記者の目:消え行く映画フィルム=勝田友巳(東京学芸部)
毎日新聞 2012年11月22日 01時19分
◇作り手が選べる環境残したい
映画=フィルムという時代が終わろうとしている。映画界のデジタル化がすさまじい勢いで進んでいるのだ。国内で唯一、映画フィルムを製造していた富士フイルムも、保存用以外の生産中止を決めた。映画館のフィルム映写機がなくなりつつあり、撮影現場でもすでに主流はデジタルカメラだ。来春に富士の在庫がなくなれば、以後は国産フィルムでの映画撮影は不可能になる。デジタルは映画の領域を広げているが、“生みの親”のフィルムを、急いで手放すこともないのではないか。
◇経済性と簡便さデジタル優位に
フランスのリュミエール兄弟が、「工場の出口」「列車の到着」などを上映したのは1895年。「映画」の始まりだ。以来、1920年代に音が付き、30年代後半にはカラー化されたが、薄い膜に塗った銀粒子を光と反応させる、というフィルムの原理や、幅35ミリという規格も不変。映画すなわちフィルムという地位は100年以上揺るぎもしなかった。
デジタル化が始まったのは、ほんの10年前。嚆矢(こうし)となったのは、全編をデジタルカメラで撮影し、2002年に公開された「スター・ウォーズ エピソード2」だ。しかし、一般的にはデジタル機器は低性能で高価格、当時はまだまだ「映画はフィルム」。この頃、日本映画のヒット作が相次いで、製作・公開本数が増え、需要の大半を占める上映用フィルムの売り上げは2007年にピークを迎えている。
だが、デジタル機器は日進月歩で進化する。09年の3D映画「アバター」公開が契機となり、デジタル化は一気に進み、需要が激減。現在はピーク時の3割程度という。
デジタル技術の恩恵は疑う余地がない。撮影用の35ミリフィルムは、1巻1000フィートで数万円。約10分しか撮影できない。現像に時間もお金もかかる。デジタルなら現像は不要、撮影後に色を変えるのも余分なものを消すのも簡単。経済性と簡便さは映画製作の間口を大きく広げた。優れた加工性は想像力の足かせを取り払い、あらゆる映像を可能にした。映画館に配る大量のフィルムのプリント代を節約できる大手配給元が、デジタル化の旗を振った。
しかし、万能ではない。何より画質がフィルムにかなわない。川上皓市カメラマンは「たとえば前景の人物と、遠景にある山との間の空気感。すべてをシャープに映してしまうデジタルでは表現できない」と語る。富士の技術者は「フィルムで撮影した映像には粒状感、濁りがある。すべてを数値化するデジタル技術は、“先生”としてきたフィルムに追いついていない」と明かす。