栗原 茂男
最近、政府貨幣論が注目を集めてきている。政府貨幣が注目を集めるのは財政政策の財源としての注目である。しかし世間の受取り方には大分誤解もあるようだ。ひとつは二千円札発行の時のように新札を出すと理解する人がいる。もう一つは政府貨幣を発行する事はお札の大増刷をすると考える人がいる。更に、俗にヘリコプタ−マネ−とも云われる提案と絡めて理解している人もいる。しかし政府貨幣発行とヘリコプタ−マネ−とは別の発想であり、国債とヘリコプタ−マネ−の組合せだってあり得るし、政府貨幣と公共工事との組合せだってあり得る。又、政府貨幣と言うのは現在既に使われている1円から5百円までの硬貨の事で新紙幣を意味するものではない。
これらは説明すれば直ぐ納得は得られるだろう。
深刻なのは “ お金の大増刷 ” である。政府貨幣を発行するとお札が大増刷され、“ハイパ−インフレ間違い無し!”と言い切る人が出てくる。しかし実際には日銀券の大増刷は無いし、ハイパ−インフレも無い。
これは中々納得してもらえない。そもそもお金の定義から始めなければならない。
日本国には 『通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律 』( 昭和六十二年六月一日法律第四十二号 )という法律がある。
(通貨の額面価格の単位等)
第2条 通貨の額面価格の単位は円とし、その額面価格は1円の整数倍とする。
2 1円未満の金額の計算単位は、銭及び厘とする。この場合において、銭は円の100分の1をいい、厘は銭の10分の1をいう。
3 第1項に規定する通貨とは、貨幣及び日本銀行法(平成9年法律第89号)第46条第1項の規定により日本銀行が発行する銀行券をいう。
(通貨の発行及び製造)
第4条 貨幣の製造及び発行の権能は、政府に属する。
2 貨幣の発行は、財務大臣の定めるところにより、日本銀行に製造済の貨幣を交付することにより行う。
(貨幣の種類)
第5条 貨幣の種類は、500円、100円、50円、10円、5円及び1円の6種類とする。
2 国家的な記念事業として閣議の決定を経て発行する貨幣の種類は、前項に規定する貨幣の種類のほか、1万円、5千円及び千円の3種類とする。
3 前項に規定する国家的な記念事業として発行する貨幣(以下この項及び第10条第1項において「記念貨幣」という。)の発行枚数は、記念貨幣ごとに政令で定める。
とある。つまり『貨幣』というのは 5条 によると、我々が通常使っている 1円から5百円までの硬貨の事。そしてその製造及び発行は 4条の規定から政府の権限という事になる。確かに硬貨には日本国と刻印してあって、日銀とは刻印していない。これが法で言う『貨幣』の定義という事になる。更に 2条 の 3 で「通貨」とは貨幣及び日本銀行が発行する銀行券、つまり日本銀行券であると明確に定義している。だから通貨という概念は貨幣概念を含む、より広い概念という事である。要約すると我々が日常使っている紙幣と硬貨が通貨であると云う事となる。
(日本銀行法)
第5章 日本銀行券
(日本銀行券の発行)
第46条日本銀行は、銀行券を発行する。
2 前項の規定により日本銀行が発行する銀行券(以下「日本銀行券」という。)は、法貨として無制限に通用する。
以上は法律上の定義である。しかし通貨の定義はこれに留まらない。日銀の発表する貨幣(マネー)や経済学で貨幣という場合は、定義は更にいくつか必要となる。
日銀のホ−ムペ−ジから拾って見ると、
1) 現金通貨 ; これは日本政府発行の貨幣(硬貨)と日本銀行券(お札)
2) 現金通貨+ 預金通貨 ( 当座預金や普通預金など) ; M1という。
3) M1+準通貨( 定期預金など ) ; M2という。
4) M2+CD( 譲渡性預金 )
が挙げられている。
今、仮に政府が五百円玉を一兆個造るとしよう。そしてそれを日銀に交付したとする。すると政府は確かに政府貨幣を発行して五百兆円を手に入れたのだけれども、日銀は五百兆円分の日銀券を印刷せずに国庫へ振り込む事となる。
政府が五百兆円の貨幣を発行した時点ではまだ実際には日銀券は一枚も刷ってはいない、という事は日銀券や硬貨だけが必ずしも通貨ではないということになる。日本で暮らす人が日銀券を銀行へ持って行く。受取った銀行は預かりの通帳を発行し、預ったお札は貸し出したりする。或いは実際にはお札ではなく振込み、つまり電子信号しか動いていないのが普通。実際の日銀券は銀行窓口や両替機等で出し入れする場合だけの、取引量のほんの一部に過ぎない。
又、自分はいくらお金を持っているかと考える時、財布の現金の他に預金も計算する。という事は預金通帳の印字された数字もお金と言う事である。
貨幣は日本政府の信用そのもので、日本銀行券(=お札 )は日銀の信用そのものの体現。預金通帳は民間金融機関の「信用 」創造で、それも 「マネ−」と云う事になる。
通常、通貨はGDPの一割くらいが正常といわれているが、最近の日本経済ではGDPが5百兆円弱で、通貨(貨幣と日銀券)は67〜8兆円くらいであり、完全に過剰流動性が発生している。因みに預金通帳まで入れると七百兆円くらいのお金が出回っていて、それはマネ−サプライと表現される。しかし現下の日本経済はインフレどころかデフレだから“通貨大発行、即ハイパ−インフレ”というのは間違っている事となる。マネ−サプライとインフレの関係を論じるなら貨幣の流通速度を考慮しなければならない。現在の日本にはお金が一部の人の所へ偏在していて、動かない部分が大きいと言える。逆にお金を必要とする中高年などの人のところにはお金が不足していると言う事。
もしも政府がその気になれば、貨幣を何百兆円も発行する事が出来る。発行数量に法的制限はない。発行してその資金で国債を償還してしまえば、たちまち累積国債は消えて無くしてしまう事ができる。それどころか新たな財源だって確保できる。
先ほど一部の人にお金が滞留していると述べた。そこへ新たに政府が貨幣を発行すればマネ−サプライは増える。しかしその場合、景気が上向き貨幣の流通速度が上がるかもしれない。すると過剰流動性が問題となって日銀は50兆円くらいまで『通貨』を減らすかもしれない。通貨が減ってマネ−が増える事となる。何しろ通貨はマネ−の10倍くらい出回っているのだから。
もしも過剰流動性によって物価が上がり過ぎたら日銀は貨幣供給量を引き締めるだろう。
『お金が無いなら刷りなさい!』というのは“言葉のあや”という事がおわかりいただけると思う。
戦後永い間日本では土地も信用創造の一端を担ってきた。土地は上がる事はあっても下がる事はないと皆が信じてきたからである。土地は下がらない事を前提に、土地を担保にお金の貸し借りが生まれ、巨額のお金が動くから手形や小切手、振込みなどが利用され、実際のお札は殆ど登場しない。それは銀行の通帳の場合と同じ。経済成長に連れ地価が上がり、土地の信用創造によってお金を創り出すと言う事で土地本位制といわれてきた。しかし政府は地価を政策的に下げてしまった。そして土地神話の崩壊は担保割れを引き起こし、「信用 」創造を破壊した。ピーク時から比較して日本全体で一千兆円の土地価格が下がったといわれる。それは日本全体で一千兆円に近いマネ−が消失した事になる。
金融護送船団時代は銀行は絶対に“つぶさない”という政府への信頼が社会にはあった。銀行の通帳がマネ−であると言う事は、発行元の銀行が絶対に潰れないという信頼があってこそ成り立つ「通貨」である。しかしそれも政府自ら破壊してしまった。『絶対潰れない銀行』から『(これからは)潰れるかもしれない銀行』への変化は信用秩序を不安定なものにしてしまった。
又、不良債権問題は地価下落に伴う信用創造の破壊と需要不足経済が惹起する問題なのであって、金融制度の本質的な問題から発生するものではなく、処理をしても却って経済に打撃を与え、銀行を始めとする金融業界を不安定なものにする。「潰れるかもしれない銀行」 と業績を悪化させる「需要不足政策」。これが昨今の金融不安の元凶である。
『政府貨幣』というのは一般的な言葉で、日本の場合は法律上は「貨幣」となる。『政府貨幣』という言葉が使われるのは古くから一般的な言葉として経済学者が使ってきたから。従って外国の学者が日本経済を語る際に使う場合は『政府貨幣』という言葉を使う。
そして何故ここへ来てこの言葉が注目を集めるかと言えば、不況対策として財政政策が求められ、その財源として注目されるからである。財源が確保できて国債の償還もできる、つまり国の借金もチャラにできる。しかし実際は日銀による国債引き受けでも同じ事なのである。日銀の金庫にしまわれるのが国債か貨幣かの違いだけ。
従って以上の観点から需要不足に対する対策として財源はいくらでもあるので、需要創出政策の早急な実施と、潰れない銀行の復活、地価の回復策が望まれる。