現在位置:
  1. 朝日新聞デジタル
  2. 社会
  3. その他・話題
  4. 記事
2012年11月22日16時37分

印刷用画面を開く

mixiチェック

このエントリーをはてなブックマークに追加

被爆電車、記憶乗せ未来へ 広島電鉄100年

【動画】広電100年/復興見守った被爆電車、今日も走る=小玉重隆撮影

写真:新型の電車に交じって通勤時間帯に走る「被爆電車」=広島市中区、小玉重隆撮影拡大新型の電車に交じって通勤時間帯に走る「被爆電車」=広島市中区、小玉重隆撮影

写真:「被爆電車」の中では、乗客たちの笑い声が響いていた=広島市南区、小玉重隆撮影拡大「被爆電車」の中では、乗客たちの笑い声が響いていた=広島市南区、小玉重隆撮影

写真:通勤通学時間帯を走る「被爆電車」の中で参考書を広げる女子生徒=広島市西区、小玉重隆撮影拡大通勤通学時間帯を走る「被爆電車」の中で参考書を広げる女子生徒=広島市西区、小玉重隆撮影

写真:「被爆電車」に乗って通学する生徒たち。終点の西広島駅で降りていった=広島市西区、小玉重隆撮影拡大「被爆電車」に乗って通学する生徒たち。終点の西広島駅で降りていった=広島市西区、小玉重隆撮影

写真:「被爆電車」の運転台に座る元運転士の山崎政雄さん=広島市中区、小玉重隆撮影拡大「被爆電車」の運転台に座る元運転士の山崎政雄さん=広島市中区、小玉重隆撮影

図:広島電鉄の路線図拡大広島電鉄の路線図

 【山村哲史】午前5時半、記者は広島市中区の広島電鉄本社の横にある千田車庫を訪ねた。次々と車両が街に繰り出す。車体に「651」とある1両を見つけた。

 67年前の8月6日、爆心地の南約700メートルで被爆。爆風で飛ばされて脱線し、黒こげになった「被爆電車」だ。

 当時被爆した電車のうち2両は今も現役なのだ。

 「651」は翌年3月に走行を再開し、毎朝数時間、主に広島港―広電西広島間を通勤・通学の市民らを乗せて走り続けている。

 「元気に走りよるのは、うれしいような。でも、この車内に乗っていた人がおるんかと思うと悲しくなりますよね」。この日の運転士は糸原貞実さん(51)。車両の扉も窓枠も床もすべて木製。ギシギシと全身を震わせて動き出す。速度計はない。感覚を頼りに、最速40キロで街を行く。

 午前6時45分、広島港。江田島市の和田弘子さん(59)が乗り込んできた。職場の建設会社に向かう途中。父親(84)は電車に乗っていて被爆したという。「今も現役でがんばっている電車を見ると、私も頑張っていかなきゃと思う」

 午前7時。車内は制服姿の生徒でいっぱいに。テレビ番組の話題で盛り上がっていた3人組の1人、中学1年生の田中萌子さん(13)は「最近学校で被爆電車について教わった。大事に乗らないと、と思った」。

 午前9時10分、車庫に戻った。もう1両の現役被爆電車「652」も並ぶ。

 その一角に数少なくなった木製車両の修理を手がける「木工組」の作業場がある。床が木製の車両は10両ほどあるが、内装のほぼ全てが木でできているのは今や被爆電車ぐらいという。

 木製の窓枠や扉は雨などで腐りやすく、組長の朝原博文さん(49)が指でなぞって状態を確かめる。交換する場合は、年月を経て微妙に一つ一つサイズが違ってきている窓に合わせて、手作業で窓枠を削るのだという。朝原さんは「木製電車があっての職場。残してもらえるなら、定年まで精いっぱい愛情を注ぎたい」と話した。

続きを読む

この記事の続きをお読みいただくには、会員登録が必要です。

無料登録で気軽にお試し! サービスのご紹介は こちら

PR情報
検索フォーム

おすすめ

ファッションから工芸、食、暮らしまで。沖縄に恋したビームスが案内する新しい「宝の島」の歩き方。BEAMSのトラベルガイド第1弾。

諏訪の御柱祭、熊野の火祭り、岩手の蘇民祭、浅草三社祭など、全国100以上の祭りから、隠された古代を発掘する

完結編の本作は、北リアス線の車内アナウンス音源と映像。震災4時間前の運行列車の模様や、津波に襲われた社屋の状況、震災前の南北リアス線全線の映像なども

デザインの秘密からあの高さを支える建築最新技術まで、誰かに語りたくなるうんちく満載!

嵐が自らの興味を主題に日本国内を訪ねた「ニッポンを再発見する」旅の記録

運転室から見る風景や新大坂―博多間までの走行シーンなどを収録した魅力満載のDVD


朝日新聞購読のご案内
新聞購読のご案内事業・サービス紹介

アンケート・特典情報

朝日新聞社会部 公式ツイッター