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マスケット銃兵(戦列歩兵)

部隊規模160
射程80
精度45
装填能力50
弾薬10
近接攻撃6
突撃力10
防御8
士気6
能力
・方陣を組める
・前進射撃
・森に隠れることができる
・動揺に対する抵抗力
・ソケット式銃剣
この種の戦列歩兵たちは敵本隊に銃撃を加え,銃剣突撃により圧迫する様に訓練されていますが、機動力と俊敏さは犠牲にされています。 プロイセン軍戦列歩兵は強力な銃剣突撃により白兵戦において奮闘します。彼らは敵に滑腔銃身のマスケット銃で壊滅的な一斉射撃を浴びせることに長けていました。 プロイセン帝国の過去の栄光を教え込まれていたので、彼らの士気は高いのですが、それは砲兵の集中砲撃や散兵の狙撃に対する防御とはなりませんでした。 1806年以前までは、プロイセン軍は少し自己満足になっていました。7年戦争の栄光はプロイセン軍兵士の無敵を意味すると自信を持っていたのです。 とても有利に戦った軍隊を変える必要はなかったのです。鉄の規律はどんな敵でも打破するのに十分であると考えられていました。 一点の汚れもなく完璧に訓練されたプロイセン軍は見た目はとても立派でしたが、ナポレオンの様な戦術の天才と対戦するには不十分でした。


擲弾兵(戦列歩兵)

部隊規模120
射程80
精度50
装填能力50
弾薬10
近接攻撃9
突撃力16
防御10
士気8
能力
・前進射撃
・方陣を組める
・擲弾可能
・森に隠れることができる
・藪に隠れることができる
・動揺に対する抵抗力
・ソケット式銃剣
擲弾兵は大柄で強靭な兵士で、マスケット銃で武装しており、恐れられていました。 大きく勇敢な兵士だけが擲弾兵になれたので、擲弾兵達は自分たちを精鋭と見なしており、パレードでは名誉な戦列の右側を占めました。 その大きさと力強さは彼らの突撃をとても壮観なものにし、接近戦においても有利をもたらします。 擲弾兵は誇り高き集団であり、その誇りは彼らを命令文書の命令に従う忠実な兵士にしました。 彼らは他の歩兵と同じように、重騎兵と向かい合う時は注意しなければなりませんが、散兵からの攻撃にも脆弱でした。 歴史的には、擲弾兵連隊と大隊は強襲に特化した部隊として始まりました。 すべての戦列歩兵連隊は擲弾兵中隊を持っていました。これらの補助部隊を集約することは、指揮官達に重武装かつ攻撃的で優秀な兵士たちから成る便利な部隊を提供することになりました。 擲弾兵連隊創設後も擲弾兵中隊は戦列歩兵連隊の中に残りましたが、大部分の擲弾兵は手榴弾を使うことをやめてしまいました。 代わりに、個々の擲弾兵中隊は連隊の中で最も大きく強い兵士達の”重装荒くれ者部隊”となりました!


第1東プロイセン擲弾兵大隊(戦列歩兵)

部隊規模120
射程80
精度55
装填能力55
弾薬10
近接攻撃10
突撃力17
防御11
士気9
能力
・方陣を組める
・前進射撃
・擲弾可能
・森に隠れることができる
・藪に隠れることができる
・動揺に対する抵抗力
・近くの部隊を鼓舞
・ソケット式銃剣
擲弾兵は大柄で強靭な兵士で、マスケット銃で武装しており、恐れられていました。 大きく勇敢な兵士だけが擲弾兵になれたので、擲弾兵達は自分たちを精鋭と見なしており、パレードでは名誉な戦列の右側を占めました。 その大きさと力強さは彼らの突撃をとても壮観なものにし、接近戦においても有利をもたらします。 彼らは重騎兵の突撃を受けたり、散兵から攻撃されると脆弱でした。 これらの弱点を除けば、擲弾兵は誇り高き集団であり、命令文書の命令に従う忠実な兵士です。 歴史的には、プロイセン軍は1814年のナポレオン失脚に続き、根本的な再編成を経験しました。 その年の10月に既存の6つの擲弾兵大隊は2個連隊となり、同盟国に敬意を表して、プロシア王はそれぞれの連隊を、ロシアのアレクサンドル帝、オーストリアのフランツ帝にちなんで名付けました。 アレクサンドル皇帝擲弾兵連隊は第1と第2東プロシア大隊と近衛部隊から組織され、フランツ皇帝連隊はポメラニアン人部隊、西プロシアとシレジア大隊の兵士から組織されました。


近衛歩兵(戦列歩兵)

部隊規模160
射程80
精度55
装填能力80
弾薬10
近接攻撃9
突撃力14
防御13
士気11
能力
・方陣を組める
・前進射撃
・森に隠れることができる
・藪に隠れることができる
・動揺に対する抵抗力
・近くの部隊を鼓舞
・ソケット式銃剣
近衛部隊はプロイセン軍で最も大きく勇敢な兵士達から成っています。もちろん、精鋭部隊です。 プロイセン軍は軍事教練に執着していたので、どんな命令にも喜んで従える驚くほど良く訓練された兵士を育てます。 彼らはほとんど比類なき精度と速さで武器を装填、射撃できました。 規律は彼らをほうっておけば命に関わるほどの強力な敵にし、強力に鍛え上げられた兵士達は白兵戦で他の部隊より優位に立ちます。 しかしながら、これらの能力ゆえ彼らの徴兵費用は高く、また他の兵士同様、砲撃や散兵の狙撃には脆弱でした。 プロイセン軍はナポレオン戦争期の直前から終わりまで、一連の重要な変化を経験しました。 傭兵部隊は過去のものとなり、真の国民軍に取って変わられました。 1809年、大隊行動の標準型が必要であると決定されました。 単純に大隊を横隊に配置する考えは、より近代的な”チェッカー盤”隊形に置き換えられました。 これは3つの主な要素から構成されていました、散兵線、主戦列と予備兵力です。 戦闘毎にこれらの要素の規模はかなり変動しました。


第8近衛連隊(戦列歩兵)

部隊規模160
射程80
精度55
装填能力70
弾薬10
近接攻撃7
突撃力12
防御12
士気9
能力
・方陣を組める
・前進射撃
・森に隠れることができる
・藪に隠れることができる
・動揺に対する抵抗力
・近くの部隊を鼓舞
・ソケット式銃剣
規律高く、勇敢さで周りの部隊を鼓舞するこれらの戦列歩兵は、どんなプロイセン軍軍団にも素晴らしい拡張兵力となります。 第8近衛連隊の兵士たちによって示される堅実さは驚くべきものです。 戦場においては近くの部隊を自分たちの例にならう様勇気付けます。 多くのプロイセン軍戦列歩兵部隊と一緒に、これらの兵士たちは信じられないくらい良く教練・訓練されています。 それによって、彼らは短い時間で速く装填する素晴らしい狙撃兵になっています。 しかしながら、密集隊形により砲火と散兵に脆弱なままです。 精鋭部隊なので、この連隊を組織するのは高価ですが、彼らの能力は余剰費用に十二分に見合います。 第8近衛連隊はプロイセン軍で最も名高い戦列歩兵部隊のひとつでした。 ナポレオン戦争の間、プロイセン軍の戦列歩兵連隊は、より新しい軽歩兵連隊に数で圧倒されました。 戦術の変遷にも関わらず、第8近衛連隊は鉄の規律を維持し、とても立派に軍務をこなすことが出来ました。

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