2012年11月24日

『エヴァンゲリヲン新劇場版:Q』2回目感想 「ポップコーンを食べながらエヴァを観るな!」

エヴァQを観てきた。2日連続2回目の観賞である。昨日とは違う劇場だったが、相変わらず満席。1回目を観た後ネット上での感想や考察を色々読んだので、また違った視点で鑑賞できた。今回は感想を単発的に述べていきたいと思う。

 eyes0909

■真希波・マリ・イラストリアスはやっぱりアスカの母親?

アスカのことを「姫」と呼ぶところ、冬月が見せた写真の中でマリに似たメガネの女性が写り込んでいること、碇ゲンドウのことを「ゲンドウくん」と呼ぶところ、綾波ユイの生前を知っていること(「あんたのオリジナルはもっと愛想があったよぉ」の台詞から)これらの点に置いてマリがアスカの母親(のクローン)である可能性は高いと思う。つまり、アスカの母親はシンジの母親であるユイや碇ゲンドウと同じ研究所の職員であったのだろうか。

 

■破は綾波、QはアスカがMVP

破での綾波はどうしようもなく可愛くて、アスカはほとんど負け犬だったけれど、Qに置いてはアスカだけがシンジのことを想ってくれている。ミサトさんなんて憎しみに近い感情を抱いてるような感じだし、綾波は綾波じゃないからのれんに腕押しだし。アスカは言葉はきついながらも、シンジの存在を認めてくれている。出会い頭のガラス越しパンチも「怒りと悲しみの累積」ではなくて、散々待たされた苛立ちも含んでいたのだろう。

ネットでアスカに関することを検索していたら、こんなことを書いているブログを見つけた。

====

4回目の鑑賞で気がつきました。
アスカ、最後にシンジのエントリープラグのハッチをあけに来ますよね?
あそこのアスカ、「肩で息をしている」んですよ!!
この意味が分かりますでしょうか?これは、アスカがシンジの安否を心配して走って来たということです!!

引用:「冷めたパスタとぬるいコーラ」

http://d.hatena.ne.jp/samepa/20121118/1353262371

====

これは3回目に鑑賞するときの要チェックポイントである。こういうアスカすごくかわいい。

 

■メモ

渚カヲル「元気少ないね?」

→これはすごく違和感あったけれど、カヲルくん自体違和感が具現化したような存在なのでそれもありかなと思った

アスカ「ほら、これ付けて。んもうー!立ってるくらい自分でできるでしょ!」

→ここ最高。最高の一言。

考察すれば考察するほど、序→破→破予告(14年間)→Qという時系列が正しいように思えてくる。あともう一つは、序破Q全てのサブタイトルに(not)が付いていて、全ての物語に大きく二通りの流れがあるのではないか、という説。QはYou cannotredo.「あなたはやり直せる(やり直せない)」で、やり直せない方のルートだったんじゃないか、と。信憑性は低いけど面白いと思った。

 

■ポップコーンを食べながらエヴァを観るな

私の席の隣には若いカップルが座っていた。彼らは予告の時からずーっとポップコーンを食べながら観ていた。ポップコーンを取り口に運ぶ行為は巨神兵東京に現るが始まってからも止まることはなく、エヴァ本編中もずっと食べ続けていた。まるで機械の反復運動のようにパクパクパクパク、そりゃもう馬鹿みたいに食べていた。

そんなに腹が減ってるなら観る前に食ってこいばーか!

こんなことを言うのが非常識なことくらいわきまえている。けれども言わせて欲しい。ポップコーンを食べながら観るくらいの気持ちなら、DVD発売してからてめーの部屋で観ろバカップル。

誰だって他人に軽んじられたら不快なものが一つや二つあると思う。ずっと大事にしてる、大切な感情があると思う。私は隣の席の輩に、そんな気持ちを踏みにじられたのだ。別にエヴァを神格化したり、マナーとして有り得ないとか、そういう大仰なことを言いたいのではない。ただごくごく個人的な感情として、大切な物を踏みにじられた気がしてひどく傷ついたと同時に憤りを感じたのだ。

例えば、大事な大事な飼い犬に不幸があってひどく落ち込んでいる時に、何も事情を知らない人間に「え?あの犬死んだの?まじで?かわいそーw」と言われたら、どんな気持ちだろうか?

これがエヴァじゃなければ、ポップコーンだって漬物だってなんだって食べてもらって構わない。ただし、エヴァンゲリオンなのだ。私のようにエヴァが特別な作品である人は少なくないと思う。私と同じくらい、あるいはそれ以上に大切だと思っている人もいるだろうと信じている。そういう人たちのために、私は私がしたような不快な思いをしてほしくないから、こういう馬鹿げたことを言った。

2012年11月23日

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』レビュー 「期待していたものと違った」人は一体エヴァに何を期待していたのか?

ヱヴァンゲリオン新劇場版:Qを観てきた。本当はもう少しほとぼりが冷めた頃に観たかったのだが、どうしようもなく我慢できなくなって結局公開2週目での観賞となった。都心を避けて住宅地のシネコンで観たけれど、言うまでもなく満席だった。エヴァTV版放映中は赤ん坊か、まだ生まれてないんじゃないの?と思うような小中高生が多かったように思う。私の隣の席には20歳前後の女の子が一人でぽつんと座っていた。


o04500344217990

 

■「期待していたものと違った」人は一体エヴァに何を期待していたのか?

Qの感想を調べてみると、案外評判が悪い。おそらく新劇場版:破を観て、エヴァを勘違いしていたのではないか、と思う。エヴァは単純にストーリーを追って楽しむような作品ではない。

Qの根幹にあるのは、「助けたいと思った人が助かってなくて、しかも自分がしたことのせいでたくさんの人が傷ついた。もう何もしなくていいって言われるし、いったい僕はどうしたらいいんだ?こんな世界は嫌だ」というシンジの気持ちである。この感情を軸に考えて行くのがひとつの見方である、と私は思う。

 

■アスカがずーっと怒っていた

初っ端のシーンからアスカが全開で嬉しくて泣きそうになったのはいいのだが、ずっとツンツンに尖っていた。14年間待ち続けたイライラが溜まりに溜まってシンジに当たったり可愛いところもあったけれど、破のほんわかアスカに比べると少し残念だったとは思う。最後の最後でシンジの手を引いて歩いて行くアスカは印象的だった。(Qで最高のシーンはあのラストだと思う)

破との落差で言うと綾波の方がきつい。そもそも綾波じゃないのだから。

 

■演出、戦闘シーンのクオリティは世界最高

相変わらず戦闘シーンのかっこ良さは折り紙つきである。日本アニメ界の最高技術を結集させたようなシーンが目白押し。本当にエヴァンゲリオンは日本の誇りだと思う。スタジオカラーはアニメというジャンルにおいて、間違いなく世界のトップをひた走っていると思う。

 

■「突き放された」と感じた?

ミサトさんには「あなたはもう何もしなくていい」と言われるし、アスカはしつこく邪魔をしてくるし、トウジの妹には「エヴァに乗るな」って言われるし、リツコさんからは「初号機とのシンクロ率は0.00%」って言われるし、綾波はもう居なくなっちゃったし、シンジの視点から作品を観ていると突き放されたと感じるかもしれない。ただし、その感情を勘違いしてエヴァQへの評価をするのは間違いである。現実を鑑みて欲しい。社会というのはそういうところではないだろうか。自分を否定されたり、何かを邪魔されたり、うまくいかないことばかりじゃないだろうか。シンジはまだ14歳で、そんな厳しい現実から逃げ出したいのも無理はない。冒頭にも書いたが、劇場では中高生の姿が目立った。彼らくらいの年齢でエヴァを観たら、やはりシンジのように感じてしまうだろう。そんな甘さが抜けていない年齢である。母親から突き放されて不貞腐れた子供のような。それが、ネット上での不評につながっているのではないか。

対照的に、TVシリーズから視聴している20歳以上の人間は「エヴァってこういうものだよな」という意見が多い。

個人的に批判を覚悟で幼稚な意見を言わせてもらうなら「ガキにエヴァがわかってたまるか!」である。後から勝手にやってきて思い入れのない意見を放り込むのはやめてもらいたい。

 

■次回で最後?公開は2013年予定

公式サイト(http://www.evangelion.co.jp/)によると、シン・エヴァンゲリオンは2013年公開予定である。ヱヴァンゲリオンではなくて、エヴァンゲリオンに戻っていることで、TVシリーズと新劇場版が重なりあった本当に最終的な完結作品になるのではないかと言われている。

終わってしまうのは悲しい。エンドロールが終わった後に予告が流れなかったら、私は席を立てないのではないかと心配になる。