財政危機に国民が取るべき選択 Twitter

 

2010-08-24

第二次世界大戦後の日本のインフレ-5-

| 06:22

※参考:日本 第二次世界大戦中・戦後の賃金指数、物価、GDP、政府債務額など推移.pdf 直

インフレの条件がそろうと、物価は急上昇を始めた。1940年から1944年までの消費者物価指数を上記資料で確認すると、4年間で20数%の物価上昇率である。しかし、1944年から1945年の1年間では50%近く上昇している。また、日銀が調べた物価推移では、1945年10月から1946年2月までのわずか数ヶ月で物価上昇率は数倍になっており、戦後は急速に悪性インフレが加速した。

そこで政府1946年2月16日夕方、経済危機緊急対策を発表し、「金融緊急措置令」「日本銀行券預入令」「臨時財産調査令」などが‘勅令’により翌17日から実施された。17日当日の新聞各紙は「けふから預金封鎖」(けふ=今日)「支拂制限けふ斷行」「手持金は強制預金」などと見出しをかかげ、その内容を大々的に報じた。その概要は以下となる。

  • 現在の預貯金は2月17日をもって封鎖。
  • 封鎖預金からの引き出しは、1ヶ月につき世帯主300円、家族1人につき100円。(給与生活者の給与支払いは1人につき500円まで。)
  • 現在流通中の10円以上の紙幣(旧円)の効力は3月2日まで。
  • 新円を発行し、旧円との交換期間は2月25日から3月7日まで(交換比率は1対1)。交換限度は1人につき100円まで。それ以上の旧円は預金として封鎖。
  • 3月3日0時現在で財産調査を行い、財産税算定の基礎とする。
    • ※後日5円札も同様に、預金封鎖、新円切替の対象とされた。

終戦直後に、政府が「預貯金の安全は保障する」「支払い制限(モラトリアム)は行わない」と表明していたにもかかわらず、これらは実施された。この荒っぽい施策により、旧円の効力が失効するため、硬貨や小額紙幣を除き、現金はすべて金融機関に持ち込まれ、封鎖された。

そのうえで、10万円以上の財産を所有する個人は、「臨時財産調査令」に基づき、3月3日0時時点の財産を、3月3日から4月2日までの1ヶ月の間に、最寄りの金融機関税務署に「臨時財産申告書」の提出と共に申告させられた。この「臨時財産申告書」を提出しなかった場合や虚偽申告をした場合は、罰則も課された。(これを基に同年11月に財産税が課されることになります。)

さらに、同年3月3日に物価統制令により「三・三物価体系」と呼ばれる物価水準を設定し、生鮮食料品の統制なども復活させるなどしたが、これらの施策も‘効果がなく強化の必要性がある’ということから、4月1日から封鎖預金からの引出限度額が1人あたり‘一律100円’に引き下げられた。(物価統制令は廃止されておらず、今でも普通公衆浴場銭湯)の物価の統一に使われています。)

※2月25日に発行された新円は、製造が間に合わなかったため、応急処置として、10月末までは旧円に「証紙」が貼られた銀行券でした。http://www.imes.boj.or.jp/cm/book/index.html#page=77日本銀行金融研究所貨幣博物館WEBサイトへのリンク)この証紙は日銀職員が‘コンニャク糊’を利用し、休日を返上し昼夜を徹して、貼っていったという逸話が残っています。

 

BBHBBH 2011/01/29 14:30 1976年、当時の北ベトナムが南ベトナムを制度的にも統一した時に取られた手法がこれに極めて類似しているので驚きました。違いは申告財産に対して日本では財産税を掛したのに対してベトナムでは財産が没収したこと、また、非服従民をシステム的にボートピープルとして送り出し、隠した財産を更に個別に没収していったことでしょうか。