解決済みのQ&A
先人の教えや知恵はなかったのでしょうか。 津波や地震は長い人間の生活においてい...
先人の教えや知恵はなかったのでしょうか。
津波や地震は長い人間の生活においていくどとなく襲ってきたと思いますが・・・・。
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- 質問日時:
- 2011/4/5 00:25:51
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- 解決日時:
- 2011/4/8 23:30:40
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ベストアンサーに選ばれた回答
≫先人の教えや知恵はなかったのでしょうか
そうですね各地に“先人の知恵”や“先人の戒め”あった様ですよ。
①岩手県普代村:
⇒ :★☆高さ15.5メートルを超えるA.『太田名部防潮堤』とB.『安家川の河口から800m上流の水門』の2つの要塞。
・・・・・・【明治(1896年)三陸津波の教訓】からの備え。 ⇒ 死者ゼロ不明1人。
当時の和村幸得・村長が主張し譲らなかった。・・A.『太田名部防潮堤』全長155m×15.5m≪万里の長城と揶揄された≫
A.防潮堤は1967年に5800万円かけて県が建設。
B.水門は1984年に35億円投じて完成。
・・・・・・・・・・2011年4月4日読売新聞朝刊31面[社会]参照のこと。
②岩手県宮古市:重茂半島東端(姉吉地区):
⇒ :★☆海抜60mにある“先人の戒めの石碑”【碑文:此処より下に家を建てるな】⇒1933年後に建立:被害なし。
・・・・・・12世帯40人のすべての家屋を守った。
この地区は、1896年明治三陸津波 : 1933年昭和の三陸大津波の際の生存者は2人と4人。
幼いころから、≪石碑の教えを破るな≫といい聞かされてきた。
・・・・・・・・2011年3月30日読売新聞朝刊33面[社会]参照のこと。
③宮城県松島町:
⇒ :★☆自然の松島の島々が防波堤・波減効果をなした。
・・・・・・島の一部が崩落したが、湾内に広がる町は、海岸線の商店街の1階は泥水浸かったが、死者1名と。
伊達家の所縁のある寺たる瑞巌寺などは津波には見舞われてない。伊達政宗の眼力!!
・・・・・・・・・2011年3月23日読売新聞朝刊35面[社会]参照のこと。
この3つは代表的な先人の知恵と先見性です。
※※岩手県『田野畑村の大津波』という体験談の伝承と証言を伝える書籍(M29年夜の大津波と、S8年の大津波で、死者233人と91人の死者を出しています。今回の津波では14人死亡、行方不明が25人と減ってはいるが・・・・伝承の必要性。)
>>>・<<<・>>>・<<<
http://ameblo.jp/pridea/entry-10837030219.html
◇日本一の防潮堤(陸上にあるもの)!!◇ ⇒ チリ地震には影響を受けず。
日本一の防潮堤が突破された・・・・ 【岩手県宮古市田老町に建設されていました】
完成時にはお祭り騒ぎでしたが、自然の力には無力。
①☆★☆宮古市田老の津波防波堤は総延長2433m・高さ10mと日本一★☆★防波堤にとる城壁都市のようだった。
「約4400人が暮らす田老地区は「津波太郎」との異名があり、1896(明治29)年の明治三陸津波で1859人が、1933(昭和8)年の昭和三陸津波で911人が命を奪われた「過去」がある。
防潮堤(防波堤とはいわない)建設は半世紀近くかけて78年に完成。総工事費は約50億円。
こうして出来上がった防潮堤は、海寄りと内寄りの二重の構造。高さは約10メートル、上辺の幅約3メートル、総延長約2.4キロと、まるで城壁のよう。岩手県によると、二重に張り巡らされた防潮堤は世界にも類はない。 」
②★☆釜石市の長さ20m・高さ6m・全長2km(防波堤の基礎水深63m)⇒ギネス記録(世界一)
建設費用1200億円を投じ建設。・・・竣工して約30年を費やし完成。・・・・・一瞬にして、崩壊。
この素晴らしい人工物の要塞都市は、被害甚大!今こそ自然に、謙虚になりましょう。
松島の自然の島の配置によって、津波の勢いが和らいだ事実は、それを物語っております。
(専門の人たちが、そのことも検証せずに、人工物の話だけ言っているのはおごれるもの久しからずと言えないでしょうか。)
- 編集日時:2011/4/7 01:42:32
- 回答日時:2011/4/6 22:10:14
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>津波や地震は長い人間の生活においていくどとなく襲ってきたと思いますが
大地震や大津波は、短いものでも50年くらいのスパンでやってきます。
長くなれば1000年単位です。
これだけ大きな被害のでる三陸地方でも、人生に2回被害を受けるか受けないかです。
人間は目先5年くらいでしか物が判断できませんから、どうしても油断が生じてしまいます。
それでも三陸は、「地震が来たら高台へ」が非常によく身についている地域であり、今回も多くの人がそれを実践して助かっています。残念なのは、住民が考えていた高台のレベルを超えて水が来てしまったことです。
明治三陸津波の後、集落ごと高台へ移転した地区は、ほとん死者が出ませんでした。
今後は、自分の孫の代ためにこの決断ができるかどうかですね。
津波の高さが三陸より低かったのに、多くの死者が出ている宮城、福島の平野部については、まさに1000年単位の出来事であり、まさかここまで津波は来ないだろうという油断があっただろうことは否めません。そのことで防災意識が低いと責めることができる人はいないでしょう。この周期の災害を防災にどう取り入れるかは、考えないといけません。
今後、数回の津波警報には皆対応するでしょうが、被害が軽微なことが続けば、大丈夫だという気持ちが必ず起こってきます。
それを乗り越える智慧はまだ確立されていないということです。
- 回答日時:2011/4/5 10:59:23
なかったわけではありません。
今回被災地となった三陸地方は度重なる津波被害を受けていたため、
世界屈指の堤防や津波に対する防災教育が行われていました。
しかし、これだけ多くの被害が出てしまった理由には大きく3つの
要素が考えられます。
1) 過去の大津波の規模を遥かに超えていた
10mを超える巨大な堤防も越えられてしまえば効果がありません。
今までの津波被害を元に、それを防げる堤防を作ったつもりが、
それらを軽々越えてしまいました。
2) 主な産業が漁業である
高台で住み、高台で生活していれば良いのであれば、津波の
被害は小さくて済んだでしょうが、実際には漁業で生計を立てる
必要があり、必然的に海に近い場所に多くの人が住み、働かざる
を得ない状況がありました。
3) 予想よりも広範囲に被害が及んだ
三陸など、何度も大きな被害を経験していた地域以外では
津波に対する対策が十分ではありませんでした。
今も問題が続いている福島第一原発のある福島浜通りでは
三陸ほど津波への対策が万全であったとは言えず、原発も
想定する津波の規模を小さく見積もっていたのが、今回の
問題の大きな原因の一つと言えます。
- 回答日時:2011/4/5 00:36:01
「高すぎる」と批判を浴びた15m堤防が3000人の命を救った
http://news.m.2chblog.jp/c.cgi?id=51585999
- ケータイからの投稿
- 回答日時:2011/4/5 00:31:51
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