18 二月最後の土曜日。この前の雪の寒さが嘘みたいに暖かい日だった。 お姉ちゃんは記憶を取り戻したようで、少しずつ話し出した。微かに笑うようにもなった。 明日の朝に帰ってくるはずの父さんが、「魔法」を使ったらしく、昼に病院に顔を出した。正月以来だ。 今回は一週間ほど日本にいられるらしい。そのうち五日間は、会社が休みをくれたそうだ。 現地で進められている工業プラントの試運転は、今まで滞っていたのがウソみたいに無事に終了し、一段落がついて、今回の一時帰国になった。再来週に操業を開始させるとかで、その時はまた向こうに戻る。そして、操業開始記念式典を挙げてから、今度は正式に帰ってくることになる。三月六日が、その日だ。ぼくの卒業式に間に合うね。 「杏子の意識が戻り、耀人の入学試験が無事に終わり、母さんの顔が明るくなって、自分の仕事も何とかやり遂げた」 父さんは、久しぶりに顔を緩ませて言った。 「二人ともよく頑張った、母さんもよく耐えてくれた」 父さんのその言葉を聞いた後、母さんは少し泣いた。お姉ちゃんは少し微笑んだ。ぼくは少し照れくさかった。 昼下がり。 マイが、抱え切れないほどのたくさんの花束を持って病室を訪れた。 ホントにたっくさんあって、花瓶に入り切らないほどだった。入らなかった花はナースセンターのカウンターの飾ってもらうことにした。 「何度も会ってるから、他人という気がしなくて……、せっかくヨウトくんが話してくれたから、だから今日は絶対に来ようと思って……」 言葉がうまくつながっていない。 「でね、パパからいくらかお金をもらったから、たくさん花を買っちゃった」 お姉ちゃんは、マイのことを覚えていた。というより、気持ちがずいぶんと落ち着いたのだろう。記憶の障害はないように感じられるし、看護婦さんもそう言っていた。 「マイちゃん、よね? 久しぶりね、前に家に来てくれたのは、いつだっけ?」 「もう、ずっと前、高校一年の夏だったから……」 「何だか、ずいぶんと大きくなったって感じ、もう大人ね、たくさんの花束、ありがとう」 姉は、嬉しそうだった。 マイも「大人ね」と言われて嬉しそうだった。 しばらくして、父さんは、母さんとマイを連れてどこかへ出掛けた。 病室にはばくとお姉ちゃんだけ。 ベッドのそばに椅子を持ってきて座った。 「受験、どうだったの?」 お姉ちゃんが寝てる間に合格まで決まったよ、四つも。 「いくつ受けて?」 「四つ」 「すごいじゃない、全部合格だなんて」 偏差値が低いからね、先生に「お前のその成績じゃ、間違いなく合格できるよ」なんて言ってた。それに、もっと高いところ受けろって言うんだけど、受けなかった。 「どうして?」 だって行きたくないんだもん。遠いし、行くのに乗換が面倒だし。近いところがいいよ。 「なんだかんだ言って欲がないのは、昔のまんまね、もう少し遠慮するのをやめたら?」 遠慮してるつもりはないけど。 「いずれ苦しくなるよ」 そーかな? 「いつか分かるようになるわよ」 じゃあ、その時が来たら治すよ。 「早いほうがいいわ、人の顔色を見て判断するのは決して悪いことじゃないけど、自分で決めるべきことだってあるはずよ」 例えば、自分の行きたい大学、とか? 「そうね」 ……、確かに、最初はみんなが行く大学でいいやなんて思ってた。けど、お姉ちゃんが事故に遭ってからこの病院に来て、何度か見舞いに来るうちに、世の中はいろんなことに困ってる人、悩んでいる人、落ち込んでいる人がいるんだなって気付いた。そんな人たちをカウンセリングの先生が相談に乗っているのを見て、そういう頼りにされる人になってみたいなって考えたんだ。だから自分で、そういうことが勉強できるところを急いで探して、願書を取り寄せて、受けてきたんだ。母さんには話さないままで。勝手すぎるかなぁって思ったけど……。 「でも、自分のしたいことが見つかったんでしょ? 今からでも、そういうことが勉強したいんだってお母さんに話しても遅くないんじゃないの?」 行かせてくれるかなぁ? 「分かってくれるわよ、耀人が自分で選んだ道なんだから、お母さんたちが帰ってきたら話してみるといいわ」 そうだね。でも、どこに行っちゃったんだろ? マイまで連れて……。 「『息子との付き合いを認めよう』とか言う話じゃないの?」 マイも好きだけど、それよりも好きなコがいるから、もしそうなら、少し困るな……。それにそういう話って、女のコにする話でしょ? 「そっか……、じゃあなんだろうね?」 わかんない。 「それよりも、マイちゃんよりも大好きな女のコがいるの? どんなコ?」 やぶへびだった。……そのうち、話すよ。 「結構ガードが厳しいのね」 お姉ちゃんだって、結婚するって話してくれたには結構遅かったじゃないか。付き合い始めて何年めだったっけ? 「それもそうね、それでおあいこにしようってことでしょ、紹介してくれる日を楽しみにしてるわ」 その前に、退院だね。 「そうね、でも、リハビリが必要だって、どれぐらいかかるか分からないけれど」 その時、看護婦さんが入ってきた。 「耀人くん、仲良く話しているところごめんねぇ、今からお姉ちゃんちょっと検査をするから、外で待っててくれる?」 看護婦さんたちとも仲良くなったので、まるで友達と話すかのように話し掛けてくる。 どーしても出なきゃダメ? 「そーねぇ、……服脱ぐから、やっぱダメかな」 んなもん見慣れてるよ。 「いいから出て行きなさい!」 はぁ〜い……。 ……何も二人して言うことないじゃないか……。 病室の外で検査が終わるのを待っていると、コウスケさんがやって来た。 「あれ、どーしたの? 部屋の外で」 検査だから、外で待ってて、だって。 「検査ぐらいなら、別にいたっても構わないだろうに」 服脱ぐからダメ、だって。 「姉弟の関係なんだから、別に構わないと思うけどね、どーせ、見慣れてるんだろ?」 うん、あー見えてもムネの小さい体型。 「だよな」 ……小さいの好み? 「好みとしては大きいほうがいいけど、杏子の場合はそんなこと関係ない」 おっ、言い切るねぇ。 「だいいち、ムネの大きさで好きなコを選べるわけがないだろ」 確かに。 ぼくは、思わずカナやマイのムネを頭に浮かべてしまった。二人とも小さい。けれど、確かにそんなことは関係ない、よな。偶然、偶然。 「……検査はまだ終わらないのかな?」 どーだろ? 分かんない。 「……、向こうのホールで煙草吸ってくる、終わったら呼んでくれ」 分かった。 女のコを好きになると言うのは、ふしぎな気持ちだ。 学校や予備校でたくさんの女のコを見ているけれど、かわいいとか綺麗とか思っても、結局は〈好き〉にはなれないし、なかよくなろうと思わない。よくよく考えると、どうやったら「友達」という付き合いができるのか、新たな疑問も湧いてくる。 それよりも、どうしてカナを〈好き〉と感じるのか、これこそ本当に不思議で難解な疑問だ。だけどその疑問を解く必要は全くないのも事実。なぜなら〈必要〉がないからだ。そして、それでも付き合っていける。 マイだって好きだ。でも、その〈好き〉は、ドーナツ組のみんなに当てはまることであって、特別なものではない(マイは違うらしいけど)。 その二つの〈好き〉には、どういう違いがあるのだろうか、どういう差があるのだろうか。恋人としての〈好き〉、ともだちとしての〈好き〉……。 ともかくぼくにはその答えが、まだ分からない。 ふぅ……。検査ってまだ時間かかるのかなぁ。 退屈なので、ぼくもホールに行くことにした。けれど、いるはずのコウスケさんの姿はなく、がらんとしていた。 どこに行ったんだろう? ともかく、窓沿いにあるソファに座って、外を眺める。 よくカナと一緒にいろんなところから街を見下ろしたっけ。そういえば、カナはどうしているんだろう。やっぱ、あの時怒らせたのがヤバかったのかなあ。 よく笑う女のコ、よく目を潤ませる女のコ、よく駆け回る女のコ、肩をすくめて微笑む女のコ、首を傾げて「ねっ」て確かめるように訊き返してくる女のコ、いろんなものを風になびかせている女のコ……。カナのいろんなことを思い出す。まるで、本当にあったことのように。そう、あれは夢なんかではない。夢ではあるけれど、夢ではない。そういえば、心理学科の受験の時に見かけた女のコ、カナにそっくりだったな……。 にしても長いなぁ。それに父さんたちまでマイを連れてどこに行っちゃったんだろう。 退屈。 そうだ、検査が終わったかどうか見て来よっと。 ドアをノック。 「ヨウト?」 うん。 「ちょっと待ってて、……いいよ、入ってきて」 検査、もう終わっ……。 ドアを開けて部屋に入ろうとしたその時、たくさんのクラッカーの音が響いた。 「たんじょうび、おめでとー」 そう、今日二月二十二日は、ぼくの誕生日なのだった。 いつの間にかみんな揃っていた。……そうかこのために、みんな隠れて用意してたんだ。……参りました。 「誕生日おめでとう、それから大学受験合格おめでとう」 父さんと母さんからプレゼント。 「おめでとう」 お姉ちゃんとコウスケさんから。 「ヨウト、誕生日おめでとう」 マイからも。 「誕生日、おめでとう」 看護婦さんからは大きな花束。 部屋はたくさんの花の香りであふれた。 ありがとう。こんなにたくさんのプレゼントまでもらっちゃって。 「はーい、それからバースデーケーキ」 ベッドの陰には、大きなケーキまでが隠されていた。 ケーキに十八本のキャンドルが点る。 「十八歳か……、結婚できる歳だな」 ……って、コウスケさん……。 「ねっ、プレゼント、開けてみて」 いいの、開けちゃって? 「プレゼントは開けることに意味があるのよ」 ひとしきり騒いだ後。ぼくは父さんと母さんに、あの受験のことを打ち明けた。 実はね、母さんに黙ったままでもう一つ、入学試験を受けてきたんだ。受験料とかは自分で出したんだけど。 「……自分で行きたいと思い、自分の力で受けてきたんだから、父さんや母さんが怒ることはない、そんなびくびくしなくてもいいぞ」 父さんは笑ってぼくの髪をくしゃくしゃと撫でた。 「で、結果はどうだったんだ?」 合格したよ。 「自分が行きたいと思ったのなら、その大学に行きなさい、母さんたちは反対なんてしないから、ね」 うん。 「じゃあ、今度は杏子の退院祝いと結婚祝い、耀人の合格祝いと入学祝いだ、卒業祝いもあるな」 「それから、あなたの帰国祝いでしょ」 お祝い事ばっかりだね。 「いいじゃないか、この春はいいことばかりだ」 19 久しぶりに、あの世界に行った。 ここも、少しばかり春めいてきて、通りの街路樹のたもとには、小さな花の蕾が膨らみかかっている。 さっそく〈情報センター〉に行って、カナがメッセージを残していないか調べてみた。 稼動に関する一連の操作の後、参照項目を選択する。それからパスワードを打ち込み、次に各々が自由に設定できるパーソナル・パスワードの入力。 この後で、モニタにメッセージ状況が映し出される。 〈メッセージは一件です〉 次にそのメッセージを開く一連の操作。かたかたとたどたどしく操作するので、焦ってしまう。キーボードの慣れないといけないね。向こう側でも役立つだろうし。 ようやく最後の実行キーを押す。そして、メッセージが開く。 ヨウトくんへ このメッセージを見るのはいつになることか。 ヨウトくんのメッセージ、読みました。 この間はゴメンね。 あの時、たぶん、あたしは冷静ではなかったように思います。 だけど、わかってください。人の死に触れて、あたし恐かったのです。 でも、その時、ヨウトくんの大切な人が生きるか死ぬかの瀬戸際にいたことを知って、 あんな態度をとったことを反省しています。そして、後悔しています。 あの後でもう一度、あたしが触れた「死」について考えてみました。 そして、生きていくことの大切さを考えました。 今なら、ヨウトくんが言ったこと、とてもよくわかります。 あたしの友だちも、少しずつ違ってはいたけれど、似たようなことを教えてくれました。 あたしは、ヨウトくんが言ったことを一番に、忘れずにいようと思います。 「大切な人はいつまでも心の中で生き続ける」 全く同じことを、お姉ちゃんも言ってくれました。 ヨウトくん、ありがとう。 あたしはヨウトくんを見掛けて、ヨウトくんに逢えて、そしてヨウトくんを好きになって、 本当によかったって思っています。 きっと、また逢おうね。 向こうの世界でも。 その日を楽しみにしています。 それでは。 また逢えたらいいね……。 20 三月十日。 その日は朝から快晴。とても暖かくて、風のない、本当に気持ちのいい日だった。 そんな日に、ぼくたちは晴れて卒業式を迎えた。 式は全校生徒が集まって、保護者も来て、講堂で盛大に行う。 席は壇上に近いほうから一年生が座り、二年生、卒業生、その保護者と続いている。卒業生のクラス担任の先生たちは壇上の脇に並ぶ。この並び方はどうやら普通の学校とは違うらしい。 卒業証書は、一人ずつ壇上で校長先生に見届けられて、クラス担任の先生から手渡される。そして、生徒会の女のコから花束を受け取って、壇上から下りる。 BGMも掛かっている。ヴィヴァルディの『四季−春−』だとか、パッヘルベルの『カノン』なんかが流れる。 一番最初に手渡されたのは二学期の期末試験でトップだったミッキーで、校長先生から直々に手渡される。一番だけの特権だ。うーん、今さらながら少し悔しい。その差は三点だったから、なおさら。二番にも何か特権が欲しいなぁ……。だけど、ミッキーだって毎回十位以内に入っていたんだから、仕方ないっか。 卒業証書は、席に戻ってから予め配られている筒の中に入れる。 最初はまだ厳かな雰囲気だったけど……。 マッキーを手始めに、それから二百人ぶんの卒業証書がそれぞれのクラス担任から名前を呼ばれて手渡される。堂々と取りに行く人、マイクパフォーマンスをやっちゃう人、泣きながら受け取る人、何人かで万歳をする人たち、緊張しすぎてる人、花束を渡す女のコにキスをしちゃった人(お互い片想いだったとか)、プロ野球の球団に入団が決まった野球部の人は壇上からサイン入りのゴムボールを投げた。 そんな彼の次がぼくたちのクラスになる。 ぼくの出席番号はかなり遅いほうなので、すぐには呼ばれない、……はずなのにぼくの名前が最初に呼ばれた。あれ、出席番号順じゃなかったっけ? 「はい」 少し大きな声で返事をする。 「彼は、入学時より学年順位一位から五位の辺りを常に保ち続けた生徒です、首席こそ逃しましたが、最高位を保ち続けたことに特別に評したいと思います」 保護者席を中心に大きな拍手。一、二年生辺りからは歓声。 ぼくの対応はそれでも普通だった、かな? 校長先生にまで「ありがとうございました」って頭を下げて。 その後で用意してあった自前のバスケットボールを受け取り、後輩たちのいる席に向かって投げた。すると何人かの女のコたちが群がって、競うようにそのボールを奪い合った。 「人気あったの、これでわかったでしょ?」 壇を下りてからすれ違ったマイの弁。ボールを投げることを考え出したのはマイだった。 うん。 「『はい』でしょ?」 自分のいた席に混乱している後輩たちの間を潜り抜けて戻ると、ヨッシーが「ありがとうございましたの挨拶は政治家の選挙みたいだったぜ」だってさ。 そんなヨッシーは壇上でバック転をした。久々にアイドルっぽい表情を見た。後輩たちの歓声。圧倒的に女のコが多かった。 卒業証書授与の後は、校長先生と理事長先生の式辞。 理事長先生は「諸君、卒業おめでとう」で話を締め括る。そして「起立っ、礼」の直後。 大歓声で、三年生のみんなは卒業証書を入れた筒を宙に放り投げる! そして友達や後輩と抱き合ったり(中には好きな人同士とかもいるけど)、担任の先生を胴上げしたり、校長先生を胴上げなんて事もしたりする。 卒業式を終えて、一時間ほど経った頃。 ドーナツ組の八人は、約束したわけじゃないけれど、自然と校舎の屋上−夏の溜まり場−に卒業証書を入れた筒を持って、顔を揃えた。 屋上からは霞の向こうに都心の高層ビル群や臨海部の副都心ビル群が見渡せられる。 緩やかに流れた風は「春の薫りね」なんて、ミッキーは手摺に寄りかかって言ってたっけ。 とりあえず、みんなの進路が決まった。 ヨッシーは、地方の国立大学工学部。材料工学なんとかかんとかってムズカシイを言ってた。やっと両親の元から離れることができると喜んでいた。そういえば離婚調停の話題、最近TVでやらなくなったね。「そんな遠くに行くわけじゃないし、夏休みとかは必ず帰ってくるから、また一緒に遊ぼうな」 ハルは、いろんな大学、学部学科を受けたけど、結局第一希望の大学に。学部は法学部。「ゆくゆくは弁護士か検察官かぁ?」なんて言ってた。いろんな物事の仲裁役をいつもかって出てたから、適役だよね。 ひーちゃんは、大学の合格通知を破ってゲームクリエイターになるんだと、専門学校に進むことにした。「やっぱ、オレってベンキョー、好きじゃないし、でも、ゲームのことなら我慢できる」とか。 キミちゃんは、スポーツ推薦で有名私立大学に。ホントは断りたかったんだけど、〈学校の面子があるから〉と説得させられたらしい。「自分で行きたい方向に行けないんだ」なんて萎れていたけど、結構満足してるようだ。「しばらくサッカーできるし、大学が嫌になったら、プロになってやる」だって。 マッキーは、意外にも浪人。「せっかく合格しても、何をやろうかっていうのが見つからないから……、しばらく何がしたいのか考えてみる……、でも、みんなで受けに行った入試は決してムダじゃないって思ってるよ」今度は一人でやってみる、と笑顔でも力強く語った。「それに、弟といる時間をもう少し増やしたいしさ」 ミッキーは、推薦で受かった私立大学に。文学部国文学科。「将来、小説家になってみせるわ」なんて言ってたけど、ホントは教師を目指している。中学校あたりが希望だとか。「思春期直前の男のコって、かわいいよね」だってさ。……そうかなぁ……? マイは、都心近くの女子音大。世間では〈お嬢様大学〉って言われているところだけど「実はそうじゃない」らしい。「かわいい女のコが集まってるだけの大学よ」だってさ。「面接でかわいい女のコを選んでいるって言うのがまことしやかに語られてるんだもん、わたし、かわいい?」って言われてもねぇ。ともかく、ここで勉強して、ミッキーと同じように先生を目指すのだとか。でも、マイは小学校の先生。 で、ぼく。 ぼくは、都心にある中堅私立大学の文学部……、と言っても、文学とは無縁に思う感じる学科。直に〈心理学部〉となるらしいけど。そう、みんなには黙ってこっそり受けに行ったところだ。自己採点では少し危なく感じたけど、だけど無事に合格通知が送られてきた。「何か人のためになることを身に付けたくってさ、ぼくの場合はカウンセラーが将来の夢かな」 いろんな結果だけど、ともかくみんなの行く先が決まった。 これから新しい春がやってくる。 「あっと言う間だったよね、三年間って……」 「もう少し、長く掛かるかって思ってたけどね」 ホント、あっと言う間だった。 「だけど、いろんなことが変わったよね」 「……わたしたちも、何かしら変わったような気がする」 「街の風景も変わった」 「周りも変わった」 「三年前と変わってないように見える、だけど、はっきり言えないけれど、何かが変わってる」 「三年間って、そういうものなのかなぁ?」 「今度会う時は、ぼくたち、もっと変わってるかもな」 「変わり過ぎてて、誰だか分からなかったりして」 会う時は目印が必要だね。 「会う時は、必ずいつものドーナツ屋さんでドーナツを買ってくるなんていうのはどうかしら?」 「赤い薔薇を胸に、とか?」 「カッコいいんだか、カッコ悪いんだか……」 「会う時になってから考えましょ、そーゆーのは、まだみんな別れてないんだから」 「そだね」 卒業かぁ……。 「もうこの学校に来なくていいんだよね?」 「四月からも来たいか?」 「みんなと一緒だったら、いいかなぁ……」 「でも、卒業しちゃったんだよ」 「愛しのシュンくんは、まだ幼き高校二年生、ライバルは多し、心配だから置いていけないわよねぇ」 「いいもん、家、近くだし」 「えっ、そーなの?」 「春から、カレの家の近くにお引っ越しよ、ああ、夢のラブラブ生活……」 「なーにやってんだか……」 「で、家庭教師なんかかってでて、勉強を教えるふりをして、手取り足取りを教え合っちゃうとか?」 「センセイっ、とか言って?」 「……」 「何、顔を真っ赤にしてんのよ?」 「それとも図星なわけ?」 「実はもうそれをやったとか……?」 「ん、もう、いいじゃない……」 「わたしも、ラブラブしてみたかったなぁ……」 ……。 「いいのよ、気にしなくても、でも、ずっと友達でいようね」 うん。 「返事は『はい』でしょ?」 はい。 「春からみんなばらばらになっちゃうね」 「悲しい……?」 「悲しいような気もする」 「淋しいような気もするね」 「でも、みんなめでたく卒業よ、これからの出逢いに期待しようよ、ねっ?」 「会おうと思えば、これからでも会えるよ、ねっ」 「……さよならなんて、言わないでね」 「なーに泣いてんだよ」 「……ねぇ……、ヨウト……、わたしを抱いて……、私を慰めて」 なっ……。 「せめてそれぐらいの願い、叶えてあげたら」 うん……。 「……ありがと」 また会うことを約束して、ぼくたちは屋上を、教室を、そして三年間通い慣れた校舎を後にした。 校門をくぐる時、少しだけ涙が流れた。 あの時、みんなの気持ちはどうだったのだろう。みんな黙ったままだった。 三年間、ありがとう。 21 春四月。 今日は入学式。 ここの大学にはいろんな学部があって、新入生の数も多く、午前・午後と二回に分けて入学式を行うらしい。ぼくが入学する文学部心理学科は午後の部になっていたので、昼頃に大学に着くように出掛けた。 この日のために母さんがスーツを揃えてくれて、父さんが選び方を教えてくれた。紺色のスーツで、ネクタイは濃淡の青系のストライプ。革靴とベルトは同じ色で黒。財布などのアイテムも黒で揃えた。髪もさっぱりとカット。 玄関で退院したばかりのお姉ちゃんがぼくのスーツ姿を見て、「カッコいいよ」と一言。 お姉ちゃんの胸に抱かれたピザも、ご機嫌だった。 大学の構内は桜の花びらが柔らかい風に乗ってたくさん舞っていた。そして多くの歓声に包まれていた。歓声と言うよりかは「騒々しさ」のほうが適当かもしれないけど。 そして、サークル勧誘の荒さも見物だった。 見た目のいい女のコは、担がれるようにして連れていかれている。もしかしたら、勧誘と言うよりは「誘拐」とか「略取」のほうが正しいの様な気もして、おかしかった。 正門から入学式が行われる講堂までの間、ぼくもいろんな人から声を掛けられた。 「弓道に興味ありませんか?」 「テニス、やってみない? うちのサークルにはかわいいコもたくさんいるんだけどさ」 「いいねぇ、その独特の雰囲気、小説家の雰囲気があるよ、どうだ、小説を書いてみないか?」 「男は強くあるべきっ、どうだ、柔道で男を磨く気はないか?」 「えっとぉ……、天文部なんですけどぉ、少しでもいいからぁ、話を聞いてもらえますかぁ?」 「自衛隊海外派兵反対の署名をお願いします」 「お願いします、法学研究会です」 「旅行とか鉄道に興味ない?」 「乗馬してみませんか?」 「劇団の役者を求めてます、興味ありませんか?」 「バトミントン部です、今、カワイイ男のコのマネージャーを募集してます」 「マスコミ研究会に入らないか? ウチに入れば、就職活動が少しは楽になるんだけど」 「成田空港拡張工事反対の署名をお願いします」 ……、大学っていろんなことやってるんだね……。 午後三時過ぎに入学式を終えて中央講堂を出ると、また「センパイたち」に囲まれる。 センパイたちは、何としても新入生たちにリーフレットをつかませようとする。中には強引にそれを手に握らせてくる人もいて、結構荒々しい。当然、連れ去られていくコも何人かいた。 なんとかして、その人混みから抜け出ようとする。 ……ふうっ。 ぼくは、騒がしいところから逃れて、隣の緑地公園に行った。 そこはキャンパスに隣接しているにも関わらず、とても静かだった。 公園の中央に噴水のある広場があって、噴水では華麗に水が舞っている。風で飛び散ってくる水滴は、まだ冷たいながらも、心地よかった。 広場の周りは桜色の森で、少しでも風が吹くとまるで雪のように、花びらが舞う。芝生には小さな花たちが咲き、蝶は舞う。 日向のベンチの上では猫が気持ちよさそうに寝ていた。 ぼくはその隣のベンチに腰掛けた。 猫が何事かと目を覚まして、ぼくをチラリと見たものの、大欠伸をしてまた眠った。呑気なものだ。 しばらく、呆っとして辺りを見回す。 噴水の周りでは、子供たちが捲くお菓子を目掛けて鳩があちこちから集まってくる。せっかちな鳩は、子供の手の平から直接餌を奪い取っていく。 逆にそんな鳩を捕まえようとする子もいる。無理だと分かっていても、もうちょっとで捕まえられそうだというところでは、ぼくまでも緊張してしまう。 遊歩道には大きな犬を散歩させている老夫婦。まるで犬に散歩させられているかのように見える子供。インラインスケートで走り回っている人。芝生の上でフリスビーを飛ばして、しっかりと口で受けとめる見事な犬。 都心近くとは思えないほどの長閑な光景が拡がっている。 こんな風景はいつ見ても飽きないし、時間を忘れさせてくれる。実際、ぼくは忘れていた。ホントに呆っとしていた。 気付けば、陽は西に傾き、空は黄昏色、風が少し冷たくなってきた。気の早い街灯がチカチカと点いた。 小さな子供たちは母親と一緒に家へと帰り始めた。 駆け回っていた子供たちは、自転車に乗り、やはり家に帰り始める。すれ違った小さな自転車に乗った子は塾に行く途中だろう。ぼくも帰る時間だ。 帰ろうとしてたベンチから立ち上がろうとした時、ふと、噴水の方を見た。 その噴水の向こうに、女のコが一人立っていた。 肩の上まで伸びた髪と胸のリボン、そして少し短めのスカートの裾を風になびかせ、ぼくを見ていた。顔は薄暗くて見えない。 突然、噴水の中にあったライトが灯った。その光で彼女の顔が明るく照らされた。その彼女の顔……。 彼女は首をちょっと傾げて微笑んだ。 ぼくは思わず立ち上がった。 ……。 ぼくは君に向かって駆け出した。 君も走り寄ってくる。 君はぼくに向かって飛び込んできた。ぼくは君を抱き止めた。 カナだ、カナだよね。 「ヨウトくん、ヨウトくんだ」 夢ではないことを確認するかのように、君とぼくは抱き締めあった。 見慣れた君の細やかな仕種、聞き慣れた君の涼しい声、抱き慣れた柔らかい君の細い身体、甘い香りのする君の艶やかな髪。すぐに潤む君の瞳。久しぶりの、本当に久しぶりの、そして「現実」では初めての、カナ。 ぼくは、君に、カナに逢いたかった。 「あたしも、あなたに、ヨウトくんに逢いたかった」 ……夢じゃないよね? 「夢じゃない、ホントよ、そして、ホントのあたし」 少し背伸びをした君からのキス。 ぼくはカナを固く抱く締めた。 その時、噴水はカナとぼくの再会を祝するかのように、その水を夕暮れ色の空に向かって、高く、高く、吹き上げた。 帰り。駅までカナと一緒に向かう。 どうしてカナがあそこに? 「今日から大学生なの、あの公園の隣の」 じゃあ、ぼくと一緒だ。学部はどこ? 「文学部」 ひょっとして、心理学科とか? 「あたり、もしかしてヨウトくんもなの?」 うん。……でも、なんかさ、不思議な気分だよね、ここで出逢えるなんて。 「あたしも驚いちゃった、それにこれからも一緒でしょ? なんだかうれしくなっちゃう」 偶然じゃなく、奇跡だよね。 「ともかく、春から一緒、これからもよろしくね、ヨウトくん」 これで、カナとぼくの話はおしまい。 読んでくれたみんなにも、素敵な夢と、素敵な出逢いが訪れますように。 おやすみなさい。 了 |