金融危機が起きる数年前、私は「ブラックスワン」という考え方を提案した。予期せぬ、そしてかなり重大な影響をもたらす大きな出来事のことである。事前には予想できないが、起こったときにはわれわれの生きる世界を大きく変えてしまうのがブラックスワンだ。たとえば、第1次世界大戦、9.11同時多発テロ、インターネットの普及、グーグルの台頭などである。
経済活動やより一般的な歴史において、重大なもののほとんどはブラックスワンから来ている。よくある出来事は長期的に微々たる影響しか及ぼさない。それでも、何らかの心理的なバイアスが働き、人々はそのような出来事が起きる可能性を多少は考慮していたと振り返って考える。だからこそ、自信を持って予測し続けられるのだ。しかし、われわれの予測やリスク測定のツールでは、ブラックスワンを捕えることなど到底できない。実際、われわれはこうしたツールを信頼しているせいで、危険で、未知なリスクを取り続ける可能性が高いのだ。
私が望んでいるのはブラックスワンを予測するより優れた方法をわれわれが開発することだと勘違いしている人もいた。お手上げだと言ってあきらめるべきなのかと聞く人もいた。潜在的な破滅のリスクが測定できないのなら、われわれはどうすればいいのか。その答えは単純だ。ブラックスワンに遭遇したときに崩壊しない、あるいはそうした不測の出来事から進化すらし得るような制度を作ろうとすべきなのである。
脆弱性とはボラティリティに弱い物の特質である。たとえばデスクの上のコーヒーカップで考えてみよう。偶発的な出来事が起きると、利益よりも害の方が大きいので、コーヒーカップは平穏無事を望んでいる。したがって脆弱の反対は頑丈、作りがしっかりしている、回復力があるといった単純に壊れにくい特質を示す言葉ではないのである。
ブラックスワンに対処する上でわれわれに必要なのは、ボラティリティ、可変性、ストレス、混乱などから学んで進歩できるという特質である。私はこのきわめて重要な特質を(我ながら優美さに欠けると思うが)「抗脆弱性」と名付けた。既存の表現で抗脆弱性にコンセプトがかすかに近いのは、デリバティブトレーダーが市場のボラティリティから利益を上げる金融商品に対して使う「ロングガンマ」だけである。重要なのは、脆弱性も抗脆弱性も測定が可能だということだ。
実際問題として、抗脆弱性の重視は、混乱に直面したとき、民間および公共セクターは成長、改善し得るべきだということを意味している。抗脆弱性のメカニズムを把握することで、われわれは次の大きな出来事を予想できるという幻想を抱くことなく、より的確な判断をすることができる。われわれは、未知が支配し、理解が限られている状況にもうまく対処できるようになるのだ。
われわれの経済活動の原則として抗脆弱性を確立するのに役立つ5つのルールを以下に挙げる。
ルール1:経済を洗濯機よりは猫に近いものと考えよ。
われわれは、世界は精緻な機械のように機能している、典型的な工学的問題のように理解できる、勤勉な人々によって運営されているというポスト啓蒙主義的な考え方の犠牲者である。言い換えれば、世界は人間のからだよりも家電に近いということになる。そうだとしたら、われわれの制度には自己回復特性がなく、安全性を守るには誰かによって微細に管理運営される必要がある。自分たちだけでは生きていけない制度なのだから。
それとは対照的に、自然界の有機的なシステムは抗脆弱性がある。成長するために多少の混乱が必要なのだ。からだの骨から応力を奪えば、骨は脆くなってしまう。このように、生きている、あるいは複雑な組織から抗脆弱性を奪うことは、近代にわれわれが犯した最も手痛い過ちである。自然な変動の抑圧は本当の問題を見えにくくし、爆発を遅らせると同時により激しいものにする。森林火災が起きてない状態で、森林の地面に可燃性のものが堆積していくように、問題はストレス要因がない状態に隠れている。しかしその蓄積により、被害は悲惨なほど拡大し得るのである。
それにもかかわらず、経済政策立案者たちは最大限の安定性はおろか、景気循環の根絶さえ目指すこともある。英国の元労働党党首ゴードン・ブラウン氏は「極端な好景気か、不景気かの2択はもうたくさんだ」と主張したが、米連邦準備理事会(FRB)のアラン・グリーンスパン前議長も景気を安定させるためにブラウン氏と同じ政策を推し進め、微細に管理することで現在の混乱へと導いた。グリーンスパン氏は金融システムに増刷した紙幣を注入することで、景気変動の幅を小さくしようとし続け、最終的にはこれが膨大な隠れレバレッジと不動産バブルにつながった。この分野では今、米国ではなく英国で、かすかな希望の光が見えている。イングランド銀行(英中央銀行、BOE)のマービン・キング総裁は、中央銀行の介入に関して、経済が本当に病んでいるときに限るべきで、そうでないときは処置を遅らせるべきだという考えを支持している。
抗脆弱性を推進しているが、政府機関はすべての介入をやめるべきだとは言っていない。それどころか、過剰な介入の重大な問題は、そのために資金が枯渇し、自然災害といったより緊急な状況での介入ができなくなることが多いという点にある。したがって複雑なシステムにおいては、政府や他の機関の介入を重要な場合に限定すべきである。国は子守のような付きっきりの管理や患者への過剰な薬剤投与を避け、緊急治療室での手術だけにあたるべきで、これについては技術の向上も望まれる。
社会政策でセーフティネットを提供するとき、それは人々が起業家リスクをもっと取るように考案されるべきで、人々を扶養家族に変えるべきではない。恵まれない人々に対して無関心であるべきだと言っているのではない。長期的に見て、人々を救済することの社会制度への害は、企業を救済することに比べれば大きくない。それが引き起こすモラルハザードを考慮すると、われわれは今こそ、将来に企業の救済を余儀なくされる可能性を最小限に抑える政策を立案すべきである。
ルール2:過ちがシステムにまで浸み出す企業ではなく、過ちから学んで成長する企業を優遇する。
企業や政治制度のなかには、ストレスに対して他よりも優れた反応を示すものがある。航空業界は墜落事故が起きる度に、空の旅がより安全になるようにできている。ある悲劇が徹底した調査と問題が起きた原因の排除につながるのだ。レストラン業界も同様で、われわれの次の食事の質は業界の失敗率にかかっている――ある店が潰れる原因は他店をより強くしているのである。レストラン業界の高い失敗率がなければ、われわれは次の外食で旧ソビエトの社員食堂で出ていたような料理を食べていたことだろう。
こうした業界には抗脆弱性がある。集団的企業がその構成要素である個別企業の脆弱性から恩恵を受けるので、無駄な失敗などない。自然界には、1つの過ちごとに進化的圧力の恩恵を被るという見事な仕組みが備わっているが、こうした企業にもそれに似た特質があるのだ。
それとは対照的に、銀行の破綻は1つ1つが金融システムを弱めていく。その結果、現在の銀行業界は救い難いほど脆弱な状態にある。過ちは大きくなり、システムへの脅威にもなっている。個別銀行の破綻を制度的なリスクにしないような金融システム改革を行えば、こうようなドミノ効果は排除できる。その手始めとしては、経済活動における負債とレバレッジの分量を減らし、エクイティファイナンスを増やすのがいいだろう。高レバレッジ(負債比率が大きい)企業には過ちを犯す余地がない。将来の売上高やブラックスワンを予測することに非常に長けていなければならない。あるレバレッジ企業が債務不履行に陥ると、債務を更新する必要がある他の企業にも間接的な被害が及ぶ。不履行に懲りた貸手が信用枠の拡大を渋るようになるからだ。このように債務には、過ちをシステムに浸透させる傾向がある。
一方、新株発行によって自己資本を調達する企業は、収益の落ち込みにも耐えられる。2000年に起きたハイテクバブルの急激な収縮を思い出してほしい。ハイテク企業は債務ではなく、エクイティファイナンスに頼っていたので、その失敗がより広範な経済に波及することはなかった。それどころか、その失敗はハイテクセクターの強化につながったのだ。
ルール3:小さいことは美しいが、効率的でもある。
企業や政府の専門家たちはいつもスケールメリットについて話している。プロジェクトや制度の規模を大きくすれば、コストの節約になるというのだ。だが大きすぎても効率的ではなくなってしまう。大きさは明らかなメリットを生むが、そこには隠れたリスクもある。大きな損失を出す可能性は高まるのだ。1億ドルの予算のプロジェクトは理にかなっているようにも思えるが、1000万ドルのプロジェクトよりも超過率がずっと大きくなる傾向がある。規模の大きさは一定のレベルを超えると脆弱性を生み、規模の経済からくる優位性を根こそぎにしてしまう。大きなものがいかに脆弱になり得るかを理解するには、象とネズミの違いを考えてみるといい。象はちょっと転んだだけで足の骨を折ってしまうが、ネズミは自らの体長の数倍の高さから飛び降りてもなんともない。象よりもネズミの数の方がずっと多いのもそのためである。
したがってわれわれは、決定権やプロジェクトをできるだけ多くのユニットに分散させる必要がある。これにより過ちの原因の幅も広がり、システムを強化することにもつながる。実際、私は政府の地方分権化は公共赤字に削減にも一役買うだろうと主張している。こうした赤字の大部分はプロジェクトのコストの過小評価に起因している。そしてこうした過小評価の度合いは、大規模なトップダウン型の政府でよりひどくなっている。州政府ごとの意思決定に基づいたボトムアップ型のスイス政府の成功と、旧ソビエト、バースト党政権下のイラク、シリアなどの独裁体制の失敗を比較するとわかりやすい。
ルール4:試行錯誤は学問的知識に勝る。
抗脆弱性があるものは、無作為性、不確実性があるものを好む。これはそうしたものが失敗から学べるということも意味している。昔から試行錯誤しながらいじくり回すことは、西洋の発明や革新においては指導された科学よりも大きな役割を果たしてきた。実際、理論科学の進歩は起業家精神と深く結び付いた技術的な開発から生じることが最も多い。好例として、コンピューター業界の有名な大学中退者が何人か浮かぶと思う。
しかし、どんな試行錯誤でもいいというわけではない。抗脆弱性を達成するには、重要な必要条件がある。失敗の潜在的コストは小さいままで潜在利益を大きくすべきなのだ。混乱や不確実性から恩恵を受けるためのいじくり回しを可能にしているのはこうしたメリットとデメリットの不釣り合いなのだ。
おそらくはマンハッタン計画(原爆製造計画)や宇宙計画の成功のせいで、われわれは技術的な進歩における研究者や学者の影響や重要性を大いに過大評価している。こうした人々が目立つのは本や論文を書くからで、実際にいじくり回している人やエンジニアが注目されることは少ない。産業革命時代の英国の歴史的な躍進も、われわれに製鉄、蒸気エンジン、織物業といった革新を与えてくれた名もなき作業員あってのものだ。英国科学の黄金時代の偉人たち、チャールズ・ダーウィン、ヘンリー・カベンディッシュ、ウィリアム・パーソンズ、トーマス・ベイズらは学者というよりも趣味愛好家だった。英国はその後、官僚主導型の科学に切り替え、この分野では衰退してしまった。
米国は、サイバネティクス(人工頭脳工学)からデリバティブの価格設定の公式に至るあらゆる分野の開発で英国の初期モデルを模倣した。こうしたものは現実からのフィードバックに耳を傾け続けた試行錯誤モードの熟練工たちによって開発された。抗脆弱性を推進する上で、ある文化が支持する正式教育の分量といじくり回しながら試行錯誤した回数は反比例関係にあるということを認識しておかねばなるまい。革新に学科講習はいらない。それは鳥に飛び方を教えるようなものだからである。
ルール5:意思決定者は自らもリスクを負わなければならない。
人類の歴史において、現在ほど人々が個人的なリスクを負わずに権力のある地位に就いていた時代はない。しかし、資本主義におけるインセンティブの考え方はそれと同等のディスインセンティブを要求する。ビジネスの世界での解決策は単純である。失敗を犯した企業のマネジャーはすでに受け取っているボーナスを返納し、リスクを隠ぺいしようとした者には追加の罰金を科すべきだ。これについては前例として先人たちの素晴らしい慣習ある。ローマ人たちは橋の建設が終了すると、橋梁技術者をその下で寝かせたという。
今日のわれわれのシステムはあまりにも複雑なので、基本的な明確さに欠けている。まれな出来事へのエクスポージャーを隠すことができ、その影響で被害が及ぶことがないエンジニアよりも、その企業の隠されたリスクのことをよく知る規制当局者などいない。このルールが守られていたならば、あの金融危機は起こらずに済んだかもしれない。起こる確率が低い出来事にエクスポージャーされたもので自行のバランスシートを埋め尽くし、平穏だった年にボーナスを回収し、損失のつけを納税者に回しながらも自分の報酬はしっかり保持した銀行幹部もいた。
抗脆弱性を適切に評価することで導き出せるかもしれないより明確な政策決定の一部を以上の5つのルールで概略した。だが、抗脆弱性の重要性はもっと深いところにある。社会経済問題の便利な発見的解決法であるばかりか、人生一般において非常に重要なことである。抗脆弱性を持つものは難局を迎えても成長や改善しかしない。こうした原動力は経済活動だけではなく、料理、都市化、法制度、われわれのこの惑星の種としての存在などすべてのことの進化で目にすることができる。
健康のためには運動というストレス要因が必要だということは誰もが知っているが、人々はこうした洞察をからだと精神の他の健康領域に持ち込もうとしない。たまに、そして断続的に空腹感を感じること、短期的にタンパク質の欠乏や身体的に不快な状態を経験すること、過剰な寒さや暑さへのエクスポージャーなどもからだに良いという。新聞には心的外傷後ストレス障害(PTSD)の記事がよく掲載されているが、心的外傷後の成長については誰も説明していないようだ。快適な靴で平らな地面を歩いていると、足と背中の筋肉組織を傷めてしまう。われわれには地形の変化が必要なのだ。
現代は心地よさとうわべだけの安定性に取りつかれている。しかし、自分たちを心地よくし過ぎ、生活からすべてのボラティリティを取り除くと、われわれはグリーンスパン氏が米国経済にしたのと同じことを自分のからだや魂にすることになる。脆弱にしてしまうのだ。われわれは混乱からも何か得なければならないのである。
(ナシーム・ニコラス・タレブ氏はニューヨーク大学工科大学院のリスクエンジニアリングの教授で、元デリバティブトレーダー。著書にはランダムハウスから出版されている『Antifragile: Things That Gain From Disorder』などがある。本稿は同書の内容に基づいている)