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最後の衆院本会議に臨む羽田孜元首相=16日午後3時41分 |
16日の衆院解散を受け、連続14期当選で県内初の首相を経験した羽田孜氏(77)=長野3区=が、政界を引退した。体調不良のため最近は本会議も欠席がちだったが、議員最後の本会議は出席。言葉が不自由になっているため、事務所を通じてあいさつ文を発表し、「自民党の政治に終止符を打ったのは、今でも歴史の必然、私に課せられた天命だった」と振り返った。
中選挙区時代の1969(昭和44)年12月、父の武嗣郎氏(元衆院議員)の後を受けて旧長野2区から出馬し初当選。自民党議員として農相、蔵相などを歴任した。
93年6月、小沢一郎氏(現・国民の生活が第一代表)らと自民党を離党。新生党を結成、党首として「非自民連立政権」の原動力になった。94年4月に首相に就任したが少数与党の運営を余儀なくされ、同6月に内閣総辞職。98年、民主党に合流。2009年の政権交代は、あいさつ文で「私なりに満足のいく、改革の成果」と誇った。
一方、激しい党内対立の末、小沢氏らが離党。党の現状について「民主党政権への批判は、本来、私自ら半世紀分の責任をかけて応えなければならない。ただ、もう年を取りすぎた」と胸中を吐露した。若手の政治家には「同じ悩みをさらに懸命に、思慮深く、受け継いでくださることを確信している」とした。
「いっちゃん」「つとむっちゃん」と呼び合った小沢氏は信濃毎日新聞の取材に対し「議会制民主主義を確立させるべく、長年共に歩んだ同志。勇退は誠に残念だ。政治の第一線を退かれても、引き続きこの国の将来のため、親しく指導していただきたい」とのコメントを寄せた。