■西武新宿線の起点は高田馬場駅だった
悲運の駅、西武新宿。ホームを歩いていたら気になるものを見つけた。「2K」と書かれた杭(くい)が線路の横にあったのだ。この杭は距離標(キロポスト)といって、起点からの距離を示している。2Kは2キロという意味だ。発着駅なら「0(ゼロ)K」のはず。西武新宿駅は新宿線の起点ではないのか? 西武鉄道に聞いた。
「新宿線の起点は高田馬場駅です。西武新宿駅よりも開業が早かったのです」
旧西武鉄道が「東村山―高田馬場」間で開業したのは1927年(昭和2年)。当時は村山線と呼ばれていた。旧西武鉄道はその後、池袋線を運営していた武蔵野鉄道と1945年(昭和20年)に合併し、西武農業鉄道となった。翌46年には西武鉄道と改名する。
一方、西武新宿駅の開業は1952年。村山線では長らく高田馬場が発着駅だったため、戦後の新宿への延伸後も起点は高田馬場駅のまま変わらなかったのだ。
駅の利用者数を見ても、高田馬場駅が新宿線最大のターミナルであることがわかる。西武鉄道によると、高田馬場駅の乗降者数(2011年度、1日平均)は約29万人。これに対し西武新宿駅は約17万人だ。やはり乗り換えの不便さが響いているようだ。ちなみに西武鉄道全体では池袋線の池袋駅が約47万人で最も多い。
■西武線の都心乗り入れが遅れた理由
西武鉄道の歴史について調べていたら、前出の鉄道愛好家、森口さんが興味深い話を教えてくれた。都心乗り入れを巡る秘話だ。
西武鉄道は1983年(昭和58年)に地下鉄有楽町線との直通運転を始めた。1960年代から始めていた他社と比べ、都心への乗り入れはずいぶん遅かった。なぜか。先ほども登場した西武鉄道の元常務、長谷部氏が今度は雑誌「鉄道ジャーナル2007年1月号」でこんな裏話を披露している。
「西武グループの創業者である堤康次郎、我々は”大将”と呼んでいましたが、大将と東急の五島慶太氏との確執が原因だったのです」
「都心乗り入れをすれば、なんらかの形で五島氏や、その息のかかった運輸官僚と関わることになります。五島氏が深くその設立に関わった営団と協議することすら、大将にとっては耐え難いことでした。ですから都心に乗り入れること自体が西武社内ではタブーでした」
ではなぜ、方針が変わったのか。長谷部氏は続ける。
「郊外鉄道と地下鉄各路線との相互乗り入れが具体化する中で、西武社内では『このままでは他社から取り残されるのでは』という別の危機感が徐々に生まれていったからです」
同社はまず、地下鉄東西線との直通化を希望した。しかし東西線は既に中央線との話がまとまりつつあり、「当局から相手にしてもらえなかった」(長谷部氏)。曲折の末、実現したのが地下鉄有楽町線との直通だったという。
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