仏の心7
極めてカルマの重たそうな元ヤクザのAさん。身元引き受け人を引き受けてくれ、という話には、これまでの弁済と金の管理含めた厳しい条件をつきつけておいた。あれだけ厳しい返答なら、Aさんも流石に腹を立ててくれるのではないか。そうすれば縁も切れるだろう。あー、何かせいせいした。
こういうと皆さんの中には疑問を呈される方がいるかもしれない。前回の「制服女子高生なら助けてやる」発言含め、弱者救済をする人間の発言らしくないのではないか、と。
もしあなたが、「制服女子高生と同様、分け隔て無くAさんも助けてやるべきだ」というなら、あなたがAさんを助けてやって欲しい。「理想はそうだけど私はどちらも助けない、助けられない」という言い訳は無しにして。
もし支援のお金がない、提供できる住居がない、というのなら、それらの資金を小生が拠出しましょう。お金は小生が出すけれども、対応は全てあなたがやるということで。そのあなたの支援によってAさんが更正できたのなら、もう尊敬を通り越して「帰依」致しますよ。
支援にふさわしくない言葉を並べて小生が主張したい内容は以下の通りである。
・単に甘いだけ優しいだけの対応(女性原理・慈愛・弛緩)では人間は更正しない
・更正しないどころかますます増長してワガママ放題、人に迷惑かけ放題になる
・畢竟、被支援者に厳しい対応・縛り(男性原理・厳格さ・緊張)によって方向付けする必要がでてくる
・野田個人が厳しい対応をとるにも限界があるので、「お宅は刑務所でしばらく痛い目に遭ってもらった方が良い」というケースもある
・いくら支援団体や宗教が綺麗事を並べようとも、やっているのが生きた人間である以上、理想の綺麗事通りに処理できない現実は存在する。それはどこまでの問題を許容できるか、という器の問題とも言える。
・理想通りに行かない現実の厳しい問題をする上で、最後の一厘の微妙な判断・選択をする基準は、自分のやりたいこと・煩悩になる。
器の問題は小生に限らず、誰がどんな綺麗事を並べようとも存在するだろう。自称「60人のオウム信者を助けた」Mさんの器も、元ヤクザAさんを許容することはなかった。それだけではなく、結局小生もMさんの会社をクビになり、その器から漏れることとなった。その経緯の要約を以下に。
「仕事を手伝ってくれ」という話からMさんの所に行ったが、Mさんは当初小生に不動産屋を継いで欲しいと思っていたようだ。不動産事業免許には、数百万円の供託金が必要である。だからその話が出た時には、小生も悪くない話だと思った。だがそんな話は、当然のことながらタダで済むものではない。思惑の違いが明確になるまで、それ程時間はかからなかった。
Mさんは何度か小生を居酒屋に連れて行き、「俺の息子だ」などと紹介することもあった。「お前の細かい性格は賃貸に向いている」「俺は物を書くのが自分の仏性だと行き着いたが、お前はまだ自分の仏性を探し当ててないだろう」などとMさんは述べた。放っておけば「街の不動産屋」という枠に押し込まれるのが、小生にも分かってきた。それで何度かぶつかることになった。
最終的にある事件を機に、小生はMさんの会社をクビになった。Mさんがいない時に、事務所が荒らされたのだ。その話を聞いて小生も事務所に飛んでいった。事務所の自分の机に、資産の一部を隠しおいていたからだ。資産を隠していたことを知って、Mさんは小生をクビにした。
Mさんは、どうやら小生のせいで事務所が荒らされたと思ったようだ。しかもその荒らした人間が、上祐ではないかと疑ったようだ。荒らされた現場から小生の目の前でひかりの輪の知り合いに「上祐を出せ!」と電話をかけたのだ。上祐が小生を狙って事務所荒らしをするなどとはあり得ない。小生を敵対視しているアレフの人間でも、そのような違法行為はやらないだろう。その点Mさんはオウム信者を誤解しているように思える。
「お前とは波動が合う」と言っていたMさんだが、最後は相容れることはなかった。「光はねじ曲がっているんだよ、それが真理なんだ」などとMさんは独自の理論を持っていた。最初何を言っているのか全く分からなかったが、よくよく聞いてみると、陰陽転換の太極図と同じ事を言っていると分かった。Mさんにはそのように別の角度から物事の本質は同じなんだと確信させてもらった。不動産のこと含めて老婆心で教えてくれたことには感謝している。しかしそれでも最後は思惑の違いで袂を分かつこともある。それぞれの思惑・やりたいことが違うのだから、それは仕方がないことだと考える。
小生がやりたいのは、人類を2000年に渡り支配してきた一神教、その自滅を見届けることである。最後の陰陽転換を起こす臨界点を超えるところまで、その問題を突き続けたいと考える。しかし綺麗ごとの理想だけを掲げていると、「衆生済度といいつつ無差別大量殺人」ということになりかねない。よって理想と現実の間を埋めていくと、個別具体的には、国家の債務問題であり膨張する生活保護費問題であり、ホームレス支援含めたお金に困った人達への支援と言うことになるが、どうやったって細部の矛盾はでる。
(つづく)
支援のお話、ほんとうにそうですね。僭越でとてもお恥ずかしいけれど、心から同感です。
一神教の価値観についても、ぜひ行く末を見届けたいものですね。
おためごかしが剥ぎ取られる過渡期の混乱や破壊作用を考えれば不謹慎で、自分だって何とか生きてられるか分からないけれど、それすらどちらでも良いと思うほど楽しみです。
すごく大まかな捉え方ながら、外部の対象を強迫神経症的に崇拝する観念が壊れてしまえば、そこで初めて誰とも魂から裸の付き合いができる土台が出来そうですね。
余り居ませんが、見栄張らず野良着で1日一食というのも別段の感慨無く行けるタイプならむしろ活力が湧いて来るかも知れないし。それで働いて働いて、死んでいくのも又良いと思います。但し今が楽だから、その時の厳しさを舐めてる部分は多いのでしょうね。
私は人の鉄面皮な冷たさが堪えるので、まだ20年くらいはこうゴタゴタするだろうな…等も思うのですが、もしそのときが来るとしたら何と言っても、楽しみです。