7.河野談話は証拠なしに慰安婦への強制性を認めたものなのか? |
1993年8月4日に当時の河野洋平官房長官が発表した「慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話」(いわゆる「河野談話」)をめぐって、「証拠なしに『慰安婦』に対する強制を認めたのはけしからん」「破棄・撤回すべきだ」との主張があります。
最近(2012年8月)には野田内閣の閣僚(松原国家公安委員長)からも「河野談話を見直すべきだ」との議論が出ています。
そこで河野談話は、果たして証拠なしに「慰安婦」に対する強制性を認めたものなのかについて検証を試みてみます。
先ず、「河野談話を破棄・撤回せよ」の主張の典型として、産経新聞の2012年9月1日の「主張」について見てみましょう。
慰安婦問題 偽りの河野談話破棄せよ 国際社会の誤解解く努力を それまでに日本政府が集めた二百数十点に及ぶ公式文書の中には強制連行を裏付ける資料はなく、談話発表の直前に行った韓国人元慰安婦16人からの聞き取り調査だけで強制連行を認めたことが後に、石原信雄元官房副長官の証言で明らかになった。 |
上記の文章、論理的に明らかに矛盾したものになっています。
「韓国人元慰安婦16人からの聞き取り調査だけ」(つまり「証言」だけ)で強制連行を認めたことを問題視しながら、それが石原信雄元官房副長官(たった一人)の「証言で明らかになった」としています。
「韓国人元慰安婦16人」の証言だけでは強制連行があったかどうかが認定できないというのだったら、石原信雄元官房副長官たった一人の証言だけなど、なおさら何も認定できないはずです。
産経新聞が「証言は証拠にならない」「証言だけでは事実を認定できないのだ」と考えるのは勝手ですが、それならそれで、その立場を一貫させてもらいたいものです。
さて、ではそもそも、(河野談話作成に深く関わったとされる)当時の官房副長官・石原信雄氏は実際にはどう言っているのでしょうか? 石原信雄元官房副長官の「証言」を見てみましょう。
石原信雄元官房副長官の「証言」が最初に報じられたのは、1997年3月9日付けの産経新聞のインタビュー記事です。(この時の産経新聞は「『強制連行』証拠なく 直前の聞き取り基に」と一面トップに掲げていますが、「河野談話は証拠なしに慰安婦への強制を認めた」説の大元がこの産経新聞報道のようです。)
そこでは石原信雄氏は産経記者の質問に対して次のように答えています。
ーではなぜ強制性を認めたのか 「日本側としては、できれば文書とか日本側の証言者が欲しかったが、見つからない。加藤官房長官の談話には強制性の認定が入っていなかったが、韓国側はそれで納得せず、元慰安婦の名誉のため、強制性を認めるよう要請していた。そして、その証拠として元慰安婦の証言を聞くように求めてきたので、韓国で十六人に聞き取り調査をしたところ、『明らかに本人の意思に反して連れていかれた例があるのは否定できない』と担当官から報告を受けた。十六人中、何人がそうかは言えないが、官憲の立ち会いの下、連れ去られたという例もあった。 (後略) 」 ー聞きとり調査の内容は公表されていないが、証言の信ぴょう性は 「当時、外政審議室には毎日のように、 元慰安婦や支援者らが押しかけ、泣き叫ぶようなありさまだった。冷静に真実を確認できるか心配だったが、在韓日本大使館と韓国側が話し合い、韓国側が冷静な対応の責任を持つというので、担当官を派遣した。時間をかけて面接しており当事者の供述には強制性にあたるものがあると認識している。 (後略) 」 1997年3月9日付け産経新聞 |
何のことはありません。石原信雄氏は「『強制連行』証拠なく」とは一言も言っておらず、それどころか、日本政府の担当官が派遣され冷静な状況下で面接し、その担当官が強制性が否定できないと報告し、石原信雄氏自身も「当事者の供述には強制性にあたるものがあると認識している」と言っているのです。
また、産経新聞の上記インタビュー記事で、石原信雄元官房副長官は「河野談話は日韓の政治取引の産物ではないのか?」との疑問に対して次のように答えています。
ー韓国側が国家補償は要求しないかわり、日本は強制性を認めるとの取引があったとの見方もある。 「それはない。当時、両国間で(慰安婦問題に関連して)お金の問題はなかった。今の時点で議論すれば、日本政府の立場は戦後補償で済んでいるとなる」 1997年3月9日付け産経新聞 |
このように、産経新聞記者の誘導的な質問に対しても、石原信雄氏は政治取引について、きっぱり否定しています。
結局、産経新聞報道は「『強制連行』証拠なく」の一面トップの記事の見出しと、インタビューの中で石原信雄元官房副長官が語っている内容が一致しません。
この産経新聞報道、「読者はどうせインタビューの中味など読まない。見出ししか読まない」などと考えて、「そうか。証拠なしに河野談話は出されたのか。当時の官房副長官も『証拠はなかった』と証言しているのか」と読者に思わせようという悪質な印象操作を狙ったものだと言わざるを得ません。
あるいは、産経新聞は「聞き取りによる証言は証拠にならない」と考えているのかも知れませんが、(繰り返しになりますが、)元「慰安婦」の証言が証拠にならないと言うのだったら、石原信雄元官房副長官の証言も何の証拠にも何の根拠にもならないということになってしまい、この報道の前提が崩壊します。
産経流の言い方をするなら、「『河野談話証拠なく』に証拠なく」「石原元官房副長官からの聞き取りだけで『河野談話証拠なく』と報道したのは大問題だ」となるでしょう。
なお、石原信雄元官房副長官ですが、1997年4月9日、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(当時の代表は中川昭一氏、事務局長は安倍晋三氏)の勉強会に講師として招かれ、そこで下記のように発言しています。
ここの下りですけれども、これは主として十六人の元慰安婦の方々の聞き取り調査の結果、このようなことが明らかになったということであります。なお、この点につきましては、外政審議室の係官二人が責任者としていきまして、それから現地の日本大使館の職員も一緒にいって、韓国側の協力の下に非常に静かな雰囲気の下で相当時間をかけて当人のお話を聞かせていただきました。 その結果は実はプライバシーの問題がありますので、一人ひとりの発言内容を公表しないという前提で聞き取り調査を行っておりますので公表はしておりませんけれども、誠に聞くに耐えないような状況の下で承諾させられた、あるいは募集に応じさせられたというケースがありまして、ヒアリングを行った担当官の心証としては、これは明らかに本人の意に反する形での募集があったということは否定できない、という報告でございました。そういうことをベースにして、このような要約を行ったわけであります。 日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会編『歴史教科書への疑問』(展転社)P.307〜308 |
それから後段のほうのことですけれども、この間、平林博外政審議室長からも答弁があったようですが、実は十六人の方々のヒアリングにあたりまして、官憲が立ち会ったとかという・・・・・・。これはそのヒアリングの中に出てくるところなんですが、それは朝鮮総督府の巡査が立ち会って、サーベルをガチャガチャしながら「受けなさい」と言ったというような場面が出てくるんですけれども、そういうようなことを総合して、あのような表現になったわけです。 日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会編『歴史教科書への疑問』(展転社)P.320 |
産経新聞などがさかんに持ち出す石原信雄元官房副長官の「証言」とは、このような内容のものなのです。
河野洋平氏へのインタビュー記事の一部も紹介しましょう。
ー募集については。 政府が聞き取り調査をした元慰安婦たちの中には明らかに本人の意思に反してという人がいるわけです。つまり、甘言により集められた、あるいは強制によって集められた、あるいは心理的に断れない状況下で集められた、といったものがあったわけです。 当時の状況を考えてほしい。政治も社会も経済も軍の影響下にあり、今日とは全く違う。国会が抵抗しても、軍の決定を押し戻すことはできないぐらい軍は強かった。そういう状況下で女性がその大きな力を拒否することができただろうか。 ー「甘言」「強圧」とはどういうことですか。 「甘言」とは、例えば「工場で働いてもらう」と言われて連れていかれたところが、慰安所だった。詰まり「だまされて」ということだ。「強圧」とは、植民地統治下にあって、軍が背後にいることがはっきりしている状況の中で、その指示とか、申し出とかは断れる状況ではなかった、ということだ。 ー元慰安婦の証言が、強制性を認める心証となったのですか。 連れていった側は、ごくごく当たり前にやったつもりでも、連れていかれた側からすれば、精神的にも物理的にも抵抗できず、自分の意思に反してのことに違いない。それは文章に残らないが、連れていかれた側からすれば、強制だ。 ー元慰安婦の証言の信ぴょう性について疑問の声もありますが。 半世紀以上前の話だから、その場所とか、状況とかに記憶違いがあるかもしれない。だからといって、一人の女性の人生であれだけ大きな傷を残したことについて、傷そのものの記憶が間違っているとは考えられない。実際に聞き取り調査の証言を読めば、被害者でなければ語り得ない経験だとわかる。相当な強圧があったという印象が強い。 ー政府が聞きとり調査をした軍人・軍属の中にも強制連行があった、と証言した人はいたのですか。 直接強制連行の話はなかった。しかし、総合的に考えると「文書や軍人・軍属の証言はなかった。だから強制連行はなかった。集まった人はみんな公娼だった」というのは、正しい論理の展開ではないと思う。 1997年3月31日付け朝日新聞 |
最後に、元「慰安婦」の証言の信ぴょう性について、日本の裁判所の認定例を参考までに紹介しておきましょう。
慰安婦原告らの陳述や供述の信用性 前記(1)ないし(3)のとおり、慰安婦原告らが慰安婦とされた経緯は、必ずしも判然としておらず、慰安所の主人等についても人物を特定するに足りる材料に乏しい。 また、慰安所の所在地も上海近辺、台湾という以上に出ないし、慰安所の設置、管理のあり方も、肝心の旧軍隊の関わりようが明瞭でなく、部隊名すらわからない。 しかしながら、慰安婦原告らがいずれも貧困家庭に生まれ、教育も十分でなかったことに加えて、現在、同原告らがいずれも高齢に達していることを考慮すると、その陳述や供述内容が断片的であり、視野の狭い、極く身近な事柄に限られてくるのもいたしかたないというべきであって、その具体性の乏しさのゆえに、同原告らの陳述や供述の信用性が傷つくものではない。 かえって、前記(1)ないし(3)のとおり、慰安婦原告らは、自らが慰安婦であった屈辱の過去を長く隠し続け、本訴に至って初めてこれを明らかにした事実とその重みに鑑みれば、本訴における同原告らの陳述や供述は、むしろ、同原告らの打ち消しがたい原体験に属するものとして、その信用性は高いと評価され、先のとおりに反証のまったくない本件においては、これをすべて採用することができるというべきである。 そうであれば、慰安婦原告らは、いずれも慰安婦とされることを知らないまま、だまされて慰安所に連れてこられ、暴力的に犯されて慰安婦とされたこと、右慰安所は、いずれも旧日本軍と深くかかわっており、昭和20年(1945年)8月の戦争終結まで、ほぼ連日、主として旧日本軍人との性交を強要され続けてきたこと、そして、帰国後本訴提起に至るまで、近親者にさえ慰安婦としての過去を隠し続けてきたこと、これらに関連する諸事実関係については、ほぼ間違いのない事実として認められる。 釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟(通称:関釜裁判)第一審(山口地裁下関支部)判決(1998年4月27日)より |
*この問題の議論では、徴集の「現場」で軍・官憲が直接関与したか、だけに焦点があたっているようですが、たとえ徴集していたのが純然たる民間業者だったとしても、騙したり、身売りされたりした女性をそのまま受け取り解放せず、売春に従事させていた軍慰安所が、軍が設置したまぎれもな軍の施設であったことは間違いないのですから、軍慰安所の設置者・管理者として軍の責任は免れないでしょう。また軍がつくった、システムとしての「慰安婦」制度が強制によって成り立っていたとするなら、「日本軍が強制連行を行っていた」と言ってもほとんど間違いではないでしょう。
軍慰安所が軍が設置したまぎれもない軍の施設であったことについては、「1.軍慰安所は民間の売春宿に過ぎなかった?」を参照してください。
(2012.9.20)
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