核兵器は過剰な兵器
国際政治学者ジョセフ・ナイは上記引用のように述べ、核兵器の登場によって、戦争が他の手段による政治の延長であったクラウセヴィッツの世界はもはや過ぎ去ったと指摘しました。また、核兵器は5つの大きな政治的影響をもたらしたとナイは言います(ナイ前掲書170ページ);
軍事力は何らかの目的を達成するための手段であるはずですが、ナイの言うとおり核兵器はあまりにも強力過ぎるため、いかなる政治目的に対しても過剰な手段となってしまいました。「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん」というわけですね。我が国の科学技術が誇る ねこ型ロボット は、苦手なねずみ相手に大量破壊兵器を用いようとして、あわや地球が滅亡しかかったことがあります。ねずみ1匹を退治するのに、地球を破壊するのは割に合いません。

(ねずみに地球破壊爆弾を使おうとするねこ型ロボット。出典:てんとう虫コミックス7巻「ネズミとばくだん」より)
核兵器は使えない兵器
「核兵器はもはや現実的には使えない兵器となった」という意見は、日本に核爆弾が投下された直後から出ています。核抑止戦略家のバーナード・ブローディは1946年の著書で、「敵に勝利するための代価が勝利によって得られるものよりはるかに大きい時、勝利そのものの意味がない」※1としています。核兵器の役割はあくまでも核攻撃を止めさせることであるとしたのです。
ブローディはさらに、「アメリカが核を独占しているよりソ連も核を保有した方が国際体系は安定する」と考えていました。限界効用逓減の法則※2から考えて、米ソの核が一定量に達すれば、それ以上の核保有は効用を持たなくなるから核軍拡競争は生まれない、というわけです。これは当時の米統合参謀本部にとっては受け入れられない考え方でしたが、その後訪れた相互確証破壊(MAD)状態を偶然にも予見したものとなりました。
このように、ジョージ・ケナンやブローディに代表される「核兵器は使えない派」は、いかにして核戦争を抑止するかについては論じますが、抑止失敗後のことをあいまいにしました。核兵器が使われた後の世界をわざと計算不能にすることで、抑止効果を持たせようとしたのです。
そしてそれは、MADを前提とした核の先制不使用(No First Use:NFU)政策によって強化されると主張します。核戦略においては先制使用される恐怖が安全保障のジレンマを引き起こすため、NFUを相互に約束し合うことで安定性が高められるというわけです。どちらからも手を出さなければ、核による殴り合いは起こりません。敵の通常戦力による攻撃に対しては、こちらも十分な通常戦力を整えることで抑止せよ、という主張です。
核兵器は使える兵器
ブローディと同時期、核戦略家ウィリアム・ボーデンは正反対の結論を導きました。彼は、核兵器を実戦兵器―「使える兵器」―としてとらえたのです。核ミサイルの撃ち合いを想定したこの考え方は軍の支持を受け、その後、柔軟反応戦略が採用されていきます。
ケナンに代わって国務省政策企画本部長に就任したポール・ニッチェも、核使用の具体的なシナリオを用意することが抑止を強めると考え、ケナンらが唱えたNFUに猛反対しました。戦略家のコリン・グレイは、「核抑止が失敗した時、核戦争を遂行しかつ勝利する戦略がないのなら、それは道義に反する」※3と述べています。
もちろん、「使える派」にとっても、核兵器の使用(特に先制使用)が極めて閾値の高いものであるとする点では一致します。しかし、自分がなかなか使えない兵器が、敵も同じように使いづらいとは限らない、という考え方が「使えない派」と違うところです。冷戦時代のソ連はさておき、意思決定システムがアメリカとは異なる国にとって、核兵器はアメリカが考える以上に「使える兵器」であるかもしれません。
さらに、「使えない派」のNFUはMAD状態を前提としていますが、MAD状態にない敵に対してNFUが有効かどうかは疑わしい、と「使える派」は考え、抑止失敗後の世界に柔軟に対応する態勢を整えようとします。
日本は核武装するとしたらどちら派?
日本も核武装を考えるのであれば、核を「使えない兵器」として位置づけるのか、それとも「使える兵器」とみなすのかといった具体的な核戦略が必要になります。ところが、日本の核武装論の本をいくつか読んでみても、核兵器を戦略上どのように位置づけるのかについて具体的に言及されたものは見当たりませんでした。
ひとつの指標として、比較的多数の日本の核武装論者がミサイル防衛(MD)に懐疑的もしくは反対であることです。MDは抑止が破綻した後の世界のシナリオに準備するものですから、「核兵器は使える派」に属します。正確には「こちらが使うというより敵に使われることを想定して備える派」のためのシステムです。MDに反対ということは、その核武装論者は核兵器を「使えない/使われない」ものと考えているのでしょうか。
確かにミサイル防衛はMADを崩すものとして核抑止論的にはあまり好ましいものとはされません。なので、冷戦期の米ソのような状況を想定しているのであれば、MDに反対しつつ、中国や北朝鮮とMADに持ち込むという考え方も理解できます。ただ、中国や北朝鮮と日本の間でMADが成立するとは考えにくいですし(狙ってできるものでもない)、とりわけ北朝鮮が核の先制使用を仕掛けてこないと保証するのは難しいですね。
一方、核兵器を「使える/使われる」兵器だと考えているのであれば、核戦争における相対的優位をつくりだすために、MDで損害限定を図るのが当然です。
中国はNFUを採用していますね。中国の核は基本的に対米戦略兵器ですが、米中の核戦力は相当な格差があります。一応MD能力を持つと見られる地対空システムは持っていますが、核戦力バランスを不安定にするほどのレベルにはありません。
中国にとって核兵器は「自分からは使えないし、アメリカには使って欲しくない兵器」なのですが、同時に、「アメリカは使ってくるかもしれない兵器」として見ていることが分かります。核ミサイルの撃ち合いとなると中国はアメリカに全く歯が立ちません。そこで、NFUを宣言することでアメリカが核を先制使用しないよう牽制しているわけです。そうしておいて、殴り合いは通常兵器でやろうよ、というのが中国の核戦略です。核の先制使用を否定していないアメリカの核戦略が、中国の核使用を抑えているんですね。
核兵器が抑止するものは核兵器の使用
核兵器は万能薬ではありません。破壊力は強大ですが、できること、できないことがあります。特に、抑止力と対処力とは区別しておいた方が良いと思います。
アメリカの核兵器は中国の海洋覇権拡大や北朝鮮の核開発を思いとどまらせるためのものではありません。彼らが核兵器を使おうとした時、それが実際に使用されないようにするための兵器です。例えば、北朝鮮の核開発をやめさせるのは、説得(persuade)であって、抑止(deterrence)ではありません※4。
北朝鮮の方も核のカードを抑止力として使ってはいるわけではなく、アメリカや日本に対する「強要(compellance)」政策の一つとしてちらつかせているのです※5。北朝鮮の抑止手段は、長距離砲やスカッドをはじめとしたミサイル戦力である点は抑えておきたいところです。
ですから、日本が核武装さえすれば北朝鮮の核開発や拉致問題が好転すると思っているとしたら大間違いですし、北方領土、竹島、尖閣諸島などの領土問題も日本優位になるというのは幻想です。中ソ国境紛争が示す通り、核保有国同士であっても全面戦争より低い強度の限定紛争は回避できません。核保有国に非核国が挑戦するという前例は枚挙に暇がなく、朝鮮戦争やフォークランド紛争、最近ではグルジアがロシアに突っかかったこともありました。南シナ海領有権問題では、非核諸国が中国に挑んでいます。国境紛争は、核兵器の有無にかかわらず発生するものなのです※6。
(5)につづく。
注※1 Barnard Brodie, "Implications For Military Policy," in Barnard Brodie, ed., The Absolute Weapon : Atomic Power and World Order, pp. 74.
注※2 砂漠でのどが渇いてしょうがない時、コップ1杯の水はたまらなく美味しいものです。2杯、3杯、、、くらいまでは美味しいですが、10杯も飲む頃には最初の一杯の美味さは得られません。
注※3 Colin S. Gray and Keyth Payne, "Victory is Possible," Foreign Policy, no. 39, Summer 1980, pp. 14-27参照。
注※4 柳澤協二、『抑止力を問う』、20ページ。アレクサンダー・ジョージのいう強制外交に属するアプローチです。
注※5 柳澤前掲書、22ページ。
注※6 一般論的に、被抑止側が死にもの狂いになっている時や、すでに事態が動いてしまっている時には抑止は効きません。また、被抑止側が国内政治体制や国際戦略上の脆弱さゆえに自暴自棄になっている場合にも抑止は逆効果となります。現状に挑戦して事態を打開しようとする敵を威嚇によって抑止しようとすれば、敵はかえって攻勢を増す危険があります。
他にも、被抑止側が領土や国民といった守るべき対象を持たない場合、もしくはそれらを失うことを恐れない場合にも、抑止は働きません。偶発的な事件をきっかけにして起こる衝突も抑止の対象ではありません。あくまで本格的な武力侵攻を対象にしたものです。


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核兵器の持つ巨大な破壊力は、軍事的な手段と国家が追及する事実上すべての政治的目的の間に不均等をもたらした。この目的と手段の乖離は、ほとんどの状況で究極の兵器の使用に麻痺状態を生み出した。1945年以来、核兵器は使用されていないため、核兵器が役に立つとみなす考えには限界がある。それは単にあまりにも強力で、あまりにも採算がとれないものなのである。
国際政治学者ジョセフ・ナイは上記引用のように述べ、核兵器の登場によって、戦争が他の手段による政治の延長であったクラウセヴィッツの世界はもはや過ぎ去ったと指摘しました。また、核兵器は5つの大きな政治的影響をもたらしたとナイは言います(ナイ前掲書170ページ);
- 限定戦争の概念の復活
- 大戦争に代わって危機が重要となった
- 抑止戦略がカギを握る
- 核戦争の回避
- 核兵器は戦時には使用不可能とみなされるようになった
軍事力は何らかの目的を達成するための手段であるはずですが、ナイの言うとおり核兵器はあまりにも強力過ぎるため、いかなる政治目的に対しても過剰な手段となってしまいました。「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん」というわけですね。我が国の科学技術が誇る ねこ型ロボット は、苦手なねずみ相手に大量破壊兵器を用いようとして、あわや地球が滅亡しかかったことがあります。ねずみ1匹を退治するのに、地球を破壊するのは割に合いません。
(ねずみに地球破壊爆弾を使おうとするねこ型ロボット。出典:てんとう虫コミックス7巻「ネズミとばくだん」より)
核兵器は使えない兵器
「核兵器はもはや現実的には使えない兵器となった」という意見は、日本に核爆弾が投下された直後から出ています。核抑止戦略家のバーナード・ブローディは1946年の著書で、「敵に勝利するための代価が勝利によって得られるものよりはるかに大きい時、勝利そのものの意味がない」※1としています。核兵器の役割はあくまでも核攻撃を止めさせることであるとしたのです。
ブローディはさらに、「アメリカが核を独占しているよりソ連も核を保有した方が国際体系は安定する」と考えていました。限界効用逓減の法則※2から考えて、米ソの核が一定量に達すれば、それ以上の核保有は効用を持たなくなるから核軍拡競争は生まれない、というわけです。これは当時の米統合参謀本部にとっては受け入れられない考え方でしたが、その後訪れた相互確証破壊(MAD)状態を偶然にも予見したものとなりました。
このように、ジョージ・ケナンやブローディに代表される「核兵器は使えない派」は、いかにして核戦争を抑止するかについては論じますが、抑止失敗後のことをあいまいにしました。核兵器が使われた後の世界をわざと計算不能にすることで、抑止効果を持たせようとしたのです。
そしてそれは、MADを前提とした核の先制不使用(No First Use:NFU)政策によって強化されると主張します。核戦略においては先制使用される恐怖が安全保障のジレンマを引き起こすため、NFUを相互に約束し合うことで安定性が高められるというわけです。どちらからも手を出さなければ、核による殴り合いは起こりません。敵の通常戦力による攻撃に対しては、こちらも十分な通常戦力を整えることで抑止せよ、という主張です。
核兵器は使える兵器
ブローディと同時期、核戦略家ウィリアム・ボーデンは正反対の結論を導きました。彼は、核兵器を実戦兵器―「使える兵器」―としてとらえたのです。核ミサイルの撃ち合いを想定したこの考え方は軍の支持を受け、その後、柔軟反応戦略が採用されていきます。
ケナンに代わって国務省政策企画本部長に就任したポール・ニッチェも、核使用の具体的なシナリオを用意することが抑止を強めると考え、ケナンらが唱えたNFUに猛反対しました。戦略家のコリン・グレイは、「核抑止が失敗した時、核戦争を遂行しかつ勝利する戦略がないのなら、それは道義に反する」※3と述べています。
もちろん、「使える派」にとっても、核兵器の使用(特に先制使用)が極めて閾値の高いものであるとする点では一致します。しかし、自分がなかなか使えない兵器が、敵も同じように使いづらいとは限らない、という考え方が「使えない派」と違うところです。冷戦時代のソ連はさておき、意思決定システムがアメリカとは異なる国にとって、核兵器はアメリカが考える以上に「使える兵器」であるかもしれません。
さらに、「使えない派」のNFUはMAD状態を前提としていますが、MAD状態にない敵に対してNFUが有効かどうかは疑わしい、と「使える派」は考え、抑止失敗後の世界に柔軟に対応する態勢を整えようとします。
日本は核武装するとしたらどちら派?
日本も核武装を考えるのであれば、核を「使えない兵器」として位置づけるのか、それとも「使える兵器」とみなすのかといった具体的な核戦略が必要になります。ところが、日本の核武装論の本をいくつか読んでみても、核兵器を戦略上どのように位置づけるのかについて具体的に言及されたものは見当たりませんでした。
ひとつの指標として、比較的多数の日本の核武装論者がミサイル防衛(MD)に懐疑的もしくは反対であることです。MDは抑止が破綻した後の世界のシナリオに準備するものですから、「核兵器は使える派」に属します。正確には「こちらが使うというより敵に使われることを想定して備える派」のためのシステムです。MDに反対ということは、その核武装論者は核兵器を「使えない/使われない」ものと考えているのでしょうか。
確かにミサイル防衛はMADを崩すものとして核抑止論的にはあまり好ましいものとはされません。なので、冷戦期の米ソのような状況を想定しているのであれば、MDに反対しつつ、中国や北朝鮮とMADに持ち込むという考え方も理解できます。ただ、中国や北朝鮮と日本の間でMADが成立するとは考えにくいですし(狙ってできるものでもない)、とりわけ北朝鮮が核の先制使用を仕掛けてこないと保証するのは難しいですね。
一方、核兵器を「使える/使われる」兵器だと考えているのであれば、核戦争における相対的優位をつくりだすために、MDで損害限定を図るのが当然です。
中国はNFUを採用していますね。中国の核は基本的に対米戦略兵器ですが、米中の核戦力は相当な格差があります。一応MD能力を持つと見られる地対空システムは持っていますが、核戦力バランスを不安定にするほどのレベルにはありません。
中国にとって核兵器は「自分からは使えないし、アメリカには使って欲しくない兵器」なのですが、同時に、「アメリカは使ってくるかもしれない兵器」として見ていることが分かります。核ミサイルの撃ち合いとなると中国はアメリカに全く歯が立ちません。そこで、NFUを宣言することでアメリカが核を先制使用しないよう牽制しているわけです。そうしておいて、殴り合いは通常兵器でやろうよ、というのが中国の核戦略です。核の先制使用を否定していないアメリカの核戦略が、中国の核使用を抑えているんですね。
核兵器が抑止するものは核兵器の使用
核兵器は万能薬ではありません。破壊力は強大ですが、できること、できないことがあります。特に、抑止力と対処力とは区別しておいた方が良いと思います。
アメリカの核兵器は中国の海洋覇権拡大や北朝鮮の核開発を思いとどまらせるためのものではありません。彼らが核兵器を使おうとした時、それが実際に使用されないようにするための兵器です。例えば、北朝鮮の核開発をやめさせるのは、説得(persuade)であって、抑止(deterrence)ではありません※4。
北朝鮮の方も核のカードを抑止力として使ってはいるわけではなく、アメリカや日本に対する「強要(compellance)」政策の一つとしてちらつかせているのです※5。北朝鮮の抑止手段は、長距離砲やスカッドをはじめとしたミサイル戦力である点は抑えておきたいところです。
ですから、日本が核武装さえすれば北朝鮮の核開発や拉致問題が好転すると思っているとしたら大間違いですし、北方領土、竹島、尖閣諸島などの領土問題も日本優位になるというのは幻想です。中ソ国境紛争が示す通り、核保有国同士であっても全面戦争より低い強度の限定紛争は回避できません。核保有国に非核国が挑戦するという前例は枚挙に暇がなく、朝鮮戦争やフォークランド紛争、最近ではグルジアがロシアに突っかかったこともありました。南シナ海領有権問題では、非核諸国が中国に挑んでいます。国境紛争は、核兵器の有無にかかわらず発生するものなのです※6。
(5)につづく。
注※1 Barnard Brodie, "Implications For Military Policy," in Barnard Brodie, ed., The Absolute Weapon : Atomic Power and World Order, pp. 74.
注※2 砂漠でのどが渇いてしょうがない時、コップ1杯の水はたまらなく美味しいものです。2杯、3杯、、、くらいまでは美味しいですが、10杯も飲む頃には最初の一杯の美味さは得られません。
注※3 Colin S. Gray and Keyth Payne, "Victory is Possible," Foreign Policy, no. 39, Summer 1980, pp. 14-27参照。
注※4 柳澤協二、『抑止力を問う』、20ページ。アレクサンダー・ジョージのいう強制外交に属するアプローチです。
注※5 柳澤前掲書、22ページ。
注※6 一般論的に、被抑止側が死にもの狂いになっている時や、すでに事態が動いてしまっている時には抑止は効きません。また、被抑止側が国内政治体制や国際戦略上の脆弱さゆえに自暴自棄になっている場合にも抑止は逆効果となります。現状に挑戦して事態を打開しようとする敵を威嚇によって抑止しようとすれば、敵はかえって攻勢を増す危険があります。
他にも、被抑止側が領土や国民といった守るべき対象を持たない場合、もしくはそれらを失うことを恐れない場合にも、抑止は働きません。偶発的な事件をきっかけにして起こる衝突も抑止の対象ではありません。あくまで本格的な武力侵攻を対象にしたものです。
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Comment
( ゚Д゚)ハァ? どこに核ミサイル「だけが」核兵器、なんて書いてるんだ?ひとつ前の記事でニュークリアトライアッドに触れて、その前の記事で自由落下戦術核も含めたニュークリアシェアリングを取り上げてるだろ。わけわからんわ。
「こちらが使うというより敵に使われることを想定して備える」とは、その通りだと思います。
核武装叫ぶのって、だいたいが理論が大雑把。
T母神氏、I原知事、S井女史あたりか。誇りとか愛国とかなにそれオイシイノ?ですなあ。
DF-41型MIRVの開発でお題目の核の先制不使用を放棄する可能性を、中国軍がほのめかした。
アメリカさえ恫喝の対象になりうるほどの、自信をつけてきたのだ。
>核兵器は使える兵器
これはご自分は意味が分かっているのだろうか?
なんだか高等で難しく、賢くなったような気がする訳でもなく、五里夢中な文章だ。
適材適所・臨機応変。違うな!
で、中国の核はどっちだろう。
>日本は核武装するとしたらどちら派?
MDを現時点で絶対的に信用しているわけではないが、保険的意味であったほうがよい。
これだと核は使われる派?
気持ちとしては使って欲しくない派なのだが、難しいお話にはどうしても分類は欠かせないものらしい。
>ですから、日本が核武装さえすれば北朝鮮の核開発や拉致問題が好転すると思っているとしたら大間違いですし
悪化することはないと思うのだが、なにか根源的なところで間違えているのだろうか?
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