幸福度の政策的な追求は疑問/山形浩生(評論家兼業サラリーマン)
PHP Biz Online 衆知(Voice) 10月10日(水)12時53分配信
◆研究としては面白いが◆
世間が領土問題や反日で騒がしいときに、まったく時事性のない話題で恐縮なのだが、日本の内閣府がしばらく前から、幸福度指標なるものの試案をまとめている。
もうGDP(国内総生産)は指標としては役に立たない、経済発展しても人は幸せにならない、国内総生産より総幸福GNHをめざすブータンは偉い、といった話だ。
もちろん、この手の話はいまに始まったことではないし、また日本に限った話でもない。物質的な豊かさから心の豊かさへ、といったお題目ははるか昔からあるし、先に出たブータンの話はもとより、つい先日はフランスでトップクラスの経済学者を集めて行なわれた類似の試みの報告書が邦訳されている。
でもこういう話を聞くと、なんだか単一の「幸福度」という指標をつくってすべての政策をそれに向けて組織するのか、と思ってしまうけれど、実際にはそうでないようだ。失業率や、望まない非正規雇用率、健康の各種指標、その他が概ねすでに政策でも考慮するような指標を寄せ集めているようだ。結局のところ、いまの政策を普通に続ければいいだけで、幸福度なんてものを考えるまでもないように思えるんだが。
そしてぼくは、そもそもこういう幸福研究というものを少し疑問視している。
いや、研究としては面白い。でも、それを政策的に使うのは問題ではないだろうか?
まず上に述べたように、いろいろ出てくる結論は、結局すでにやられているようなものの並べ替えにしかならない。幸福は、自分自身の力(と思っているもの)でどのくらい収入や地位が向上したかという達成感も大きい。それも絶対的な達成だけでなく、周りと比べたときの相対的な達成度も重要だ。
だからこそ、GDPや健康や寿命その他と幸福度とを相関させて国際比較を行なってもあまり意味のある結果は出ない。社会への帰属感を高め、自分が何か有益な活動をして必要とされている、という自己意識を高めることは、幸福に大きく関連してくる。だから不景気を改善して、みんなが就職し社会参加して生活水準を改善できるようにすれば、幸福はだんだん高まる。
でも、それは新しい指標なんかつくるまでもない。そしてそれ以外となると各種研究成果をみても、幸福度を上げるために政府ができることはほとんどないという。
◆人の心に立ち入るな◆
そしてもう1つ、幸福追求というのは、それ自体自己否定的なところがある。幸福を求める人は、いまの自分が十分に幸福ではないと思っているわけだ。でも、そう思うこと自体が不幸を増す。野心と向上心のある人は、かえって幸福度が少ないという研究結果もある。もっとできたはずだと思ってしまうからだ。
足るを知る、自分が持っているもので満足する――それが幸福の秘訣でもある。宗教の多くがそれを主張する。それがある意味で幸福の本質でもある。
すると……幸福を追求する施策にはもう一つありうる。期待を下げることだ。これ以上はよくならないからあきらめよう、これで満足しようと思わせることだ。おまえらはもうダメだと思わせることだ。人は、失業が多かろうと健康が悪化しようと、いま程度のものでも手に入れられることに満足し、幸せに思うだろう。
そしていまの30年デフレ不況は、じつはまさにこの状況をつくりだしている。最近の日本の研究で、ニート失業者で将来の見通しも暗い若者があまり不幸でないことに驚く研究があった。でも、そういうもんだと思ってしまえば――みんな失業し、当てもなく、希望もなく、病気して、飢え――それでも人は幸福でいられる。そういうものだと思わせれば、GNHは上がる。ぼくはそういうものだとは思わないから、これが不幸だと思う。でも、そう思わなければいけない理由は必ずしもない。
だからぼくは、あまり政策的に幸福度の追求はやらないほうがいいと思っている。物理社会的な客観的環境に専念して、人の心には立ち入らないほうがいいと思うのだ。
むろん、これはあまりにひねくれた見方ではある。でも一方で、ぼくはその環境で幸せになるかどうかも、じつは個人の選択に任せるべきで、他人が立ち入るべきではないとも思うのだ。
最終更新:10月10日(水)15時27分
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