■恋夢■
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     5

 十二月二十一日、土曜日。朝十時、ちょっと過ぎ。
 学校近くの予備校の正面玄関前。私鉄の駅にも近いここで、今日もみんなと待ち合わせをすることになっている。しかし、今いるのはぼくとマイだけだ。
 学校は昨日で終業式を迎えて、今日から冬休み。そこで休み中は受験勉強をみんなでやろうということになって、学校に近い駅前の 予備校に行くことになった。
 「みんな来るの遅いね」
 ちょっとつまらなさそうな仕種を見せるマイ。
 そりゃそうだ、待ち合わせ時間まで、まだ三十分近くもあるのだから。
 今日は予備校の冬期講習の申し込みをするために、集まることになっている。待ち合わせ時間は十時半。この時間には誰も来ていないはずなのだが、黄色いコートを着たマイが、なぜかすでに来ていた。
 マイは、普段は口数が少ないけど、笑顔を絶やさないコだ。クラスでは古典の成績がかなり良く、実は全国的にも上位をキープしている。ぼくたちの中では「古典の女王」と言っている。
 「寒いからさあ、どこか入らない?」
 あまりにも寒いので、温かいものが欲しくなった。ここはビルの影なので、まだ陽が当たらない。
 「うん」
 マイは、いつものように笑顔を浮かべて言葉少なに答える。
 近くの、そしていつものドーナツショップに行く。道路をはさんで予備校の向かいの位置にある。まだ、午前中とあってか、一階のカウンターもさることながら、二階のフロアは空席が目立つ。なかなか座れないと言う噂の窓際の席も空いている。マイはその空いている席を見つけると嬉々としてそこへ小走りして行った。
 「せっかくだから窓際に座らない? 誰かが来るのも見えるし」
 カフェオレの入った紙コップとドーナツをのせたトレイを素早く置いて、「占領」をアピールする。マイってこんなに明るいコだったかな?
 とりあえず、席に着いて、コーヒーで身体を温める。マイは、一口だけ付けてドーナツにぱくついた後、話し出した。
 「ねぇ、どうして早く来たの?」
 駅前の銀行でお金をおろすためだけど。
 何の飾りもなく答える。
 「それにしては早すぎるけど……」
 ぼくはいつも早めに来てるよ。
 「そう…‥だよね」
 そういうマイだって珍しく早いじゃない、この前もそうだったけど。それまでは遅れて来てたのにさ。
 マイも遅刻の常習犯だった。もっとひどいのもいるけど。例えばマッキーは、かつて一時間遅れて来たことがあったし、ハルなんか早めに来ててもゲームセンターへ行ってしまい、しかも夢中になるから、いつも遅れてくる。マイは、遅れても五分くらい。
 「たまには早く来たっていいじゃない」
 ちょっと拗ねた感じ。
 どういう風のふきまわしなんだか。
 ぼくはコーヒーカップに口をつけた。
 「いろいろ理由があるのよ」
 マイのウィンク。理由って何だろ?
 「次に誰が来るかなあ?」
 マイは窓から予備校の正面玄関を見つめる。暖かい陽射しも差し込んできた。
 「普段なら、ミッキーが来て、その次にひーちゃんかな」
 すると、集合十分前。サンタクロースみたいな赤いコートを着たミッキーが本当に来た。辺りを見回してる。普段なら、すでにぼくが来ているからだ。ふと何気なくこっちを見た。マイが手を振る。ミッキーはぼくたちに気付いた。
 数分後、ミッキーもこっちにやってきた。
 マイは手を振って、ミッキーを迎える。
 「おっはよー」
 ミッキーの明るい声が、コートを脱ぎながらも続く。
 「ヨウトはわかるけど、マイが早く来るなんて、珍しいわね、どういう風のふきまわし?」
 ぼくと同じ事言ってる。
 「どーせ、まだ揃わないよね、あたしも何か買ってこよ」
 ミッキーはそう言って下のカウンターへ行く。
 その間に、次は紺色のダッフルコートを着たひーちゃんと、ウィンドブレーカーを着て帽子をかぶったハルが一緒に来た。珍しい。
 やっぱり二人も辺りを見回してる。
 「あれ、ハルも来てる、これも『珍しい』んじゃない?」
 マイってこんなに話すコだっだっけ? 普段はもうちょっと静かなんだけど。
 探してる、探してる、一度も一番に来たことがないから、びっくりしてる。
 ぼくは勝手に推察して楽しむ。
 すると、二人は下のカウンターにいたミッキーを見つけたようだ。何か大声で話してる。こっちに来るようだ。
 三人で階段を上がってきた。
 ハルの姿を確認して、マイが開口一番。
 「ハルが早く来るなんて珍しい!」
 「……早く来たら、まずいのかな?」
 そうかも。
 「そういうマイも早く来てるじゃないか」
 「ね、珍しいでしょ、雪が降るかもよ」
 そうこう話してると、Pコートを着たヨッシーが来ていた。ちょうど十時半だ。キョロキョロしてる。こっちでマイが手を振ったけど、気付かなかった。続いてボアコートを着たキミちゃんも来た。ヨッシーと何か話してる。誰もいないから不思議がってるようだ。
 「やっぱりマッキーが最後だったね」
 「お約束通りって感じだよね」
 「ヨッシーたち、早くこっちに気付かないかな」
 マイがまた手を振る。
 あっ、キミちゃんがこっちを指さした。ヨッシーの肩を叩く。ヨッシーもこっちを見る。ぼくたちはみんなでこっちに来いと手招きした。
 「なんだぁ、もう来てたんだ」
 やっぱ、外は寒いからね。
 「特にあの場所は陽が当たらないし」
 「誰もいないから、時間まちがえたかと思ったよ」
 「あれっ、マイとハルがいる!」
 「ハルが来てる……? ハルが……、はるが……、春……、こいつぁ縁起いいや」
 ホントだ。
 「それより、天変地異が起きるかもよ」
 「おいおい、そりゃないよ」
 「ねぇねぇ、マッキーがどれだけ遅れてくるか、予想しない?」
 「んな罪な……」
 「いいじゃない、いつものことなんだしさ」
 「おれは十分かな?」
 「五分、今日はあまり遅れないと思うな」
 「十五分ね」
 ぼくも十五分。
 「前回は三〇分遅れたから、今回も三〇分」
 「あたしはね、五分」
 「じゃあ、四〇分」
 「それはひどいよね」
 「でも、前に一時間遅れたことがあったし」
 「それって、みんなでプールに行った時だっけ?」
 「そうそう」
 「あの時は、どの水着にしようかって悩んでて遅れてんだって言ってたよ」
 「マッキーらしいよね」
 「で、あの悩ましいハイレグを選んだの?」
 「そうらしいよ」
 今日は何で悩んでいるのかな?
 「コートとか、プレイヤーに入れるCDだとか……」
 「マッキーが悩みそうなものはね……、……ブラとかでも悩んでそうだよね」
 「色とか、オフショルダーにしようかとかね」
 「女のコは着るものがたくさんあって大変だな」
 「見えないところもおしゃれするのが、女のコなのよ」
 「でも、ミッキーは時間を掛け過ぎだけど」
 それにカワイイ弟の面倒も見てるしさ。
 「外での顔と家での顔を、両方大切にしてるんだね」
 「マッキーって、きっといいママになると思うな」
 「ま、ドーナツ組の風物詩っと言うことで」
 それからいろいろと話す時間は、かなりあった。
 結局、マッキーは十時四十七分に来た。時間予想はヨッシーがほぼ的中。
 遅れた理由は、髪型だったりして。
 「髪を編むのに一時間掛ちゃった……」
 何やってんだか……。しかも確信犯。
 予備校の受付で冬期講習の申し込みをした後、駅ビルの中の専門店街でいろいろと買い物をしていたら、あっという間にお昼時を過ぎていた。同じ建物の中にあるファーストフードの店で軽めのランチをとった。


     6

 カナとぼくは、二人で街の中の煉瓦の歩道をいろいろと話しながら歩いていた。
 並木の色づいた葉は風に揺られ、そして舞っている。カナはその風で飛ばされそうになる水色のベレー帽を、時々左手で押さえていた。
 街は、夕方の買い物をしている人や、家路に急ぐ人が多いけど、それでもなぜかゆったりとした雰囲気がある。
 ここに来るのは久しぶりだった。
 初めて来て以来、何度か来ていたが、最近は来ていない。前に来たのは……、確か一週間ぐらい前だ。その一週間で、ここも、だいぶ冷え込むようになった。コートを着ていても、夕暮れ時の冷たい風が身に染みる。それは、カナも同じようだった。
 コートの内ポケットに財布が入っているのに気付いた。こっそり中を確かめると、いくらかのお金があった。このお金は誰のだろうか。しかし、財布は見覚えのある形だったので、たぶんぼくのだろうと決めつける。
 寒いから、どこか入ろうか?
 カナがちょっとこごえた声で応えた。
 「うん、入りたい」
 そこで、カナとぼくは、角のコーヒーハウスに入ることにした。中は暖かく、クリスマスソングが静かに流れていた。
 カナとぼくは、通り沿いの窓際の席を選んだ。テーブルには小さなクリスマスツリーが飾られていた。触れると小さな鈴の音がかわいくこぼれる。
 なに飲む?
 ぼくは、マフラーと手袋をはずし、コートを脱いで、椅子に座り、メニュー表をテーブルに広げて、コートを脱ぎつつあるカナと一緒に見た。値段は気にならなかった。
 カナは、左手で白と黒を基調にしたチェックのマフラーを取りながら、右手でメニュー表を指差して、あちこち動かしている。あれこれと迷っているようだ。早く手袋を取って座ったら。
 「じゃあね、あたしは暖かいミルクティーとね、ホットケーキ、ヨウは?」
 カナは決め終わってから、椅子に座った。それから手袋をはずす。
 うーんとね……、ブルーマウンテンと、シナモントースト。
 ぼくは決めるのに、時間はあまり掛からなかった。
 カナとぼくのオーダーが決まった頃、ウェイトレスが水を入れたグラスを持って来た。カナが注文した。
 「では、少々お待ちくださいませ」
 ウェイトレスが厨房へ向かっていくのを確かめてから、カナとぼくは話し出した。
 「もうクリスマスね」
 カナは、BGMに、それと軽く触れたテーブルのツリーの鈴の音に耳を傾けて、ふわりと言った。
 ここにもクリスマスはあるんだ。
 「うん、キリスト様は存在しないけどね、だから、年末のちょっとしたお祭りみたいな感じなの、ほら、並木をライトアップしたりとかね」
 カナは、窓から見える歩道の並木を指さした。
 さっきは点いていなかったその並木は、小さな灯の粒の固まりになって、風に小さく震えながらも、黄昏の空に映えるように輝いている。今までに見たことがないほどの綺麗な光景だった。
 うわぁ、すごい……。
 それ以上の言葉は出てこない。
 「この先の広場のツリーは、すっごく大きくて、もっと綺麗よ、そうだ、あとで見に行こうよ」
 カナは、明るい顔をして言った。行きたくてうずうずしてるようだ。瞳で「行こうよ、行こうよ」ってせがんでるみたい。カナは、こんなところがかわいい。
 うん、行こう。
 ぼくも見たことがないので、見に行きたい。
 「やったぁ」
 カナはすごく喜んでいる。
 そういえばさ、さっきキリスト様はいないって言ったけど、どういうこと?
 ちょっと疑問。
 「普通の神様ってここにはいないの、どう言うのかな、宗教的な神様? そういうのはいないの、変わりに『創造主』って言うのがいるの」
 と言ってみたものの、カナもあまり自身はなさそう。だけど、ぼくはもっと訳が分からない。
 創造主って、何、誰?
 分からない言葉を尋ねてみる。
 「この世界を作った『神様』ってところね、でも、神様っていう感じでもないのね」
 まったく分からない話。
 つまり、『神様』って言うのは存在しないけど、その代わりに『創造主』って言うのがいるっていうふうに理解すればいいのかな? 「たぶんそうだと思うけど、自身ないな、そうだ、広場へ行ったら、その後で情報ステーションへ行かない? この近くなの、そこだったら、答えてくれるかもしれないわ」
 また訳の分からない単語。
 何なの、その『情報ステーション』って?
 「そこへ行った時に教えるわ」
 その時ちょうど、さっきのウェイトレスが来た。
 「お待たせいたしました」
 そう言って、ウェイトレスはカップと皿を丁寧にテーブルの上に置いた。
 「わぁー、おいしそう」
 カナも、その温かそうな湯気とおいしそうな香りに酔っている。
 少しでも冷めたらおいしくないから、早く食べよ。
 ぼくが促さなければ、カナはずっと湯気と香りに酔っていたかもしれない。
 「そうだね、じゃあ、カップだからちょっと変だけど、乾杯」
 カナはティーカップを持って、乾杯の仕種をする。
 乾杯って?
 ぼくはコーヒーカップを持ったまま、ちょっと戸惑った。
 「あたしとヨウトくんの幸せがあふれる未来にね」
 カナは、くすっと微笑んで、肩をすくめる。
 ぼくも微笑んだ。
 そうだね。
 カナのティーカップにぼくのコーヒーカップを合わせた。そして、カナとぼくは顔を寄せて、瞳を閉じて……。

 普段なら薄暗いはずの広場の森。しかし、今日は違っていた。小さな灯の粒がいっぱいに広がっていて、光の森になっている。並木道の輝きとは桁違いだ。その広場の真ん中にある、ひときわ大きな樅の木は、光の固まりになっていた。たくさんの鈴も付いているようで、風が吹くたびに、しゃらんしゃらんと、きれいな音色を奏でている。サンタクロースのトナカイがたくさんいるみたいだ。
 カナとぼくは、何も話すことなく、ただ、この光景に見とれているだけだった。
 もうすぐ陽が暮れようとしているのに気付いた。向こう側はまもなく朝を迎える。時差は約二時間ある。
 あー、このままだったら、『情報ステーション』には行けないな。
 「そうね、もう時間ないね」
 カナも残念そうだ。
 『情報ステーション』は次の時に行こうよ
 「じゃあ、明日行こう」
 えっ、明日? 明日、またここに来られるのかな?
 二日連続でここに来たことはない。来られないものだと思ってたけど……。
 「大丈夫よ、難だったら、あたしが呼ぶから」
 今度は自身あり気だ。
 そんなことができるの?
 「うん」
 わかった、じゃあ、また明日ね
 「うん、また明日ね、ヨウトくん」


     7

 十二月二十三日。今日は祝日。そして予備校の直前講習会なるものが始まる日でもある。今日は、受付としてテキストを受け取りに行くだけで、講習会は明日から始めるんだけどね。
 ところで、その受付も、みんなで行こうということになった。集まり悪いのに。
 駅前のドーナツショップに午前十時半集合。要するに、いつものところで、いつもの時間、ってこと。
 けれども、やっぱりぼくらしく、早めに集合場所に着いた。オーダーを終えて二階席に上がると、空いている店内に珍しくマイが既に来ていて、窓際の席を獲っていた。
 はよーん、早いね。
 「あっ、ヨウト、おっはよー」
 どうしたの今日は、珍しく早く来ちゃって。
 「ヨウトはいつもどれくらい早く来てるのかなぁって、思って待ち伏せしてたの」
 何を……。
 「この前は、わたしのほうが少し遅かったじゃない、だから少し早起きしてきたの」
 いいのに、時間通りに来れば。
 「一人で退屈しているよりは、話し相手がいるほうが楽しいでしょ、って思ってね」
 で、早速参考書出すの?
 「うん、わかんないところがあって、……ほら、ここのライン引いたところ」
 なになに、……ふん、ふん……、ふん……。
 「この用法って、辞書に載ってないの、だから日本語訳ができなくって」
 これ、ことわざだよ。文法だけじゃ解けないって。
 「えっ? そうなの?」
 こっちの前置詞の方で調べてみたら、たぶんそこに訳が載ってるよ。
 「わかった、帰ったら調べてみる、……ヨウトに訊くとあっという間に氷解するね、今度一緒に勉強しようよ」
 どーしてそれをもっと早くに……。この前の時だって、いろいろ訊く機会があったのに。
 「だって、ヨウトってみんなの中にいても話しかけづらいんだもん、優等生で、いつも学年順位は上位で、近付きがたかったし」
 そーかなあ?
 「あたしはまだ、会えるほうだからいいけれど。他の女のコたちなんか、声を掛けたくても掛けられないなんて言ってるし」
 ……そんなに近付きがたいかなぁ?
 「少なくともあたしは、バカとは付き合えないんじゃないかって、考えちゃうわ」
 バカだなんて……。
 「でも、わたしみたいな人を見ると、ちょっとぐらいはそう思うでしょ?」
 いや。
 「……顔が笑ってる……」
 ごめん、少しはそう思うかもしれない。……だけど、人と付き合う時は成績はカンケーないでしょ。あの人は成績が悪いから話したくない、一緒にいたくないって考える方がゼッタイおかしいと思うよ。それに、マイは学年上位にはなれないかもしれないけれど、古文はぼくより強いんだよ。もっと自分に自信持たなきゃ。
 「……、そだね、……ありがとう」
 さてさて、今日の集まり具合はどんなかなぁ?
 なーんて思っている矢先に、ハルとミッキーが殆ど同時に来た。
 「あっ、今日もマイが早く来てる」
 「ちょっとは意識して早く来たつもりなんだけどなぁ」
 今日はぼくよりも早くに来てたよ。
 「うそっ」
 「今度はもっと早く出て来よっと」
 「今度って、いつ?」
 いつだろうね。でも、どーしちゃったの? 突然遅刻壁が治りかかるだなんて。
 「別に治そうっと言うわけじゃないんだけどさ」
 「遅れるよりかは、早く来たほうのがいいでしょ」
 そりゃ、まぁ。
 「それよっかさ、学校のない日でも会う機会が増えたからさ、電車の休日ダイヤに慣れてきたっていうのもあるよな」
 やっぱ、違うの?
 「ちょっち、感覚が違う」
 といったところで、ヨッシーやひーちゃんがオーダーした飲物やドーナツの載ったプレートを持ってやってきた。
 「あっ、ヨッシーとひーちゃんだ」
 「はよーん」
 「早いねー、何時に来てんの? まだ十五分だぜ」
 「いーじゃん、遅れるよりは早く来たって」
 「そりゃそーだけど」
 「そーゆー、ヨッシーとハルだっていつもはギリギリに来るのに、どーしたの、今日は?」
 「たまたまだよ」
 「ぐーぜん、ぐーぜん」
 「今度もこうだったらいいのにね」
 これで、マッキーが時間前に来たら、すごいよね。
 「まだ、キミちゃんが来てないけど……」
 「はよーっす」
 「おっ、噂すれば何とやら」
 「あっ、キミちゃんだ、はよーん」
 「どーしたの、今日は、こんなに集まりがいいんだなんて……」
 なんてったて、マイが一番乗りだったからね。
 「へぇ〜、これでマッキーが来たら、明日は大雪かな?」
 「誰が来たら大雪ですって?」
 「あっ、マッキーだ……」
 めでたく約束の時間前に、みんなそろった。
 「受付、まだみたいだから、もー少しここで時間つぶさない? 最近いつも食べてないからさ」
 「まっ、時間目に来たんだから、ご褒美って感じかな」


     8

 そこは不思議な空間だった。何というのか、異質な空間なのだ。
 大きな部屋に、パーテーションで区切られた細かなブースがいくつも並んでいる。壁に窓はなく、薄暗い部屋。わずかな光が灯っているだけだ。そしてどのブースにも机の上にモニタとキーボード。それしかない。とても殺風景な部屋。
 向こうの世界にもここみたいな空間があるとは思うけど、それでも異質なのだ。……そう、空気が違う。
 ここはどこなのか、分からない。ただ、感じとして〈夢の世界〉であることだけは間違いない、確証は全くないけれど。カナがいてくれたら、と思う。
 立っているのも難なので、目の前のブースの椅子に座った。
 すると、自然にモニタが灯った。黒い画面に様々なセンテンスが表示されてはスクロールして消えていく。どう見てもパソコンみたいだ。ただ、独特のあの作動音は全くない。考えてみれば、パソコンの本体に相当する物がないのだから当然なんだけど。目の前には本当にモニタとキーボードだけだ。向こう側のものと大差ないように思う。
 やがて画面はスクロールを止め、しばらく沈黙した後に、メッセージを映し出した。
 〈ようこそ! 情報センターへ〉
 そう七種類の言語で書かれている。日本語もある。アラビア文字みたいなのもある。
 その下に、「入力言語の選択」という項目があった。その隣の空白のカッコ内にカーソルが点滅している。
 それぞれの言語の前には数字が付されているので、それを入力するのだろう。日本語は六だった。
 テンキーで六を押し、実行キー。かな入力かローマ字入力か聞いてくる。ローマ字入力を選択。
 また、しばらく沈黙。
 再び〈ようこそ! 情報センターへ〉と表示され、〈パーソナル・コードの入力〉の欄が加わった。
 最下段にファンクションキーの内容が示されていた。そこに「ヘルプ」の文字もあった。
 そのキーを押すと、画面が変わった。
 〈調べたい言葉を入力してください〉
 まずは「パーソナル・コード」だ。たどたどしい手でキーボードを叩く。そして決定キー。
 「パーソナル・コード」とは、情報センターのデータベースを開く際に必要となる言葉で、「エントリー」されている人それぞれに与えられているものらしい。
 しかし、ぼくはそれを知らない。もう一度「ヘルプ」のキーを押した。
 すると、どうやら情報センターの方で教えてくれるらしい。「パーソナル・コードの探索」と表示され、次に名前かエントリーナンバーのどちらかを入力するようにと指示された。
 名前の入力。
 しばらく沈黙。そして待ちくたびれるかと思ったその時に、画面が動き出した。
 ぼくの名前の下に、理解できない記号やアルファベット、数字が羅列する。その後にこんな表示がされた。
 HYC〇四三八−九六一〇〇五X
 どうやらこれがぼくのパーソナル・コードらしい。
 ヘルプ画面を参照したまま、入力画面に移行できるので、それを見ながら入力した。
 画面は次のページ(?)に移行した。何がしたいのかを問うてきている。
 「検索」「メッセージ」「設定確認」「設定」などといった言葉が並んでいる。
 ぼくは検索を選択した。

 それからしばらくの間、ここの世界のことについて調べた。
 今の時間は、と思い「時間」を表わすキーを押した。
 もうすぐ六時になる頃だった。そろそろ起きる時間だ。
 今日はここまでにして、帰ることにした。初期画面に戻り、終了を選択しようと思った時、「メッセージ」の文字が気になった。さっきもそうだったんだけど、文字の色が他の選択肢とは違う色なのだ。
 メッセージを選択する。すると、こう表示した、
 〈メッセージが一件あります〉
 ヘルプを参照してメッセージを見る一連の操作を行った。
 メッセージはカナからだった。

  ヨウトくんへ
    ごめんね。

      ごめんね。一緒に来ようって言ってたけど、行けなくなっちゃった。
      一応、まっすぐここ、情報センターに来られるよう設定しておきました。
      このメッセージが見れたってことは、問題なく来れたってことよね。
      今度は一緒に来よう。


     9

 講習会、初日。
 世間はクリスマス・イヴとは言え、「受験生」の冠がつく人には少しもカンケーがないらしく、ぼくでさえ、勉強しなくちゃなんて思わせてくれる。
 講習の時間割りの都合で午前中は休み、といってもぼくだけ。だけど、家にいても難なので、予備校の自習室に行くつもりで朝から出掛ける。母さんはいつも通りお弁当を作ってくれた。
 じゃ、行ってくるね。
 「友だちと遊んでばかりじゃダメよ、いってらっしゃい」
 お姉ちゃんの鋭い突っ込み。
 はいはい、わかってます。

 といっても、今日の講習はみんなばらばらだ。だから遊ぶどころではない。
 ぼく以外は、みんなばらばらながらも朝から講習が始まっている。
 最上階の八階に設けられた自習室はもう大部分の席が埋まっていて、ぼくが入った時には窓際の席が数席しか残っていなかった。
 受付でもらったカードに教室番号と席番号がそれぞれ書かれてある。このカードを返却するまで、それに示された席は一日確保されるシステムだ。
 教室は至って静かで、駅前の再開発工事の音すらも漏れて入ってこない。防音がカンペキなのだ。参考書や辞書のページをめくる音と、ノートに書き取る音ぐらいしか聞こえてこない。コンパクトCDプレイヤーの作動音がたまに聞こえてくるけど、イヤホンやヘッドホンか漏れてくる音はない。妙な静けさだ。
 窓からは、駅前の街並みを見下ろすことができる。
 地平を走っている線路は高架化工事の真っ最中。駅の前後は既に真新しい高架が姿を現している。予備校の建っている駅の南口とは線路をはさんだ反対側の北口には、再開発工事で重機が引っ切りなしに動いている。新しい複合商業ビルが建設中で、来年の秋頃には完成するらしい。今は鉄骨が組み上がり、外装工事が始まっている。他にも二、三棟の新しいビルができるとか。駅頭にはバスターミナルが作られる。個人的には、あの世界のように展望台のあるビルや時計塔なんかが建って欲しい。
 一方、南口は以前からの狭いながらも使い勝手のよさそうな商店街や大型スーパーがある。店が開き始める時間になると、今だとクリスマスソングがあふれる。夜には並木がライトアップされる。あの世界ほど規模は大きくないけれど、なかなかロマンチックな気分にひたれる。
 駅から延びる道路に沿って視線を動かすと、やがてぼくたちの通う高校が見えてくる。その反対側にも学校らしき建物が見えてくるけど、それは県立高校の建物。その隣には市立小学校もある。マッキーの家がその方向の住宅街の中にある。
 ぼくたちの通う高校は、私立で、制服がないのが特徴。スポーツも盛んでいろんな競技で全国に一応名が知られている。ぼくが入ろうとしていたバスケットボール部も、全国大会にはなかなか行けないけれど、それなりに強く、県大会では上位の常連だ(結局入部しなかったけど)。
 キミちゃんのサッカー部は去年全国大会に出場して、ベスト八に残った。野球部は夏に甲子園で準優勝に輝いた。
 一方、進学校としても有名で、難関大学の合格者は卒業生の三割を毎年キープしている。だから、成績トップのぼくにはそれなりの大学に行って欲しいと先生たちが願うのもムリはないと思う。
 それはともかく。受験勉強である。
 どうも、ぼくは非日常的なものに弱いようだ。英語とか古文、数学といったものだ。どのように役に立つのか、わからない。だからといって反発していたのでは何にもならないので、英語・古文なら構文やイディオム、数学なら公式や定理を覚えりようにしてきた。
 要は、どのように使うのか、ではなく、どのように覚えるか、なんだと思う。割り切って考えなければダメだ。
 で、さっそく開いたのは、英語のイディオムをまとめた参考書。この前、ひーちゃんが持っていたものと同じものだ。
 のべつなく覚えるのではなく、特徴ごとに覚えていくと効率がいいらしく、その特徴ごとにイディオムが並んでいる。書き抜いて、身体で憶えていく。それがぼくの方法。たくさん書くと疲れるのは当然だけど、書き方にもコツがある。それをやれば、一気にたくさんのイディオムを書き抜くことができる。そのコツとは、秘密だけどね。
 昼までに、古文の参考書も数ページ片付けた。
 ランチもこの場所でとった。
 午後からは世界史の講習だ。

 その「事件」を知ったのは、予備校の授業が終わって家に帰った、夕方のこと。
 「ただいまー」
 家の中は、いつになく、しんと静まり返っていた。みんな出かけたのかなぁ、と思いつつリビングに入るとテーブルの上に置き手紙を見つけた。
 −杏子が事故に遭いました。意識が戻っていないようなので、しばらく病院にいます。大変な時期だけど、一人でがんばれますよ
ね。母より−
 ……そんな……。
 その手紙の後に、病院の連絡先が書かれてあった。
 ぼくは、慌てて病院に行こうとした。場所もだいたいわかる。それに近くの駅まで行けば、わかるだろう。

 その病院に着いたのは、八時頃だった。すでに受付も閉まっていたけれど、窓口の女の人と掛け合っていたら、一人の看護婦さんが「通してあげなさい」と言ってくれ、病室を教えてくれた。
 そこは集中治療室だった。

 母さんは、そのそばにある休憩室で、力が抜けたようにソファに座り込んでいた。話すことも聞くこともできないようだ。お姉ちゃんと血液型が一致するので、かなりの血液を輸血したと、その後ろのソファにいたコウスケさんが教えてくれた。
 婚約者と一緒に休憩室を出て、ガラス越しに集中治療室の中を見ることができる、待合室へ行った。
 お姉ちゃんは、たくさんの照明であまりにも明るい無菌室の中で、少し高い治療台に横たわっていた。シーツから覗く、チューブやコードがつながれた包帯だらけの姉のその身体は、見るも無惨だった。傍らには、何台かのモニターが点滅を繰り返していた。
 お姉ちゃんの容態は、よくなく、意識が戻らないままだと言う。ただ、出血は止まり、心電図の反応が微かながらあることが、せめての救いだ。外傷は酷く、整形手術を繰り返さなければならないようで、綺麗だった姉の姿が戻らないかもしれないと聞かされ、ぼくはショックだった。
 ぼくにとって三歳上のお姉ちゃんは、もう一人の母親であり、別れることのない友達であり、永遠の「恋人」でもある。
 小さかった頃、ぼくが風邪で寝込んだ時はずっとそばで診ていてくれた。一緒にままごとをして、正義のヒーローごっこもやった。小学校六年生の時、ふざけてキスもした。その夜、ぼくは眠れなかった。柔らかくて暖かい姉の唇……。思い出す度に目が冴えた。カウントにならないファーストキス……。
 ベッドに横たわる傷だらけのお姉ちゃんの姿を、ぼくはずっと忘れないと思う。


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