『カウンター!』 蛇足・後編
約束の午前1時。調子のいい笑顔で「いやあ助かったよ」などとぬかす店長にしかめ面を向けてやってから、僕は職場たるコンビニを後にした。店の外は雪国みたく冷え込んでいて、吐き出した息は次から次へと、わた飴のように白く凍りついてしまう。
「うう寒っ……早く帰ろ帰ろ」
年末セールで買ったフリース地のマフラーを首に巻きつけ、僕はアパートへ向かって大股で歩き出した。
「ただいま」という言葉をわざと発さず、僕は無言のままアパートのドアを開いた。とは言え、そこは狭苦しい賃貸住宅、鍵の外れる音はすぐ姉さんの耳に届いたようだ。ひょっとするとアイマスクのせいで、音に対して敏感になっているのかもしれない。
「だ、誰? ヒロ……ヒロ、だよね……?」
姉さんは信じられないくらい不安げな口調で、そう訊ねて来た。その声音を耳にした僕の方が尻込みしてしまいそうな弱々しさだ。僕は悪戯心というか嗜虐心というか、自分でもよく分からない悪辣な衝動にかられて、無言で姉さんの側へと近づいて行く。
ローターは停止してしまっているようだ。むむ、これで「持久力抜群!」と謳うのは、誇大広告なのではないですか。
「ね、ねえ……ちょっと、返事してよ……ねえ、ヒロってばっ」
椅子の肘掛けに両手首と両足首を括りつけられたままの格好で、姉さんは必死に僕の名前を呼んだ。
僕は返事をしない。
無言で傍らにコートを脱ぎ捨て、ズボンのジッパーを下ろす。無防備な姉さんの姿に、僕のペニスは勃起しつつあった。僕は椅子の横に立つと、姉さんの唇に、先端をそっと押し当てる。
「え? ……ん、や……やだあっ!」
臭いからか感触からか、姉さんはすぐ唇に触れているモノの正体に気づいた。姉さんはそれから逃れようと顔を引き、
そして数秒ほどの躊躇の後で、何かを思い直したかのように自分から舌を伸ばして、僕のモノをしゃぶり始めた。ためらいがちに、やがては貪欲に、温かく濡れた舌先が亀頭に絡みついていく。
目隠しされ手も使えないために、姉さんは普段ほど上手くペニスを舐め回す事が出来ない。ペニスを捉えようと必死に顔を突き出す姉さんを目にして、僕はひどく興奮し、そして少しだけ嫉妬した。本当に僕なのかどうか確認していない相手のモノを、姉さんは自分から舌を伸ばして舐め回しているのだ。
「んぅ、ふ……ひふ、う……んんっ」
拘束された身体を窮屈そうに捻って突き出された姉さんの舌が、僕のペニスを下から支えた。たっぷりと唾液の絡まった舌が、先端の切れ込みから勃起の根元までも、執拗に這い回っていく。
快感に声を漏らしそうになるのを何とか堪えながら、僕は軽く身を屈めて、姉さんの股間に手を伸ばした。暖房によって中途半端に乾燥したショーツの脇から指を差し入れ、儚くも力尽きてしまったローターを、姉さんの中から引っ張り出す。
半ば乾いてしまった花びらとは違って、膣の内側は潤ったままのようだ。丸いピンク色のプラスティックは、生温かい分泌液に包み込まれていた。僕はコントローラーの蓋を開けると、勤務先のコンビニで買って来た乾電池をポケットから取り出した。こいつには、もうひと頑張りしてもらおう。
僕は名残を惜しみながら、姉さんの唇からペニスを引き離して、大きく開かれた太股の間にしゃがみ込んだ。姉さんの愛液を長時間吸い続けた黒いショーツからは、今までにないほど濃い匂いが漂ってくる。湿った布地を脇へずらして性器を剥き出しにすると、その匂いは更に濃くなった。
「……へんじ、返事してよう……ひ、ヒロなんだよね、ねえ?」
さっきよりもか細い、喘ぐような声で姉さんが訴えかけてくる。
僕は返事をしない。
コントローラーのスイッチを入れると、ローターはぶるぶると音を立てて振動し始める。その音を耳にした姉さんは、びくりと身を震わせ、反射的に腰を引いた。
「やだっ、それもうやだ……ああッ、ふあッ!」
姉さんが必死に放った抗議の声は、ほとばしる悦びの声によって中断された。激しく振動するローターをクリトリスの根元に押し当てられた姉さんは、意外な早さで追い詰められていった。
聞いた話では、そもそもローターなるものは「中」に入れて使うのではなく、こういう風に「外」を攻めるのが正しいとか何とか。その「適切な処方」のおかげなのかどうかは知らないが、姉さんの感じっぷりは、僕がバイトに出ていった時と段違いだった。
「ひあ、う……ううっ、あ……ああ、ああッ!」
姉さんの反り返った喉から、小刻みな嬌声が続け様に飛び出してくる。そのテンポは普段セックスしている時よりも、遥かに早い。「ひょっとすると女性の喘ぎ声は、刺激のリズムに比例するのかも知れない」などという仮説を考案しながら、僕はローターを片手で押さえつけ、もう一方の手で花びらの狭間をまさぐった。
いつもなら「そんなとこ見るな!」と足蹴にされてしまうところだが、今なら気兼ねもなく、姉さんの股間を覗き込む事ができる。柔らかく盛り上がった恥丘の合わせ目から、淡いピンク色の肉襞が少しだけはみ出していた。二枚の花びらを指で押し広げると、粘膜の真ん中に開いた二つの小さな穴が、恥じらうかのように震えた。花びらから滑らせた指先で、膣の入口を軽く押す。すると姉さんの穴は真新しい涎を滴らせながら、僕の指先をきゅっと咥え込んだ。
「あぅ……うっ、やだ……よう……っ」
姉さんの喘ぎに、泣き声が交ざり始めた。アイマスクの下から、涙が次々と尾を引いて流れ落ちていく。どうやら今の姉さんは、感情と快感のバランスを失っているようだ。膣から引き抜いた指を唇に押し当ててやると、姉さんは子供みたいにしゃくりあげながら、自分の愛液にまみれた指先を必死に舐め回す。涙と愛液を溢れさせながら、縛られた身体をくねらせて、姉さんは泣いた。
「ヒロが、いいよう……ヒロじゃないと……やだ、よう」
息も絶え絶えに、姉さんは搾り出すような声で言った。
その一言で、もう僕は駄目になった。
ローターを床へ転がし、椅子の上へと覆い被さって、僕は姉さんの耳元へそっと囁きかけた。ただいま、姉さん。
姉さんは、びくりと動きを止め、そして涙声で叫んだ。
「ばか、ばか、ばかっ! ヒロのばかあっ!」
泣きじゃくる姉さんの耳たぶに甘く歯を立てながら、膣に親指を突き立てて入口を掻き広げる。僕はもう、我慢できなかった。
「……入れて! 入れて! ヒロのおちんちん、入れてっ!」
言われるまでもなかった。ぱんぱんに張り詰めた僕のペニスは、瞬く間に膣の奥底までを刺し貫く。わずかに遅れて、熱くぬめつく肉襞が収縮して、僕をくまなく締めつけ始めた。
「ひ、ああッ!」
姉さんは高々と嬌声を放ち、そして僕の名前を繰り返し叫んだ。
「ヒロ、ヒロ、ヒロ、ヒロ……!」
普段よりもずっと激しい抽送を繰り返し、僕と姉さんは速やかに昇り詰めていった。ぬるりと絡みついてくる無数の肉襞を押し分けながらペニスを打ち込むと、僕を少しでも深く膣内に収めようと、姉さんも必死に腰を擦りつけてくる。ペニスが挿し込まれる度に、押し出されて溢れた愛液がぴちゃぴちゃとはしたない音を立てた。
数え切れないほど交わって隅々まで知り尽くした姉さんの中に、僕はまた射精した。びくびくと痙攣しながら精液を吐き出すペニスを、姉さんは強く強く締め上げてくる。それまでとは違って、ごく静かな喘ぎ声と共に、姉さんはイった。
まずいなあ、と僕は思った。
そもそも僕と姉さんとこんな関係になったのも、例の「数字」の事件があってこそだ。僕らの関係はある意味で「契約」めいた代物で、思慕の念だの愛情だのとは、まったく無縁なはずだ。
無縁なはずだった。
まずいなあ、と僕は思った。いつの間にか、姉さんを手放したくなくなっている。こんな風に毎日毎日セックスばかりを繰り返して生きていければいいなどと、馬鹿な事を考え始めている。
けれど、僕はそれが愛情なのかどうかを判断できない。セックスしている時ばかり浮かび上がってくるような感情を、愛なんて言う聞こえのいい言葉に置き換えたくない。
しばらくは、このままの関係でいい。
そんな取りとめもない事を、僕は射精しながら考えていた。
数分後。
紐を解かれた姉さんは、何よりも先にローターを引っ掴んで、窓から投げ捨ててしまった。もったいねえ、などと不用意に口走ってしまった僕を、姉さんの爛々と光る双眸が睨めつける。
「あ、その、姉さん……器具を憎んで人を憎まず、だよ?」
「きしゃあああああッ!(と、僕には聞こえた)」
姉さんは怪鳥の如く宙を舞い、逃げ腰になった僕を一撃のもとに蹴倒した。ぼろ屑みたく床に転がった僕の上へと馬乗りになると、姉さんは見た事もないくらい獰猛な微笑を浮かべた。
「え、ええと……騎乗位? ば、バーリ・トゥードかな?」
「きしゃあああああッ!(と、やっぱり僕には聞こえた)」
姉さんの手が、処刑執行者の斧のように振り上げられ、
そして僕は、頬が真っ赤に腫れ上がるまで引っ叩かれた。
「……あああ、年越蕎麦が……」
秘蔵の一本、クラブカミュの瓶を抱えて、姉さんはよろめいた。想像を絶する怒りを静めるべく、このクソ高い酒瓶を献上してから約10分。何とか姉さんは落ち着いた様子だ。早くもできあがりつつある姉さんから逃れ、僕は聖域たるキッチンに立っていた。
「ま、蕎麦なんて、どーせ毎年食ってるもんだし。はい、お餅」
「あんた言い訳する気? お餅なんかで、ごまかされないかんね」
きっと鋭く睨み返し、しかし餅はしっかり食いながら、姉さんは酒瓶をらっぱ呑みする。
「とっととおせち作れ、この鬼畜坊主」
「りょ……了解でっす」
蛇の視線に射竦められたカエルの心境で、僕は料理を再開する。
「あ」と、僕は唐突に気づいた。
「そーいえば、あれで姫初めかな?」
それを聞くや否や、姉さんは唇から酒を噴き出した。
「あ、あんなエセSMで放置プレイみたいな姫初めなんてっ!」
みたいな、じゃなくて放置プレイそのまんまだよ、姉さん。
「分かったから落ち着いて、ほら黒豆あげるから」
「はぁい」と、姉さんは素直な返事を寄越して、唇を突き出した。どうもかなり酔ってるらしい。僕は何粒か黒豆を口に含み、それを口移しに姉さんの口腔へと押し込んでやる。
僕と姉さんの今年(世紀)最初のキスは、黒豆の味がした。
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