吉野ヶ里⑤ 甕棺墓列と墳丘墓

2011年09月10日

先日、早稲田大学校友会奈良県支部が100周年記念事業として企画された「邪馬台国は大和か、九州か」の1回目の講演を聴いて、あ、ワタクシの吉野ヶ里シリーズも再開しなくちゃぁ、と思い至りました。
肝心なところのレポートがまだなのです^^;

奈良県での発掘現地説明会には何度も行っていますが、こんなのは見たことがありませんでした。
それはお墓。

亡くなった人を甕棺(かめかん=素焼きの土器)に入れて埋葬したそうで、弥生時代の北九州だけにみられる特有のかたちだとか。




←このように甕棺は2列に並んで600mにわたっていたことが確認されています。これまでに、3000基以上が見つかっているそうです。
(図は吉野ヶ里歴史公園ホームページから拝借)




甕棺埋葬方法(図は吉野ヶ里公園内の展示室で撮影)





←いっぽう、北側の段丘上には、巨大な墓地(北墳丘墓)が。

南北約40m、東西27m、盛土の高さ4.5m、平面隅丸長方形で、↑甕棺墓列とは明らかに一線を画している状況。


ここでは14基の甕棺が見つかりましが、そのサイズが大きい(大型甕棺を2つ合わせている)こと、副葬品をともなっていることなどから、有力者のお墓とみられています。


↓副葬品の出土状況。銅剣やガラス製の管玉(展示パネルから)




墳丘墓は、少しずつ土を盛ってはつきかためて丁寧に築かれており、すでにこの時期に版築の技術が中国から伝わっていたことがわかります。



展示室に復元されていた甕棺




←北墳丘墓発掘状況
(展示パネルから)














展示室は、遺構面をそのままにしてつくられています。




吉野ヶ里遺跡展示室には、甕棺がいくつも並んでいました。



小さいのは子供のものとか。
胸がズキンとしました。


※過去記事
吉野ヶ里① 吉野ヶ里って
吉野ヶ里② 弥生人の声が聞こえる
吉野ヶ里③ 物見櫓から
吉野ヶ里④ 重要な場所 主祭殿

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http://kagiroi.narasaku.jp/t48715
この記事へのコメント
こんにちは。
蒸し暑いですこの時間どこを歩かれているでしょうね?油断したら熱中症になります。気をつけてください。

さて、吉野ヶ里ですが別版で一冊出しましょうか?そうしましょう。

「かぎろひさん!まってま~す」(かぎろひに乾杯より)
Posted by 白雪 at 2011年09月10日 13:57
白雪爺さま

このたびはおめでとうございます。
よかったですね~(今晩、乾杯しますね♪)

へへ、今宵は出かけますので、本日、デスクワークです。

それと、甕棺出土の現地見学を書いているところなんです。
今日は2回アップできるか。

白雪さんこそ、暑いなかお気をつけくださいね。
Posted by かぎろひ at 2011年09月10日 14:23
吉野ヶ里遺跡⑤甕棺墓列と墳丘墓
いよいい、核心に迫ってきましたね。

邪馬台国論争は別として、弥生人の人骨が残っているのは、
圧倒的に北部九州が多い。
酸性土壌で、酸性に侵されて骨が残り難い日本では、ほぼ完全な
形で人骨が出土することは稀なようです。

そんな土壌の侵入を防いだ甕棺が5000体もの人骨を残した。
土井ヶ浜遺跡の弥生人骨は細かい貝殻の砂丘に埋もれたため、
同じように残存した。縄文人骨が貝塚に残ったのと同じ理由で
しょう。先日記した北部九州・山口地方へ渡来した人たちの比較
検討が可能な所以です。

残念ながら大和を含む畿内には研究対象となるほどの、弥生人骨は
出ていないようです。今後の推移を待ちたいですね。
Posted by 円亀山人 at 2011年09月10日 14:35
円亀山人さん

こんにちは。
また暑さがぶり返しているような、昨日、今日のお天気です。

コメントありがとうございます。

人骨の残り方がすごいのでビックリしました。
甕棺のおかげですね。

いよいよ、土井が浜へも行かなければという思いが強くなってまいりました。
Posted by かぎろひ at 2011年09月10日 15:38
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