愛息の誕生日に優勝決めた寿人、「ようやく一つ結果を出せた」
ゲキサカ 11月24日(土)21時19分配信
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写真: Kaoru WATANABE (ゲキサカ) |
[11.24 J1第33節 広島4-1C大阪 広島ビ]
夢にまで見た歓喜の瞬間だった。J1初優勝を成し遂げたサンフレッチェ広島。満員の広島ビッグアーチで、キャプテンのFW佐藤寿人が銀のJリーグチャンピオンシャーレを掲げる。Jリーグ20年目の節目の年に、新たなチャンピオンチームが誕生した。
「今までずっとテレビとかメディアを通して見る側にいたので、まさか自分がその場に立てるとは思ってなかった」。一番最後にミックスゾーンに姿を見せたエースは感無量の表情で夢のひと時を振り返ると、「(シャーレが)重くて持ちすぎて、腰が張ってしまったので、終わってから治療してもらってました」と、待ち受けた報道陣を笑わせた。
ひと足先に試合が終わった広島の選手たちはピッチ上でしばし立ち尽くし、直後に仙台敗戦の報を聞いたベンチメンバーらが歓喜に沸くのを見て、優勝を知った。思い思いに喜びを爆発させるチームメイトとは対照的に、佐藤はピッチにしゃがみ込んでいた。
「優勝したら飛び跳ねて喜びたかったけど、本当にうれしいときはそんなことできないんだなって。座り込んじゃいました。広島に来て8年目。ようやく一つ結果を出せた」
下部組織から育った市原(現千葉)でプロデビューし、C大阪、仙台をへて05年に広島に完全移籍。07年にはJ2降格も経験した。それでも「絶対に1年で戻ってくる」と宣言し、チームに残留。08年のJ2では28ゴールを量産し、J2得点王に輝くとともにチームも圧倒的な強さで1年でJ1に返り咲いた。そして、悲願のJ1初制覇。この日、今季通算22ゴール目を決め、得点ランキングを独走するエースが文字どおりチームを引っ張ってきた。
「苦しいときも多くの人が支えてくれた。ストライカーとして、この広島の地で多くのゴールを挙げることができているけど、チームとしては何一つ成果を残せてなかった。優勝を成し遂げて、心の底から『広島に来てよかった』と思うし、サポーターの人たちにも『広島に来てくれてありがとう』と少しでも思ってもらえるのかなと思う」
かつてプレーしたC大阪の目の前で、やはりかつて所属した仙台との優勝争いを制してのタイトル獲得。複雑な思いもあった。試合後、敗れたC大阪のサポーターからも「寿人コール」を送られ、「僕がセレッソにいた1年間は、何もチームに貢献することができなかった。そんな選手に対して、優勝を祝うコールをしてくれたことはサッカー選手として本当に幸せなことだと思う」と感謝する。
そして、震災からの復興途上にある仙台に対する思いも……。03年、当時J1だった仙台にレンタル移籍したが、チームはJ2に降格。それでも完全移籍して仙台に残った寿人だったが、翌04年は20ゴールを挙げながらチームは昇格を逃した。そして悩んだ末に翌05年、広島に完全移籍。自分の力で仙台をJ1に昇格させられなかった悔いは今も残っている。
「仙台と優勝争いをしているというのは正直、複雑だった。仙台に優勝してほしいという気持ちも少なからずあった。でも、自分たちがその位置にいるからには優勝させるわけにはいかない。サンフレッチェにとって一番いい結果を出すことができてよかった」
この日は長男・怜央人くんの9歳の誕生日でもあった。2−0の前半42分にPKで追加点を決めると、メインスタンドにいる家族に向かって両手でハートマークをつくり、ゴールを捧げた。「長男の誕生日に試合というのは今までなかった。『ゴールを決められるようにがんばるから応援してね』と言っていたので」。そう照れくさそうに話すと、「宣言して取れなかったらいろいろ言われるんだろうなと思っていた。結構厳しいので。負けて帰ると『なんで負けたん』って広島弁で言われるので」と笑った。
「優勝が決まらなければ家に帰って一緒に誕生日ケーキで祝ってあげたかったんだけど、ありがたいことにこのあと取材がたくさん入っているので、家に帰るのはたぶん夜中の2時ぐらいになる。でも、それは長男も理解してくれると思うので」。そう言って満面の笑みを見せた。愛息の誕生日に、愛するクラブが初優勝に輝いた2012年11月24日。寿人にとって、一生忘れることのできない1日になりそうだ。
最終更新:11月25日(日)3時41分