福 島 人 権 宣 言


 私たちは今、大いなる不安の中で日々生活しています。うつくしま、福島。私たちの故郷がカタカナでフクシマと呼ばれたり、放射能問題にこれほど頭を悩ますとは全く考えたこともありませんでした。

 原発事故直後、私たちは老若男女を問わず、放射線を浴びました。その後も、線量の違いはあれ、外部被ばく・内部被ばくを続けています。原発から放出された眼に見えない放射線が、電離作用によって身体細胞の遺伝子を切断しています。一時は住み続けるかどうか家族で話し合わなければならないほどの大きな衝撃を受けました。今も子どもを外遊びさせるかどうかなど、日々困難な選択を迫られています。何も気にせずに深呼吸することさえできなくなりました。これらの事実により、私たちは精神的にも大きく傷ついています。

 このような放射線の健康リスクと隣り合わせの環境で、日常生活を送っている人が大勢います。しかし決して健康に無関心というわけではありません。簡易な放射線検査機を購入して測定をしながら、外部被ばく・内部被ばくをどうやって避けて生活したらよいか毎日悩んでいます。特に、感受性の高い子どもたちの被ばくを避けるためにどうしたらよいかは切実な問題で、将来に不安を感じています。

 住み慣れた場所から避難している人も多くいます。それが強制であれ、任意であれ、それまでの日常生活を捨てて生きていかねばなりません。経済的な負担はもちろんのこと、家族や地域と離ればなれになることによって精神的な苦痛を感じています。

 福島に住み続ける人も、去った人も、みな故郷を愛する気持ちは同じです。にもかかわらず、福島に留まる人、避難している人、避難しようとしている人との間に心の隙間が広がっているという悲しい現実があります。

 原発事故により私たちは多くのものを失いました。しかし、もうこれ以上失いたくありません。

一、 私たちには、憲法で保障された幸福追求権があります。

一、 避難する、しないを自分で選択する自己決定権があります。

一、 放射線被害について、私たちが納得いくまで情報を得る、知る権利があります。

一、 差別のない、自由かつ平等な社会を求める権利があります。

一、 健康な身体を持ち、福島の自然を愛し、楽しむ生活を送る権利があります。

一、 財産が放射能汚染により侵害された場合には完全な補償を求める権利があります。

一、 私たちが愛した元の福島を返してほしい。そう主張する権利があります。

   何も考えずに水が飲みたい。おいしい米、野菜、果物、魚、肉、これらを何の不安もなく食べるこ とのできる、元の福島に戻してほしい。

    放射能のことなど考えないで、子どもの笑顔を見守り、家族や近所の人たちが笑顔を交わして仲良くできる、昔の福島に戻してください。

一、 元の福島に戻すことが無理ならば、私たちが納得のいくまで、その償いを求める権利があります。

 私たちは立ち上がることをここに宣言します。本当の笑顔と人権を取り戻すため。


                            2012(平成24)年10月20日

福島県 福島市 

 深田和秀 大貫友夫 大貫節子 小池光一 小池順子 石田葉月 立川幸恵 阿部泰宏 

 斉藤あゆみ 松本和彦 石川嘉寿子 村越弥生 佐藤弘子 降矢美彌子 大峰千枝 平井ふみ子 

 菊地眞佐子 馬場幸男 渡辺ヒロ子 後藤倫子 野地祐子 手塚宣幸 手塚優子 小川登美子 

 佐藤真紀子 古関洋子 高和文子 服部千枝 室井美江子 佐藤友三 佐藤慶子 田中エイ 

 高橋和子 佐藤雅彦 宍戸えみこ 和田幸雄 鈴木シズ子 中村素子 荒木田岳 小林忠 

 早川えつこ 荘司信行 深瀬ノブ子 畑中洋子 長沢純子 渡邉實 菅野幸三 小幡利貞 小幡玲子

 植木律子 佐久間章子 佐藤早苗 塩谷弘康

伊達郡  太田香織 太田櫻子 太田光男

二本松市  野地亮 野地幸子 野地栄 田口知江 

郡山市  篠田洸 成田恵子 広野晶生 黒澤トク子

伊達市  芳賀信子 齋藤和音 渡辺育子 遠山光博

相馬市  鞠古綾 

須賀川市  鍋本寛治

浪江町  遠山光博


宮城県  小幡重人 森田明彦 青柳純一 佐藤美樹子

山形県  穂積明日香

新潟県  佐藤直輔 中島彩子

茨城県  阿部章 荒川照明 徐信 伊藤哲司

栃木県  半田守孝

埼玉県  黒田歩夢 斉藤美智子

千葉県  下正宗 柴田浩司 室敦子

東京都  

 小川桂子 小出朋子 倉科光子 堀潤 飯野真澄 須永祐慈 大河内泰樹 野村昌毅 松本典丈

 矢野和葉 東英明 齋藤いずみ 竹内昌義 小泉美枝 平本剛 梅内林太郎 山崎芳 星野亜珠香

 小嶋正明 倉田和子 上野佳子 松山景二 阿部裕行(多摩市市長)

神奈川県 

 平野太朗 望月亮秀 服部照男 矢島尚子 大金亨 村雲司 郡司真弓 東晴彦 黒澤利幸 大森裕子

群馬県  北村直人

静岡県  林邦之 畦地まり子 相曽茂 東山浩子 坂本廣幸

愛知県  三浦悦夫

岐阜県  小森真人 林美香 箕浦ひろみ 佐藤瑛気

富山県  林衛

滋賀県  片岡英子

京都府

 吉岡諒 根津耕昌 北嶋佳津江 松本恵里 桑原和則 細川弘明 茨木千尋 田中啓一 岸香織

大阪府  

 三田村英宗 三田村浩子 三島照雄 櫻井紀子 福田真由美 園部智加 松本憲子 西村貴裕 千田靖子

兵庫県  坂口照子 日比野純一 久下譲二 小宮勇介 小川幸四郎 水野浩重

和歌山県  西澤正美 臼井達也 にしでいづみ 福田浩子 三浦ひろの

島根県  入井真一

山口県  古和田扶美

香川県  松浦まき 堺谷みゆき 秋山晃子 松見千奈美

福岡県  高柳英子 池田康幸 池田聖子 豊島耕一 山浦芳光 田中美江 大森好美

熊本県  野村哲也   

ドイツ在住  辻美幸 永島久代



       福島県内の各市町村居住者及び元居住者による賛同者募集中。

                                      福島県外の賛同者も募集中!

       2012年11月13日、賛同者が150名を超えました。

   上記賛同者には数多くの大学教授・准教授の方々が含まれております。

        東京都多摩市市長からもご賛同いただきました!





福島人権宣言

 


福島人権宣言にご賛同いただける方は、メニューの賛同メールをクリックして賛同メールフォームに記入の上、ファクシミリまたはメールでご連絡ください。

               福島人権宣言の改訂経過


 福島人権宣言は、福島の皆さんのご意見や体験を伺いながら、適宜、改訂しています。以下に改訂経過の主要なものを示します。


2012年11月17日、同20日改訂

   「一時は住み続けるかどうか家族で話し合わなければならないほどの大きな衝撃を受けました。」を挿入。「子どもを外遊びさせるかどうかなど」を今も子どもを外遊びさせるかどうかなど」に変更。「子どもたちの被ばくを避けるためにどうしたらよいかは切実な問題です。」を「子どもたちの被ばくを避けるためにどうしたらよいかは切実な問題で、将来に不安を感じています。」に変更。「かつては希望と期待を持って福島で生活していました。」を削除。「子どもの笑顔を見守りながら」を「 放射能のことなど考えないで、子どもの笑顔を見守り、」に変更。

2012年8月18日改訂

   「身体の細胞分子を日々切断」を「身体細胞の遺伝子を切断」に変更。外部被ばくを避けて子供たちが思い切り遊べる室内施設が不足しています。内部被ばくや食品の放射性物質を検査するための機械も足りていません。」を削除。「放射能被害」を「放射線被害」に変更。

2012年7月16日改訂

   「福島に残る人も」を「福島に住み続ける人も」に変更。

2012年6月8日改訂 

  「放射能問題に頭を悩ます」を「放射能問題に頭をこれほど悩ます」に変更。「昔の福島に戻してほしい。」を「元の福島に戻してほしい。」に変更。「元の福島に戻 してください。」を「昔の福島に戻してください。」に変更。

2012年5月27日改訂 

   「簡易な放射線検査機を購入して測定をしてため息をつきながら、外部被ばく・内部被ばくをどうやって避けて生活したらよいか毎日悩んでいます。」を「 簡易な放射線検査機を購入して測定をしながら、外部被ばく・内部被ばくをどうやって避けて生活したらよいか毎日悩んでいます。」に変更。「 特に、放射性物質に対し感受性の高い子どもたちの被ばくを避けるためにどうしたらよいかは悩ましい問題です。それにしても」を「 特に、感受性の高い子どもたちの被ばくを避けるためにどうしたらよいかは切実な問題です。」に変更。「 昔の福島に戻してください。」を「 昔の福島に戻してほしい。」 に変更。

2012年5月17日改訂 

  「 本当の笑顔を取り戻すため。」を「 本当の笑顔と人権を取り戻すため。」に変更。トップページの言葉も改訂しました。

2012年5月14日改訂 

  「 特に、感受性の高い子どもたちの被ばくを避けるためにどうしたらよいかは頭の痛い問題です。それにしても、外部被ばくを避けて子供たちが思い切り遊べる室内施設が福島県内では不足しています。内部被ばくを検査するための機械も足りていません。」を追加。「ベクレルやシーベルトという言葉〜」を削除

2012年4月4日

  「福島人権宣言」のホームページ開設

2012年3月13日

  「福島人権宣言」作成。以後4月4日のホームページ開設までに10回の改訂作業を行いました。



Fukushima Declaration of Human Rights


We are currently living in a state of great anxiety and insecurity. "Utsukushima, Fukushima," they used to say, playing on the word for "beautiful" (utsukushii) in Japanese. We never imagined that one day we would see the name of our prefecture written in katakana, an ominous reminder of the fact that "Fukushima" now means much more than just a geographical location. We never imagined that we would have to worry about the problem of radioactive contamination.

In the immediate aftermath of the nuclear plant accident, all of us - young and old, male and female - were exposed to radiation. Since then the amount has decreased, but we are still subject to external and internal radiation exposure. The ionizing effect of the invisible radiation that is emitted from the nuclear plant causes damage to the cells of our bodies, day and night. We are forced to make difficult decisions, such as whether to let our children play outside or not. We cannot even breathe deeply without thinking about radiation. This situation is a source of great mental stress.

Although many people are going about their lives in an environment in which they face health risks from radiation, this does not mean that they are indifferent to these risks. They have purchased pocket geiger counters to check radiation levels, and worry every day about how best to avoid external and internal exposure to radiation. The issue of how to protect children, who are more sensitive to radiation exposure, is a particularly troubling issue. There are a dearth of indoor facilities in which children can play freely while avoiding external exposure, and an insufficient number of devices for measuring internal exposure to radiation. 

There are also many people who evacuated from the places they knew and loved. Whether the evacuation was forced or voluntary, they are now living detached from the lives they used to lead. As well as an economic burden, living apart from their families and local communities has also caused psychological pain.

Both those who have remained in Fukushima and those who have left Fukushima once lived lives of hope and positive expectations for the future. All share a feeling of attachment to their hometowns. Nevertheless, the sad fact is that there is a growing emotional divide between those who remain in Fukushima and those who have left or are leaving Fukushima.

We have lost so many things as a result of the nuclear plant accident; we do not want to lose anything more.

- We have the right to the pursuit of happiness under the Japanese constitution;

- We have the right to determine whether we evacuate or not;

- We have the right to know, which means we have the right to obtain as much information as we feel is necessary about the problem of radiation damage;

- We have the right to demand a free and equal society free from discrimination;

- We have the right to a healthy body, to feel love for nature in Fukushima, and to enjoy our lives;

- We have the right to demand full reparation for damage to our property and assets caused by radiation contamination;

- We have the right to demand that our beloved Fukushima be returned to its pre-accident state:

We want to drink the water without worrying. Please bring back the Fukushima we used to know, where we were able to eat rice, vegetables, fruit, fish and meat with peace of mind.

Please bring back the Fukushima we used to know, where we enjoyed good relationships with our families and our neighbors, and the smiles on the faces of our children;

- If it is impossible to restore Fukushima to its pre-accident state, we have the right to demand reparations for what we have lost.

We hereby declare that we are standing up to reclaim our rights, to bring real smiles back to the faces of people in Fukushima.

May 15, 2012

Fukushima City:

Kazuhide Fukada, Tomoo/Setsuko Onuki, Kanae Kondo, Koichi/Junko Koike, Hazuki Ishida, Yukie Tachikawa, Yasuhiro Abe, Ayumi Saito, Kazuhiko Matsumoto, Kazuko Ishikawa, Yayoi Murakoshi, Hiroko Sato, Mineko Furiya, Chie Omine, Fumiko Hirai, Masako Kikuchi, Sachio Baba, Hiroko Watanabe, Noriko Goto, Yuko Niji, Nobuyuki/Yuko Tezuka, Tomiko Ogawa, Makiko Sato, Yoko Koseki, Fumiko Takawa, Chie Hattori, Mieko Muroi, Yuzo/Keiko Sato, Ei Tanaka, Kazuko Takahashi, Masahiko Sato

Nihonmatsu City: Ryo/Sachiko Noji, Tomoe Edaguchi

Koriyama City: Kou Shinoda

Date City: Nobuko Haga, Kazune Saito

Soma City: Aya Mariko

Sukagawa City:

Saitama Prefecture: Ayumu Kuroda

Chiba Prefecture: Masamune Shimo

Tokyo Prefecture: Keiko Ogawa, Tomoko Koide, Mitsuko Kurashina, Jun Hori, Masumi Iino, Yuji Sunaga

Shiga Prefecture: Hideko Kataoka

Kyoto Prefecture: Ryo Yoshida, Kosho Nezu, Kazue Kitajima

Osaka Prefecture: Hidemune/Hiroko Mitamura, Yoko Kubota

Hyogo Prefecture: Teruko Sakaguchi

Wakayama Prefecture: Masami Nishizawa, Tatsuya Usui

Kagawa Prefecture: Maki Matsuura

Germany: Miyuki Tsuji, Hisayo Nagashima

[Translator's note: This is the translation of the original Japanese version as of 15 May 2012. Names in Roman may not be correct, as the original signatures are given in Chinese characters without reading.]

Translated by Kyo Kageura, Professor of Tokyo University



 


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