nucleararmament


尖閣問題のエントリに対して、「日本は核武装が必要」というご意見を頂くことがあります。核武装すれば日本の国際的な発言力が高まる、という主張は、政治家や元自衛官幹部などのお歴々を始め、有識者、ジャーナリストの中にも少なくありません。この考え方はアメリカのリアリストの中にもあって、ケネス・ウォルツ以来、ジョン・J・ミアシャイマーやクリストファー・レインといったリアリズム政治学者も日本の自主核武装は合理的だという見方です。もっとも、尖閣や竹島といった離島問題を引き合いに核武装を唱える人となると、さすがにその数はぐっと減りますけどね。

核開発の技術論は詳細になると私の手に余るものであることや、核抑止理論はざっくりまとめられるようなものではないことなどから、これまで「日本の核武装」は敬遠してきたテーマでした。離島防衛で核ミサイルがどーのこーのというのは馬鹿馬鹿しいので「あっははー」と放っておいてもいいのですが、これを機会に、一度当ブログでも日本の核武装が妥当なものかどうかを少し取り上げておこうかな、と思います。いろんなところでさんざん議論されてきたテーマですので、既視感のある内容になってしまうことはご容赦下さい。

6回に分けて書いていきます。 では、秋の夜長の読み物として。


日本の核武装研究
日本は核兵器アレルギーが強くて、「非核四原則」(持たず、造らず、持ち込ませず、議論せず)などと揶揄されることがありますが、そんなことはありません。それどころかもう議論され尽くしていて、今さら同じことを繰り返してもしょうがないくらいです。すでに戦中には「ニ号研究」がありましたし、「昭和三十八年度総合防衛図上研究」では、第二次朝鮮戦争を想定して戦術核の使用を盛り込んだ図上演習が統合幕僚監部によって行われています。1967年に非核三原則が国是とされてからも、さまざまなレベルで核武装についての研究は続きました。


<1960年代>

1968年、永井陽之助、蠟山道雄、垣花秀武らを中心に核兵器生産潜在能力について分析した『日本の安全保障―1970年への展望』が発行されました。そこでは、「黒鉛減速炉である東海炉(注:1998年運転終了)は兵器級プルトニウム生産に適しており、プルトニウム原爆であれば200〜300発製造可能」※1と、日本に限定的な核兵器開発能力があることを認めつつも、その結論部では核武装に反対しています。理由に、(1)膨大な開発費用がかかる一方で、実際に仕えない「無用の長物」を保有するだけの国力がないこと、(2)国際政治上のインパクトを挙げ、アメリカの核抑止力に頼るのが賢明だと結んでいます。

同時期、内閣調査室で「日本の核政策に関する基礎的研究」という二部の報告書がまとめられます。この報告書も核武装を否定。理由は以下の通りです。
  • 日本では濃縮ウランの製造能力がないためプルトニウム爆弾しかあり得ないが、東海炉のプルトニウムはIAEAの査察下にあり軍事利用できない。
  • プルトニウムを取り出す再処理プラントが日本にはない
  • 核武装のための国民的規模の支持獲得が困難
  • 日本の財政状況からみても極めて困難
  • 核戦争になった場合、縦深性のない日本の地勢では核保有しても抑止になり得ない
これらの理由から、有効な核戦力を創設できないという結論が導かれました。


<1970年代>

1970年頃、防衛庁(当時)に核武装研究を命じた中曽根康弘御大も、「開発費用2,000億円、5年以内で核武装可能だが、実験場を確保できないために現実には不可能」との結論に達しています。開発費は現在の貨幣価値で約2兆円。古くなったF-4EJの更新としてF-35A×42機をパッケージ価格8,000億円で買うのでさえこれだけ反対論が出るのですから、2兆円の開発費+諸経費を含めた核開発による財政圧迫を国民に納得させるのはなかなか難しいでしょうね。


<1980年代>

1981年、防衛研修所(現・防衛研究所)が初歩的核武装から戦略核武装までの技術的可能性や予算についての検討をします。そこで出された結論もやはり核武装の否定でした※2
  • 運搬手段も備えた核戦力を持つには、兵器級プルトニウム分離施設や潜水艦用原子炉等で米国の支援がなければできない
  • 戦略核戦力は産業や技術基盤が負担に耐えない
  • 核実験場を提供してくれる友好国もなく、国際社会の制裁でウラン供給が止まる

核武装は、核弾頭開発で終わりではありません。ミサイルシステムなど運搬手段、指揮命令系統、支援・補給、国政/自治体レベルの関与まで必要な巨大な核兵器運用ネットワークを作り上げることが求められます。短期間で構築できるようなものではないですし、時間をかけてもアメリカの核の傘以上の信頼性のあるものができるかどうか疑わしいことからも、日本の核武装は非現実的であるとしました。


<1990年代>

1995年には前年の北朝鮮核危機を受け、防衛庁内局、統幕、防衛研究所のチームが『大量破壊兵器の拡散問題について』という報告書をまとめました。この報告書も核武装についての妥当性を否定しています※3
  • NPT体制の破壊につながる
  • 米国の核の傘の信頼性を低下させ、日米安保への不信表明と理解される
  • 周辺国から日本の自主防衛路線への懸念が高まる
  • 政治的混乱を引き起こし膨大な政治、経済コストがかかる

この1995年の報告書の特筆すべき点は、他の研究・報告が「日米安保が破綻した場合」を前提に日本の核武装の是非を論じているのに対し、「例えアメリカの核の傘が閉じられたとしても、日本が核武装することに利点を見出せない」と断定しているところです。さらに、北朝鮮が核武装を遂げ、アメリカが日本の核保有を容認した環境であっても、核武装に利点はないとしています。核武装によって核軍拡を引き起こし、世界の安全保障が激変すれば、貿易国家日本の権益をその核兵器が保護し得るかどうかは疑問だと述べられています。


◇ ◇ ◇


戦後実施されたこれらの調査・研究は、頭から核武装を否定しようとして着手されたものではありません。核武装の妥当性を極力絞り出そうとした研究結果です。

冒頭で、国内外に「日本の核武装」推進論者は多い、と言いました。しかし、その中に原子炉工学などを修めた原子力技術者はほとんど見当たりません。日本が核開発できると主張する人のほとんどが「すべき」という精神論的なものか、技術や財政面でのハードルを意図的に無視しているかのどちらかです。かつて、カリフォルニア州モントレーの「James Martin Center for Nonproliferation Studies」でIAEA関係者(UCバークレーで原子力工学Ph.D.取得)にインタビューする機会があり、日本の核武装の可能性についてもレクチュアを頂いたのですが、彼の答えもやはり「Negative(できない)」でした。

確かに日本には使用済み燃料棒があり、プルトニウムもありますが、これを爆弾にするためには兵器級プルトニウム(Pu-239の割合が約93%以上)に精製しなければなりません。その精製施設が日本にない時点で、独自の核開発→自主核武装という道は閉ざされていると考えざるをえません。法律面でも、原子力基本法で核武装は違法ですし、日米原子力協定によって平和目的に限定した利用でなければ濃縮ウランの供給は即座に止まってしまいます。

1960年代の経済成長とともに、日本では原発による電力の安定供給が求められました。世界的な核関連技術不拡散の動きが高い障害となりましたが、あらゆる試行錯誤が重ねられ、ようやく現在の軽水炉を採用するに到った経緯があります。ですから、「日本は核兵器開発能力があるけど造らないだけだ、恐れ入ったか」というのは、実情を理解できていないだけでなく、IAEAから「軍事利用の怖れなし」とのお墨付きを得るために日本の原子力技術者がどれだけ努力したか、とか、それによってようやく安定的な電力が得られ経済を支えてこられたのだ、とかという視点が抜け落ちているわけです。

繰り返しますが、核武装を唱える政治家、元自衛官、政治学者、政治系ジャーナリストは、核武装の議論に必要な核開発/核戦略/抑止論に関する「専門家」でない人が多いんです。各分野の「専門家」によって累積された研究の結果、日本の核武装の妥当性が否定されているというのは受け止めざるを得ない重い事実ではないでしょうか。

(2)につづく。


注※1 杉田弘樹、『検証 非核の選択―核の現場を追う』、69ページ。
注※2 杉田前掲書、214ページ。
注※3 杉田前掲書、216〜217ページ。

【参考資料】
原子炉級プルトニウムと兵器級プルトニウム調査報告書 (原子燃料政策研究会)



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