安倍総裁との党首討論の場で、悲壮感を漂わせながら「16日解散」を明言した野田の姿を見て、国民の多くも茶番のにおいを感じ取ったはずだ。
なぜ野田は負け戦覚悟で、「伝家の宝刀」を抜いたのか。
一説には、野田は安倍に電話で解散時期を伝えていたという。しかも、「民主党が惨敗しても、あなた方の政権に入れて欲しい」と身分保障を懇願した、とマコトしやかに語られているのだ。
こんな情報が妙にリアリティーを持って飛び交うのは、野田周辺の議員たちと安倍自民党に政策の違いが、ほとんどないためだ。
「国の財源不足は消費税任せ。原発再稼働も容認。尖閣問題ではタカ派合戦を繰り広げる始末で、有権者から『違いを言え』と迫られれば、答えに窮するほどです。特に野田首相以下、民主党内の松下政経塾の出身議員は、自民党のタカ派とイデオロギーを共有しています。むしろ、選挙後に自民党に合流し、『自民党・野田派』を名乗る方が自然なくらいです」(政治評論家・山口朝雄氏)
野田と同じ政経塾上がりの前原は、16日の解散当日に出版する著書で「同じ理念のグループを結集し、保守の再編を実現したい」と書いた。安倍には「同じ保守の政治家としてシンパシーを感じる」とエールまで送っているのだ。
果たして、惨敗選挙を生き抜いた野田一派はどう動くのか。自らの無謀な判断で無数の同志を討ち死にさせた“敗軍の将”が、ノコノコと敵の軍門に下るのか。野田は選挙後に首相としてだけでなく、人間としても最低かどうかを問われることになる。
(日刊ゲンダイ2012年11月15日掲載)