歴史資料の部 |
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一,坂本龍馬関係資料
(さかもとりょうまかんけいしりょう) 一,書状,記録類 一,遺品類 |
六巻 四点 |
国(京都国立博物館保管) |
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幕末・維新の激動期において,統一国家実現に向けた指導者の一人として著名な坂本龍馬(天保(てんぽう)六年(一八三五)〜慶応(けいおう)三年(一八六七))の書状・記録類及び遺品類である。書状・記録類には龍馬自筆にかかる幕末政情の実状や妻お龍(りゅう)との出会い等を綴った書状や,また日本で最初の海運会社として知られる海援隊(かいえんたい)に関する基礎資料が含まれる。遺品類はいづれも龍馬に関係する遺品類である。このようにまとまった龍馬関係資料は他になく,本件は坂本家と暗殺現場となった近江屋の子孫から寄贈されたという伝来経緯を有することも特記される。 |
(江戸時代)
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二,天体望遠鏡(八インチ屈折赤道儀)
(てんたいぼうえんきょう) |
一台 |
国(国立科学博物館保管) |
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英国製 |
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(法量)全高 三五七・八cm 鏡筒長 二七五・九cm 鏡筒径 二五・〇cm(最大部) 脚部高 二〇五・四cm |
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本機は,当時英国の代表的メーカーであったトロートン&シムズ社の製品で,編暦業務を行っていた内務省地理局の観象台(かんしょうだい)に置かれたが,明治二十一年(一八八八)に天体観測と編暦事業が文部省の所管として統合され,地理局と海軍観象台を併せて帝国大学理科大学所属の東京天文台が設立されたときにその所管となった。その後,同天文台が三鷹市に移転したときにそこに移され,昭和四十二年(一九六七)に国立科学博物館に寄贈された。本機は我が国に輸入された最初の本格的かつ最大の望遠鏡で,近代日本天文学の発展に寄与すると共に,先駆者たちが観測に用いた記念碑的存在である。 |
(十九世紀)
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野呂元丈抄訳 |
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三,阿蘭陀本草和解
(おらんだほんぞうわげ) |
二冊 |
国(国立公文書館保管) |
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本件は,江戸時代の医師・本草家であった野呂元丈(のろげんじょう)(元禄(げんろく)六年(一六九三)〜宝暦(ほうれき)十一年(一七六一))が,八代将軍徳川吉宗の命をうけて,寛保(かんぽ)元年(一七四一)から寛延(かんえん)三年(一七五〇)までの期間に九回,毎年江戸参府のオランダ貢使随行医師等から情報を得ながら,幕府紅葉山文庫(もみじやまぶんこ)所蔵の蘭文原書であるヨンストンの『動物図説』,ドドネウスの『草木誌(そうもくし)』の記事について抄訳したものである。本件は,オランダ書解読の道を開き,その後の蘭学研究の先鞭となった点で歴史的意義が大きい。 |
(江戸時代)
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四,リング精紡機
(りんぐせいぼうき) |
一台 |
愛知県犬山市内山一番地
財団法人 明治村 |
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一八九三年,英国製 |
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(法量)最大高 二一六・五cm 最大幅 一三八五・〇cm 奥行 一〇〇・〇cm |
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本機は,明治十五年(一八八二)に創業した三重紡績所に輸入された当時最新式の精紡機である。また,本機銘板およびメーカーのプラット兄弟社に残された「機械受注及び出荷簿」(Machine orders and deliverry books,1882〜1894)によって,一八九三年四月に日本に向けて輸出されたことが判明する。明治・大正・昭和の三代にわたり稼働した実績を持ち近代日本産業史上に貴重である。なお,三重紡績所は渋沢栄(しぶさわえいいち)一の協力を得て,大紡績会社へと成長し,大正三年(一九一四)同じく渋沢傘下の大阪紡績と合併し,東洋紡績となった。 |
(十九世紀)
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五,銀板写真(島津斉彬像)
(ぎんぱんしゃしん(しまづなりあきらぞう)) |
一枚 |
鹿児島県鹿児島市城西一ー三ー一五
株式会社 島津興業 |
(法量)縦 一一・〇cm 横 八・〇cm |
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銀板写真はフランス人ダゲールが一八三九年に発表した最も古い写真術で,繊細な画像が得られるが焼き増しができない写真である。そのため一八五〇年代にはガラス版を使用した湿板写真にとって代わられた短命な技法であった。本件は,安政四年(一八五七)に鶴丸城内で薩摩藩主・島津斉彬を撮影した銀板写真で,日本人の手による現存最古のものであり,伝来が明らかなことも特記される。この時の撮影の様子は,撮影者でもある市来(いちき)四郎が著した『斉彬公御言行録(なりあきらこうごげんこうろく)』等の文献に記されている。我が国の写真史研究上に極めて貴重なものである。 |
(江戸時代)
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琉球国中山王尚真宛 |
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六,明孝宗勅諭
(みんこうそうちょくゆ) |
一巻 |
沖縄県(沖縄県立博物館保管) |
(法量)縦 四七・一cm 横 一七八・八cm |
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中国明朝の皇帝孝宗(こうそう)から琉球国王第二尚氏三代尚真(しょうしん)王に宛てた勅諭である。内容は冒頭に勅諭,次いで錦(にしき)や紗(しゃ)・羅(ら)の礼物を賜う目録を記す。料紙には瑞雲(ずいうん)に五爪の龍を金泥にて配し,成化(せいか)二十三年(一四八七)十二月二十五日の日付と「広運之宝(こううんのほう)」の朱方印(しゅほういん)が捺されている。琉球国王宛のものとしては現存唯一の勅諭として,琉球・中国の交流史研究上に重要である。 |
(江戸時代)
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