神棚
神棚
神棚とはなんでしょうか?
まず、神様ってなんでしょう。
いまから、画用紙を渡すから「神様」描いてください。 描ける人いません。 これはイスラム教のアラーと似ています。 アラーを画ける人はだれもいません。 (徹底した偶像崇拝禁止です。)
それでは、仏教は・・・。
仏像に象徴されるように大体の感じは私でも描けます。 キリスト教しかり、(本来は偶像崇拝禁止ですが、 十字架で処刑されるキリストのイメージはだれにでもすぐ浮かびます。) ヒンドゥー教の極彩色のシバ神も大変美しいものです。
つまりなにがいいたいかといいますと もともと、日本の神様は 海、山、滝、川、木、石、道、空、月、太陽 自然そのものだったわけで、 「八百万(やおよろず)の神様」 それぞれ、特徴をつけて描くことなどできやしないのです。 あっちをたてれば、こっちがたたない。 優劣すら容易にはつけられませんでした。
だって「神様」ですから・・・・・。
「イスラム教」は逆の思考回路により 一神の凄さをひきたたせたものです。 偶像をつくらせないことにより アラーの威光はますばかりとなります。
現代、高層ビルが乱立し、スモッグ、アスファルト 東京に神様いらっしゃるんでしょうか?
「東京タワー」のてっぺんにいると思えば いらっしゃる。 「六畳の小さなアパート」だっていると思えば いらっしゃる。 「神棚」に神様いらっしゃるという思い込みも とても大切です。
神棚の普及は実は明治以降です。 お寺さんが管理していた戸籍を 神社も管理するようになる。 国民は御参りの際、神官から守り札(身分証のような物) を授かる。 これは国民にとっては「はーはー」黄門様の紋所のような ものでした。 そこで「神棚」をつくってお札を安置したのです。 これはわずか2年であっという間にひろまりました。
私は明治以降の「国家神道」と 「山の神」などの土着信仰は別物だと思っていますが、 これは「神の国」の名の元 「戦争」に利用されたのは間違いありません。 「宗教」は「政治」に利用される宿命と 「政治」を転覆させる宿命の「二面性」をもっています。
もともと、神様はきちんとした「宗教」ではありませんでした。 とても「日本人」らしい、あいまいなものだったのです。 現代の神様は「あいまいなもの」「国家神道」 の両面で揺らいでいます。
それでは、われわれどうすればいいか?
「八百万(やおよろず)」いらっしゃるんだから、 「馬券の神様」いてもいいんじゃないか。 「神棚」なんてけったいなもの家におけないから、 「当たり馬券」を額にいれて飾っておいて これをご神体としよう。 これこそ「神様」が「六畳のアパート」に降臨 することですし、立派な「宗教体験」です。
鏡はご神体とよばれ、 お宮のなかにはお札が安置されます。 真ん中には天照大神(伊勢神宮)のお札、 右には氏神(菩提寺のような神様)のお札、 左には信仰神社のお札。
榊は「栄える木」のことらしいです。 三方の真ん中には、米、塩、水、酒(瓶子(へいし)にいれる) をお供えし、お祭りの時には 海の幸、山の幸などもお供えします。
お宮の上にはしめ縄がまかれ 紙垂(しで)がぶらさがります。 よく樹齢の古い木はご神体とされ 縄がぐるりとまかれ紙垂(しで)がぶらさがっています。
葬儀になると 神棚は封印されます。 「神棚封じ」で「けがれ」が入りこまないようにします。 神道側では「気枯れ」仏教側では「穢れ」 とし、「お清め塩」の風習とともに論争の対象になっています。
われわれ人間の分際ではどうしようもない事だらけ そんな時は、素直に自分の頭をなにかに垂れる事が必要です。 人間に頭垂れるのはしゃくですから、 自分なりの「神様」に頭を垂れればいいんです。 「八百万」いらっしゃるんですから どれかの「神様」と対話できるはずです。