無理です山下(俊一)さん、やめてください福島県・小松秀樹:亀田総合病院/JMMから

2011-11-22 08:51:06 | 社会
○クライシス・コミュニケーション
 長崎大学教授の山下俊一氏は、福島県に招聘され、「火中の栗を拾う覚悟で」放射
線健康リスク管理アドバイザーに就任しました。放射線に対する過剰な恐怖がもたら
す害を心配したためだろうと思います。放射能トラウマ(文献1)が、子供たちにま
で影響を与えているらしいことを考えると、先見の明があったと言わざるをえません。
このためでしょう、山下氏は住民を対象に講演を繰り返しました。m3の橋本佳子編
集長によるインタビューで以下のように答えています。

「最初は危機管理、クライシス・コミュニケーションの立場からお話していたのです
が、4月に文科省から『数字』が出た以降は、リスク・コミュニケーションに変わり
ました。」
「クライシス・コミュニケーションの基本は、白黒はっきりしたことを言うこと。危
ないか、危なくないか。皆をパニックにしないことが重要だからです。しかし、リス
ク・コミュニケーションの場合は、分からないところ、グレーゾーンの議論が出てき
ます。」

 クライシス・コミュニケーションとリスク・コミュニケーションで、説明内容が異
なるとすれば、同一人格が両者を担当すると、信用されなくなります。
 さらに、このようなコミュニケーションの分類を提案したのが、外国の学者だとす
れば、信用するのは馬鹿げています。第一に、原発事故のような修羅場は、想像力で
カバーできるものではありません。原発事故によるクライシスへの対応は、選挙の洗
礼を経ていない学者には無理というものです。第二に、納得の仕方は歴史と文化に根
ざしているので、背景となる文化ごとに適切な方法が異なります。
 ネット上には、山下氏の講演での発言として、以下のような文言が挙げられていま
す。発言の映像もネット上で見ることができます。

「これからは福島。フクシマ、フクシマ、フクシマ。福島は何もしないで有名になっ
た。広島、長崎は敗けた。」
「放射線の影響は、にこにこ笑っている人には来ません。くよくよしている人に来ま
す。」
「私は安全を皆さんに言っていない。安心を語っている。」

 映像を見て、驚きました。ジョークがジョークになっていません。聴衆がいら立っ
ているのが見てとれました。病院では、医師にひどいことを言われたという投書は、
珍しいものではありません。確かに問題のある医師もいます。しかし、患者・家族は
追い詰められた状況にあるので、人によっては、医師のささいな言葉で傷つきます。
通常の対話では問題にならないことで、大騒ぎになることがあります。このあたりの
機微に疎いと、普通の社会人では問題視されないレベルでも、研修医は要注意扱いに
なります。臨床医として経験を重ねるうちに、対話能力は向上します。慎重に言葉を
選びながら、相手の反応を確認しつつ対話を進めるようになります。山下氏は臨床医
としての経験があったのでしょうか。
 山下氏は、住民に安心を与えることには失敗したと思います。一部の住民に嫌われ、
解任の署名運動が起こりました。

○リスクの相対化
 私は、被ばくについて、大きな健康被害はないだろうという、山下氏の発言はたぶ
ん正しいと思っています。ただし、実際の被ばくの状況を再現できるような完璧な情
報があるわけではないので、注意深い監視が必要です。私は、被ばく医療については
素人ですが、素人による大きな枠組みの科学的議論は有用だと思っています。東日本
大震災と原発事故は、プロがあてにならないことを示しましたから。

 現時点の外部被ばくについては、南相馬市立総合病院の玄関先で、空間線量は毎時
0.2から0.3マイクロシーベルト程度です。0.4と多めに見積もって、24時間、365日、
屋外で生活したとしても、年間3.5ミリシーベルトにしかなりません。南相馬市立総
合病院の及川友好医師や東大医科研の坪倉正治医師たちによるホールボディーカウン
ターのデータでは、内部被ばくは、チェルノブイリよりはるかに軽度でした。南相馬
で4月以後活動している坪倉医師に内部被ばくは生じておりません。今後、一定以上
に汚染された食物を摂取しないという条件が守られれば、健康被害が生じる可能性は
低いだろうと思います。

 そもそも、環境中には自然放射線として、地殻と宇宙線による外部被ばく、放射性
カリウムなどによる内部被ばくがあります。宇宙ステーションに滞在すれば1日、1ミ
リシーベルトの線量を被ばくします。加えて、日本人は、医療被ばくが多いと言われ
ています。放射線医学総合研究所によると、CT検査1回あたりの被ばく線量は、5〜30
ミリシーベルトです。それでも、検出できるほどの健康被害が生じるとは思われてい
ません。CTは有用ですが、病変を実際に描出するより、念のために撮影されることが
はるかに多いのが現実です。CT検査による被ばくを少なくしようという意見はあるも
のの、CTによる具体的被害が問題になったことはありません。

 山下氏は、ミスター100ミリシーベルトと呼ばれました。過去に、年間100ミリシー
ベルトの被ばくで、大きな被害が知られていないこともその通りです。放射線被ばく
に安全域がなく、少しでも被ばくすると、その分、がんが発生するという仮説があり
ます。これが正しければ、年間、1ミリシーベルトでも100ミリシーベルトでも、がん
の発生は線量に応じて増えるはずです。外出しても、飛行機に乗っても、がんの発生
が増えることになります。そもそも、日本人の30%が、がんで亡くなっています。死
亡原因にならないがんも多数あります。前立腺がん以外の病気で死亡した男性の前立
腺を細かく調べると、高率に前立腺がんが見つかります。80歳以上の男性では、50%
以上に前立腺がんが認められます。被ばくによるがんの発生の増加があったとしても、
100ミリシーベルト程度なら、増加幅に比べて、普通の日本人のがんの発生率が大き
すぎるので、統計学的に差を検出するのは難しいと思います。実際、たばこに比べる
と、増加幅は、はるかに少ないはずです。

 私は100ミリシーベルトまで平気で浴びなさいと主張しているわけではありません。
被ばく線量が少なければ少ないほど望ましいのは間違いありません。それでも、被ば
くを恐れて、シェルターにこもりっきりになれば、社会との付き合いがなくなり、経
済的に破綻します。社会的孤立や貧困は健康をひどく損ねます。子供の将来にも大き
な影響を与えます。健康を損ねて病院に行けば、医療被ばくを増やします。どこまで
犠牲を払って対応するのか、リスクを相対化して考える必要があります。

○安心を伝えるのが善か
 3月12日、原子力保安院の記者会見が、かえって国民の疑心暗鬼を煽るものだと
思ったので、知人の与党幹部と経産省の幹部に以下のようなメールを送りました。

「原子力保安院の記者会見は危機管理になっていません。半径20キロ以内を避難させ
る理由が説明されていません。官僚が重要なことを隠しているというメッセージに
なっています。」
「最悪の事態を覚悟していること、日本に降りかかった難局に責任者としてあらゆる
対応をとる覚悟であること、日本人の難局に当たっての能力を信頼していること、協
力をお願いすることなどを、菅総理自ら率直に国民に語るべきだと思います。」

 経産省の幹部からは以下のような返事がきました。官邸にも私と同じ考えがあった
ことをうかがわせます。

「夜以降の発表は、総理、官房長官、経産大臣が、納得がいくまで、話を聞いて、彼
らが発表することにしました。」

「最悪の事態を覚悟して」というところには、異論があろうかと思います。私は、当
時、再臨界になるのではないかと心配していました。もし、東京の住民が先を争って
避難する事態になれば、大量の餓死者がでると推測していました。再臨界になった時
の政府のとるべき方針も考えていました。素人の思いつきレベルを超えるものではあ
りませんが、「被ばくのリスクと、東京からの脱出のリスクを比較して、東京で屋内
にとどまる方が、リスクが少ないと説得する」というのが結論でした。実際には、被
ばく量の予測、避難計画、水や食糧の生産・輸送能力の推計などから、避難した場合
としない場合の被害を比較検討しなければなりません。再臨界が発生した場合の対応
を考えると、その前から「最悪の事態を覚悟して」という文言を流しておくことは悪
いことではないと思っていました。
 私は、医師としての長い生活で、絶望的な状況にある人たちと対話を繰り返してき
ました。たいていの日本人は危機的状況に冷静に対応できると思っています。下手に
安心を与えようとすると、嘘や隠蔽が避けられません。かえって、不信の原因になり、
以後の対応がとりにくくなります。

 アウシュビッツを描いたフランクルの『夜と霧』を読んで、最も印象に残ったのは、
絶望的な状況の中で希望を持つと、それがかなえられなかったときに、人格が破壊さ
れることを述べた部分です。私は学生時代、山岳部のリーダーだったのですが、冬山
では、ばてたときは余裕のある間にギブアップするように言っていました。もう
ちょっとだから頑張れというのは禁句です。先の見通しなしに、本当に頑張ると、ひ
どく危険なことになりかねません。
 危機的状況で、安心だと説明して励ますことが、必ずしも、有用だとは思いません。
自分の善性をアピールしたいという利己的願望に歪められた言説だと思います。

○山下俊一氏の勘違い
 山下俊一氏の最大の問題というか、勘違いは、安心を与えようとしたことです。こ
れは、大それた行動で、宗教的と言ってよいかもしれません。自分では、科学者とし
ての発言だとしていますが、「安心」を口にするときは科学的ではありませんでした。
 中西準子氏は、中央公論2005年3月号の「『安心・安全』の氾濫が作り出す不安」
で以下のように、安心を与えることの問題を指摘しています。

 安心という心の状態は、システムで得られるものではないし、また、通常は、生き
ている間にはなかなか得られない。もし、得られるとすれば、個人が自己との闘いの
末、ある種の欲求を捨てることと引き換えに得られるもののような気がする。その安
心を与えるのは国や企業であるとなれば、だれもが自己との闘いをやめてしまい、結
果として不安が大きくなる。私は、当初、安心というのは飾り言葉のように捉えてい
て、それを本気で受け取る人がいるとは思っていなかった。ところが、企業の経営者
が年頭挨拶で「これからは、企業は安心を与えることを目標に」と述べるのを耳にし、
テレビのキャスターが、「安全と言えるかもしれないが、国民は安心感をもっていな
い、そこが問題だ」というような発言をし、「老後は不安ですか?」というアンケー
トをとって、六割もの人が不安と答えた、国の政策はどうなっているのかと怒るレ
ポーターを見ていると、不安との闘いという個人の心の課題が、いつの間にか国や企
業の責任に代わりつつあることを実感するのである。これではかえって不安、不安と
いう人が増える。

 アーノルド・トインビーはギリシャ・ローマ世界のプロレタリアの宗教が、次の文
明であるヨーロッパ世界の世界宗教になったことに注目します。これが、他の文明世
界にも通じる一般的な事象だとして、壮大なスケールの文明交代物語『歴史の研究』
を書きました。宗教がプロレタリアに始まるというのは正しいと思います。プロレタ
リアが宗教でまとまろうとすると、弾圧されますが、弾圧が宗教を強くします。宗教
が大きな影響力を持つための最も重要な要素は受難です。イエス・キリストが磔刑に
ならなかったら、今のキリスト教はなかったと思います。十字架はキリスト教のシン
ボルなのですから。
 チベット動乱以前、チベットでは、厳格な鎖国下に、宗教に基づいた政治がおこな
われていました。最高権威者はダライ・ラマでした。河口慧海の文章を読む限り、統
治権力としてのチベット仏教は問題が多かったと思います。チベット動乱、1959年の
十四世ダライ・ラマのインドへの亡命という苦難を経て、宗教として磨かれました。

 山下氏は、弾圧を受けず、民衆と苦しみを分かち合わず、しかも、宗教的カリスマ
性がありません。にもかかわらず、安心を説きました。私が言うのだから信じなさい、
ということでしょう。現代の日本で、安心しなさいと言って安心を与えようとしても
無理です。できるのは、科学的データを体系的に提示し、リスクを相対化して分かり
やすく比較検討することだけです。後は、個人の心の問題です。
 かつて、日本人の常識であった無常観、すなわち、あらゆるものは変化していく、
という考えは、安定が一時期のものにすぎないこと、手放しの安心があり得ないとい
う事実を受け入れやすくします。変化を冷静に観察する態度に通じるものがあり有用
です。

○福島県
 山下氏のもう一つの失敗は、うかつにも、福島県と組んだことです。福島県は、震
災への対応で、被災した県民の利益を損ねる問題行動が目立ちました。双葉病院事件
のように、県の職員の言動に問題があって社会に大きな迷惑をかけても、責任を明ら
かにして謝罪するなどの後始末をしようとしません。
 南相馬市の緊急時避難準備区域に住民が戻った後、法的権限なしに、書面を出すこ
となく、口頭で入院病床の再開を抑制し続けました。当時(2011年5月)も今(2011
年11月)も、この地域の入院診療サービスは、住民数に比して大幅に不足しています。
入院診療が抑制されたため、民間病院の資金が枯渇しました。苦戦が今も続いており、
存続できるかどうか、ぎりぎりの状況です。

 福島県立医大は、2011年5月26日、学長名で、被災者を対象とした調査・研究を個
別に実施してはならないという文書を学内の各所属長宛てに出しました。行政主導で
行うからそれに従えとの指示です。福島県の指示による文書だと推測されます。本来
なら大議論が始まるはずですが、県立医大内部に、個人の自由闊達な意見のやり取り
が生じた気配が見てとれません。自ら考える個人の存在が見えません。学問は、方法
を含めて、何が正しいのか、学問の担い手が自分で考えて提示します。担い手は、所
属施設はあるにしても、基本的に個人です。多様な意見を許容することが、学問の進
歩の前提条件です。行政は学問の担い手ではありません。別の論理で動くので、行政
が学問を支配すると、行政の都合でデータの隠蔽や歪曲が生じかねません。

 被ばくの被害として、最も注意すべきは、チェルノブイリで見られた小児の甲状腺
がんです。放射性ヨウ素による内部被ばくが原因だとされています。チェルノブイリ
と福島を比較検討する必要があります。放射性ヨウ素が環境中に放出された総量、放
出された期間、体内への取りこみ量などを可能な限り推計して、比較したいところで
す。放射性ヨウ素は半減期が短いので、南相馬市で内部被ばくの検査が可能になった
時には、すでに検出されなくなっていました。内部被ばくの検査を担当してきた東大
医科研の坪倉医師は、セシウムによる内部被ばくがごく軽度だったこと、放射性物質
の体内への取り込みが継続していないことなどから、大きな被害はなさそうだと予想
しています。しかし、予想は予想であって、結果ではありません。どうしても観察は
継続しなければなりません。

 なにより重要なことは、長期間にわたる小児の甲状腺がんの検診です。被害を小さ
くするには、早期発見が求められます。逆に、チェルノブイリで甲状腺がんがたくさ
ん発生した時期になっても、福島で発生していないことが明らかになれば、子供たち
とその親の安心感は高まるはずです。ホールボディーカウンターによる内部被ばくの
調査と同様、市町村の方が、住民に近いので、県よりきめ細かな検診が可能です。

 ところが、南相馬市の病院には、甲状腺の専門家や甲状腺の超音波検査に習熟した
技師がいません。そこで、地元の病院の院長が、関西の専門病院の協力を得て、小児
の甲状腺がんの検診体制を整えようとしました。講演会や人事交流が進められようと
していた矢先、専門病院に対し山下俊一氏と相談するよう圧力がかかり、共同作業が
不可能になりました。この専門病院に連絡したのは、県立医大の外科医だそうです。
邪魔する正当な理由は考えられません。

 さらに、福島県は、南相馬市立総合病院で実施した内部被ばくのデータを一人あた
り、5000円で提供するよう、市立総合病院に要請しました。県も内部被ばくの検査を
行っています。本来は、それぞれで、成果を発表し、議論するのが学問のあるべき姿
です。意見の違いが、進歩を生みます。互いにデータを検証するのは良いにしても、
県が一括管理するのは、あまりに危険です。震災での福島県の数々の不適切な行動が、
危険であることを証明しています。
 福島県・福島県立医大は、放射線被ばくについての被災者の不安が強かったにも関
わらず、検診や健康相談を実施しようとしませんでした。しびれを切らした市町村が、
県外の医師たちに依頼して検診を始めたところ、県はやめるよう圧力をかけました。

 除染についても、住民や市町村は県が主導権をとることを期待しましたが、県は動
こうとしませんでした。そこで、地元の高橋亨平医師が中心になって、妊婦の自宅や、
子供が集まる場所の除染を開始しました。高橋亨平医師が、協力者と、飯館村で除染
の効果を検証するための実験を実施しようとしたのを、県が邪魔したと協力者本人か
ら聞きました。県として、邪魔するという行動を選んだことに、びっくりしました。
利害得失の判断過程が想像できませんでした。
 検診や日常生活の場の除染は、本来、住民に近い市町村が担当すべきです。県を頼
りにするのは、県が財源を握っているためではないでしょうか。県は、財源を住民に
近い市町村に渡すべきです。

 福島県は、自ら関与していないにもかかわらず、地元の市町村が独自に行った検診
結果を県に報告せよ、ついては、個人情報を出すことについての同意を地元で取れと
指示しました。県や福島県立医大の職員は、検診場所に来ていません。市町村は県の
出先機関ではありません。
 福島県の指示で動く医師には、住民の生活上の問題や不安に向き合おうとする個人
として顔の見える医師がいませんでした。山下氏の言動の影響もあり、福島県の健康
調査について、県民に不信感が広がっています。

 私自身の体験からも、福島県には、疑問を呈さざるを得ません。私の勤務する亀田
総合病院は、東日本大震災で、透析患者後方搬送(文献2)、老健疎開作戦(文献3,
4)、知的障害者施設疎開作戦(文献5)、人工呼吸器装着患者8名の受入れなどの救
援活動を、鴨川の様々な機関や個人と協力して実施してきました。いずれも、対象は
福島県民でしたが、福島県がしばしば活動の障害になりました。

 透析患者約800名の後方搬送では、福島県は、自ら搬送するとして、民間での搬送
をやめさせておきながら、すぐに搬送を放棄しました。結局、民間のネットワークで
搬送しました。福島県は、救援を遅らせただけでした。現場を混乱させましたが、中
止に至った経緯の説明はありませんでした。無責任かつ傲慢と言わざるをえません。
民間の組織や個人なら許されません。老健疎開作戦を実行した際には、邪魔されると
思ったので、県には一切相談しませんでした。人工呼吸器装着患者の搬送では、県を
通さず、官邸を通して自衛隊に頼みました。
 おそらく、いたるところで福島県民の利益に反する対応があったと推測します。3
月18日に届いた浜通りの中核病院の医師からのメールを紹介します。

 昨夜、20km前後で取り残されている500人前後の患者を、当院を中継地として県外
に搬送する作戦を、DMATを集結して今日から行うと言う事になり、まず150人を移送
する為に鋭意準備を進めていました。一時的に収容出来る屋内スペースも作り、院
長・救急センター長以下、頑張っていました。ところが、昨日深夜になって中止にな
りました。
 県が断ったと言うのです。理由は搬送先が決まっていないのに動かすな、でした。
県の幹部は誰もここまで見に来ていませんし、残留している施設にも電話等で直接状
況を問い合わせていないのです。一刻も早い避難勧告地域からの撤退の為に現場が頑
張っているのに、県に潰された格好です。そこにいる人達がどの位持つのかもわかっ
ていないのに、です! 
 DMATを投入するために役割分担も決め、まさにGOサインを出した直後に潰されたた
め、 DMATの人達もこの次はこんなに早く集結してくれないのではないかと危惧して
います。
 県と県、県と国との要請手順の手違い、との話も漏れ聞いています。 真実は分か
りませんが、 何とか、国が主導して搬出作戦を直ぐに再開出来ないでしょうか? 県
の一瞬の判断躊躇でどんどん患者さん達が死んでいくんです。 事件は現場で動いて
いるんだ!と申し上げたい。よろしくお願いします。


●○○JMMホームページにて、過去のすべてのアーカイブが見られます。○○●
            ( http://ryumurakami.jmm.co.jp/ )


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