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大籠 岩手県東磐井郡藤沢町大籠地区。知名度は島原のそれとは比較にならないが、切支丹殉教の地である。現在、藤沢町にキリシタン殉教公園、資料館、クルス館が完成し、その歴史を伝えている。大籠のキリシタンの残された史跡についてたずね歩いてみた。資料館を訪ねた後周辺の史跡を歩いてみると歴史的背景もわかり、良いと思う。
大籠にキリスト教が広まったのは今もっとも有力な説として、元々砂鉄を原料とした、たたら製鉄で炯屋(どうや)が数多くあった。大籠での製鉄は当初芳しくなかった。そこで永禄元年(1558年)に師匠であった千松兄弟を吉備の国から呼び寄せた。そして、この兄弟がキリスト教を布教したと考えれているようである。この後、さらに炯屋が増えるとともにキリスト教が広まっていった。その後、徳川幕府がキリスト教の禁教を命じて、キリスト教弾圧が大籠に届いたのは1639年。300余人が殉教した。
藤沢町がこのキリシタン記念館を作ったことは評価できることだと思う。
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