1 : 多部田俊雄[] : 投稿日:2002/11/03 21:50:00 今は亡き、『月刊マイコン』誌について語って下さい。 関連スレ http://pc3.2ch.net/test/read.cgi/pc/998886066/ スポンサードリンク
450 : 富美[] : 投稿日:2012/11/18 11:04:25 大変ご無沙汰しています、元多部田ファミリーの富美です。 大学卒業と同時に、月刊マイコンで担当させて頂いた「よろしくカンパニー」を卒業、5年ほどNECアベニューにお世話になって結婚、 現在は2児の母として幸せに普通の主婦をしています。 今まで子育てに追われていましたが、子供達も大きくなって自分の時間が出来、ふと思い出して「月刊マイコン」を検索したら 元○県支部長様など、当時の事や私を覚えていて下さる方がたくさんいらして驚くと同時に、 学生アルバイトとはいえライターという仕事をさせて頂いたことの重みを今更ながら感じています。 正直、あの頃の自分の無知さ、浅はかさ、傲慢さを思い返すと、 そんな私にお小遣いではかなりの負担であったろう出費をしながらお付き合い下さった読者の皆様に申し訳ないやら恥ずかしいやらで、 結婚前に実家にあった掲載誌は全て処分し、「若気の至り」と当時の事は自分の中で封印していました(前後は存じませんが、 その頃のK子も私がコメントしていました)。 そうそう、お手紙を下さった方全員にお返事するという企画を立てたまでは良いが、料金別納のシステムを理解しないまま投函してしまい、 受取人様に料金をお支払いさせてしまうという大失態もありました。 その時に説教だらけの返事を受取り、今もそれをお持ちだという方、ごめんなさい、何を書いたか全く覚えていません。 どうか、バカな女子大生の戯言と時効にしてくださいまし。 もうおぼろげではありますが、紙面構成の粗さ、独りよがりのコメントを思い出すと本当に顔から火が出ますが、 皆様のお蔭で本当に楽しくわがまま放題させて頂けたこと、感謝しています。 どうもありがとう。 皆様にとりまして、あのコーナーが忌まわしきトラウマではなく、懐かしく良き想い出でありますこと、 そして現在も充実した毎日を送られていらっしゃることを願ってやみません。 以上、ひとことお詫びと感謝を申し上げたく、お邪魔させて頂きました。
451 : 富美[] : 投稿日:2012/11/18 11:18:09 追伸 恥ずかしながら、すっかり時代の波に取り残された浦島太郎的な生活をしておりますゆえ、 こういった書き込みも初めて(おそらく最初で最後?)で、マナー違反等ございましたら、 重ねてお許しく下さいませ。
452 : ナイコンさん[chage] : 投稿日:2012/11/18 11:49:16 すごいお方が、このスレに光臨なされましたねぇ。 時代の波に取り残された浦島太郎的な生活と言う点では、 この「昔のPC板」板も似たようなもので、あの頃と変わらず、いまでも 8801とFMとX1とMZとMSX軍団の、いわゆる機種争いが繰り広げられ続けて いるのでございます。
453 : ナイコンさん[sage] : 投稿日:2012/11/18 14:26:34 >>450 富美様、降臨されて有り難く思います。 K子さんのコメントも、富美様がなさっていたとは驚きであります。 「多部田ROOM」や「よろしくカンパニー」のために、 中学生だった私がお小遣いを費やしていましたが、おかげで充実した誌面に満足しました。 パソコン売り上げ倍増法とかのおもしろい企画は、恐れを知らない多部田ファミリーならではのものです。 こちらこそ、月刊マイコンに楽しい誌面を提供していただいて感謝しています。 お暇な時間があればでかまいません。 あの頃の多部田ファミリーの会話風ゲームレビュー等はどうやって、書かれていたのでしょうか? 多部田さんにも降臨していただきたいです。
454 : ナイコンさん[sage] : 投稿日:2012/11/18 14:57:44 >>450 おお、富美さんですか。コメント有難うございます。 K子さんも同じ方だったとは驚きです。 月マはベーマガと同じくらい、いやそれ以上に大好きな雑誌でした。 あの時代はあれでいいんではないでしょうか。
455 : ナイコンさん[sage] : 投稿日:2012/11/18 15:10:32 (途中改行すいません) あの時代の勢いを持った人が勢いで書いてる感じが。 ここのみんなも月マの元ライターさんが普通にお母様として日々を過ごしていたと聞いて 安心していると思います。 自分も懐かしく思うと共にこの時間の流れを実感してしまいます。 いや~本当に月マはいい思い出です。あの時の楽しい時間をありがとうございました。
456 : ナイコンさん[sage] : 投稿日:2012/11/19 02:29:11 富美さんのご健在が確認できたのは嬉しいが 多部田ファミリーの他のお二方も経歴を確認してみるとなかなか凄いぜ ひとりは本当にメジャーなゲーム作家になって今は独立して社長さん もうひとりは原画家としてブレイク、その後引退してご実家の薬剤師さん ちなみに薬剤師さんの方もご結婚されてて娘さんが既におられる、マジだ 一番驚いたのは浅美裕子さんだがなあ ちなみに呉英二さんも調べてみると驚く、活動内容のあまりの「変わらなさ」に
457 : 富美[] : 投稿日:2012/11/19 16:21:47 こんにちは。富美です。 昨日は突然失礼いたしました。 前に書かれた方が随分前だったので、 いまさらこんな事書いても誰も気づいてくれないかと思いましたが、 皆さん、ありがとうございます。 453の方、当時も「あの会話風のレビューはどうやって書かれているのか」を とても知りたがっていた方がいましたが、まさかあなたではないですよね? これは多部田さんの許可をもらわないと言えないので、 彼に聞いてください…ってどこにいるのでしょう? 誰か「富美が呼んでる」と探して連れて来て頂けると助かるのですが 多部田さ~ん、レビューの「秘密」ばらしてもいいですか?
458 : 富美[] : 投稿日:2012/11/19 17:00:13 あ、でもこれで彼が現れちゃったら、 また「多部田一派によるコーナーの私物化」 とかいわれちゃうかな? でも別に誰も書いてなかったのですから、いいですよね? それにもう私、多部田ファミリーじゃないですし。
459 : ナイコンさん[sage] : 投稿日:2012/11/19 18:12:34 富美さん、こんばんは。 せっかくなので私も一つ聞きたいことが… 漫画でK子さんのZ80講座がありましたよね? あれは技術的内容は別の男性の方が書いていたのでしょうか?
460 : 453[sage] : 投稿日:2012/11/19 20:52:13 富美様、当時から知りたがっていたのは私ではありません。 会話をテープレコーダーで録音して文字として起こしていたと、中学生の私は考えてました。 多部田様の許可をもらわないと言えない秘密に、益々興味津々であります。 ゼビウスのスレッドも、作者の遠藤氏が降臨したことで盛り上がりました。 当時の読者と楽しくキャッチボールをしているので、私物化でないと私は考えております。
461 : 富美[] : 投稿日:2012/11/20 12:36:36 こんにちは、真夜中に「富美ちゃん通信」略して「富美通」は、 実は「ファミ通」と「富士通」にかかっていたことに今更気づき、 一人で感動して寝不足になってしまった富美です。 月刊マイコン最大の謎となっているらしいK子さんですが、 私が担当さんから伺ったお話によると、最初は本当に実在したらしいのですが、。 その方は担当さんもご存じない頃におやめになり、 いつの頃からかは判りませんが、私の直前は彼女がマイコンROOM(でしたっけ? 下のはみ出し)のコメントを書いていらしたようです。 その頃私は、超悪筆で並みの人間には解読不能と言われた多部田さんの 「メジャーな」あたりからの原稿を清書するために電波新聞社に通っていましたが、 ある日「私、忙しいから代わりにコメントつけてくれる?」と何代目かのK子に任命された次第であります。 ただし、私が担当させて頂いたのは、はみ出しコーナーのみで、本誌の記事に関しては一切関わっておりません。 ですので >>459様、そちらに関しましても、技術的内容だけでなく、全て私はノータッチです。 おそらくこちらも多部田さんでしたらご存じかと。 お役に立てなくてごめんなさいね。
462 : 富美[] : 投稿日:2012/11/20 12:54:50 >>453様 あなたと同じように考えて下さっていた方は他にも何人かいらっしゃいました。 そして今でもその事に興味を持って下さってありがとう。光栄です。 多部田さん、来ませんね…まだ私がお邪魔している事に気づいていらっしゃらないのでしょうね。 なにせ、私、本当にご無沙汰してましたからね。 461の5行目の末尾、余計な「、」を入れてしまいました、すみません慣れていないもので。
463 : ナイコンさん[sage] : 投稿日:2012/11/20 13:56:00 K子さんは代替わりしてたのか……しかもライターさん持ち回りで つぐみさんも最初はご本人(南雲つぐみさん)が担当されてたのだけど退職されて その後ライターさんが持ち回りしてたことをベーマガスレで関係者さんが明かされてました ベーマガといえば響あきらさん→講談社のイケダ記者というのも驚いた MMRにも登場してるあの方です 見城こうじさんがサイトで内情を明らかにされてますね
464 : 富美[] : 投稿日:2012/11/20 14:52:11 富美の独り言。 先ほど申しましたように、原稿の清書やK子さんをさせて頂いているうちに 「よろしくカンパニー」が始まり、担当さんに「好きにやっていいよ。」と言われて 本当に好き放題やっているうちに、今でも何故だか判りませんが、 みるみるうちに頂戴するお便りの数が増え、 ページも増えていきました。 一方、マイコンルームにコメントを付けながら読者様のご意見も 全て拝読しておりましたので、 「多部田ファミリーによるページの私物化はいかがなものか。」 「Y-COMのせいで読者レベルが低下、内輪のバカ騒ぎばかりが目についてつまらない。」等の お叱りのお言葉も存じておりました。 が、馬鹿で世間知らずの私は「ウケてんだからいいじゃない。」 「気にいらないなら読まなきゃいいでしょ。」などと、省みようとはせず、 またそういった方々も「多部田を憎んで富美を憎まず」と、 自分への個人的なお叱りがないのを良いことに、 ますます増長してしまったのです。 けれど、今振り返れば電波新聞社という名前からして硬派な出版社から発行された 硬派な「月刊マイコン」を心から愛し、楽しんでいらした方々、 また私は自分が担当した以外の記事は全く読まず(読めず)、 他のライター様の事も全く存じ上げませんでしたが、 それらの方々に取られましては、本当に神聖な紙面を汚す不届きものであったと、 今更ではございますが、深くお詫びし申し上げる次第です。 おそらく読者参加型の企画がナウなヤングのフィーリングにマッチした(死語だらけ)のでしょうが、 格調高いマイコン誌に咲いたバブリー(死語)なあだ花でしたね(続く)。
465 : 富美[] : 投稿日:2012/11/20 15:04:51 富美の独り言その2。 「本文が長すぎます。」とエラーになってしまったので分けました。 もちろん、これは私が担当させて頂いた時期に限った事であり、 さんざん汚しまくったあとの尻拭いをして下さった方々に関しましては、 これもごめんなさい、読んでおりませんので存じません。 本当に何もかも申し訳ないことだらけですみませんでした。 、 時代遅れのおばさんに成り果てた私が、こうして恥をしのんで醜態をさらしておりますのも、 ひとえに皆様にお詫び申し上げたかったのと、そのような私にお付き合いして下さった方々に 感謝申し上げたかったからでございます。 既に「後悔先に立たず」「覆水盆に返らず」かもしれませんが、 どうか、この独り言が一人でも多くの方々に届きますように。
466 : 富美[] : 投稿日:2012/11/20 16:31:25 富美の独り言その3 私が結婚したのは1995年、阪神淡路大震災に明け、 オウム事件が世の中を震撼させた年でしたが、 この「月刊マイコン」と「NECアベニューのゲーム事業部」 (私がお世話になっていた頃はニューメディア事業部でしたが、 その時の正式名称は存じません)という、 私にわがまま放題させて下さった2つの場所が 同じ年に亡くなっていたらしいということに昨日気付きました。 これって「5へぇ」くらいのトリビアになるかしら?ふふっ。 昼間はどなたもいらっしゃらないのをいいことに、 いろいろ勝手につぶやいてしまいました。 みなさんお仕事してらっしゃるのですね、良かった!
468 : 富美[] : 投稿日:2012/11/22 04:28:02 おはようございます。 今回、こちらにお邪魔したことは家族には内緒のつもりでしたが、 早速子供にバレてしまい「楽天市場しか利用したことのないお母さんが、 いきなり2ちゃんデビューって、何考えてんの!? スレの雰囲気読まないで骨董品扱いされてるのに一人で調子こいてバカじゃないの?」 と言われてしまいました。 どういう訳か前のスレに入れてしまい、本当に「スレってなに?」「オフって何?」 とまるで異なった言語使用の異次元空間にとまどいながらも、 自分が何も知らずに育児に明け暮れている間に 私を気にかけて下さっていた方には有難く、心無い仕打ちでご迷惑をかけたかたには申し訳なく、 4時間かかって最初の文を仕上げてお邪魔した訳ですが、 466の後、本当に息苦しく夜も眠れず朦朧となってしまい、 主人からも「ずごく疲れているみたいだけど大丈夫?」と心配される始末、 ここはやはり私のいる場所ではなかったと、誠に勝手ながら早々においとまさせて頂きます。 >>460様。私と遠藤大先生を比べるなどもってのほか。力及ばず申し訳ありません。
469 : 富美[] : 投稿日:2012/11/22 05:01:59 私が任命させて頂いた支部長様方へ。 支部長制度に積極的に参加し、Y-COMを盛り上げて下さって本当にありがとう。 私が親でしたらきっと「プログラムの勉強したいって言うから買うのを許可したのに、 支部長だか何だか訳の分からないものにうつつ抜かしてどうするの? 次のテストで成績下がったら、お小遣いナシだからね!」と言った事でしょう。 実際、「下剋上されないように支部長のキープするのと勉強の両立が大変!」 といった声がありましたが、私はそれを他人事のように流しながら皆様からの貢物を 美味しく頂戴していたのでした。 また、本当に自分が親でしたらそんなことの為の上京など絶対に許さなかったであろう 私の卒業式に全国から集まって下さった皆さんに、アベニューで仮入社をして お歳暮のお菓子などを独り占めし、臨月の時と同じくらいに太った醜い姿をさらして 誠に申し訳ありませんでした。 皆様と同じくらいの子供を持つ身になって初めて、 皆様の都力がいかほどであったか、どれほどご両親様にご迷惑をかけていたかが、 やっと判った気がいたします。 私はレンタルした袴を返さなければならなかったので早々に失礼してしまいましたが、 その後皆様の間の横のつながりが出来たのは良かったと存じています。 元支部長という肩書が皆様に取りまして良き想い出となっておりましたら幸いです。
470 : ナイコンさん[sage] : 投稿日:2012/11/22 05:07:19 >>468 おはようございます。 富美様のお子様と旦那様へ。 富美様は、月刊マイコンの現役女子大生ライターとしてアイドル的な存在だったのです。 当時を知るものとして、降臨していただいたことに感謝しておりますので、 このスレッドの書き込みに関してはご理解のほど宜しくお願い致します。 またの降臨、心から楽しみにしております。
471 : 470[sage] : 投稿日:2012/11/22 05:19:55 >>468 そうそう、多部田ファミリーの間で流行したスタミナ丼(通称「スタ丼」)についてですが、 東邦大学東邦高校の近くにある「芹生(せりおう)」のメニューのことですか? 残念ながら、「芹生」、ラーメン「香月」、カレー「ベンガル」もコシの切れが最高のうどん屋さんも 現在はなく、京成大久保のお店も変わってしまいました。 大判焼きのお店は、現在もあります。
472 : 富美[] : 投稿日:2012/11/22 06:03:48 拝啓、松田浩二様 大変ご無沙汰しております。 マイコン誌やプライベートの名刺、年賀状にまで、 実物とは似ても似つかぬ可愛い富美ちゃんを 描いて下さってありがとうございます。 結婚式に出席出来ず、申し訳ありませんでした。 よく多部田さんに「バカか、お前は!?」と怒鳴られた時、 (「か?」ではなく、本当にバカでした) 先輩の優しい笑顔が心の支えでした。 お嬢様がお生まれになり、本当の松田ファミリーを築かれていらっしゃるとの事、 大変嬉しく存じます。 どうぞお幸せに。 松田薬局のご発展とご健康を心よりお祈りいたします。
473 : 富美[] : 投稿日:2012/11/22 10:37:50 >>470様 あんな朝早くにはどなたも起きていらっしゃらないと思いましたが、 ありがとうございます。 私の主人はゲームのゲの字も知らない人間で、 疲れやすい私をいつも気遣ってPCはおろか携帯のメールでさえ、 することにあまり良い顔をしません。 しかも勘が鋭く、私が夜中に起きていようものなら目を覚まして 「こんな夜中におきていちゃだめだよ。」 と起きて来ます。 先ほどもやはり目を覚ましたので、あわててPCの電源を切り、 ベッドに入って寝たふりをしました。
474 : ナイコンさん[sage] : 投稿日:2012/11/22 12:49:38 多部田さん松田さん3人のやりとり面白かったです。 記事で覚えてるのはブルースリーの移植ゲームのやつで すもうレスラーとかなんか誤解されてるんじゃないかという話や MSXへのナイーザの多部田さんの移植で 原作者の方が変なアレンジだと嘆いてた話とかです。 その後NECアベニューに移った多部田さんはたまにメディアに露出してました。 サイドアーム等の移植はわりとまともだったと思います。 セガ体感ゲームの移植はなにわさんやるつぼチームが関わっていたとも聞いたのですが どうだったのでしょうか?あれはすばらしい移植でした。 NECアベニューへ移行する時はどのような感じだったんでしょうか? 多部田さんが移ることが決まり、富美さんもいっしょにどうかとお声がかかったんでしょうか? 差し障りなければそのときのこととかも教えてもらえませんか?
476 : 富美[] : 投稿日:2012/11/22 13:16:52 >>471 スタ丼は私は食したことはなく、「ギンレス」のコーヒーゼリーや100円ケーキで 友達とだべって(死語)いました。 今年の銀杏際にあわせて同窓会があり、久しぶりに母校を訪れ、 恩師の方々にご挨拶してきましたが、 東邦も大久保通りも京成もすっかり変わっていて驚きました。 特に制服がとってもお洒落になっていて羨ましかったです。
478 : 富美[] : 投稿日:2012/11/22 13:23:30 >>467 あまりのKYさにドン引き、放置されたかと存じておりましたが、 フォローのお言葉嬉しかったです。ありがとうございます。
479 : 富美[] : 投稿日:2012/11/22 13:44:08 富美の独り言 なぜかわかりませんが、ここにお邪魔してからほとんど眠れなくなってしまい、 夜の12時前に就寝、6時起床の規則正しい生活で徹夜など出来なくなっていた私は フラフラです。 そのためだと思うのですが、松田さんへの手紙を書いていたら 涙が止まらなくなって、身体が震えだし、 起きてきた子供たちに「お母さん、どうしたの!?」 と心配されるも「ん~、ちょっと疲れちゃったかな?」 と誤魔化しながらお弁当を作り、送り出しました。 しかしその間も朦朧としてすぐに固まってしまったり、 子供たちの会話が頭に入らなかったりと アベニュー時代、無理がたたって倒れ、一年間寝込んでしまった時と同じような、 非常にヤバイ(死語)状態です。 書くべきことを全て書いてしまえば眠れるのでしょうが、 こんな時に限って主人が午後出社、後から起きてきて驚きながら 「何で泣いたの?」「一体どうしたの?」「なんか気になることでもあるの?」 と質問攻撃にあうも やはり「ん~、別に何もしていませんけど。」としか答えられず、 「君はそうやってすぐ疲れるんだから、無理しちゃいけないっていつも言っているでしょう? とにかく寝てなさい!」と言われて横になってもやはり眠れず、 彼が作ってくれた昼ごはんを食べて、今やっと送り出しました。 こんな状態になるとは思いもしませんでしたが、 とにかく書くことを書いてしまわねば。
480 : 富美[] : 投稿日:2012/11/22 14:13:14 アベニュー時代、私は自分がやりたかった広報と、 PVやCM、チラシ、広告作製の仕事が出来て楽しかったのと ゲームが全くできない広報であったにも関わらず、 出版社やメーカーの皆様がとても優しくして下さるのと体がもつを良いことに 夕方から出版社をまわってポジやROM渡しに掲載記事のチェック、 夜中から朝までスタジオでプロモの編集、 そのまま会社に戻って10時からの会議に出席、 午後からまたスタジオで音入れといった、週に2,3回の徹夜は当たり前、 月の残業100時間以上といった毎日を送っていました。 会社が麹町から溝の口に移転になり、自宅から通えなくなって 一人暮らしを始めたら食事もいい加減になり、それから半年でとうとう 倒れてしまいました。 普通の状態に戻るまで2年近くかかり、 やっと元に戻ったところで主人と出会い、結婚しましたが、 ゲームのピコピコ音を聞くだけで頭が痛くなるようになってしまい、 子供には「たまごっち」すらも買ってやれず、 小学校の卒業にあたってバラバラになってしまう友達と どうしてもモンハンがやりたいと言う子供に初めてPSPを与えましたが、 「ダライアス」や「サイドアーム」の横スクロールにもついていけず、 シーラカンスにあうことすら出来なかった私は、 モンハンのスクロールに30秒で酔ってしまい、子供にバカにされました。 「北の国から」は一番最近の再々…放送を家族で見ており、 マイコンが登場した時には思わず 「お母さん、この雑誌でライターのバイトしていたんだよ!」 と叫んでしまいましたが、「ふ~ん。」と軽く流されてしまいました。
481 : 富美[] : 投稿日:2012/11/22 14:38:57 そして30代後半から首と腰の痛みがひどくなり、 整形外科にいったところ、頸椎がゆがみ腰の椎間板がつぶれていたことが判明、 「若いころに長時間無理な姿勢をとったことが原因。」と言われました。 また40を過ぎたころからは原因不明の片頭痛に悩まされるようになり、 「若いころ不規則な生活してなかった? 徹夜なんか脳にすごいストレスなんだからね。」とも言われました。 読者様も30代後半から40代、仕事も体力も充実して一番お忙しい時かと存じますが、 どうかくれぐれもご自愛意下さいませ。
484 : 富美[] : 投稿日:2012/11/22 15:12:14 拝啓、多部田俊雄様 所詮文系でパックマンやドンキーコングも一面クリアできなかった私が 畏れ多くも電波新聞社で「1ページ8000円交通費別貢物付き」という超おいしいバイトで 卒業旅行に海外に行き、アベニューで皆様に迷惑をまき散らしながらも やりたかった仕事ができたのはあなた様のお蔭です。 しかし、それは同時に理系の高校で落ちこぼれ、レビューで、さもパソコンの知識が あるかのように読者様に嘘をついていたことへの罪悪感、 広報でありながら自社のゲームの一面もクリアできない情けなさ、申し訳なさとも重なるため、 結婚を機に勝手に多部田ファミリーと鈴木富美子を卒業した気になり、 のうのうと暮らしておりました。 しかし、今回こちらにお邪魔してこちらの世界では私のような出来損ないが、 いまだにあなたのファミリーであったことに今更気づいて愕然とた次第です。 アベニューでの滅茶苦茶な仕事ぶりを聞いた主人は一言、 「ただの大ばか者だな。」と言い、 もうそちらの世界とのお付合いは出来るだけしないようにと命じました。 また、もともとゲームの知識もセンスもない私は 仮にお会いしたとしてもとても話についてゆけず、 何より、子育てに追われて M氏と元R社のM嬢以外のお付き合いはほとんどなくなってしまいました。 ですから、できればこちらでお会いして 数々のご無礼をお詫びしたかったのですが、 もうこれ以上こちらにはいられそうにないので手紙にて失礼いたします。 と言い、
485 : 富美[] : 投稿日:2012/11/22 15:34:53 主人は私と出会ってすぐに 「君は、今まで本当に大事に育てられながら我儘に生きて来たんだね。」 と言い、その時は「え~そ~かな~。 あたし、それなりに苦労したつもりなんだけどな~。」と 思っていましたが、今はまさにそうであったと心の底から思います。 我儘をしてまわりに迷惑をかけていたのは私なのに、 まるであなたが悪いかのように言われることが多く、 本当にご迷惑をかけて申し訳ありませんでした。 今、私はY-COMの富美を誰も知らない場所で、 相変わらずサザエさんのようなおっちょこちょいぶりを発揮しながら 髪はふさふさですが波平のように怒ると怖いが優しい主人と、 カツオとワカメのような子供に 囲まれた、どっぷり昭和の幸せな家庭生活を営んでいます。 そして「メルアドの赤外線送信ってできないのよね~。」 「パソコン?あたしも全然ダメ。」 といったママ友達と、 「うちの子ゲームばっかりで本当に困るのよね~。」といった会話を 聞き流しながら楽しくランチをしたり、手作りのジャムやパン、 ケーキを作ったりしています。 もう実際にお会いすることはなく、このスレにもおそらく戻っては 来られないでしょうが、 ますますのご活躍とご健康をお祈りしています。 乱文お許し下さいませ。 感謝をこめて
関連スレ
http://pc3.2ch.net/test/read.cgi/pc/998886066/
大学卒業と同時に、月刊マイコンで担当させて頂いた「よろしくカンパニー」を卒業、5年ほどNECアベニューにお世話になって結婚、
現在は2児の母として幸せに普通の主婦をしています。
今まで子育てに追われていましたが、子供達も大きくなって自分の時間が出来、ふと思い出して「月刊マイコン」を検索したら
元○県支部長様など、当時の事や私を覚えていて下さる方がたくさんいらして驚くと同時に、
学生アルバイトとはいえライターという仕事をさせて頂いたことの重みを今更ながら感じています。
正直、あの頃の自分の無知さ、浅はかさ、傲慢さを思い返すと、
そんな私にお小遣いではかなりの負担であったろう出費をしながらお付き合い下さった読者の皆様に申し訳ないやら恥ずかしいやらで、
結婚前に実家にあった掲載誌は全て処分し、「若気の至り」と当時の事は自分の中で封印していました(前後は存じませんが、
その頃のK子も私がコメントしていました)。
そうそう、お手紙を下さった方全員にお返事するという企画を立てたまでは良いが、料金別納のシステムを理解しないまま投函してしまい、
受取人様に料金をお支払いさせてしまうという大失態もありました。
その時に説教だらけの返事を受取り、今もそれをお持ちだという方、ごめんなさい、何を書いたか全く覚えていません。
どうか、バカな女子大生の戯言と時効にしてくださいまし。
もうおぼろげではありますが、紙面構成の粗さ、独りよがりのコメントを思い出すと本当に顔から火が出ますが、
皆様のお蔭で本当に楽しくわがまま放題させて頂けたこと、感謝しています。
どうもありがとう。
皆様にとりまして、あのコーナーが忌まわしきトラウマではなく、懐かしく良き想い出でありますこと、
そして現在も充実した毎日を送られていらっしゃることを願ってやみません。
以上、ひとことお詫びと感謝を申し上げたく、お邪魔させて頂きました。
恥ずかしながら、すっかり時代の波に取り残された浦島太郎的な生活をしておりますゆえ、
こういった書き込みも初めて(おそらく最初で最後?)で、マナー違反等ございましたら、
重ねてお許しく下さいませ。
時代の波に取り残された浦島太郎的な生活と言う点では、
この「昔のPC板」板も似たようなもので、あの頃と変わらず、いまでも
8801とFMとX1とMZとMSX軍団の、いわゆる機種争いが繰り広げられ続けて
いるのでございます。
富美様、降臨されて有り難く思います。
K子さんのコメントも、富美様がなさっていたとは驚きであります。
「多部田ROOM」や「よろしくカンパニー」のために、
中学生だった私がお小遣いを費やしていましたが、おかげで充実した誌面に満足しました。
パソコン売り上げ倍増法とかのおもしろい企画は、恐れを知らない多部田ファミリーならではのものです。
こちらこそ、月刊マイコンに楽しい誌面を提供していただいて感謝しています。
お暇な時間があればでかまいません。
あの頃の多部田ファミリーの会話風ゲームレビュー等はどうやって、書かれていたのでしょうか?
多部田さんにも降臨していただきたいです。
おお、富美さんですか。コメント有難うございます。
K子さんも同じ方だったとは驚きです。
月マはベーマガと同じくらい、いやそれ以上に大好きな雑誌でした。
あの時代はあれでいいんではないでしょうか。
あの時代の勢いを持った人が勢いで書いてる感じが。
ここのみんなも月マの元ライターさんが普通にお母様として日々を過ごしていたと聞いて
安心していると思います。
自分も懐かしく思うと共にこの時間の流れを実感してしまいます。
いや~本当に月マはいい思い出です。あの時の楽しい時間をありがとうございました。
多部田ファミリーの他のお二方も経歴を確認してみるとなかなか凄いぜ
ひとりは本当にメジャーなゲーム作家になって今は独立して社長さん
もうひとりは原画家としてブレイク、その後引退してご実家の薬剤師さん
ちなみに薬剤師さんの方もご結婚されてて娘さんが既におられる、マジだ
一番驚いたのは浅美裕子さんだがなあ
ちなみに呉英二さんも調べてみると驚く、活動内容のあまりの「変わらなさ」に
昨日は突然失礼いたしました。
前に書かれた方が随分前だったので、
いまさらこんな事書いても誰も気づいてくれないかと思いましたが、
皆さん、ありがとうございます。
453の方、当時も「あの会話風のレビューはどうやって書かれているのか」を
とても知りたがっていた方がいましたが、まさかあなたではないですよね?
これは多部田さんの許可をもらわないと言えないので、
彼に聞いてください…ってどこにいるのでしょう?
誰か「富美が呼んでる」と探して連れて来て頂けると助かるのですが
多部田さ~ん、レビューの「秘密」ばらしてもいいですか?
また「多部田一派によるコーナーの私物化」
とかいわれちゃうかな?
でも別に誰も書いてなかったのですから、いいですよね?
それにもう私、多部田ファミリーじゃないですし。
せっかくなので私も一つ聞きたいことが…
漫画でK子さんのZ80講座がありましたよね?
あれは技術的内容は別の男性の方が書いていたのでしょうか?
会話をテープレコーダーで録音して文字として起こしていたと、中学生の私は考えてました。
多部田様の許可をもらわないと言えない秘密に、益々興味津々であります。
ゼビウスのスレッドも、作者の遠藤氏が降臨したことで盛り上がりました。
当時の読者と楽しくキャッチボールをしているので、私物化でないと私は考えております。
実は「ファミ通」と「富士通」にかかっていたことに今更気づき、
一人で感動して寝不足になってしまった富美です。
月刊マイコン最大の謎となっているらしいK子さんですが、
私が担当さんから伺ったお話によると、最初は本当に実在したらしいのですが、。
その方は担当さんもご存じない頃におやめになり、
いつの頃からかは判りませんが、私の直前は彼女がマイコンROOM(でしたっけ?
下のはみ出し)のコメントを書いていらしたようです。
その頃私は、超悪筆で並みの人間には解読不能と言われた多部田さんの
「メジャーな」あたりからの原稿を清書するために電波新聞社に通っていましたが、
ある日「私、忙しいから代わりにコメントつけてくれる?」と何代目かのK子に任命された次第であります。
ただし、私が担当させて頂いたのは、はみ出しコーナーのみで、本誌の記事に関しては一切関わっておりません。
ですので
>>459様、そちらに関しましても、技術的内容だけでなく、全て私はノータッチです。
おそらくこちらも多部田さんでしたらご存じかと。
お役に立てなくてごめんなさいね。
あなたと同じように考えて下さっていた方は他にも何人かいらっしゃいました。
そして今でもその事に興味を持って下さってありがとう。光栄です。
多部田さん、来ませんね…まだ私がお邪魔している事に気づいていらっしゃらないのでしょうね。
なにせ、私、本当にご無沙汰してましたからね。
461の5行目の末尾、余計な「、」を入れてしまいました、すみません慣れていないもので。
つぐみさんも最初はご本人(南雲つぐみさん)が担当されてたのだけど退職されて
その後ライターさんが持ち回りしてたことをベーマガスレで関係者さんが明かされてました
ベーマガといえば響あきらさん→講談社のイケダ記者というのも驚いた
MMRにも登場してるあの方です
見城こうじさんがサイトで内情を明らかにされてますね
先ほど申しましたように、原稿の清書やK子さんをさせて頂いているうちに
「よろしくカンパニー」が始まり、担当さんに「好きにやっていいよ。」と言われて
本当に好き放題やっているうちに、今でも何故だか判りませんが、
みるみるうちに頂戴するお便りの数が増え、
ページも増えていきました。
一方、マイコンルームにコメントを付けながら読者様のご意見も
全て拝読しておりましたので、
「多部田ファミリーによるページの私物化はいかがなものか。」
「Y-COMのせいで読者レベルが低下、内輪のバカ騒ぎばかりが目についてつまらない。」等の
お叱りのお言葉も存じておりました。
が、馬鹿で世間知らずの私は「ウケてんだからいいじゃない。」
「気にいらないなら読まなきゃいいでしょ。」などと、省みようとはせず、
またそういった方々も「多部田を憎んで富美を憎まず」と、
自分への個人的なお叱りがないのを良いことに、
ますます増長してしまったのです。
けれど、今振り返れば電波新聞社という名前からして硬派な出版社から発行された
硬派な「月刊マイコン」を心から愛し、楽しんでいらした方々、
また私は自分が担当した以外の記事は全く読まず(読めず)、
他のライター様の事も全く存じ上げませんでしたが、
それらの方々に取られましては、本当に神聖な紙面を汚す不届きものであったと、
今更ではございますが、深くお詫びし申し上げる次第です。
おそらく読者参加型の企画がナウなヤングのフィーリングにマッチした(死語だらけ)のでしょうが、
格調高いマイコン誌に咲いたバブリー(死語)なあだ花でしたね(続く)。
「本文が長すぎます。」とエラーになってしまったので分けました。
もちろん、これは私が担当させて頂いた時期に限った事であり、
さんざん汚しまくったあとの尻拭いをして下さった方々に関しましては、
これもごめんなさい、読んでおりませんので存じません。
本当に何もかも申し訳ないことだらけですみませんでした。
、
時代遅れのおばさんに成り果てた私が、こうして恥をしのんで醜態をさらしておりますのも、
ひとえに皆様にお詫び申し上げたかったのと、そのような私にお付き合いして下さった方々に
感謝申し上げたかったからでございます。
既に「後悔先に立たず」「覆水盆に返らず」かもしれませんが、
どうか、この独り言が一人でも多くの方々に届きますように。
私が結婚したのは1995年、阪神淡路大震災に明け、
オウム事件が世の中を震撼させた年でしたが、
この「月刊マイコン」と「NECアベニューのゲーム事業部」
(私がお世話になっていた頃はニューメディア事業部でしたが、
その時の正式名称は存じません)という、
私にわがまま放題させて下さった2つの場所が
同じ年に亡くなっていたらしいということに昨日気付きました。
これって「5へぇ」くらいのトリビアになるかしら?ふふっ。
昼間はどなたもいらっしゃらないのをいいことに、
いろいろ勝手につぶやいてしまいました。
みなさんお仕事してらっしゃるのですね、良かった!
あれから、20年か 時は無情だ
今回、こちらにお邪魔したことは家族には内緒のつもりでしたが、
早速子供にバレてしまい「楽天市場しか利用したことのないお母さんが、
いきなり2ちゃんデビューって、何考えてんの!?
スレの雰囲気読まないで骨董品扱いされてるのに一人で調子こいてバカじゃないの?」
と言われてしまいました。
どういう訳か前のスレに入れてしまい、本当に「スレってなに?」「オフって何?」
とまるで異なった言語使用の異次元空間にとまどいながらも、
自分が何も知らずに育児に明け暮れている間に
私を気にかけて下さっていた方には有難く、心無い仕打ちでご迷惑をかけたかたには申し訳なく、
4時間かかって最初の文を仕上げてお邪魔した訳ですが、
466の後、本当に息苦しく夜も眠れず朦朧となってしまい、
主人からも「ずごく疲れているみたいだけど大丈夫?」と心配される始末、
ここはやはり私のいる場所ではなかったと、誠に勝手ながら早々においとまさせて頂きます。
>>460様。私と遠藤大先生を比べるなどもってのほか。力及ばず申し訳ありません。
支部長制度に積極的に参加し、Y-COMを盛り上げて下さって本当にありがとう。
私が親でしたらきっと「プログラムの勉強したいって言うから買うのを許可したのに、
支部長だか何だか訳の分からないものにうつつ抜かしてどうするの?
次のテストで成績下がったら、お小遣いナシだからね!」と言った事でしょう。
実際、「下剋上されないように支部長のキープするのと勉強の両立が大変!」
といった声がありましたが、私はそれを他人事のように流しながら皆様からの貢物を
美味しく頂戴していたのでした。
また、本当に自分が親でしたらそんなことの為の上京など絶対に許さなかったであろう
私の卒業式に全国から集まって下さった皆さんに、アベニューで仮入社をして
お歳暮のお菓子などを独り占めし、臨月の時と同じくらいに太った醜い姿をさらして
誠に申し訳ありませんでした。
皆様と同じくらいの子供を持つ身になって初めて、
皆様の都力がいかほどであったか、どれほどご両親様にご迷惑をかけていたかが、
やっと判った気がいたします。
私はレンタルした袴を返さなければならなかったので早々に失礼してしまいましたが、
その後皆様の間の横のつながりが出来たのは良かったと存じています。
元支部長という肩書が皆様に取りまして良き想い出となっておりましたら幸いです。
おはようございます。
富美様のお子様と旦那様へ。
富美様は、月刊マイコンの現役女子大生ライターとしてアイドル的な存在だったのです。
当時を知るものとして、降臨していただいたことに感謝しておりますので、
このスレッドの書き込みに関してはご理解のほど宜しくお願い致します。
またの降臨、心から楽しみにしております。
そうそう、多部田ファミリーの間で流行したスタミナ丼(通称「スタ丼」)についてですが、
東邦大学東邦高校の近くにある「芹生(せりおう)」のメニューのことですか?
残念ながら、「芹生」、ラーメン「香月」、カレー「ベンガル」もコシの切れが最高のうどん屋さんも
現在はなく、京成大久保のお店も変わってしまいました。
大判焼きのお店は、現在もあります。
大変ご無沙汰しております。
マイコン誌やプライベートの名刺、年賀状にまで、
実物とは似ても似つかぬ可愛い富美ちゃんを
描いて下さってありがとうございます。
結婚式に出席出来ず、申し訳ありませんでした。
よく多部田さんに「バカか、お前は!?」と怒鳴られた時、
(「か?」ではなく、本当にバカでした)
先輩の優しい笑顔が心の支えでした。
お嬢様がお生まれになり、本当の松田ファミリーを築かれていらっしゃるとの事、
大変嬉しく存じます。
どうぞお幸せに。
松田薬局のご発展とご健康を心よりお祈りいたします。
あんな朝早くにはどなたも起きていらっしゃらないと思いましたが、
ありがとうございます。
私の主人はゲームのゲの字も知らない人間で、
疲れやすい私をいつも気遣ってPCはおろか携帯のメールでさえ、
することにあまり良い顔をしません。
しかも勘が鋭く、私が夜中に起きていようものなら目を覚まして
「こんな夜中におきていちゃだめだよ。」
と起きて来ます。
先ほどもやはり目を覚ましたので、あわててPCの電源を切り、
ベッドに入って寝たふりをしました。
記事で覚えてるのはブルースリーの移植ゲームのやつで
すもうレスラーとかなんか誤解されてるんじゃないかという話や
MSXへのナイーザの多部田さんの移植で
原作者の方が変なアレンジだと嘆いてた話とかです。
その後NECアベニューに移った多部田さんはたまにメディアに露出してました。
サイドアーム等の移植はわりとまともだったと思います。
セガ体感ゲームの移植はなにわさんやるつぼチームが関わっていたとも聞いたのですが
どうだったのでしょうか?あれはすばらしい移植でした。
NECアベニューへ移行する時はどのような感じだったんでしょうか?
多部田さんが移ることが決まり、富美さんもいっしょにどうかとお声がかかったんでしょうか?
差し障りなければそのときのこととかも教えてもらえませんか?
また、私の信じられない暴挙のため、口調がきつくなった
子供ですが、普段はとても優しく私を気遣ってくれています。
スタ丼は私は食したことはなく、「ギンレス」のコーヒーゼリーや100円ケーキで
友達とだべって(死語)いました。
今年の銀杏際にあわせて同窓会があり、久しぶりに母校を訪れ、
恩師の方々にご挨拶してきましたが、
東邦も大久保通りも京成もすっかり変わっていて驚きました。
特に制服がとってもお洒落になっていて羨ましかったです。
468下から3行目。ずごく→すごく
469下から5行目。都力→努力
あまりのKYさにドン引き、放置されたかと存じておりましたが、
フォローのお言葉嬉しかったです。ありがとうございます。
なぜかわかりませんが、ここにお邪魔してからほとんど眠れなくなってしまい、
夜の12時前に就寝、6時起床の規則正しい生活で徹夜など出来なくなっていた私は
フラフラです。
そのためだと思うのですが、松田さんへの手紙を書いていたら
涙が止まらなくなって、身体が震えだし、
起きてきた子供たちに「お母さん、どうしたの!?」
と心配されるも「ん~、ちょっと疲れちゃったかな?」
と誤魔化しながらお弁当を作り、送り出しました。
しかしその間も朦朧としてすぐに固まってしまったり、
子供たちの会話が頭に入らなかったりと
アベニュー時代、無理がたたって倒れ、一年間寝込んでしまった時と同じような、
非常にヤバイ(死語)状態です。
書くべきことを全て書いてしまえば眠れるのでしょうが、
こんな時に限って主人が午後出社、後から起きてきて驚きながら
「何で泣いたの?」「一体どうしたの?」「なんか気になることでもあるの?」
と質問攻撃にあうも
やはり「ん~、別に何もしていませんけど。」としか答えられず、
「君はそうやってすぐ疲れるんだから、無理しちゃいけないっていつも言っているでしょう?
とにかく寝てなさい!」と言われて横になってもやはり眠れず、
彼が作ってくれた昼ごはんを食べて、今やっと送り出しました。
こんな状態になるとは思いもしませんでしたが、
とにかく書くことを書いてしまわねば。
PVやCM、チラシ、広告作製の仕事が出来て楽しかったのと
ゲームが全くできない広報であったにも関わらず、
出版社やメーカーの皆様がとても優しくして下さるのと体がもつを良いことに
夕方から出版社をまわってポジやROM渡しに掲載記事のチェック、
夜中から朝までスタジオでプロモの編集、
そのまま会社に戻って10時からの会議に出席、
午後からまたスタジオで音入れといった、週に2,3回の徹夜は当たり前、
月の残業100時間以上といった毎日を送っていました。
会社が麹町から溝の口に移転になり、自宅から通えなくなって
一人暮らしを始めたら食事もいい加減になり、それから半年でとうとう
倒れてしまいました。
普通の状態に戻るまで2年近くかかり、
やっと元に戻ったところで主人と出会い、結婚しましたが、
ゲームのピコピコ音を聞くだけで頭が痛くなるようになってしまい、
子供には「たまごっち」すらも買ってやれず、
小学校の卒業にあたってバラバラになってしまう友達と
どうしてもモンハンがやりたいと言う子供に初めてPSPを与えましたが、
「ダライアス」や「サイドアーム」の横スクロールにもついていけず、
シーラカンスにあうことすら出来なかった私は、
モンハンのスクロールに30秒で酔ってしまい、子供にバカにされました。
「北の国から」は一番最近の再々…放送を家族で見ており、
マイコンが登場した時には思わず
「お母さん、この雑誌でライターのバイトしていたんだよ!」
と叫んでしまいましたが、「ふ~ん。」と軽く流されてしまいました。
整形外科にいったところ、頸椎がゆがみ腰の椎間板がつぶれていたことが判明、
「若いころに長時間無理な姿勢をとったことが原因。」と言われました。
また40を過ぎたころからは原因不明の片頭痛に悩まされるようになり、
「若いころ不規則な生活してなかった?
徹夜なんか脳にすごいストレスなんだからね。」とも言われました。
読者様も30代後半から40代、仕事も体力も充実して一番お忙しい時かと存じますが、
どうかくれぐれもご自愛意下さいませ。
よし、いよいよ次でラストです!
これが一番長くて大変かも。
所詮文系でパックマンやドンキーコングも一面クリアできなかった私が
畏れ多くも電波新聞社で「1ページ8000円交通費別貢物付き」という超おいしいバイトで
卒業旅行に海外に行き、アベニューで皆様に迷惑をまき散らしながらも
やりたかった仕事ができたのはあなた様のお蔭です。
しかし、それは同時に理系の高校で落ちこぼれ、レビューで、さもパソコンの知識が
あるかのように読者様に嘘をついていたことへの罪悪感、
広報でありながら自社のゲームの一面もクリアできない情けなさ、申し訳なさとも重なるため、
結婚を機に勝手に多部田ファミリーと鈴木富美子を卒業した気になり、
のうのうと暮らしておりました。
しかし、今回こちらにお邪魔してこちらの世界では私のような出来損ないが、
いまだにあなたのファミリーであったことに今更気づいて愕然とた次第です。
アベニューでの滅茶苦茶な仕事ぶりを聞いた主人は一言、
「ただの大ばか者だな。」と言い、
もうそちらの世界とのお付合いは出来るだけしないようにと命じました。
また、もともとゲームの知識もセンスもない私は
仮にお会いしたとしてもとても話についてゆけず、
何より、子育てに追われて
M氏と元R社のM嬢以外のお付き合いはほとんどなくなってしまいました。
ですから、できればこちらでお会いして
数々のご無礼をお詫びしたかったのですが、
もうこれ以上こちらにはいられそうにないので手紙にて失礼いたします。
と言い、
「君は、今まで本当に大事に育てられながら我儘に生きて来たんだね。」
と言い、その時は「え~そ~かな~。
あたし、それなりに苦労したつもりなんだけどな~。」と
思っていましたが、今はまさにそうであったと心の底から思います。
我儘をしてまわりに迷惑をかけていたのは私なのに、
まるであなたが悪いかのように言われることが多く、
本当にご迷惑をかけて申し訳ありませんでした。
今、私はY-COMの富美を誰も知らない場所で、
相変わらずサザエさんのようなおっちょこちょいぶりを発揮しながら
髪はふさふさですが波平のように怒ると怖いが優しい主人と、
カツオとワカメのような子供に
囲まれた、どっぷり昭和の幸せな家庭生活を営んでいます。
そして「メルアドの赤外線送信ってできないのよね~。」
「パソコン?あたしも全然ダメ。」
といったママ友達と、
「うちの子ゲームばっかりで本当に困るのよね~。」といった会話を
聞き流しながら楽しくランチをしたり、手作りのジャムやパン、
ケーキを作ったりしています。
もう実際にお会いすることはなく、このスレにもおそらく戻っては
来られないでしょうが、
ますますのご活躍とご健康をお祈りしています。
乱文お許し下さいませ。
感謝をこめて