■狭くて乗り入れを断念、ルミネエストに計画の痕跡
順調に進んでいたかに見えた計画がなぜ、実現しなかったのか。長谷部氏はインタビューでこう答えている。
「島ホーム1本で6両2線のスペースしかとれないという制約がありました。新宿線の電車は、4両から6両、8両、10両とあっという間に増えていきましたから、6両2線ではどうしようもなくて断念したのです」
無理して乗り入れても、すぐにパンクしてしまう――。同社は計画をあきらめた。1977年(昭和52年)にはプリンスホテルや商店街が入った駅ビルを建設し、仮駅はついに本駅となった。
実はこのときの計画の痕跡が今も残っている。ルミネエストの建物は1階の天井が高く、2階はかなり低い。1階の吹き抜けもやたらと広い。かつての設計図を見ると、このフロアの形が西武線乗り入れ計画の名残だとわかる。
■バブル期には地下でつながる構想も
幻となった新宿東口乗り入れ計画。実はバブル期にも別の構想があった。地下でJR駅と接続するというプランだ。
1989年2月8日付の日本経済新聞夕刊に詳細が載っていた。それによると新宿線の「上石神井―西武新宿」間(12.8キロ)の地下50m付近に急行用の線路を新設し、地上と地下とで複々線化する。自社路線の地下なので用地買収の手間はかからない。しかも途中駅は高田馬場のみ。何とも意欲的な構想だった。1997年(平成9年)の完成を見込んでいた。
運賃の上乗せまでして資金を集めたこの計画もまた、実現しなかった。1995年(平成7年)1月に突如、同社が計画の無期延期を発表したのだ。理由は費用の膨張と乗客の減少だった。新宿線の乗客が伸び悩む一方、当初1600億円と見積もった工事費が、地下水対策などがかさみ3000億円に膨らんだ。バブル崩壊の荒波を受け、悲願の東口進出は再び幻となった。
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