ぼやきくっくり

日本人は今、世界一、自分の国の歴史を知らない人たちになっている。自分の国の歴史を知らない人が、何で「国民」なのか。日本人の歴史を知らない人が、何で「日本人」なのか。(櫻井よしこさんの言葉)
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「アンカー」両陛下が元白梅学徒隊とご対面&白梅の塔ご訪問が実現しなかった理由

【一覧】「アンカー」青山さんコーナーテキスト起こし
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■11/21放送 関西テレビ「アンカー」青山繁晴の“ニュースDEズバリ”

8年ぶり両陛下が沖縄県を訪問基地問題や米兵事件…苦悩を抱える“沖縄の未来”を青山がズバリ

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 11月17日から4日間、沖縄県を訪問された天皇皇后両陛下。
 両陛下が対面された沖縄の方々の中には、白梅学徒看護隊の生き残りの女性たちもいました。
 白梅学徒看護隊については、青山さんはこれまで格別の思いを持って取り組まれてきました。両陛下の白梅の塔へのご訪問実現のため、宮内庁や沖縄県などと交渉されてきたそうです。
 その甲斐あって、両陛下と元隊員の方々とのご対面は実現しましたが、残念ながら白梅の塔へのご訪問は外されてしまいました。その理由は何だったのか。真相が初めて明かされます。

 間投詞(「あの」「その」など)や言い直しもできるだけ再現しました。但し、細かい相づちなどは支障のない範囲でカットしています。
 画像はYouTubeからキャプチャさせていただきました。

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 内容紹介ここから____________________________

山本浩之
「さ、このあとは、青山さんの“ニュースDEズバリ”のコーナーに行きたいと思いますが、今日はどういうお話を」

青山繁晴
「はい。あのー、今、ま、イスラエルの件で、思わず怒ってしまいましたけども、一方日本では、当然ながら来月の総選挙に向けての、報道がたくさんあふれてます。で、実はこの総選挙っていうのは、ま、非常に良いタイミングで、野田総理の決断によって行われることになったと思ってます。えー、それは、アメリカ大統領選挙ありましたけども、その、さっきのお話だけじゃなくて、実はあれだけ長い時間アメリカ大統領選挙やって、アメリカは真っ二つに割れちゃっただけ。そしてそのあと中国共産党大会ありましたが、中国は今までの世界の工場でいたのがもういらなくなるのに、新しい手を何も打てない。あれだけ壮大な共産党大会やりながら、何も手が打てない。要は、その、米中も、もう終わりの始まりのようになってるわけですね。そのタイミングでちょうど、政権選択選挙が、私たちの前に、展開していくんですから、あの、それはとても大事なタイミングなんですよ。で、こういう時こそ浮つかないで、あの、私たちの敗戦後の日本の、根っこを、もう一度見つめ直すことが大事だと思ってます。ちょうど、その日本の根っこに関わることが、実はたった今、起きました。そのために、まずは1枚の写真を見ていただきたいんですね(フリップ出す)」

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青山繁晴
「はい。えー、これ実は朝日新聞のカメラマンが撮った写真です。朝日新聞の報道ぶりに対して、僕は言うべきは、まあ厳しいことも申してますけど、これは、よく撮れてる写真だと思います。そしてこれは、皆さんご記憶のある方いらっしゃるかもしれませんが、この『アンカー』で、ていうか『アンカー』だけで、何度も取り上げてきた、沖縄の、白梅の塔なんです。えー、ここにいらっしゃる、あの、これ沖縄では『おばあ』って言いますけど、『おばあ』ってほんとに尊敬語ですけど、普通に言うとおばあさまの方々、かつて15歳16歳、ぐらいだった時にですね、えー、今から67年前に、あの戦争の末期に、私たちのたった67年前の先輩が、沖縄に行かれました。アメリカ軍の侵略を沖縄で食い止めて、大阪とか東京に来ないように、戦って下さった。その、はらわたが出て、頭が割れた、私たちのたった67年前の先輩の、看護をして下さったのは、この、現在、80を超えられたけれども、当時15〜6歳、17歳の少女だった沖縄の方々なんです。ところが、その沖縄でも、ひめゆりの塔は有名ですけれども、他にもたくさん学徒看護隊あった、正確に言うと全部で9つあったんですが、ずっと忘れられてきたんです。それが今回初めて、天皇皇后両陛下が、沖縄で、この、白梅学徒看護隊の方に、方々に、会って下さいました。で、ただ、会って、あの、陛下、両陛下が会って下さっただけじゃなくて、私たちの、敗戦後の67年の歴史を、根っこから見直す、大変良いきっかけでもあるので、今日は皆様と一緒に、このことを考えたいと思います」

山本浩之
「はい。その上でキーワードは今日は何でしょうか」

青山繁晴
「はい。そうです。えー、その上でのキーワード、今日はちょっと、この言葉を出せるのは嬉しいんです。これです(フリップ出す)」
 
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山本浩之
「『新しい光』」

青山繁晴
「はい。実はこのコーナーの最後にさっきの写真もう一度見ていただきますが、そこにも、実は新しい光が差してるんです」

山本浩之
「はい。それでは、コマーシャルをはさんで青山さんの解説です」

(いったんCM)

山本浩之
「沖縄の白梅学徒隊、については、このコーナーでも、青山さんが何度か、お話をされていますけれども、総選挙を控えたこの時期に、もう一度、見つめ直していただきたいというふうに思います。お願いします」

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青山繁晴
「はい。皆さんまず、この、画面見ていただけますか、このパネルをね。あの、これは本当にあの、僕は、今、生放送の直前に、このスタッフの作ってくれたこのパネル見てですね、ほんと感動したんですよ。あの、ほんとに、あの、徹夜で、仕事で、こういうパネルを作ってくれたスタッフに、あの、ほんとに感謝したいですよ。これ素晴らしい写真だと思いますね。天皇皇后両陛下の、この穏やかな眼差し、これも素晴らしいですけど、皆さんこっち(左)見ていただくと、今から70年ぐらい前の、昭和16年から20年にかけての、沖縄の、えー、第二高等女学校、えー、その第二高等女学校の学校のマークが、この白い梅だったんですね。で、皆さんご覧になってるこの当時の、少女たち、このおよそ半数が、この沖縄戦で、私たちの先輩の看護をしている時に、追い詰められたり、あるいは米軍の火炎放射器で焼かれたり、追い詰められた挙げ句、自決なさったりして、少なくとも半分以上の方が、失われたんですね。えー、亡くなったわけです。それを、両陛下がご覧になってるっていうふうに見える、この写真ていうのは、あの、僕は本当に素晴らしい写真だと思います。そして、天皇皇后両陛下、当然ながら、あの、私たちの昭和天皇の次の代の、125代天皇陛下でいらっしゃるんですが、昭和天皇におかれては、これも皆さん、あまりにもご存知の通り、先の大戦当時の陛下でいらっしゃって、そして敗戦後、これは私たちも学校で習いましたけれども日本各地を、回られた。しかしその中で、沖縄だけが、ついに昭和天皇は行幸され、たいって希望は、ほんとにお強かったのに、行くこと、行かれること、叶わず、崩御されてしまったんですね。で、そのご遺志を受け継がれて、今上陛下におかれては、その、いわばお父様の、お父様なんて言い方は適切じゃないでしょうが、先の昭和天皇のご遺志をよくお分かりになってるからこそ、皇太子殿下ご夫妻の時代から、今回、9回に渡って、えー、沖縄を訪れてらっしゃるんです。えー、体調も決して万全でいらっしゃらない時にも、沖縄だけはほんとに優先して、今回も含めて、訪れていただきました。えー、今回も、海に関する行事はあるんですけれども、根幹にあるのは、宮内庁の方々のお話を聞いても、沖縄への、深い深い思いがあって、行かれたと、いうことなんですね。で、ところが、その、たとえば両陛下が9回に渡って、沖縄を訪れておられても、未だに忘れられたまま、報われない人たち、あるいは、顧みられなかった出来事も、実はまだ、残っているんです。それは何かというと、それがこれなんです」

村西利恵
沖縄戦に動員された、女子学徒隊は、全部で9つあります

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青山繁晴
「はい。えー、皆さん、この、今は、学徒看護隊って言い方をしてますね。で、実際の戦争当時は、単に学徒隊って言い方だったそうです。ただ任務というのは、まさしく看護であって、たとえば野戦病院に派遣された。野戦病院って言ったって、これからVTRで見ていただきますが、あの、いわばただの洞穴ですね。そこに、ちぎれた足の兵士や、ほんとに頭が割れたままの兵士が運ばれてきた、そこで看護なさった、あの、15から19歳までの少女たちがいらっしゃったんですが、皆さん見ていただくと、さっきも言いましたが、ひめゆり学徒看護隊は、もう極めて有名ですよね。もう映画にも何度も何度もなりました。それはどうしてかというと、ひとつには、いわば、当時の沖縄の、女学校のエリートだった、第一高等女学校、一高女(いちこうじょ)って言います。それから沖縄師範学校女子部の、その、エリートの、エリートでも悲劇は全く同じですよ? でも、エリートの、ひめゆり学徒看護隊だったから、天皇皇后両陛下が、皇太子殿下ご夫妻の時代に、ここに行かれたんですよ、自決壕に、ひめゆりの塔にですね。で、従ってここは観光地にもなり、映画化され、それはずっと覚えられてるんだけども、皆さん、それ以外に何と8つあるんですよ。今日のお話の白梅学徒看護隊や、あるいはこのへん(瑞泉、積徳、悌楼)は、私立の女学校ですね。で、あるいは、本当から離れた島の女学校(宮古高女、八重山)、あるいは、農学校の、女子の、方々、つまり少女の方々、まで、全部で9つあったのに、ここ(白梅)から下は、もう沖縄でも、ほとんど、実は忘れられているわけです。で、えー、じゃあ僕だけが、知ってたのか。違います。僕だって、ひめゆり部隊は知ってたけど、この白梅以下は全く知らなかったんです。そして今から33年前に僕が共同通信の新聞記者だった時に、最初の夏休みに沖縄行きました時に、たまたま、僕を、戦争の跡を案内してくれたタクシーの運転手さんが、あなた若いのにこんな陰気なとこばっかりどうして回るんですかと聞かれたから、いや、実は僕は今まで言わなかったけれど、新人記者なので、その、僕はダイバーでもありますけど、村西さんもダイバーだけど、今回は青い海行かずに、戦争の跡を自分の手と足で回りたいんですって言ったら、そのタクシーの運転手さんが、あなた記者なのか、記者だったら行くとこが違うんだよとおっしゃったんですよ。それまですでにひめゆり行ってたんですけども、行かなきゃいけないとこは実は別にあるんだとおっしゃって連れて行って下さったのが、この白梅学徒看護隊が自決し、そして、遺骨が置かれている、そして慰霊塔がある、場所だったんですね。これ実は、今から5年前に、この『アンカー』のこのコーナーで放送いたしました。皆さんそれを一緒に見ていただけますか。どうぞお願いします」

村西利恵
「VTRです」

 …………………………VTR開始…………………………
 (N=ナレーションです)

【2007年8月15日放送】

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N:小さな雑木林の中に建てられた、白梅の塔。沖縄県立第二高等女学校の、沖縄戦戦没者を祀る、慰霊の塔です。

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N:青山さんが、初めてここを訪れたのは、まだ駆け出しの記者だった頃でした。沖縄戦の戦場跡を案内してくれたタクシーの運転手さんが、どうしても見せたい場所があると、青山さんが連れてきたのが、当時、訪れる人もほとんどない、この白梅の塔だったのです。

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青山繁晴
「ちょうどこれぐらいの、鉄の蓋がありまして、ぱっと開けられて、そしたらこの蓋の中に、人間の骨が、その、蓋の中に、つまり、塔の中に、納められていました。真っ白だったんです」

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N:青山さんが見た真っ白な骨。それはのちに、白梅学徒隊と呼ばれる、当時16歳の女学生のものだったのです。

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N:白梅学徒隊の生存者である、中山きくさんと崎山麗子さんが、当時の様子を話してくれました。

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中山きくさん
「傷を受けた兵隊さんを見るというのがもう初めてだったんで、もうみんな後ずさりして、もうできれば逃げ出したいぐらい」

青山繁晴
「つまりはらわたが出てたり…」

中山きくさん
「はい。もうそれは…」

青山繁晴
「腕がちぎれてたり…」

中山きくさん
「そんなもんじゃないんですよ、もっとひどいんです」

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中山きくさん
「つまり、あの、もう傷が悪化してから運ばれてくるんですね。しかもウジが湧いて、もう血のりは乾いてですね、大変な状態で運ばれてきてるんですよ」

N:野戦病院に配属された、女子白梅学徒隊に突然下された、解散命令。それは、敵前に放り出されるも同然のものでした。

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N:野戦病院の壕から、およおそ3キロ離れた所にある、白梅の塔。

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N:その傍らに、自決之壕が残されています。

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N:散り散りになった学徒隊のうち、最も大勢が命を落とした場所は、皮肉にも、再び軍と合流して身を寄せた、この地下壕だったのです。

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青山繁晴
「これ中山さん、この、天井がだいたいこれ、黒く焦げてるんですけど、これは火炎放射器で焼かれた痕ですか」

中山きく
「もっとはっきりしてました。真っ黒でした」

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N:沖縄戦の末期、最も激しい攻撃を受けた、国吉地区。アメリカ軍の攻撃は、立てこもった壕に、火炎放射を浴びせ、ガス弾や手榴弾で攻撃する、徹底したものでした。

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N:白梅隊のうち6人は、この壕で、兵隊たちとともに、自決を遂げたとされています。

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N:沖縄戦に動員された、白梅学徒隊、その生還者は、半数に満たなかったのです。

 …………………………VTR終了…………………………

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青山繁晴
「あの、皆さんこの、5年前の8月15日、私たちの祖国は初めて戦争に負けた、日、から、この5年間、この『アンカー』を見ていただいた(少しこみ上げる)、視聴者の方、皆さんです、ずいぶんたくさん、この、白梅の塔に、行ってくれました。本当にこの、生き残りの、お一人の、今は同窓会長なさってる中山きくさん、たちも本当に、この『アンカー』の視聴者の方々に、感謝なさってます。そして、さっききくさんと一緒に、自決壕の中、入っていきましたね。その自決壕の一番突き当たり、あの、僕は今でも、もう、行くたびに、33年間お参りしてても身体震えるんですけど、どうしてかというと、オカルトじゃなくて、本当にありありと、おかっぱ頭や、お下げ髪の少女、今日最初に写真見ていただいたああいう少女が、永遠に、15歳16歳17歳の少女のまま、そこにいらっしゃるんです。恋をまだ知らない、恋も知らないうちから、自分のためではなくて、人のためにみんなのために、自決なさった方が、あの壕に今日もありありと、いらっしゃいます(涙)。そして、僕をそこに最初に連れてってくれたタクシーの運転手さんが何とおっしゃったかというと、あそこの敷地は広いんです。ちょっと小高いその塔のあたりからこうやって、手を広げてお示しになって、青山さん見て下さい、誰も来ないんだと。これ沖縄県民、ウチナンチューはずっと被害者でいるけれども、本当は私たち沖縄県民、ウチナンチューだって沖縄戦の本当のことを知らないんだと。あなた記者だったら、本土の人間、ヤマトンチューが、沖縄戦のことを沖縄の人だって知らないって言うとおそらく、たくさん嫌がらせも受け、非難もされるだろうけど、あなた記者だったらそれを、我が沖縄県民に、この白梅の塔も含めて、残り8つの学徒看護隊もあるんだよ、ひめゆりの碑だけじゃないんだよ、ひめゆりも大きな悲劇だけど、他の人は報われずにずっと来てるんだよってことを伝えて下さいと、おっしゃって、そしてその約束があったから、この『アンカー』で、ようやくそれを実現することができたんです。そしてこの5年間、僕はこの白梅の塔について何をしてきたかというと、天皇皇后両陛下が皇太子殿下ご夫妻の時代に、ひめゆりの塔に行って下さったおかげで、学徒看護隊そのものは、その沖縄県民にももう一度思い出され、そして、本土の私たちにも、強く、あの、知られ、そして、たくさんの方がそれで報われたんですが、もう一度申しますが、あまりにも天皇皇后両陛下の皇太子殿下ご夫妻(時代)の、振る舞いが素晴らしかったために、皆さんご記憶ですか、あそこで、火炎瓶などを投げられた時に、その、ご夫妻は、自分たちのことを心配されるんじゃなくて、その、学徒看護隊の生き残りのほう、に、ずっと目線を送っておられるんです、ご自分たちを心配されるんじゃなくて。そういうことも沖縄県民の心を動かし、ましたから、その結果として、ひめゆり、だけかのように誤解された。ひめゆりの学徒看護隊の方々にとってもそれは誠に、不本意なことなんですね。9つ全部を同じように扱っていただきたいというのが、沖縄の今『おばあ』になられた方々の、共通の願いですから、だから僕は、宮内庁長官をはじめ、宮内庁や、えー、警察庁、そういう方々と会ってですね、あるいは沖縄県とも交渉をして、えー、天皇皇后両陛下に白梅の塔に行っていただきたいってことを、お願いし、続けました。で、僕の、その、いわば動きの影響はほんとに小さなものだと思います。宮内庁や警察庁、警備担当の警察庁や、その何よりも沖縄県庁の大きな努力があって、えー、んー、えー、白梅の塔に行幸されることは残念ながら今回は叶わなかったけれども、実は今回、えー、海づくりの行事のために、両陛下が行かれたにあたって、空港からまず、沖縄の南部戦跡の所に、平和祈念堂、祈念ってのは祈る、念ずるですね、平和祈念堂って所に、寄って下さって、そこで、この今写ってる、中山きくさんたちと、初めて、対面していただいたんです」

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青山繁晴
「えー、中山きくさんに、この番組する前に、何度かお話を電話で聞いたんですけども、きくさんたち、たった3人で、3人だけ選ばれて、この、両陛下と対面となったんですけれども、お会いする前は、もう膝ががくがく震えて、何を話したらいいか分からなかったそうです。そしてわずか4畳半ぐらいの小さな応接室に、その3人が入られましたら、両陛下が、先ほど皆さんに見ていただいたあの最初の、あのような表情で、非常に穏やかに迎えて下さり、えー、そして、何気ないかのように、このきくさんたちに、今は、おいくつになられたんですかとお聞きになった。そのたった一言で、きくさんたちは、ああ両陛下は、本当はあの、どういう学徒看護隊があったのかを事前によーく、お調べになって来られてるんだなっていうことを、感じることができたから、きくさんたちは急に緊張がほぐれて、えー、実はこういうことを申されたそうです。両陛下に申し上げますと。学徒看護隊は、学徒隊は、お二人が行って下さった、ひめゆり以外に、8つありまして、沖縄の全ての女学校に、この学徒隊が、設けられましたと。私たちは授業受けることはできなかったのは、非常に無念でありましたけれども、ほんとに気持ちを込めて、傷病兵の方々を看護いたしましたってことを、申し上げることができたそうです。これは非常に穏やかな言い方ですけれども、本当は報われざる少女たちが、実は、残り8つの学徒看護隊にいますってことを、えー、さりげなく両陛下にお伝えしたわけですね。えー、そしてその上で、話を続けようとしたら、宮内庁の侍従の方が、この休憩時間10分だけなので、もう時間が来てしまいましたっていうことで、もうそこで話が打ち切りになってしまって、えー、まあある意味新たな、無念の気持ちが、こう生じるような感じで部屋を出ようとしたら、その時に思いがけないことが、起きたそうです。それは、これです」

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村西利恵
皇后さまが、中山さんたちに、『白梅の塔は、どちらの方角ですか』と、声をかけられたということです」

青山繁晴
「はい。というのは、皇后陛下と天皇陛下が、お立ちになって、ただお見送りするだけじゃなくてですね、えー、見送りされるだけじゃなくて、この、きくさんに、白梅の塔は、どちらの方角でいらっしゃいますかというのを、この皇后陛下が、ほんとにさりげなく聞いて下さった。全く思いがけないことだった、事前にそういうことがあるっていうのは全然聞いてなかったけれども、しかし、きくさん、きくさんは幸いにも、こちらの方角ですってことを、すぐに、正確に指すことができて、そしたら、両陛下は、僕が代わりをするのは誠に僭越ですけれども、もう、(深く礼をする)ほんとに深々と、ずっと、礼をして下さったと(涙)。それで初めて、今まで67年間の間、いわば報われずに来た、白梅の少女たち、白梅だけじゃなくて、ひめゆりも含めた9つの、少女たちが報われたと、初めて感ずることができたそうです。しかし皆さん、このあと後半ではですね、えー、誰も、傷つかない、傷つけないように、心しながらも、あえて視聴者、国民の方に、もうひとつの、真実も、お伝えしたいと思います。お伝えしなければいけないと思います。えー、その、後半に向けてのキーワードは、これです(フリップ出す)」

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村西利恵
「ここでズバリキーワードは、『みなが一緒に乗り越えていくもの』。このあとは、今回、白梅の塔へのご訪問が外された理由について、詳しく話していただきます」

(いったんCM)

山本浩之
沖縄を訪問された両陛下はなぜ白梅の塔を訪問されなかったのか。続きをお願いします」

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青山繁晴
「はい。皆さんあの、今日、コーナー冒頭のこの、印象深い素晴らしいパネル、もう一度出していただきました。あの、さっき、今年で言うと84歳になられた中山きくさん、も見ていただきましたけど、きくさんたちをですね、僕なりにこう、ぎゅーっと抱きしめるとね、この腕の中で本当に、15の女の子に戻るんですよね(涙)。で、その、こっからの67年間の歩みを考えるとですね、えー、僕は、もうとにかく、この5年間の間、両陛下に白梅の塔に行っていただいて、もう一度申しますが白梅だけじゃなくて、あそこの敷地は広いので、ひめゆりから、その、八重の、農学校の女子の方々まで全員、生き残りの方いらっしゃいますから、集まっていただこうと願いまして、交渉を始めました。えー、この5年間交渉してる間は、このコーナーでも一言も、申したことはありませんでしたね? しかし、もう全ての交渉終わって、今回の対面となって実現しましたから、今は明かそうと思います。はい。たとえばこういう方々です。出して下さい」

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村西利恵
「羽毛田宮内庁元長官と、仲井真沖縄県知事」

青山繁晴
「はい。この羽毛田さんはついこないだまで宮内庁の長官なさってた方で、えー、たとえば、女性宮家の創設などについて僕と意見は全く違いますけれども、しかし深い深い志を持っておられることについては僕は全く信頼してる方で、この羽毛田さんのところに、訪ねていきました。宮内庁の奥深くの長官室へ行きまして、この、白梅の塔、そしてひめゆりのお話も含めていたしましたところ、長官は非常にフェアに、私たち宮内庁も、そういう白梅の塔の存在とか、実はよく知りませんでしたと。大変驚きましたと。そして、改めて、青山さんの言ってることが全部事実なのかどうか、フェアに調べた上で、両陛下にお話しすべきだと思ったら、お話いたしますと、おっしゃって下さいました。で、その通り、宮内庁は、警察庁などとも連携をしていろいろ調べた結果、あの、この、青山の、言ってることは、正しいと、判断されたようで、両陛下にもう、その段階でお話しして下さった。さあその上で、実は僕はその時に初めて知ったんですが、えー、宮内庁や警察庁、からのアドバイスというのがですね、本当は両陛下が、地方に行かれる時には、上から、その、ここここに行きますからってことじゃなくて、あくまでもその地方からの、その希望のリストを挙げてもらって、そのリストを最大限尊重して、特に警備上問題がないか、あるいは今までのご訪問とだぶってないかというようなことを調べて、基本的には、その、地元からの要望に基づいて、えー、訪問先、ご訪問先、行幸先を決めるんだということが分かりましたから、さあ改めて、仲井真沖縄県知事とお会いしました。仲井真さんは、この件で僕が、知事室に、沖縄の知事室に伺った時に、青山さんが1対1で話したいっていうから、てっきり普天間のことだと思ったら、違う話ですかと言われて、そして白梅の塔のお話をいたしましたら、仲井真さんとも意見違う点もちろんありますけれども、まさしくフェアに、私たち沖縄県民、ウチナンチューが、実はこの、知事におかれても、白梅の塔は実はよく知らなかったと。そうですか、全部で9つありましたかと言われて、知事は、沖縄県民のひとりとして、これを恥ずかしいと思いますと。そこまで、はっきり申されました。そしてその上で、私たちなりにもう一度よく調べて、えー、そして、学徒看護隊の生き残りの方々からもお話を聞いて、適切だと思えば、沖縄県側から、この11月の天皇陛下の行幸の、際に、行っていただく、行っていただきたいリストに、加えようと思いますと。しばらく待って下さいってことをおっしゃいました。そして、それから何ヶ月も経ったんですけれども、見事、その沖縄県庁から、宮内庁に渡されたリストに、この白梅の塔、というのが、明記されて、その時でもまだ僕、このコーナーでも一言も申しませんでしたが、実現の、もうほんとに一歩手前じゃなくて、半歩手前までついに来たんだなと。よくやく、少女たちに報われる時が、来たんだなと思ったその時に、僕の携帯電話に、仲井真知事の携帯から、驚くような電話がかかってきたんです。それは、こうです」

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村西利恵
『宮内庁から、白梅の塔には行けないという話がありました』

青山繁晴
「はい。そして知事は、この理由について、こう申されたんです。宮内庁は、改めて白梅の塔を、最終的に調べたところ、ちょうどこのパネルのような長方形の、敷地なんです。ここ(パネルの上真ん中あたりを示して)に塔があって、ここ(塔のすぐ左)に今、納骨堂があって、自決壕、このへん(塔から少し離れた右)です。さっきの、見ていた洞穴。そして敷地のこちら側(納骨堂より左下)にですね、お名前は伏せますが、ある陸軍大尉、個人のお墓と、それから、このあたり(そのお墓よりさらに下のあたり)激戦地でしたから、お名前の分からない方々のご遺骨をたくさん納めた、塔と、2つあって、特にその、個人の、お墓があるっていうのは、陛下がここにいらっしゃった時に、個人の方をどうするかって調整が難しいから、行けないと、いう話がありました。青山さん、誠に残念ですって言われてですね。僕は実は、すごく落ち込んだんですよ。もうあの、他の仕事をこなしながらも、心の中は真っ暗で、あの、落ち込んでしまったんです。これ反省してますが。でも何とか、あの、時間を置いて立ち、ま、いちおう立ち直ってですね、これはやっぱり確認する必要があると。宮内庁、そして警備担当の警察庁の側に確認する必要があると思って、宮内庁側や警察庁の側に聞いてみますと、青山さん、それ話、逆ですよと」

村西利恵
「逆?」

青山繁晴
「はい。あの、宮内庁側の、警察庁も合わせた証言によると、実はこうだと」

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村西利恵
県の職員が、両陛下の訪問先リストから、白梅の塔を外したことが分かった

青山繁晴
「はい。突然、県の職員、これがどなたなのかというのは、僕は、棺桶に持っていきます。絶対に言わない。この人個人の問題にしてはいけませんから。実はこれは、背景があるんです。えー、その背景、あとから申しますが、えー、この、県の側からですね、知事が知らないまま、県の側が、職員の側が、つまり官僚組織が、知事は政治家ですから、政治家じゃなくて官僚組織から、宮内庁と警察庁に対して、特に宮内庁に対して、さっき言った通りの話、敷地の中に、個人のお墓までありますから、ふさわしくないと思うんで、リストから外しますと、外して下さいと言ってきたので、宮内庁、警察庁が不思議に思ったと。なぜかというと、天皇皇后両陛下が今まで行幸された場所に、いろんな複雑な事情があったり、たとえば個人の物が含まれていたり、そんなことはたくさんありましたよと。そんなことでいちいち断ってたら、両陛下のお気持ちを実現できないから、そんなの理由にならないのに、なぜそれを言ってこられたのか不思議に思ったけど、さっき言った通り地元優先だから、地元が外すっていうならやむを得ないと。青山さんがどう思ってるのか、それも不思議に思ったけれども、そのままになったんですよと、言われたんで僕はびっくりして、先ほどの、フェアな仲井真知事にお電話をして、話が逆なんですと言いましたら、知事は大変仰天されまして、それは県の中で調べてみると。そしてそのあとまたすぐに、知事からかかってきたのは、どうも青山さんの、調べたことのほうが本当らしいとおっしゃったんで僕は知事に、私は今まで長年、沖縄に、訪ねてまいりましたが、沖縄を訪ねてまいりましたが今回は違いますと。その県職員の方を、東京に寄こして下さいと。そして東京で、私に、話をさせて下さいと、申しましたら、2人の方がお見えになって、これは、あの、フェアに申しますが、その2人の方は、そうです、実は、私たちが自分の判断で、そのように言ってしまいましたと、知事にも報告したのは違いますと、言われたんで、僕は、あなた方は、フェアですと、ちゃんとそれは認められたんだから、すぐに宮内庁に行って、やり直して下さいと言いましたら、実は、宮内庁はもう会ってくれないんですと。いったん、こうなったものを会うわけにいかないとなってると言われたから、僕は宮内庁側に連絡をして、この県の方に、会って下さいとお願いしましたら、会ってくれたんですよ。会ってくれたんですが、その結果どうなったかというと、こうだったんです」

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村西利恵
「宮内庁から仲井真知事に、『すでに両陛下に予定を伝えたので、覆すことは難しい。両陛下に、平和祈念堂で休憩していただき、そこで白梅の方々3人と会われるのはいかがか』という打診があったと、いうことです」

青山繁晴
「はい。で、知事に、こういう打診が宮内庁から、いわば正式に来て、そして知事から僕に、電話をいただいて、青山さん、こういう話になりましたと。残念な点もあるけれども、これでいかがかと言われたんで、僕は、その、いい悪いって立場じゃありませんと、白梅の、生き残りの方々、先ほどの中山きくさん以下、皆さんがそれでも、お会いできるのは素晴らしいと、お考えいただけるならば、それで今回は決着に、されてはいかがですかと、申しました。そしたら、さっきのきくさんたち、本当はですね、まずその、えー、行幸が叶わなかっただけじゃなくて、3人だけじゃなくて、その、部屋が狭くてももっとたくさんの、方と行きたかったってことも含めて、残念な点も残ったんですけれども、しかし、対面が実現して、そして両陛下から、真っ白な白菊の花をいただいて、その花を持って、白梅の塔に行かれて、先ほどの、この写真になったんです」

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青山繁晴
「えー、この写真、皆さんもう一度見ていただくと、さっき言いましたが、朝日新聞の写真ですね。なぜ沖縄の地元紙の写真じゃないのか。実はこれは中山きくさんがおっしゃったんじゃありませんよ? しかし他の関係者の方々に、僕は聞いていきますと、実は、沖縄の地元紙、地元メディアは、ほとんどこれを取材してくれなくて、ごく短く報じたけれども、大きく報じられることはなく、映像として流れることもほとんどなかったと。なぜかというとですね、県職員の方の事情と同じなんです。沖縄県もまた、沖縄県民もまた、沖縄戦について忘れていたことがあるということを、いわば、本土の人に指摘されるのは嫌だってことなんです。皆さん、こっから日本の根っこをやり直しませんか。沖縄と本土は別じゃない。ひとつの祖国ですから、どっちがどうと言うんじゃなくて、これから一緒にやり直すということのために、この写真を見ていただき、そしてさっきから(番組スタッフが)時間がないから早く終われと言われてますけれども、これだけは言わなきゃいけないんです。ここ見て下さい」

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青山繁晴
この黒い、墓碑銘のところに、光が差してますね。この、ね、不思議な光ですよ? これ実は僕が訪れた時にも時々この、光が現れるんですが、これは、亡き少女たちの、喜びを表してると思うし、この『おばあ』たちも、実は、下級生で、学徒看護隊に参加しなかった方も、みんなが含まれてるんです。みんなで一緒に、日本の根っこを、築き直しましょう」

山本浩之
「はい。いったんコマーシャルです。ありがとうございました」

 ____________________________内容紹介ここまで


 両陛下が白梅学徒看護隊の方々と対面されたと知った時、私は本当に嬉しく思いました。
 白梅の塔へのご訪問がなく、ご対面だけで終わったのも、私は単にスケジュールの都合か何かかなと思っていたんです。
 が、実際は裏でこんなやりとりがあったんですね。

 それにしても沖縄のメディアや左翼団体(本土から来てるのも含めて)、何とかならんのでしょうか(T_T)

 沖縄、そして本土も含めた偏向メディアのせいで、沖縄の、本当はたくさんいらっしゃる保守の方々の声はなかなかこちらまで届きませんが(ネットではある程度届きますが新聞・テレビはダメ)、青山さんも言われるように、みんなで一緒に祖国・日本のために手を携えていきたいです。


 この日の「アンカー」では他に以下のニュースで青山さんの解説がありました。

・安倍自民党総裁が政権公約を発表、安倍総裁の金融政策めぐり論争、鳩山元首相政界引退など政治のニュース
・パレスチナ軍ガザ空爆開始から1週間
・減税日本の河村たかし代表「維新との合流断念」

 拙ブログで紹介しきれなかった青山さんの発言については、誰にも手渡してはならない自由意志さんが後日文字起こしして下さると思うので、そちらをご覧下さい。


※参考リンク
ON THE ROAD 青山繁晴の道すがらエッセイ
 青山さんに直接コメントが送れます。
誰にも手渡してはならない自由意志
 拙ブログで紹介しきれなかった青山さんの発言を起こして下さっています。
青山繁晴氏のファンサイト・淡交 ブログ
 動画の紹介など情報が大変充実しています。

※拙ブログ関連エントリー(アンカー)
【一覧】「アンカー」青山さんコーナーテキスト起こし






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※拉致被害者奪還 日本列島縦断デモ行進はじめ、各種デモ・集会のまとめ
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