軍事評論家=佐藤守のブログ日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

■軍事を語らずして、日本を語るなかれ!!■

2006-04-09 アンボン終戦秘話

アンボン終戦秘話

昨日はインドネシア関係の勉強会に出席した。出席者の殆どが、大戦経験者の80歳代である。御元気なことは嬉しい限りだが、貴重な経験とアジア各地に築かれた〈資産〉が、このまま消えてしまうのかと思うと残念である。同席した高山帝京大教授が「貴重な体験をされた皆さん方が、もっと若者達に体験談を語り継がなければいけないのだが、日本のご老人はしゃべらない。是非とももっと青少年に語りかけて欲しい」と言ったが、同感である。そのせいか、今日は質疑応答が終わったとき、元海軍大尉の坂部康正氏が、終戦時の思い出をしゃべった。現在のインドネシアの政治・経済情勢、石油開発、治安など、重要な内容の話は省略し、坂部氏の終戦秘話を書いておきたい。概要はこうである。

 戦況が不利であることは知っていたが、8月15日の陛下の放送は意外だった。誰もが虚脱状態だったが、在アンボンの海軍25根拠地隊司令官・一瀬中将より、陸軍の第5師団長の方が先任だから、降伏に伴う一切の指揮を取ってもらおうとのんきに構えていたところ、師団長と参謀長が敗戦を聞いて自決してしまった。そこで一瀬司令官以下、在アンボンの2万5千人の日本人を無事に内地に復員させる責任は、海軍が負うことになった。

 進駐してきた豪州軍の司令官はスティールという准将で、補給参謀はアーノット少佐だったが、日章旗を下し、ユニオンジャックを掲げた波止場で降伏式が終わると、豪州軍司令部スタッフをオランダ総督邸であった司令部庁舎に案内した。豪州軍のために綺麗に掃き清められ、長官室には日本人形や生け花まで飾られていて、負けっぷりを良くしようという我々のせめてもの配慮だった。

 スティール准将が〈先任者〉である一瀬司令官に「アドミラル」の敬称で先に敬礼し、それぞれ紹介しあったが、アーノット少佐は、日本軍の幕僚が余りに若いので驚いていた。

 スティール准将が「私は第1次大戦のとき、少尉で地中海に派遣されダーダネルス作戦に参加したが、独逸のUボートに撃沈され海上を漂流した。そのとき日本の駆逐艦に救助された思い出がある。今回、占領軍指揮官としてやってきたが、日本海軍の軍規は立派だ。アドミラル一瀬以下、各スタッフの協力を得て、戦後処理復員業務を速やかに終了させたい」と話したが、一瀬司令官も「私も当時地中海で日本駆逐艦の甲板士官をしていた。かっての戦友がこのような状況下でお会い出来たことは感慨無量である。貴軍の命令を着実に実行し、2万5千人の日本人を速やかに無事帰国させたい」と述べた。

 当時インドネシア独立運動が巻き起こり、アンボンでも武装蜂起があって治安は悪かったので、豪州軍は日本軍から「軍刀」だけを取り上げたものの、武器類はそのまま携行保管させていた。収容?された日本軍は、森林を伐採して芋を植え、食料を自給自足しつつ帰国を待つことになったが、携行食糧は約1ヶ月、芋が実るのは4ヶ月。どうしても食料不足は避けられない。そこでアーノット少佐にその補給をお願いし、昭和20年末ごろ入ることになっていたが、十月ごろに連合軍の上級司令部から米軍の参謀長がアンボンを視察に来た。ところが日本海軍が兵器を携行して歩哨に立ったり、町を巡察している。これに驚いた参謀長はスティール准将以下、豪州軍スタッフを怒鳴りつけたらしい。しかしスティール司令官以下も負けてはいなかった。占領軍政も日本軍の協力でうまくいっている、と反論、そして辞表を提出して帰国することになったという。

帰国を前にしたスティール司令官とアーノット少佐は、連絡将校の川崎中尉に「米軍参謀長と意見があわないので帰国するが、約束した食料はたとえ米軍が補給しなくとも豪州政府が必ず送る。帰国すれば私は〈国会議員〉だし、アーノットは豪州ナンバーワンの〈ビスケット会社の社長さん〉だ。ところで君を密かに呼んだのは、御土産に別室に集めてある日本刀を一振りずつ持って帰りたい。出来るだけ古くてよいものを選んでくれ。これはアドミラル一瀬にも、うちの参謀のコステロ中佐にも内緒だ」とウインクしたという。

その後占領軍は豪州軍からオランダ軍に交代したが、その支配下では仕事もなくのんびりしたものだったが、食糧事情は困窮した。

昭和21年4月のある日、英国国旗を掲げた貨物船が2隻入港した。豪州からの食料だった。バター、チーズ、コンビーフ、小麦粉、ビスケットなど、25000人の一ヶ月分であった。スティール准将とアーノット少佐が約束を果たしてくれたのである。坂部大尉は目頭が熱くなったという。「受領に行った船長室で出された紅茶とビスケットのうまかったこと!ふと、そのビスケットのブランドを見たら〈アーノットカンパニー〉とあった。復員船が入ったのはその日から約一ヶ月後であった。食料不足の日本に帰る復員兵のリュックサックには、このコンビーフやビスケットが大事に詰め込まれていた」という。

 昨日の友は今日の敵、今日の敵は明日の友。二十一世紀の太平洋・アジア地区の安定は、日米豪の3カ国が中心になって動くと言われている。

この話を聞いて、私には、何となく明るい予感がしたのであったが、高山教授が言った様に、貴重な〈秘話〉が埋もれたまま消滅することは残念でならない。

ドドンパドドンパ 2006/04/09 09:19 豪州軍に対するイメージが好転しました。勝者の残虐や横暴に辛い思いをしたという話ばかりではないのですね。なにか心温まる話でした。大東亜戦争秘話としてアンソロジーを出版してほしいものです。

おばさんおばさん 2006/04/09 09:34 いいお話しですね。
ぜひともいろいろお聞きしたいものです。本にしていただくといいのですが。独立運動を支援された日本兵もいらしたということで、
今年の一月に劇団四季の「南十字星」という劇を観て感動しました。

屋根の上のミケ 屋根の上のミケ  2006/04/09 09:36  『アンボン終戦秘話』。いや〜良いお話でした。戦争は、人間の良い面、悪い面を際だたせます。アンボン終戦秘話は、良い面が表れた例だと思います。それと、日本が第1次世界大戦に英国の同盟国として、欧州戦線にもう少し、腰を入れた参加をしていれば、日英の同盟強化が強化され、近代戦の在り方、国家総力戦とはいかなるものかを日本が学ぶ貴重な機会になったと思われます。太平洋戦争が、避けられたかも知れません。仮に避けられないにしても、その様相は相当違っていたとも言われています。ミケ

雉さん 雉さん 2006/04/09 13:03 海外には軍事関係の貴重な資料や用途不要で廃棄された兵器を展示する軍事博物館が沢山あります。
日本ではそれに類する施設は浜松広報館でしょうか?しかし厳密に軍事的視点で客観的史観での施設は無いのが現状です。
これから団塊の世代方達が大量に退職する時が来ます。この世代の方はちょうど学生運動に夢中になった人たちです。つまり暇になるので左翼運動が活発化するだろうと危惧されているという専門家の方も言われています。
これは自衛隊でも同じ世代の先輩方達も同時に多くの優秀な方がリタイアする時でもあります。

リタイアした時、あるいはその前に後輩達に過去を振り返り過ちを犯さない為に過去の記録を精査し正しく伝える事をする機会を作る努力を我々はしなければ成らないのでないでしょうか?
欧米や先の大戦で悲傷的立場に遭われた東南アジア諸国の人たちはその事を弁えた正しい啓蒙活動をし
あるいは自らの私費を使ったり、その意思に賛同した企業や個人の寄付によって活動資金を得て行動しているのが現状です。

どこかの国の役人は既得権保護や天下り先を確保するのに勢力を傾けてそして企業も営利の為に協力している現実を考慮するに歯がゆく憤りを覚えます。

暇な商店主暇な商店主 2006/04/09 20:41 すごく良いお話です、戦争体験者に貴重なお話をもっと多くに人に知って貰いたいです。

鹿鹿 2006/04/09 22:11 日本が第1次世界大戦に英国の同盟国として欧州戦線の地中海に駆逐艦隊派遣し、その基地のマルタ島に日系人がいる小説を読んだことがあるが、この時のエピソードがこのアンボン秘話に繋がっているのですね。。。
ところで、お世話になった関係者はスティール司令官とアーノット少佐に後日お礼をしたのでしょうか?
まだならば、ちょっと遅れているが日本と豪州の関係向上のためにも是非お礼をしていただきたい。

y’sy’s 2006/04/10 01:12 ええ話や…。
それにしても、この補給船、まさかアーノットさんの自腹なんてことはないんでしょうな。

TeeTee 2006/04/10 15:24 仕事の関係で中国に住んでおりますが、昨日の日曜日自宅でテレビを見ていた所、相変わらず抗日のドラマを、流しておりました。昨年ほどの数では有りませんが...。中国の数あるテレビ局で鳳凰衛星電視と言う衛星局が有りますが、元々香港資本の局だったのですが、本土の資本が入り今や完全に本土のプロパ局になった感の強い局で、毎週「口述歴史」と言う番組を放送しておりますが、殆どが戦争時代の話で、当時の日本人の悪い事ばかりを、老人がしゃべっております。恐らく善い事も少しは、老人自身はは喋っているのでしょうが、放送の段階では100%抗日キャンペーンになってしまいます。私が心配するのは、戦後60年も経ってしまうと、歴史の証人がどんどん居なくなってしまい、特に中国に於いては、共産党によって広告された歴史がそのまま歴史の事実として、後世に残ってしまうと言う事です。その際この様な番組のビデオも証拠と検討されるでしょう。今までの言われっぱなしの金銭ばら撒き援助外交から、脱却んが必要と感じます。米国・日本が、中国に提案しても、中国が賛同していないと聞いております、、歴史の共同研究・検証を早く実現させないと、我々子孫の未来永劫まで、南京事件はじめ、共産党に依って拡大した、中国側の被害を負っていかねばならなくなります。今回の佐藤様のプログを読み、かなり遅くなったけれど、まだ間に合う歴史検証を、実行せねばと、いう感想を持ちました。

くーくー 2006/04/10 16:06  ・・・要するに、日本としても、もっと自分達に立場を世界に向けてキチンと発信する。といういつもの結論になるのでしょうな。本当に、外務省は一体何をやっているのか・・・。

choirchoir 2006/04/10 16:15 祖父母は満州からの引き揚げ組だったけど、
自分から話をせがむまで敗戦当時のことを話してくれたことはありませんでしたね。
内容が生々しすぎて、子供に話すものじゃないと思ったのでしょうけど。。。
語られない体験は風化して、声を大にして叫ぶ人の空虚な内容が残るのかと考えると悲しいものがありますね。

桜視聴者桜視聴者 2006/04/11 00:08 豪アーノット社といえば日本でも「TimTam」が有名な菓子メーカーですね。
ささやかながら60年前のお礼として、明日のおやつに求めたいと思います。

もっと語って!もっと語って! 2006/04/11 01:58 小野田少尉がブラジルに移住した理由に戦後日本の価値観の変貌に嫌気がさした事があったように、戦争経験世代の口が重いのも仕方が無いと思う。タブン語っても拒絶されただろうし。だけどここ数年で日本人はようやくGHQからの呪縛から抜け出そうとしている。これからは大いに語って欲しいと思います。

ハッシーハッシー 2006/04/11 02:15 この様な話を聞けば、やはりアングロサクソンとの同盟が日本にとって一番だなと思います。こんな戦後もあったのですね。後の日本人の為に、経験者はもっと語り残して欲しいです。

MiyaMiya 2006/04/11 06:45 ここ(↓)で扱ってもらえないだろうか?
http://ajrp.awm.gov.au/ajrp/ajrp2.nsf/

雉さん 雉さん 2006/04/12 14:55 USAFオフィシャルサイトでこういうものがアップされています。
アメリカ空軍としての視点で書かれています。
http://www.af.mil/library/doolittleraiders.asp

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