余録:森光子さんの実家の京都の料理旅館には…

毎日新聞 2012年11月16日 00時41分

 森光子(もり・みつこ)さんの実家の京都の料理旅館には戦前の大スター阪東妻三郎(ばんどう・つまさぶろう)が芸者衆を連れてよく来た。三味線のにぎやかなお座敷の後を見ると、何か字の書かれた紙片がベタベタと鴨居(かもい)に貼られている。仲居さんの一人が気づいた。これはセリフだと▲森さんのセリフ覚えも子供時代に見た阪妻方式にならった。むろんにぎやかな歌舞は抜きだが、折った紙に相手のセリフの語尾と自分のセリフを書き出していく。書けば不思議と文字の形で覚えられたという。誰よりセリフ覚えの早いことで知られた森さんだった▲嵐寛寿郎(あらし・かんじゅうろう)のいとこという縁で15歳で映画界入りした森さんだが、時代は娯楽映画が規制される戦時下となる。歌手に転身すればデビュー盤が検閲にひっかかり、軍の慰問団に入って戦地を巡回した。戦後は結核の闘病をはさんで主に関西の喜劇界で重ねた芸歴だった▲「あいつより上手(うま)いはずだがなぜ売れぬ」。下積み時代を詠んだ川柳について当人は「上手いはずの『はず』に注目してください」と笑っていたという。舞台の森さんに目を留めた劇作家・菊田一夫(きくた・かずお)が劇場関係者に「年は17、18?」と尋ねた時には38歳になっていた▲菊田に抜てきされた初主演の舞台が2017回の公演を重ねた「放浪記(ほうろうき)」である。遅咲きの女優は誰よりも大きな花を長きにわたって咲かせた。「私は名女優にはなりたいと思わない。ただ生きている間は一人でも多くに楽しんでもらい、愛される女優になりたい」▲願いはみごとかなったといえるだろう。一期一会(いちごいちえ)の舞台を積み重ねて時代の記憶を織り上げた92歳の大女優は、人々に愛される運命をまっとうした。

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