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第159回 ポケモン事件 その日の夜悶々
問題の『ポケモン』のビデオをプロジェクターで、100インチのスクリーンで見た。
そのエピソードはコンピューター内部のいわゆる電脳世界で、バトルが繰り広げられるというストーリーだ。
脚本については、僕はシリーズ構成として、同じ脚本を直しのごとに3回も4回も読んでいる。
その脚本を書いたのは直接僕ではないにしろ、僕はその脚本を決定稿にしたメンバーの1人であり、シリーズ全体の脚本の責任者の位置にいる。
『ポケモン』の場合、脚本は、基本的に脚本会議の意向を組み入れて、いろいろ書き直して決定稿になるから、今回の事件の原因が脚本にあるなら、その責任は、脚本家というより、その脚本を決定稿にした脚本会議にある。
で、くどいようだが、僕はその脚本会議のシリーズ構成なのである。
脚本は作品の設計図である。
完成品が事故を起こせば、設計図にミスがなかったかが問われるのは当然である。
この事件が起こった事に「ざまあみろ」と電話で言われたが、確かに僕は「ざまを見なければいけない」1人である事は確かである。
ともかく、事件の原因になった作品を見なければならない。
ところで、僕はほとんどTVを見ない。そもそも仕事場にTVを置いていないのだ。
よほど見る必要な番組に限って、プロジェクターの映写可能サイズを最小に絞って、60インチほどのスクリーンサイズで見ている。
それでも、60インチ画面は大きすぎる。
大画面で見る事を予想して作られていないTV番組は、それがニュースであろうとバラエティであろうとドラマであろうと、大画面で見るには、どこか演出や画面の構図や役者の演技が大画面に耐えられないスカスカな気がするのだ。
観客の映像への集中度への意識が足りないというか、画面の密度が足りない気がする。
最近、TVドラマの演出家が監督をする映画が増えているが、そんな映画には、ストーリーや写っている映像は映画並みに派手でも、なんだか、わざわざ映画館の大画面で集中して見る必要のない軽さを感じてしまう事が多いのは僕だけだろうか?
そんなわけで、僕が100インチのスクリーンで見る時は、ビデオやレーザーディスクに収録された――当時DVDはなかった――映画に限っていた。
だが、問題の『ポケモン』は100インチサイズで見た。
普通の家庭の場合、当時のTVは20インチか大きくて29インチである。
しかし、大人には20インチでも、子供の狭い視界からすればずっと大きく見えるはずである。
だから、子供が見た時の視界を考えて、仕事場の広さぎりぎりの100インチにして見たのである。
ストーリー展開も台詞も、ほとんど決定稿どおりである。
スピード感もかなりある。
確かにまぶしいシーンが多かった。
しかし、過剰な視覚効果の演出を批判できるかというかというと、そこは微妙だった。
なんだかんだといっても、『ポケモン』アニメ版の見せ場のひとつはバトルシーンで、できるだけ迫力のある派手な演出して子供たちの人気を得ようとするのは、『ポケモン』アニメをヒットさせたい製作側としては当然だろう。
もっと見せ場を派手にしろという要求が上層部の一部から出ていた事も確かだ。
ピカピカする電脳世界でのバトルは視覚効果の迫力を出すには格好の見せ場だし、その見せ場をフルに出せるような脚本になっている。
それに、限られた予算内で迫力のある視覚効果を狙う、業界用語でいうパカパカという手法は、アクション物のアニメでは、当時よく使われている方法でもあった。
眩しいことは眩しい……しかし、100インチのスクリーンで見た僕自身は、気分が悪くなるほどではなかった。
でも、日本中で、その『ポケモン』を見て人が倒れている事は確かである。
「なぜなんだ?」
……ふと、思い出したのは、『ポケモン』の2話目のアフレコで、ピカチュウの電撃シーンがやたらと眩しく感じたことだ。
今の2話のビデオやDVDはその眩しさは修正されているようだ。……一応レンタルで確認した。
当時、アフレコは、ビデオをカラーのブラウン管のTVに映して行われていた。
ご存じの方も多いだろうが、ブラウン管は電子銃(3本の電子銃)ともいえる光源から出た光が、3原色(みっつの色の点)を通して目に入ってくる(電子銃については電子銃が1本のトリニトロンという方式もあったが、電子銃が光源なのは同じことだ)。
その光の強弱で、人は色や明るさを感じる。
単純にいえば、電球(光源)を直接目で見ているようなものである。
眩しい電球を長時間見つめる人はいないだろう。
しかし、TVは光の強弱はあれ、光源を見続けることになる。
それが、ちかちか点滅すれば眩しいどころではない。
一方、僕が見たプロジェクターは、スクリーンに映し出された反射光を見ている。
直接光と反射光では違うはずである。
あくまでこれは僕の素人考えだ。
TVを直接見た人と、スクリーンで見た人では、目や脳に対する刺激度は違う……だから僕が、100インチのスクリーンで見た『ポケモン』は、よく考えれば参考にならないと思った。
現実には、『ポケモン』を見た人が、特に子供たちが、原因不明で倒れたのだ。
入院者もいる。
重病者に万が一の事が起これば……いや、万が一どころか、万が二、いや、半分以上がという場合もあるかもしれない……ともかく、その時点では何も分からないのだ。
仮に症状が治ったにしても精神的後遺症(いわゆるPTSD)はどうなる?
僕には、精神科系の医者の知人や友人もいる。
彼らにとっても、物書きという人間の精神構造は興味深いのかもしれない。
そんな彼らは、医者と患者との関係ではなく、友人、知人の関係の時、ちらりと自分の専門分野に関する本音を話してくれる時がある。
彼らそれぞれの見解を鵜呑みにはしないが、参考にはなる。
だからおそらく、PTSDに関して、僕は普通の方よりは詳しいかもしれない。
何かが起こった時、本人と周囲にその後どんな精神的影響が及ぶか予測はできないが、相当それは深く、かなり広範囲に広がる事は確かだ。
そんな事を考えだすとその夜は、睡眠薬を飲んでも眠れなかった。
ニュースの情報によれば、とにかく『ポケモン』のピカピカ(パカパカ)表現が原因らしいことはわかってきた。
眠れずに考えないでもいいかもしれない事まで考えた。
明らかに、問題のエピソードは、もともとピカピカに描かれるだろう電脳世界でのバトルを迫力あるものに見せるために、さらにピカピカする表現が使われた。
脚本のプロットの段階で、舞台になる電脳世界をピカピカに描かないという方向もないわけではなかった。
僕自身が、主人公がコンピューターの内部に入り、電脳世界でアクションが展開されるという脚本を、『ポケモン』以前に書いていたのである。
『機動戦艦ナデシコ』というシリーズの「あの忘れえぬ日々」というエピソードだ。
その打ち合わせで、電脳世界をどう描くかが、当然話題になった。
プロデューサー、監督、シリーズ構成、僕、同じ意見が即座に出た。
……ピカピカは止めよう。
理由は、視覚的に刺激的だという理由ではない。
そんなことは、考えてもいなかった。
昔、ディズニー映画に「トロン」という電脳世界の冒険ものがあり、その電脳世界が、ほとんどピカピカが売り物のように描かれていたからである。
電脳世界を描くのに、誰もがいかにも考えそうなイメージで、しかも、作品の出来は凡庸だった。
「『トロン』はやめよう」
「『トロン』は古いよ」
「『トロン』はなし」
『ナデシコ』のスタッフは、SF的イメージ世界に詳しい。
電脳世界のイメージイコール「トロン」イコール「ありきたり」イコール「嫌だ」の拒否反応になる。
これほど、スタッフの意見がそろった脚本打ち合わせもはないだろう。
僕はもともと、電脳世界を「トロン」風に描く気はなかった。
僕の書いた脚本の電脳世界は、「トロン」とは、全く違うイメージだった。
そして「トロン」の電脳世界のイメージを払拭する電脳世界を作った。
さらに言えば。大昔、芥川龍之介の短編小説「杜子春」を1時間半の長編アニメにする時、主人公の受ける地獄の試練を、いわゆる「トロン」的電脳世界風に描いたこともあった――その頃は、まだ「トロン」は出来ていなかった。
つまり、電脳世界をピカピカで描くのは、イメージとして僕の中では古かった。
『ポケモン』に出てきた電脳世界は、プロットの段階から「トロン」を意識していたようだ。
「ありきたり」イコール「みんなが考えそうな電脳世界」イコール「分かりやすい電脳世界のイメージ」である。
『ポケモン』は、『ナデシコ』とは違う。
子供には、分かりやすいほうがいい。
「でもなあ……」とは思いつつ、「僕が脚本書くわけじゃないし……」と、僕はそのプロットを古いと言って否定はしなかった。
脚本会議のメンバーからも電脳世界のイメージに対する異論はなかった。
仮に僕が「電脳世界のイメージが『トロン』すぎる」と言って反対しても、「じゃあ、どうする?」で揉めて、脚本会議が混乱するばかりだろう。
僕が脚本家に難癖をつけているような感じになるのも嫌だった。
実は昔、僕のシリーズ構成の作品で、その脚本家にちょっとした世界観の間違いで、かなりの直しを頼んだ時、彼いわく「そんなに直すなら、書き直した方が早いです」と、まるまる1本、書き直してきたという前歴があった。
彼も疲れただろうが、僕も精神的に疲れた。
もしもあの時まるまる書き直したものが、また問題があったら、彼はどうする気だったのだろう。
そして、僕はどう対処すればいい?
今回の『ポケモン』の脚本の場合、僕が引っかかる電脳世界のイメージ以外、その脚本の展開は、アクションものとして、つるべ打ちに事件が起こり、面白くできてもいた。
「まあ……いいや」
僕自身の中でさしてこだわりもなく、するすると他のエピソードに関心が移ってしまった。
週1回の打ち合わせで、4本の脚本を検討しなければならないのである。
正直、そのエピソードについては、その時限りで忘れてしまったようなものだった。
しかし、事件が起こったその夜になると、それが当然思い出されてくる。
「あのエピソード、シリーズ構成として止める事はできたのだろうか? 昔のやりたい放題のシリーズ構成の僕だったら……どうしただろう」
そんな思いはしょうもない繰り言である。
結局は、自己弁護にすぎない。
「ざまあみろ」の電話の主が誰かもどうでもよかった。
仕事上でも『ポケモン』以前は、風変わりというか常識はずれなシリーズ構成法をしてきたのだから、知らず知らずに、人から恨まれていることもあるだろう。
僕は人と喧嘩しても、喧嘩している間は大喧嘩だが、すぐ忘れるタイプだ。
しかし、僕と喧嘩したことを、いつまでも忘れない人もいるだろう。
僕の事を人が何と思おうとそれは仕方ないことである。
「ざまあみろ」といわれようといわれまいと事件が起きた事は確かだ。
それ以前の事について、何を思い悩んでも、後の祭りなのである。
なんにしろ、事件は、予想せずに起きたのだ。
言うまでもないが、その脚本を書いた脚本家の方のショックもただ事ではないだろう。
それだけではない、『ポケモン』関係者の受けたダメージは、それぞれがそれぞれの立場で衝撃的だったろう。
だが、それより忘れてはいけないのは、この事件の直接の被害者の方達のことである。
僕が事件を知ってろくでもないことを考えていた頃、12月16日夜、小田原のある病院に、女の子が担ぎ込まれていた。
原因は『ポケモン』だった。
つづく
●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)
僕の書いた凄い(?)シナリオの一シーンを紹介したついでに、大昔、脚本家の卵だった僕自身がびっくりしたシナリオの一シーンを書いてみます。
故人ですが、著名な脚本家(佐々木守氏)の書いたシーンで、もちろん放送もされました。
しかも、その方がメインライターで当時、大評判(当然、高視聴率)になった番組です。
それどころか、見本としてプロデューサーから渡されたシナリオに書かれていたシーンで、あいにくそのシナリオは手元にないので、僕の記憶で書きますが……。
「おくさまは18歳」という題名のドラマです。
○リビングルーム
哲也「どうやら、僕ら夫婦だって、ばれちゃったみたいだよ」
飛鳥「えー、ほんと」
飛鳥、困っちゃいます。……これト書き。
哲也「どうしよう」
飛鳥「どうしようったって……」
飛鳥、どうしようもないですよね。……これト書き。
飛鳥「ほんと、どうしよう……」
ほんとに、困っちゃいます……これト書き。
全編のト書きがこんな調子です。
これを見本に脚本を書けといわれても、首藤剛志という脚本家の卵は、困っちゃいました。
でも、いいシナリオだとは思いました。
このト書き、目に見えないのですが、目に見えるような気がします。
次に、「ウルトラマン」だか「ウルトラセブン」の脚本。脚本家の名は、びっくりして忘れましたが、著名な脚本家さんです。
○街
怪獣と向かい合うウルトラ……多分、怪獣の名前も姿形も決まっていなかったんでしょう(首藤注)
胸のランプが点滅。……おそらく、変身時間が後3分間を意味するランプ(首藤注)
おあと、よろしく。……これト書き。
で、戦いが終わったウルトラ……が飛び去った後のシーンに続きます。
この脚本、怪獣の暴れるシーンが多く、普通の脚本の半分ぐらいしか、厚さがありません。
怪獣の暴れる様子や戦う様子は、特撮演出にお任せにしてしまったんですね。
詳しく書いても、特撮部分が脚本どおりに演出できるか、わかりませんからね。
で、できあがった作品は、名作と呼ばれました。
おあとよろしく……や、お任せの部分以外のドラマ部分がよくできていたんですね。
ただし、自他共に優れた脚本家と認められないうちは、くれぐれも真似はしないように……。
脚本の中身はともかく、びっくりした脚本の原稿……昔は原稿用紙の上に、穴をふたつ開けて紐で閉じていたんですが、あるベテラン脚本家が、女の子が主人公のアニメの脚本を書きました(「小公女」のような内容だったと思います)。
その脚本、赤いリボンの蝶々結びで閉じられていました。
最近は、セリフに(^_^;)やハートマークがついているものもあります。
さすがに、そういうシナリオは、まだ受けいられていないようです。
つづく
■第160回へ続く
(08.09.03)
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編集・著作:
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