ましてや、その国債で公共事業をバンバンやれば、日銀が赤字国債を無制限に引き受けて戦争を遂行したあの頃の二の舞になりかねない。
円が安くなった、と喜んでいる場合ではない。ダイエットで痩せたと思ったら、実はガンだった、となる恐れがある。
安倍総裁が言う「輪転機を回してお札を無制限に刷る」という政策は、「通貨を卑しめる政策」で、絶対にやってはいけないこと、とされてきた。そのタブーに挑戦して「強いリーダー」を演じ、自分のひと言が相場を動かした快感を弄(もてあそ)んでいるとしたら、安倍総裁は危ない政治家、である。
3%のインフレ目標のはずが、天井知らずの物価高と国債の暴落を招く、という日が来ないといえるのか。恐いのは円高より、円を死に至らすような円安だ。
極論が出てくる背景にあるもの
だが、「危険な政治家」「常識が分からないお粗末な政治家」と切って捨てれば済む話でない。一度退場した右翼的政治家が、再び舞台に上がってきた背景を無視することはできないからだ。
20年も続く経済停滞、広がる格差、失業と非正規雇用の増加。そんな状況が、苛立ちと短絡的思考を増殖させている。
以前だったら一蹴されている「国債の日銀引き受け」を政党の代表が堂々と叫ぶ背後には、「失業者が増えるデフレより、バブルだろうとなんだろうと、好景気がいい」というインフレ願望が潜んでいる。
不況や格差社会の犠牲者である若者の間には、「インフレで資産を失うのは金持ちだ」という絶望感に近い破局願望が渦巻いている。雑誌のコラムなどにも、「ガラガラポンでしか日本は生まれ変われない」「焼け野が原から再生が始まる」といったガラポン願望が見られるようになった。