「そんなの表現じゃない」という褒め言葉

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2012/11/24


僕は「表現者」を自称していますし、自分の仕事の7割はアーティスト的なものだとも思っています。

…そういうことを書くと、得てして「プロブロガー(笑)のイケダの文章が表現だなんてちゃんちゃらおかしい」といった具合の、非常に主観的な誹謗中傷が来るものです。


「そんなの表現じゃない」という褒め言葉

僕はブログをはじめとするメディアを用いて、「自分を切り売りする」実験的なアートを行っている感覚で日々を生きています。

常識という鎖に縛られた凡人が、メディアの力を使っていかにして自分を「解錠し」、人生を切り拓いていくか、というライフストーリーをリアルタイムに表現しているようなイメージです。日々を生きるこのプロセス自体が「表現」であるつもりです。詩的かつ偉そうにいえば、これをお読みの皆さんは、僕の死ぬまで続く作品の観客なわけです。

確かに僕の記事ひとつひとつをみると、単なるニュースや読書メモなど、表現とはほど遠い記事があるのも事実です。が、「メディアを通じてリアルタイムに生き様をシェアし、食べていく」という枠で捉えれば、僕の活動は「表現」の範疇に収まると思っています。


ピカソだって、「絵画的」と言われるのが嫌で、むしろそう言う人からあざ笑われるために次々と絵画を「破壊」してきたんじゃないか、というのが僕の解釈です。だから「これは映画的だ」と褒められるより、「これは映画ではない」と非難され、その「ではない」部分を極北まで突き詰めるのが僕にとっては面白いのです。

園子温監督の「非道に生きる」には、こんな文章が載っていました。これは僕も気分的にとても近いものです。

「そんなの表現じゃない」と言われることは、自分の現在地を確認できる価値ある誹謗中傷なのです。「そんなの表現じゃない」と言われているうちは、既存の枠に収まらず、それなりに人の心をざわつかせる活動ができている証拠ですので。