岐阜の町から 第9号・10月10日発行
10月5日6日と岐阜市は信長祭りで賑わいました。特に6日は武者行列が有り、メイン道路を信長に扮した岐阜市長を始め、柴田勝家、木下藤吉郎など信長の家臣たちの勇ましい武者姿が沿道の人々を楽しませてくれました。また、このパレードの少し前、路面電車を使い綱引き大会が行われ祭りは大いに盛り上がりました。
信 長 祭 り
武者行列は午後12時半から始まり、岐阜駅南口をスタート、岐阜市のメイン道路の神田町通りを北へ、岐阜市役所までのパレードでした。幸い天気にも恵まれ多くの市民が沿道に早くから詰め掛け、今か今かと待ち受けました。徹明町の角のメルサの前には、舞台が設けられ、朝、10時半だというのにもう河渡町の子供たちの馬頭太鼓の演奏が始まりました。、また路面電車や一般の車も通行止めとなり、円徳寺前辺りでは、二台の路面電車を引っ張る綱引きも行われました。
とかく柳ヶ瀬が年々寂しくなっていく今、柳ヶ瀬は人を呼び戻そうと躍起になっています。

河渡町の子供たちの演奏する馬頭太鼓 路面電車を使っての綱引き大会

岐阜市長扮する信長 信長の妻濃姫

岐阜市民謡協会の踊り 鵜飼太鼓
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岐阜の町から
第8号・9月15日発行
9月8日日曜日、墓参りの帰りにいつもの長良川沿いを車で走りました。千鳥橋を渡って右岸道路を走っていると、ふと川の方を見ると、若者たちが水上バイクを楽しんでいました。思わず車をとめ、持っていたデジカメでシャッターを押しつづけました。
長良川寸景
長良川は岐阜のシンボル。長良川河口堰で良きにつけ悪しきにつけ全国にその名を広めました。今では少し静まりましたが、河口堰は本当に必要であったかどうか未だに疑問が残ります。三重県の亀山市は河口堰からの取水を拒否、東海三県の各自治体でもその費用負担に頭を悩ませているのが現状です。
しかし、いろいろありますが、今年も長良川の夏の風景は以前と変わりません。ただ、水上バイクの使用できる地域が限定され、若者たちがのびのびと水遊びする範囲が狭くなったのは安全上やむをえないことかもしれません。千鳥橋の近くで、バーベキューをするグループ、水遊びをする家族連れ等々、楽しみ方は違っても、長良川は海のない岐阜県人にとって、唯一の夏の遊び場なのです。
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長良橋から車で約十分来ればこうした風景が見られる右岸(北側)から左岸
(南側)を見る。この少し右(下流)で今新しい橋(日野大橋)が完成間近である。

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岐阜の町から
第7号・6月15日発行
5月21日の朝日新聞に、岐阜市加納矢場町の石川さん宅で、和傘の天日干しが行われているとの記事を見て,早速カメラを持って出かけました。からりと晴れた日の午後のことでした。
岐阜市加納矢場町(和傘の天日干し)
岐阜市加納は、江戸時代は美濃国加納藩として栄えました。城下には、中仙道加納宿があり,今も所々にその面影を残しています。江戸時代末期、泰平の世が続いた徳川時代も陰りが見え始めました。この加納藩とて例外ではありませんでした。加納藩の当時の藩主は、家来たちに生活の糧として、内職を勧めました。そのため城下のあちこちで和傘作りが盛んに行われるようになりました。今から50年程前はまだ、あちこちの草原は和傘の干し場となり,、油をひいた傘が所狭しと干してありました。その光景も時と共に少なくなり、今では矢場町のここ石川さんのお宅の庭で、わずかに昔の光景を見ることが出来ます。また、加納城下には当時を偲ばせる町の名前が今尚残っています。この矢場町もその一つです。江戸時代、矢を使う武家衆が住んだ町とされ,また、鉄砲町、長刀堀、大手町、西丸町、東丸町、大手町などなど。江戸時代の名残を留める加納の町を是非散策してください。(「岐阜ところどころ」の加納城を参照してください。
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加納矢場町の表示板 石川さん宅の向かいに昔ながらの
格子戸の家がありました。

和傘の天日干し(石川さん宅) 仕事場を見せてもらいました。
油の塗ってないかわいい和傘が 並んでいました。(石川さん宅)
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岐阜の町から
第6号・5月15日発行
5月11日は鵜飼開き。今年は、例年にない多くの観光客で長良川は賑わったと言うことです。そのあくる日、前夜の賑わいは如何ばかりであったろうと、デジカメを持って長良橋の鵜飼の屋形船の発着所まで出かけてみました。
長良橋南詰め(鵜飼開かれる)
・今年は長良川で鵜飼が行われるようになって1300年になるといわれています。徳川家康はこの鵜飼を観覧の折、鮎寿司をご馳走になり,すっかり気に入り、以来、明治になるまで,この地から江戸へと毎年のように鮎寿司を献上したといわれています。冷蔵庫もない時代、鮎寿司を傷めることなく江戸まで運ぶことは並大抵のことではなかったに違い有りません。また、明治になってからは、宮中へ鮎の初物を献上しています。文人も多数この長良川を訪れ、短歌、俳句を歌っています。
5月12日久しぶりに晴れた日曜日の昼前、カメラを持って長良橋の鵜飼の観覧船乗り場へ行ってきました。昼間のこととて観光客もなく,前日に始まったばかり
の鵜飼ののれんが立っていました。長良川ウオーキングに参加した人々が長良橋を渡って行きました。尚、鵜飼は5月11日から10月15日まで行われます。詳しくは「岐阜の情報」から「岐阜観光協会」のHPへアクセスしてください。

鵜匠の像 灯台が復元されています。
長良橋の脇にあります。 前に「長良川艶歌」の歌碑
があります。

鵜飼の遊覧船の乗船客の待合所 遊覧船の乗り場。ここから河原へ降 りられる。
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岐阜の町から
第5号・4月22日発行
・そういえば今日は道三祭りの日、と気がついたときは4月7日の午前。私は急いで車をとばし、柳ヶ瀬へ駆けつけました。
柳ヶ瀬・平成14年4月7日午前の表情
・実は道三祭りは、前日の6日が最も賑やかだったようです。パレードが行われ、神田町通りは、いくつかの神輿で賑わったそうです。私はその時間は、仕事でとても出かけられませんでした。仕方なく7日にカメラを持って取材に行ったのです。朝、10時少し過ぎ、車をいつもの駐車場へ入れ神田町通りを北へ歩きました。アーケードの下には、毎年この時期飾り付けられる、フラッグアートなるものが下げられ、歩く人の目を引きました。祭りの賑やかさなどなく、若宮町通りへ出ると露店が沢山、道の両側に並んでいました。私は、その一つ一つを眺めながら、柳ヶ瀬のごみごみした小道を歩き、高島屋の前から、小金公園をとおり帰りました。柳ヶ瀬も地方の都市の例に漏れず、日に日に寂しくなっていきます。マクドナルドが柳ヶ瀬から姿を消すそうです。長崎屋が閉店したばかりだというのに。

勝田町通りのアーケードの下に 名鉄メルサ前
下げられたフラッグアート 朝早いせいか人の姿も見えません。

若宮町通りには露店が出ていました。 高島屋前の表情
昔懐かしいお面が並んでいます。 私が子供の頃、ここは岐阜劇場という映画館 でした。今でもこの通りは劇場通りといいます。
こうしたシャッターが下りた店は
柳ヶ瀬にもところどころにあります。
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岐阜の町から 第3号・ 2月15日発行
・1月の中旬、今年も加納朝日町通りと桜道に赤鬼が登場しました。
赤 鬼 登 場
・加納天満神社の裏にある玉性院の赤鬼が朝日町の角と、旧東陸橋の上り口の清水川の辺に登場。道行く車に交通安全を呼びかけました。毎年もうおよそ30年くらい続いてこの時期に出現。何を申しましょう。この玉生院で2月4日に行われる豆まきの宣伝をかねているのです。背丈およそ10メートルはあるでしょうか。初めてお目にかかる人には少し驚きです。鬼の前を通る人は思わず上を見上げ、車で通りかかる人は、安全運転を心がけるべくハンドルを改めて握りなおす。赤鬼は邪魔にされるどころか、この時期ここに現れないと返って寂しくなりそうです。

朝日町1丁目の角に立つ赤鬼

清水川辺に立つ赤鬼
加納から岐阜市街へ通じた東陸橋は
取り払われ、今は東海道線が上を通っている。
右端のほうに名鉄名古屋本線が見える
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