「やったこともないのに語るな」

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2012/11/23


要するに…
・僕のインタビューに対して「やったこともないのに語るな」という批判が来ているらしい
・「やったことがない人の意見」にも価値はある
・が、それらの意見は、「希少性」と「アクションを起こすための当事者性」は低い
・「やったこともないのに語るな」と語る人からは、序列意識が透けて見える
・未経験者である自覚を持ち、自信をもって発信すればよい


某氏より教えて頂いたのですが、NHK出版の3Dプリンタに関する僕のインタビューが、デジタルファブリケーション業界周辺で物議を醸し出しているらしいです。


「使ったこともないのに語るな」

その批判の主要なものは「使ったこともないのに語るな」というものらしい。

確かに僕は3Dプリンタをユーザーとして使ったことは未だありません。ですが、それを理由にして「語るな」というのは強烈な違和感を覚えます。政治を語るなら政治家になってから語れ、的な荒唐無稽な批判に聞こえます。

これはどんなテーマにも共通しますが、「使ったことがない人の意見」は、「使ったことがない人の意見」としての価値があります。受け手は脊髄反射的に怒り出すのではなく、それはそういうものとして、「使ったことがない人はこう考えるんだなぁ」と捉えればよい話です。


希少性と当事者性は低い

ただ、「やったことがない人の意見(例えば「政治に参加したことがない人の意見」)」は基本的に大多数となるので、希少性は低い傾向があります。「使ったことがない人の意見」は容易にコモディティ化していくでしょう(なので、僕のインタビュー記事は早晩価値がなくなっていくと思われます)。

なにより、得てして発言主の当事者性が低いので、議論の結果として具体的なアクションが起きる可能性が低いです。「やったこともないのに語る」ことに問題があるとすれば、ここが最大の難点でしょう。「やったことがない人」は、ほとんどの場合、一緒に問題解決に乗り出してくれないのです。


例えば、僕は「NPOが寄付を集められるようになるために、NPOのマーケティング支援」を行っているのですが、このテーマに関して「やったことがない人」の意見を貰うことは、参考以上のものにはなりません。

僕は具体的な問題解決を狙っているので、できれば「やったことがある人」の意見が聞きたいですし、さらにいえば彼が「(今も)やっている人」であると百人力です。すぐにでも具体的なアクションが発生するでしょう。

「やったことがない人」であり「やろうとも思っていない人」とお話をしても、「ご意見ありがとうございます」の域を抜け出せません。彼らが僕と一緒に動いてくれることはないでしょう。

その意味では、当事者性の有無は、問題解決を目的にした議論においては、非常に重要なポイントとなります。

関連記事:「レベルの高い意見」とは何か?レベル1〜3で分類してみた


長々と語りましたが、今回のインタビューは問題解決を目的にしているわけでもなく、ただ「3Dプリンタの情報も扱うテック系ニュースサイト運営者」として思うことを語ったのみです。

ご存知の通り、僕はデジタルファブリケーションに限らず新しいテクノロジー全般が好きなので、国内では比較的早く3Dプリンタの情報には着目をしていました。そういう立場でカジュアルに語ったについて、「使ったこともないのに語るな」と糾弾されることは、強く違和感を覚えるわけです。


裏にあるのは序列意識

「やったこともないのに語るな」という批判の裏に、「業界のことも知らない素人が偉そうに語るな」という序列意識を僕は嗅ぎ取ります。

「やったこともないのに語るな」と語る方々に対しては、「何も知らない素人」でも言葉の価値は相応にあるし、それが言葉をはぎ取る理由にはならない、と僕は回答します。取るに足らない意見なら、そもそも気にしなきゃいい話です。

(これを書いていて、以前、マーケティング界隈の偉い人に「お前はコミュニケーションを語るな」なんて言われたことを思い出しました。なんだそりゃ、って感じですね。)


「やったこともないのに語るな」という批判は、僕が経験したものに限らず、様々なところで見受けられますし、皆さんも投げかけられたことがあるかもしれません。

いいんですよ、やったことがなくても。それはそういう立場からの意見ですから。未経験であることさえ自覚していればいいのです。さもやったことがあるかのように語るのはやめて、開き直って素人の言葉を発言しましょう。


関連本。「やったこともないのに語るな」は載っていませんが、「おまえのためを思って言ってるんだぞ!」「ひとりで生きてるんじゃないからな!」など、「あるある」と頷いてしまう言葉たちが槍玉に挙がっています(ブックレビュー)。