲間から神様の光が差してきたこと。ホテルがたいそう立派でここで缶詰になりたいとおもった。ドウゾドウゾ。絵描き缶。うちの座敷でりんごジュースをのんでいるほしさんを見て、ア、とおもった。スカ生まれの赤ずきんもりんごジュースが好きだったカラ。町へおりていきまたちきりや。ほしさんすっかり顔。軽食堂ミタニにいき、レタスのスープ、盛り合わせは自家製ハムにレンコンに豆、カルボナーラとトマトソースのアンチョビスパゲティ、豚頬肉トマトソース煮。ワインおいしい。ミタニさん話もさらにすばらしい。腹いっぱいで樽のようにごろんごろん転がってバーのエオンタにいきワイン、ジンジャエール、ギネスのむ。ほしさんは明日から上高地いって、温泉いって、あさって松本経由で帰りますーといっている。松本もこれぐらい好きになってもらって暑くなるんじゃないか。
2008年7月3日(木)朝ごはん食べてお線香。別荘地巡りをする。昨日の売り物件の不動産屋の電話番号を皆で分担して記憶。青崎山荘にいくと食後みんな海の家みたいに寝ころんでいた。動物たちもだ。七十のおばさんが若いっていいよねをレンパツし、なおるさんの姿はこの日は見えなかった。不動産屋に電話するといま契約途中ですがデモ・・・と意味深なコメントをいわれる。ドウスル、ドウスル。松本へもどりほしさんの泊まるホテルで増田さんらといったん解散。ほしさんとじゅんちゃんという京都コンビを連れ松本の古い町のあたりを案内する。西洋骨董。ちきりや。木のスプーン。かごや。木のスプーンの店でそれはすごいいいスプーンでカレーにもチャーハンにもスープにも使い勝手がよくてでももうすぐ生産中止なんですよ、とじゅんちゃんにいうとエー、そんなんやったら、といって何本か買い、外で歩きながらイヤー俺もってないけどね、といったら本気で呆れられたラ。ホテルの前でじゅんちゃんは伊藤さんの自動車に迎えにきてもらい、僕は一度園子さんに迎えにきてもらい、家の座敷の畳でちょっと寝、夕方にホテルにくだってほしさんと合流し、久しぶりにチャイナスパイスにいった。ほしさんはりんごサワー。晩ごはんは、レバニラ、水餃子、湯葉野菜炒め、麻婆豆腐、冷やし中華。うしろで子どもがずり落ちたので三人で立って応援したら若い母親がびっくりした。ほしさんをホテル花月へ送っていく。いまごろ大浴場でのんびり手足を伸ばしているだろうか。
2008年7月2日(水)起きて外の犬を見る。ほしさんも出てきて共に犬みる。朝ごはんをすませ、ふたりで座敷にとじこもる。障子越しに出し入れ出し入れて太陽族か。ちゃう、原稿。ふたりで作る「赤ずきん」。ふたりとも、絵に文章つけたり、文章に挿絵つけたりは苦手なので、どうせならと常念坊で一日で作ってまうことにした。「アタイ赤ずきん。スカうまれのスカ育ち。マグロ漁船ドンデコスタ丸で出ていったジローを港のこのお店で待っテル」って、エーその話しかたユッコじゃんよー。原稿書いて障子ごしにスーと原稿を差しいれると向こうでクククと笑う声があって15分くらいしたらスーと紙が向こうから来て鉛筆のすばらしい絵が書いてある。イヤーすごい。ずきん被ってないし。というやりとりを繰りかえして、お昼に動物のそば屋にいくと水曜休みでしかし下のみはらしというそば屋はやっていて秋篠宮がもりそば五枚平らげた写真が飾ってあってさすがちがうなとおもった。戻ってつづきはどんどん話が育っていく方向へ進み、昨日までの出来事も含んで赤ずきんは広がり、だいたい午後四時半ごろに完成し、これやったらいくらでもできますねーとほしさん、毎日一冊できますねとアタイ。畳に並べておいてそのまま学者村に学者を見にいった。ヤーこっち来てわたしのこの顕微鏡を覗いてゴラン、というような学者はひとりもおらず、別荘地を歩きまわるうち、いしいさん、引っ越すんやったらココですよ、ココ! とほしさんが主張する、またその首長にふさわしい素晴らしい別荘が建っていた。しかも売り物件。ドウスル、ドウスル、と女義太夫のかけ声が耳のなかで鳴り始める。戻って佐川さんらと本の作り方について協議し斬新なことをすることになった。ザシーン。メリーゴーランドのじゅんちゃんが来ていた。風呂にはいる間もなく晩ごはん。ひとり分追加してなかったので皆でうるわしい食事風景を現出させた。牛肉の鉄板焼き、ホタテ卵とじ、刺身、手作りオヤキなど。そして遅くまで酒盛りになった。
2008年7月1日(火)朝ちょっと創作。昼過ぎ松本駅へ園子さんと降りていき駅前で増田さんと会った。裏でレンタカー借りてるんでということでアタイが改札口で待ってたら「いしいさーん」と青い引きずりトランクをもったほしよりこさんが近づいてきた。土産物コーナー、駅ビルともにたいへん気に入ったとのこと。駅ビルっていうのはどこも共通の匂いがする、駅ビルは冬でも浴衣を売っている、駅ビルの一階には必ずギャル店がある、などなど話す。編集の佐川さんやってきて二台に分かれ松本いち美味くて安いソバの田舎家へ。増田さん佐川さんほしさん感動。園子さんは「あたしほしさんの何か食べている顔が好きです」。園子さんは松本に居残り、レンタカーで四人安曇野へむかう。途中大王わさび園へ。よーうこそ、わしがワサビ大王じゃ、ホレ、指をすりおろしてやろう、辛いぞよ、というような大王はやはりいなかったが水車は変わらずギーギーまわっていた。谷をえんえんワサビ畑にしてしまうという発想はたしかに大王のものだとおもう。水で飼われているニジマス、コイがきれいだった。裸足になって水場にはいると指の間を大王に舐められた。穂高神社へいくと相変わらず工事をやっていて二十年に一度改修をするのですがその現場に向かってというかそれがないものとして、柏手を打つというふしぎなことになっている。それはそれで神社っぽいのではないか。ノイズのなにが悪いら! 工事用車両にも神は宿るら! 名物の手振りおみくじというのをやったら大吉だった。本を象った巨大な石碑があって、うちのお母ちゃん・・・そやから寝床で仰向けに本なんか読むなてあれほどいうたのに、というようなことをほしさんと言い合って泣き真似をした。常念坊の玄関とロビーは百合の花で埋めつくされていた。花だけでない香りがそこらじゅうに立ちこめていた。森を歩き、温泉にはいる。透明なお湯が生き物のように湯船からこぼれ広がっていく。晩ごはんは、山菜鍋、イワナ塩竃焼き、芋まんじゅう、行者にんにくのギョウザなど。焼酎のんで寝る。おやすみなさい常念坊。